第8話 三国の火種と最果ての食卓
アステミア王国領、北端の町セステア。
そこは地図の上ではただの「点」に過ぎないが、戦略的には「喉元」と呼ばれるほど重要な場所だった。かつては豊かな穀倉地帯への入り口として栄えたこの町も、今では高い石壁と、常に漂う硝煙の匂いに包まれている。
その町の外れ、小高い丘の上に立つ古ぼけた教会。
ラオはその教会の真上……遥か上空で胡座をかきながら誰にも届かない不敵な笑みを浮かべていた。
「……ほう。東からは鉄の臭い、北からは獣の腐臭、そして西からは狡猾な風か。小ヌルい。実に小ヌルい盤面よな」
破壊神の眼が捉えているのは、三つの大国のエゴが衝突し、火花を散らす現在の戦況だった。
一、鉄の守護者アステミア王国
現在、教会があるこの地を治めているのが『アステミア王国』だ。
騎士道精神を重んじ、重厚な鉄の鎧を纏った重装歩兵団を主力とする。グリハンが所属しているのもこの国の軍である。
彼らは「伝統と正義」を掲げ、北の脅威から民を守る盾を自称しているが、その実態は消耗戦に次ぐ消耗戦で疲弊しきっていた。
特に国境沿いのアイゼン砦に詰め込まれた兵士たちは、終わりの見えない防衛戦に精神をすり減らしている。
「あのグリハンとかいう男、『国を守る』と抜かしていたが……。守っているのは己の誇りという名の、ただの虚栄ではないのか?」
ラオは鼻で笑う。彼から見れば、王国の騎士道など、滅びゆく種族が最後に縋る「小ヌルい幻想」に過ぎない。
二、魔獣の軍勢ファルバラ帝国
アステミア王国の宿敵。北方に位置する軍事国家『ファルバラ帝国』
彼らの恐ろしさは、兵士の数ではない。古代の禁忌を解き明かし、魔物を家畜のように操る「魔獣兵団」にある。
地響きと共に現れるオーガの歩兵、空を覆い尽くすワイバーンの編隊。
アステミア王国との開戦のきっかけは魔物だった。アステミア王国の南に広がる大森林の魔物たち。
大多数の人間にとって魔物は生活を脅かす脅威であるが、ファルバラ帝国にとっては兵器であった。
大森林の魔物を得たいファルバラ帝国と、危険な魔物が跋扈する大森林に刺激を与えたくないと考えるアステミア王国。
アステミア王国にとって、自国の領土を跨いで魔物を輸送したいなど抜かすファルバラ帝国と戦争になるのは当然であった。
ファルバラ帝国は占領した土地の民を魔物の餌にし、恐怖で世界を塗り替えようとしているのだ。
セステアの町に響く地鳴りは、この帝国が操る魔獣たちが移動する足音だ。
「獣を操って神の真似事か。不遜な。あの魔物どもの咆哮、我の昼寝を邪魔すること三度。いつかその喉笛ごと、概念から消し去ってくれようか」
三、静観する獅子シーナット皇国
そして西側。アステミアとファルバラ、両国の戦況を少し離れた位置から眺めているのが『シーナット皇国』だった。
彼らは直接的な大規模戦闘には参加せず、国境付近での小競り合いを繰り返しながら、両国の疲弊を待っている。
高度な魔導技術と情報網を持ち、時にはアステミアに物資を売り、時にはファルバラに便宜を図る。
教会に時折現れる「素性の知れない旅人」の中には、この皇国の間者が混じっていることをラオは見抜いていた。
◇◇
「ラオくーん! おやつにするわよー! 今日は、シャルロッテ様が置いていった高級なお砂糖で焼いたクッキーよ!」
下からリオラの、戦況の重苦しさを一瞬で霧散させるような声が上がった。
ラオはふんと鼻を鳴らし、尖塔から軽やかに飛び降りた。
食堂では、相変わらずの光景が広がっていた。
七人の孤児たちが、皿を叩いてクッキーを催促している。
「ラオ兄ちゃん、これ食べて! 半分あげる!」
三歳のルルが、よだれまみれのクッキーを差し出してくる。
「……小ヌルい。貴様の唾液など、我に対する宣戦布告と見なすぞ」
と言いつつも、ラオはそれを受け取り、平然と口に放り込む。破壊神の胃袋は、細菌ごときに屈することはない。
ふと見ると、神父夫妻が窓の外、北の方角を見つめていた。
そこには昨夜よりも一際大きく燃え上がる火柱が見える。アイゼン砦の周辺で、帝国の魔獣兵団が強襲を仕掛けたのだろう。
「……また子供が増えてしまうかもしれませんね」
サミエル神父が静かに呟く。その隣で妻メアリーが彼の手をそっと握った。
「ええ。でもその子たちの椅子も私たちは常に用意しておきましょう」
その言葉を聞いたラオは、クッキーを噛み砕く手を止めた。
外の世界では、アステミアが鉄を振るい、ファルバラが牙を剥き、シーナットが影で笑っている。
百万那由多ある世界の、ほんの小さな縮図がこのセステアの国境線付近で醜くうごめいている。
だが、この教会の食堂だけは、それら全ての因果から切り離された「異界」だった。
ラオが展開している目に見えない結界――【虚無の拒絶】
それは本来、神が気に入らないものを消し去るための力だ。今はこの「小ヌルい平和」を維持するために、帝国の魔圧も、皇国の魔術も、王国の殺気も、全てを無効化し続けていた。
「おい、リオラ。おかわりだ。それとあの金ピカ女……シャル子に伝えておけ。次に来る時は、もっとマシな茶葉を持ってこいとな。あんな質の低いものでは、我の破壊衝動が抑えきれん」
「あら、ラオ君。シャルロッテ様のこと、待ってるのね。仲良しさんなんだね」
「……不敬なり。叩き潰すぞ」
リオラがクスクスと笑い、温かいお茶を注ぐ。
その時、教会の外で馬の嘶きが聞こえた。泥まみれの兵士が、よろめきながら教会に飛び込んでくる。
「神父様! グリハン殿が……グリハン殿の部隊が北の森で魔獣の群れに包囲されました! 」
食堂の空気が、一瞬で凍りついた。
子供たちが息を呑み、リオラの手からティースプーンが滑り落ちる。
ラオは最後の一切れのクッキーを飲み込むと、ゆっくりと立ち上がった。
「……フン。あの男、我に稽古をつけると言っておきながら、勝手に消えるとは無礼極まりないな。小ヌルい死に方など、我の許可なくさせるわけにはいかぬ」
ラオは出口へと向かう。
「ラオ君? どこへ行くの?」
不安げなリオラの声に、ラオは振り返らずに答えた。
「昼の散歩だ。……少々北の空気が淀んでいるのでな。我の不機嫌を、あの獣どもに叩きつけてくるわ」
教会の外へ出た瞬間、ラオの姿が空へと消えた。
アステミアの鉄、ファルバラの牙、シーナットの策略。
それら全てを「小ヌルい」の一言で切り捨てる、真なる破壊の化身(一厘バージョン)が、ついにその重い腰を上げたのである。
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