兄として
「父さん、母さん。心配かけたね」
「……本当にそうだな。まさかあんな化け物に遭遇してくるとは、思わなかったぞ」
「でも……これで、みんな一緒に旅立てるのね。お母さん、それだけは嬉しいの……」
トーヤは、ギエンと話し合った後、そのまま自宅に戻っていた。どのみち魔力の枯渇が原因で倒れていただけなので、身体面で特に異常はない。ならば、避難の準備を手伝うのが息子の義務だろう。
「おーい、母さん。俺の斧……あ、トーヤ……」
「……ゼンジ兄」
玄関先で話していると、トーヤの4人いる兄の1人が家の中から顔を出した。ちなみにトーヤの一家は、兄たちとトーヤ以外に弟が1人と妹のミオリで7人兄妹である。ドワーフは女性の数が少ないので、平均して1組の夫婦にこれぐらいの子供はいる。
「……大丈夫だったのか、お前……」
「あー、うん大丈夫。……お見舞い、来てくれたんだっけ?」
「まぁ、な。……大事な家族だし……」
兄弟たちとの距離感は、どうしたってぎくしゃくしたままだ。それはもう今のところは、どうしようもないだろう。この先新天地で暮らすうちに、何とかギエンと同じように昔の関係を取り戻せたらいいとトーヤは思う。
「で……なんか用があったんじゃないの、ゼンジ兄?」
「あ、そうだった……母さん、俺の斧もうしまった? 荷造りしようと物置見たら、俺のだけないんだど……」
大抵の8歳を過ぎた男のドワーフは、自分のためのバトルアックスを作ってもらう。なのでこの家には斧にどうしても馴染めないトーヤの分を除いて、父と5人の男兄弟分で6本の斧がなければいけない……のに、5本しかないと言うのだ。
「斧? 父さん、知ってる?」
母親は心当たりがなさそうだった。
「知らんな」
……トーヤたちの脳裏を嫌な予感がよぎる。
「……ミオリ、いる?」
トーヤのその言葉に、ゼンジが家の中に飛び込み、すぐさまミオリを呼ぶ。
「返事がねぇ! どこ行ったんだ、あいつ!」
「今現在、斧持って行く場所なんぞ、1つしかないだろう! あのアホ娘が!」
父親が怒鳴り、母親がクラッと倒れこむ。
「父さん! ゼンジ兄! 母さん頼む! 俺は村の人にミオリ見なかったか聞いてくる!」
トーヤは叫びながら駆け出した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
村人の証言を集め、トーヤは最悪の想像が当たっていたことを確信する。
斧を片手にとんでもない勢いで鉱山に向けて走っていく小さな影を、何人もの人が目撃していた。止めようとしたが、あまりの勢いに声をかけることすらできなかったらしい。既に村長にも報告が行っていた。
「村長! ミオリが!」
慌てて集会所で荷造りをしていた村長の元に駆け込みながら、トーヤは叫ぶ。
「聞いておる。……鉱山に入った大馬鹿者がおった、という話はな。まさかミオリだとはおもわなんだが」
村長は落ち着き払って答える。
「それで、何の用じゃ。連れ戻すなら、こんなところで遊んどらんで、急がんか」
「時間から言って、既にミオリは『国喰らい』と遭遇している! 今から1人で行っても連れ戻せる可能性は低い!」
「なら……あきらめるんじゃな。1人のために救助隊など出して、二次被害を招くわけにはいかん」
村長の言葉は一見非情に見えても、理に適っている。トーヤだって、救助隊を出してもらえるとは思っていない。ここに来たのは別の目的だ。
「行くのは俺1人だ……だけど……『灼熱の斧』があれば、連れ戻せる可能性は高まる!」
「! 馬鹿を言うな! あれは村の秘宝じゃぞ!」
村長が叫び返す。
「何を言い出すかと思えば……これだから『ヒゲなし』は。その妹まで含めて随分と軽率なことだ」
周囲で仕事をしていた長老の1人が、鼻で笑う。……彼も普段は隠しているが、トーヤを差別している1人である。あまりの忙しさについ本音が出たのだろうか。
「……ッ……」
トーヤが悔しさにギッと歯を食いしばる。
そして、何かを決心したように顔を上げると、村長に歩み寄る。
「……早く決めい。見捨てるか、探すか。探すなら急がんと……ウオォォ!?」
村長がいきなり悲鳴を上げ、周囲にいた長老たちが何事かと振り返る。
そこには、トーヤに首を掴んで吊り上げられた村長の姿があった。
「早く言え……『灼熱の斧』はどこにある! あれが絶対に必要なんだ!」
既にトーヤの頭の中は、ミオリを助けることで一杯だった。この行動が自分に一体何をもたらすかなど、まるで考えられなかった。
「トーヤ! 気が違ったか!」
「ゴウジ! ゴウジはどこだ! 『ヒゲなし』が狂った! 早く止めろ!」
長老たちが慌てふためいて、指示を飛ばす。すぐさま近くの部屋で作業していたゴウジが駆けこんでくる。
「トーヤァァァ! 貴様! 何をしている!」
ゴウジが本気で怒り狂っている様をトーヤは初めて見た。ゴウジの怒りに反比例するように、トーヤの頭の中は冷静だった。……「灼熱の斧」を手にするためには、ゴウジが邪魔だ。こちらが本気であることを示さねば村長は口を割らないだろう。それらを加味すれば……
「今すぐ村長を下ろせ! 秘宝を奪い取るために、村長を人質に取るなど……ヌウゥゥ!?」
ゴウジの小山のようながっしりした体躯が軽々吹っ飛ばされる。村長を片手でつかんだまま、トーヤが空気の魔法を放ちゴウジを攻撃したのだ。
「……次は部屋の隅で震えている長老どもだ。言え! 俺は急いでいるんだ!」
「……右の棚の上から3段目の引き出しじゃ。他の者には手を出すな」
場所を聞いただけでトーヤはすぐさま、同じ空気魔法を棚に放つ。棚が砕け散り、様々な書類や陶器が飛び散るが知ったことではない。「灼熱の斧」はこの程度では壊れないから構わない。
村長を掴んだまま、壊れた棚に歩み寄る。残骸の中から、布に包まれた長い物体を手に取り、布を引きはがした。中から現れたのは、炎を模した美しい刃を持つ戦斧だった。とても実戦用には見えないそれを手に取ると、そのまま村長を放り出して、窓からトーヤは飛びだしていった。
放り出された村長は、パンパンとほこりを払い、まるで嵐が去ったあとのような部屋の惨状を見渡す。
あまりの凶行に絶句したままの長老たちを無視して、部屋の入り口で倒れているゴウジに歩み寄る。
「……生きとるか?」
「生きてますよ……あのわずかな時間で、致命的な魔法は撃てんでしょう」
ゆっくりとゴウジが起き上がる。頭がクラクラするが、後遺症が残るような怪我はなさそうだ。
「トーヤはどうしたと言うのだ! あんな誠実な子が、秘宝を強奪するなど……」
「やはり『ヒゲなし』は忌み子なのだ! 『国喰らい』だって奴が呼んだに違いない! とっとと死罪にしてしまえ!」
ようやく状況を把握した長老たちが、騒ぎ始める。
村長が長い溜息を吐く。なんとかこの騒ぎを鎮めて、避難準備を再開せねば。
「トーヤはどうします?」
ゴウジが尋ねる。
「放っておけ。この忙しいのに、強奪犯1人に手はかけられん。仮に帰ってきたら死罪だ。……帰ってこれるとも思わんがね」
村長は感情を押し殺し、あくまで事務的に述べた。……できるなら、帰ってこずどこへなりと逃げて欲しい。そんな気持ちは村長としての仮面を付けて、表には出さなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ミオリは必死で斧を振るい、触手を切り払っていた。
「この! お前が! お前なんかが来るから! 私たちの! 村は!」
女性のドワーフは、基本的に前線に立つことはない。そのため自分の斧も持っていない。しかし、山歩きなどで危険な魔物に遭遇する確率はゼロではないので、一通りの戦闘訓練は受けている。
ミオリは村の女性たちの中でも筋が良いと褒められていた。何かしら作戦があったわけではないが、とにかく行って切って殺せば良いのだと自分に言い聞かせた。
最初に「国喰らい」の触手に遭遇し、すれ違いざまに叩き斬った際は、そのあっけなさに驚いた。
5本切ったところで、自分の中に自信が沸いてきた。
10本切った頃には、ひょっとしてこのまま押し切れるのではないかと思うようになった。
20本を数えた時、予想は確信に変わっていた。コイツは見かけ倒しでしかない。皆が恐れて村を捨てることなどなかったのだ。
30、40と順調に数を重ねると、自信は全能感となってミオリを満たしていた。自分だけでも、この化け物は十分倒せるのだ。
50を過ぎると少し疲れてきた。きっと半分は行ったに違いない。そう思う。
70数えて、もう数えるのはやめにした。後少しなんだ。だったら、そんなことに使う余力は切り飛ばすことに使うべきだろう。
斧を握る手が震えてきた。何本切ったかはわからない。ふと周りを見渡すと、自分がどこから来たかも判然としない。見えるものは森の木々と、その間からジリジリとミオリに近寄る触手たちだけ。
とうとうミオリはへたり込んでしまった。トーヤ、ゴウジ、ギエンの3人ですら命からがら逃げるのがやっとだった化け物を、なぜ倒せると思い込んでしまったのだろう。後悔はたちまちのうちに死の恐怖となって彼女を覆い尽くす。
そしてその恐怖は触手という現実の形を伴って、ミオリに迫る。
「……嫌だ……死にたくないよ……」
手から斧が離れる。斧を返さないと、ゼンジ兄が怒るだろうな、とどうでもいいことが頭をよぎる。
「助けて……兄貴……」
触手がにじり寄る。あれに捕らえられれば、終わりなのだろう。なぜか冷静にそんなことを考えている自分がいた。
「助けてよ! お兄ちゃぁぁぁん!」
「人の妹に手出してんじゃねえぇぇぇぞ! このタコがあぁぁぁぁ!」
ミオリがハッと振り返る。すさまじい炎を纏った斧を手に、彼女の兄が、誰より敬愛する家族が、何も心配するなと言わんばかりに仁王立ちしていた。
その背後では、ミオリに死をもたらそうとしていた触手たちが、炎に包まれ苦しげに悶えていた。
「よう……遅くなって悪かったな、ミオリ」
トーヤが片手を上げて見せる。それだけで、ミオリの涙腺はぶわっと決壊し……思わず兄に駆け寄ってしまう。
「お……お兄ちゃぁぁぁん!」
ゴスッ!
抱き付こうとしたミオリを出迎えたのは、兄の遠慮容赦ない拳骨だった。
「い……った……い」
感動ではない涙が、目から溢れ出す。
「何考えてんだ、お前はよ! 避難しろって言われてただろうが! 勝てると思ってたのかよ、こんな化け物相手に!」
「だ……だって……兄貴……旅に出るって……それなのに……村まで失ったら……思い出何にもなくなっちゃうから……」
「……どこで聞いたんだよ、それ」
「今朝……ギエンと話しているのをこっそり……」
トーヤは思わず頭を抱えたくなる。よりにもよって都合の悪いところだけ聞いて、しかも思い込みで暴走したというのか。
「……あのな、こんな奴が来てるのに、1人で旅立つも何もあるかよ。俺は家族と一緒に避難するつもりだったんだよ」
「……え?」
「考えりゃわかるだろうが、本当に……この大馬鹿が」
本当に、このバカな妹が……自分のことをここまで一途に思う妹が……愛おしくて堪らない。
「さて……とっとと村に帰って、引っ越しの準備手伝うぞ。父さんも母さんも待ちくたびれてら」




