和解
かつてないほどの危機が村中に告げられたが、懸念されたパニックはほとんどなく、村人全員が落ち着いて避難準備を進めていた。
ギエンは情報を共有した後は、村中を駆けまわって避難の準備を手伝っていた。「国喰らい」から命からがら逃げきった後だというのに、そんなに動いて大丈夫かと皆が心配するほどだったが、本人が鬼気迫った顔でとにかく手伝おうとするので、その勢いに負けて結局皆ギエンの手伝いを受け入れていた。日が暮れてもなお働こうとしていたので、最終的には親方が殴り飛ばしてベッドに叩き込んだほどだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌朝、ギエンは集会所に誰よりも先に訪れた。「あまり動かすのも良くない」ということで、トーヤはあのまま集会所で眠っている。
トーヤの家族は自分たちの避難準備もあるので、自宅に帰っていた。今この部屋にいるのはトーヤとギエンだけだ。
「……なぁトーヤ。俺がいなけりゃ……お前はもっと幸せに生きられたのかな……」
「ヒゲなし」に対して、ギエンよりも強く差別感情を向けていた者は、この村にはいない。それはトーヤと親友でありながら、様々な才能でトーヤに負け、一方的に裏切られたような感覚を覚えた故なのだろうが。
「俺……お前が羨ましかっただけなのにな……なんでこうなっちまったんだろうな……」
「俺はギエンの方がずっと羨ましかったよ」
「ッ!?」
ギエンが驚いてベッドの上のトーヤを見る。うっすらと目を開け、傍らのギエンに顔を向けていた。
「トーヤ……良かった……本当に……お前が……目覚めなかったら……」
トーヤは、体の感覚を確かめるように、上半身を起こし腕を回している。そしてギエンに向けて語り始めた。
「……俺は、目標に向けて常に真っ直ぐ突き進んでいたギエンが羨ましかった。俺には大してやりたいこともなくて……それなのに、俺なんかに嫉妬していたんだな……すまん、むしろお前を不幸にしていたのは俺だったんだ」
「そんなことない! やりたいことがあって頑張っていたんだろ!? 俺は鍛冶しかできることがないのに、お前は何でもできるんじゃないか!」
「……そう見えていたのか。だけど、俺の目的はお前に嫉妬されるほど、大層なものじゃないんだ」
ギエンにはトーヤの目標は伝えていない。わずかにためらった後、意を決して語りだす。
「俺が頑張っていたのは……村から出るためだ」
「な……!」
ギエンが絶句する。その様にトーヤは少し自嘲気味に笑う。
「情けないだろ? 差別から逃げるためだけに、必死で努力していたんだ。その差別を跳ね返せるようにしようなんて思わずにな」
「……俺が原因で村を出ようとしていたのか……」
「否定はできないな。……だけどまぁギエンがいなくても、早いか遅いかの違いだけだったと思うよ」
グッと足を延ばして屈伸しながら、トーヤは呟く。
「お前は露骨だったけど、こっそり『ヒゲなし』を差別している連中はいる。どこに行こうが俺はいじめられるんだ。……ヘラヘラ笑って我慢するだけから、抜け出すための努力をしようと思えるだけには成長できたけどな。だからきっと遅かれ早かれ俺は村を出ていたと思う。……前世と同じ運命をたどらないためにはね」
「……前世?」
「言っておこうと思っていたんだ。誰かには知ってもらって欲しかった。踏ん切りはつかなかったけど、今のギエンになら言える。……笑わずに聞いてくれるか?」
「……当たり前だ」
「……俺は前世の記憶を持ったまま、異世界に生まれ変わってきた。前世の名は暁京也。いじめられていて、ヘラヘラ笑いながら死んだ。そして、気づけばこの世界でドワーフとして産声を上げていた」
「へー……」
しばらく沈黙が流れる。
「……驚かないのか?」
トーヤが意外そうに尋ねる。
「いや、驚きはしたが……どうもトーヤはドワーフらしくないな、とは思っていたし……むしろ納得の感情の方が強いな」
「そ……そうか」
ギエンの意外な順応性の高さに、トーヤは戸惑う。まあ盛大に動揺されても困るが。
「……一つ聞いていいか?」
「? なんだ?」
「トーヤじゃなくて、これからは京也って呼んだ方がいいのか?」
「……止めてくれよ。もう14年もドワーフのトーヤとして生きてんだ。今更前世の名前で呼ばれても、他人の名前みたいでくすぐったいだけさ」
トーヤはあっさり否定する。実際既に前世の記憶は、ほとんど他人の日記を読んでいるような感覚しかない。ただ……おばのことを考えた時だけは少し胸が痛くなるが。
「そうか、わかった。……さて、お前の前世とか、色々聞きたいこともあるが、今日は忙しいからな。お前も起き上がれるようになったら、手伝いに来いよ」
「忙しい……ってなんで?」
「考えればわかるだろ。避難するんだよ」
「避難……そうか……」
落ち着いて考えれば当たり前の話だ。まもなく、この村は「国喰らい」のテリトリーに飲み込まれるだろう。それまでに有効な対抗策が打ちだせるとは到底思えない。
「旅に出る必要もなくなるな、これで」
ギエンが災いの中にも、幸運があったとでも言うように、努めて明るく声をかける。なにせ、村ごと移住先を探して旅立つことになるのだ。村人全員が同じ場所に行けるとは思えないし、ヒューマンの街にでも移り住めば差別など気にする必要はなくなる。それなら家族と一緒に移住すべきだろう。
「あぁ……そうだな……」
家族と一緒に新天地で暮らす。それは未曽有の災害に見舞われようとしているのに、ほっこりと暖かな気持ちをトーヤにもたらした。
その気持ちの一部は、ギエンと互いの気持ちを話し合え、和解できたことにもあるのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ミオリは、わけもわからず走っていた。集会所を飛び出し、朝早くから動き始めた村人たちにぶつかりそうになりながら、自分の部屋に逃げ帰る。
ベッドに倒れこみ、息を整えつつ、先ほど聞いた話を反芻する。
自分が兄の見舞いは一番乗りだと思っていた。しかし、ギエンが先にいた。ギエンと兄が話し合う声が聞こえてきたので、兄が目覚めたことを知り、思わず飛び込もうとした……が、思いとどまった。ギエンは兄をいじめるので嫌いなのだが、今日はなぜかとても真剣に話し合っていたので、邪魔するのも気が引けたのだ。
……そのせいで、最悪の言葉を漏れ聞いてしまった。
――俺が頑張っていたのは……村から出るためだ
まさか、兄が自分の元から離れようと思っていたなど、想像もしていなかった。様々な方面で頑張っている兄の姿がミオリにはとても誇らしかったのに、それが村を捨てるためだったなんて……。
その言葉を聞いただけで頭が真っ白になって、気が付けば駆け出していた。
ベッドに倒れ伏したまま声も上げずに泣く。あれほど真剣に努力を重ねていた兄のことだ。今更ミオリが説得しようとしても、無用な迷いを生み出すだけで意味はなかろう。
仕方ない。それが兄の決心なら、邪魔しないのが妹の務めだ。ならばせめて、兄との思い出が詰まったこの村で生涯を送りたい。なのに……なのに……!
ミオリはガバリと身を起こすと、鉱山のある方角を殺意を込めて睨みつけた。そして、ゆらりと立ち上がり、物置小屋に駆けて行った。




