敗北の中の邂逅
「灼熱の斧」はトーヤたちの村の秘宝である。
その出自は、かつてこの村にいた史上有数の名工の打ち上げた、至高の魔道具。
能力はごくごく単純な「炎を操る」というものだが、極限まで洗練された魔道具から撃ちだされる炎は素人でも容易く扱え、それでいながら火力は天下一品である。
その希少性と危険性ゆえに、歴代の村長と長老たちが厳重に管理をしており、仮に彼らの許可を得ずに持ち出した者がいれば、理由の如何を問わず下される罰則は死罪である。
そのことを重々理解しながら、トーヤがこの武器を無理矢理持ってきたのには理由がある。
「国喰らい」は炎のダメージに対しては、再生速度が鈍るのだ。それだけで絶対的有利になるということはないが、どこにいるとも知れないミオリを助けるのに、次々現れる触手に付き合ってはいられない以上、炎を無尽蔵に放つ「灼熱の斧」の有用性は言うまでもない。
無論、山火事になる危険性もあったが……そんなことは今更だ。どの道この森は「国喰らい」に荒らし尽されている。いちいち気を使う理由はない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
トーヤは、再会の喜びもほどほどに、すっと周りの状況を確かめる。
炎に包まれていた触手たちが、徐々に再生しつつある。この場所もすぐに危うくなるだろう。ミオリは調子に乗ってだいぶ奥まで来ていた。
とにかく離れるべきだと、歩き出しながらトーヤはミオリに声をかける。
「とりあえず、お前これ持ってろ」
「?……ってこれ、『灼熱の斧』じゃないの!?」
祭りぐらいでしか見たことのない秘宝が、ミオリの手にズシッと重みをかけている。
「道具は使い潰してなんぼだ。必要な時に使えん道具に何の意味がある」
「へー……よく貸してくれたね……」
「……まぁ俺は日頃の行いがいいからな」
村長を脅しつけて強奪してきたなどと言ったら、いらぬ心配をかける。どの道死罪になるだろうが、そんなものは生きて下山してから考えればいい。今、ミオリが安心してくれるならいくらでも嘘をつこう。
「……って、こんなもの私が持ってどうするのよ!? 兄貴が持ってた方が……」
「知ってるだろ。俺は斧の心得がない。まともに訓練受けてるお前の方がまだマシだ」
トーヤは斧の扱いがどうしても苦手だ。ゴウジとの訓練では、もっぱら剣の練習しかしていない。そちらの扱いは自分でも上々だと思うが、斧となると「灼熱の斧」の火力に任せて無理矢理振り回すぐらいしか芸はない。
それに……魔道具は使うたびに使用者の魔力を吸い取るのだ。当人の魔法の技術以上に強力な魔法を使えるという意味では極めて有用な魔道具だが、昨日魔力を使い果たしたばかりのトーヤには少々辛いものがある。
その点、ミオリは体力こそ尽きかけているが、生来身の内に秘めた魔力は健在だ。魔法の技術がなくとも、魔力さえあれば魔道具は力を発揮する。
「気にするな。俺にはこれの方が向いている」
向かって来た2本の触手に、トーヤの握ったショートソードが閃く。たちまちのうちに、触手は断たれ地面に転がった。
「……すごっ……」
そういえば、兄が実戦で戦うのを見るのは初めてだ。自分であの触手を相手にしたからこそ、その技術の凄さがわかる。
「さぁ、急ぐぞ!」
ミオリの体調を考え、少しずつ休みながらの逃避行になる。
飛翔魔法に費やせる魔力の余裕はなく、ミオリに守りを任せて魔力の回復を図るなどというのも不可能なので、とにかく少しずつでも歩いて進むしかないのだ。
近寄ってきた触手はトーヤが切り払い、行く手を阻む無数の触手はミオリが炎を撃って道を開く。
「グッ……まだ麓には着けないのか!」
トーヤが乏しい魔力から、火炎魔法を撃ち出し触手を焼き払う。頭がグラリとするがここで意識を失えば2人とも命はない。その思いだけで、なんとか意識を留める。
既にトーヤの全身は傷だらけだ。ミオリの元にたどり着くまででも、相当な無茶をやらかしていた。「灼熱の斧」の火力がなければ、とうの昔に倒れていただろう。
「頑張って! 兄貴!」
ミオリの顔は焦燥感で覆われている。トーヤがここまで苦しんでいるのは、自分の責任なのだ。兄が生きて帰れなかったら……と思うと、心が締め付けられそうになる。
どれだけ下っただろうか。再びトーヤが魔法を放ちひときわ大きくその身を揺らがせた時だった。
「! 兄貴!」
トーヤの背後から触手が迫る。トーヤは意識を立て直そうと必死で、その存在に気付いていない。
とっさに飛び出し、「灼熱の斧」を振るう。炎は狙い通りに触手を焼き尽くすも、振り切ったその瞬間に他の方角から触手が叩き付けられた。
「キャアァーーー!」
「ッ! ミオリッ!」
意識を失ったミオリに触手が巻き付く。「国喰らい」は捕らえた獲物を、このまま絞め殺して捕食部まで持って行くのだ。
「くそ! 離せ……」
駆け寄ろうとして周りの見えていなかったトーヤを、別の触手が殴りつけた。大きく弾き飛ばされたトーヤの全身を、すさまじい痛みが走る。
(ぐ……う、ごけ……)
手足はピクリとも動かない。眼前には、トーヤを餌にしようと触手が迫っている。
(こ、ここまで……なのかよ……)
悔しさのあまり、歯ぎしりしかできない。転生して、ようやく守るべきものを見つけ、そして今まさに失おうというのか。
トーヤの心を絶望が支配しようとした、その時だった。
「ライトニング・ストーム!」
何者かの声が響き渡る。
それと同時に、トーヤの視界全体がすさまじい閃光に満たされ、たまらずトーヤは目を閉じた。
「……ッ! な、何が……」
ゆっくり目を開けると、先ほどまで森を埋め尽くしていた触手が一本もなかった。……否、ひょっとしてこの地面を覆い尽くす炭がその成れの果てであろうか。
どうやら、誰かが大規模な攻撃魔法で触手を殲滅したらしい。トーヤには到底不可能なレベルの大魔法の使い手である。
「ミ……ミオリは……」
魔法を放った者のコントロールは完璧だった。トーヤとミオリだけを的確に避けて魔法を放っていたのだ。見たところ、ミオリに魔法による傷は一筋もない。
「……そんな……」
だが、それは魔法によるものがないだけだった。手足はありえない方向に曲がり、口からは絶え間なく血を吐いている。おそらく内蔵も傷ついているのだ。とてもではないが、トーヤの使える回復魔法で間に合う傷ではない。
「大丈夫……彼女はすぐ助けるから。それからあんたの傷も治そう」
トーヤが動けないまま打ちひしがれているところに、声がかかる。先ほど大規模魔法を放ったのと同じ声だ。
中肉中背のヒューマンの男が、ミオリに歩み寄るのをトーヤはただ見ていることしかできなかった。
「これは……酷いな。普通の回復魔法じゃ無理か……」
男はそう呟くと、手を大きく交差させミオリの上にかざし、息を吸い込んで厳かに唱えた。
「……リザレクション」
その手の交点からまばゆい光が放たれる。
(……ウソだろ……!?)
トーヤはその光景が信じられなかった。彼が行使した魔法、「復活」は即死でさえなければほぼありとあらゆる傷を治す、回復系の最上位魔法だ。「癒し手」と呼ばれる回復専門の魔法使いですら、そうそう行使できるものではない。
(あのレベルの攻撃魔法と同時に行使できるだと……)
一般に魔法は個人ごとに得意とする系統と苦手とする系統がある。当然、攻撃に長けた魔導士は回復魔法は不得手とするのが普通だ。下級魔法ならともかく、最上級の攻撃魔法と回復魔法を併用できる魔導士など、聞いたこともない。
ほどなく、光が収まる。その光の下から現れたミオリは、服の損傷を除き健康体そのものだった。
男は次いでトーヤに向かって歩いてくる。
「あんたは……普通の魔法でいいかな。彼女なら大丈夫だ。2、3日は目が覚めんだろうから、あんたが連れて帰る必要があるだろうけどな」
その男がトーヤに手をかざす。トーヤやクズミ婆が使う物よりもはるかに強力な回復魔法が放たれ、瞬く間にトーヤの傷を癒していく。
改めてまじまじとその男の顔を見る。かなり若い。むしろ少年と言ってもいいかもしれない。特にこれと言って特徴のない、平凡でのほほんとした顔立ちの青年だ。強いて言えば、ヒューマンとしてはあまり見かけない黒髪が目立っている。服装も特に言うことはない普通の旅装束で、武器は背中に差したロングソードのようだ。
そして……なぜかトーヤにはその顔、その声に覚えがある。どこで会ったかは思い出せない、だけどとても親しみのあったものだった気がする。
「お前……何者だ……」
トーヤは思わず尋ねた。こんな危険な場所に飛び込み、さらには常軌を逸した大魔法を連続で使うなど、明らかに只者ではない。
すると、男は少し戸惑いながら答えた。力量に見合わないほど平凡な反応だ。
「……変な名前だから、言うのが恥ずかしいんだけどな」
男は少し恥ずかしそうに笑いながら、その名を口にする。
「暁京也。風変りな名前だろ?」
……そうだ、この顔は自分の顔だったのだ。トーヤはようやくそれに気づいた。




