追放の朝
村長とゴウジに連れられ、トーヤが早朝の村の入り口に来ると、そこには何人ものドワーフが集まっていた。
「なんじゃ、お前ら。追放者の見送りは禁止じゃと言っておったじゃろうが」
「何言ってんだい。私ら朝の散歩に来ただけじゃないか」
クズミ婆が悪びれもせず応じる。
「そうだとも。朝の散歩は健康にいいからね。そのついでにこのあたりで立ち止まっていたところで、咎められる理由はないだろう?」
ハルもいつもの穏やかな調子でしれっと答える。
村長は軽く溜息を吐くと諦めることにした。どうせこの追放自体、建前だらけの代物なのだ。今更細かいことをとやかく言っても仕方ないだろう。
「……お前たちも散歩か?」
村長がトーヤの両親に尋ねる。
「……いいや、俺たちはゴミを捨てに来ただけだ」
「ゴミ?」
ドサッとトーヤの父親が中身の詰まった鞄を地面に置く。
「……追放者は、着の身着のままで行くのが掟じゃぞ」
「だからゴミだと言っているだろう。追放者の私物を、いつまでも家に置いておくわけにはいかんからな。当然、捨てたものを誰かが持って行ったとしても、俺たちの知ったことではない」
「……父さん」
トーヤは父親の気づかいにじんわりと暖かな気分になる。
「……私もね、余り物を捨てに来たのよ」
母親がそっと包みを鞄の上に置く。
「……朝ごはんを作りすぎちゃって。誰か食べてくれると嬉しいんだけど……」
「……」
「……ゼンジたちはね、『追放者の見送りなんぞ行けるわけないだろ』って来なかったの。でもその後に……『トーヤにすまんなって言っといてくれ』って5人揃って言うのよ。……おかしいでしょ?」
トーヤはもうこらえきれなかった。母親の元に駆け寄りそっと抱きしめる。村長たちも、それを止めることはなかった。
ミオリが倒れていたままで良かった、と思う。母親に子供っぽく抱き付く姿など、自分を尊敬する妹には到底見せられない。
その様をじっと見ていた親方を、鍛冶場の古参がそっと突っつく。
親方はハッと我に返ると、わざとらしく咳をしながら話し出す。
「あー俺もなーゴミを捨てなきゃいかんなーせっかく作ったものだが追放者に送るわけにはいかんしなーもちろん誰かが拾っても仕方ないだろうなー」
「……親方、下手過ぎですよ……」
「うるせっ、こんなもん俺の性に合うかっつうの!」
ポカリと古参の頭を小突いてから、親方がずんずんとトーヤに歩み寄る。トーヤも母親と離れて親方を待つ。
「小難しいことはやめだ。受け取れ」
「……お前少しは建前っちゅうもんを……」
小言を言う村長を無視し、親方がずいっと手に持った物をトーヤに渡す。
「……剣?」
ドワーフの体格でも扱いやすいショートソードだ。短めだが、ずっしりとした存在感を放っている。
「抜いてみろ」
親方の言葉に従い、トーヤがスラリと剣を抜く。鋭く鍛え上げられた刀身が、徐々に登り始めた朝日にキラリと輝く。一目でわかる。名品だ。だがそれ以上にトーヤの目を引いたのは、その素材だった。
「ッ! これ……魔道銀!?」
トーヤが驚きの声を上げる。
ミスリルは採掘量の少ない希少金属だ。高い硬度と柔軟性を併せ持ちながら、さらに特性として魔法を使う際の媒体として優秀な能力を持つ。魔法も使う剣士であるトーヤにはぴったりの逸品であろう。しかし……
「ミスリルなんて……いつの間に……」
ミスリルは加工難易度が高く、そんじゃそこらの鍛冶師に扱えるものではない。この村では親方ぐらいしか打てないはずだ。多忙な親方が作れるとは思わなかったが……。
「親方がお前の旅立ち聞いてから、仕事の合間縫って打ち上げたんだよ。おかげで仕事の納期に遅れかけるし、俺も付き合わされるしで大変だったぜ?」
古参が笑いながら説明する。
「……ありがとうございます。親方」
「……フン」
親方はぷいっとそっぽを向いていた。
「……その剣には何の魔法もかけていない。お前自身の手で刻み込んでみろ」
そっぽを向いたまま。親方がポツリと呟く。
「え?」
言われてみれば、ミスリルは本来魔道具に使うべき素材である。親方は無論魔道具を作れるにも関わらず、この剣はただミスリルで打ち上げられているだけだった。
「お前なら作れるはずだ……俺なんぞよりもっと素晴らしい、最高の魔道具をな。その剣はその日のために預けておく。完成したら絶対見せに帰ってこい」
「親方……」
向けられた期待の大きさに、思わずトーヤの心が奮い立つ。
「さて……それなら、私もゴミを捨てようかな。実はこの間新しい弓を作ってね。古い弓は不要になったんだ」
ハルが真新しい弓と中身の詰まった矢筒を荷物の上に置く。
「……おや? 新しいのと古いのを間違えたかな? どうもこのところ耄碌してね……」
ハルはとても楽し気だ。
「……私も財布を買い替えてねぇ。古い財布はそろそろ捨てようと思ってたんだ。中身を出し忘れてたらもったいないねぇ。そうだったら拾った人はちょっとした幸運だ」
クズミ婆がずっしりと重い財布を荷物に上乗せした。
「……爺ちゃん。婆ちゃん……」
トーヤは2人の老人の元に走り寄る。
「俺……行ってくるよ、色々見てくるから……いつかはわからないけど、絶対話聞かせに戻ってくるから……それまで生きていてくれよ……」
「……はは。これは早死にするわけにはいかなくなったなぁ。楽しみにしておこう」
「……財布の中身は村のみんなの寸志だよ……お前が生まれてからここまでの生活で得た絆が集めたものなんだよ……大切に使うんだよ……」
「……うん……ありがとう……」
そっと2人から離れて、トーヤは最後の1人に歩み寄る。
ギエンはただトーヤを待っていた。トーヤが近づくと軽く手を挙げて挨拶する。何の気負いもない普段通りの……かつての親友同士の姿だった。
「……よう」
「あぁ……ありがとうな、助けてくれて」
「よせよ……俺はお前を追放する立場だぜ?」
そこで一度会話は途切れる。そしてどちらからともなく、がっしりと手を握り合う。
「……じゃあ、行ってくる」
「あぁ……ミオリは任せろ。絶対幸せにしてやる」
……そのギエンの言葉に急にトーヤは半目になると、
「フンッ!」
手を握ったまま、思いっきりギエンに頭突きをかます。
「ッ……いってぇなぁー! いきなり何すんだてめー!」
「ミオリをてめぇなんぞに誰がくれてやるか! あいつはなぁ! 5年前まで『お兄ちゃんと結婚するー』って言ってたぐらいの可愛い妹だぞ! いつの間にかお兄ちゃんって呼び方恥ずかしがって、兄貴に変えたのもまた可愛らしいんだぞ!」
「黙れ、この兄バカ野郎が! いい加減妹離れしろオラ!」
ギエンが頭突きをやり返す。ドワーフの石頭同士なので、互いに涙目だ。
「やりやがったなてめぇ! いい機会だ! ここで決着付けてやる!」
「上等だコラァ! どこにいよーが、必ず俺とミオリの結婚式の招待状届けてやらぁ!」
「言いやがったな! だったら世界中どこからでも、絶対結婚式邪魔しに戻ってきてやるぞ!」
トーヤとギエンが取っ組み合いの大喧嘩を始める。その様を見ていたゴウジが呆れて村長に尋ねる。
「止めなくていいですか?」
「放っとけ。奴らなりの別れの挨拶じゃ」
周りの大人たちが生暖かく見守る中、2人の若者の喧嘩はしばらく続いた。
ぜいぜいと肩で息をしながら、2人の動きが止まる。やがて、クックと笑い出すと、互いにバシンと拳をぶつけ合い、ガシリと腕を交差させる。
それはドワーフの男同士の挨拶。魂を賭けた友としか交わすことの許されない、絆の誓いだった。
「……またな」
「……あぁ!」
追放者が村に帰ってくることは許されないはずなのに、その場にいる誰もが疑わなかった。トーヤは必ず帰ってくるだろうと。決して今生の別れにはならないだろうと。
だから誰も泣かなかった。涙を見せなかった。いつか帰ってくる日のために取っておかなければいけないから。
それからしばらく、誰もがその場の空気を惜しんでいた。最初に動いたのはギエンだった。クルリと踵を返し、村に向けて走り出す。
「ホラ何してんだ、親父! 追放者の見送りは禁止だろ! 村長が率先して掟破ってどーすんだよ!」
「……やれやれ」
村長は苦笑しながらギエンを追う。確かに旅立ちの瞬間までこの場にいては、言い訳も立たないだろう。
「さて、それじゃ散歩もそろそろ終えようかな」
「そうだねぇ。朝はまだしなければいけないこともあるしねぇ」
老人たちもゆっくりと家路に付く。
「オラ! このまま鍛冶場行くぞ! 遅れを取り戻さにゃいかん!」
「えぇー! まだ眠いっすよ……一眠りしてからじゃ……」
古参が親方に尻を蹴飛ばされながら鍛冶場に追い立てられていく。
「……達者でな」
ゴウジが歩き出しながら言う。返答は求めていなかったのだろう。そのまま歩み去って行った。
最後に残ったのは、トーヤの両親だった。
「行って来い」
「頑張るのよ」
二言。それだけで2人は何かを断ち切るように背中を向ける。ただそれだけの言葉に、万感がこもっていた。
だからこそ、トーヤはその背中に向けてありったけの感謝を込めて叫ぶのだった。
「行ってきます!」




