第3話 孤児院の卒業生
「ラオくーん! 大変、大変よ! お兄ちゃんが、グリハンお兄ちゃんが帰ってきたわ!」
教会の古びた廊下に、リオラの弾んだ声が響き渡った。
礼拝堂の隅で、信者たちが供えた(と本人が勝手に解釈している)クッキーを頬張っていたラオは、不機嫌そうに片眉を上げた。
「……グリハン? 誰だそれは。我の休息を邪魔するとは、万死に値する小ヌルい男に違いあるまい」
「もう……変なこと言わないの。ほら、みんなもう表に集まってるわよ! 紹介するから早く来て!」
リオラに半ば強引に手を引かれ、ラオは教会の前庭へと連れ出された。
そこには、七人の孤児たちが文字通り「鈴なり」になって一人の男に群がっていた。
「グリハン兄ちゃん! おかえり!」
「ねえ、剣見せて! 本物の剣!」
「お土産は? お菓子ある?」
子供たちの中心に立っていたのは、軍服に身を包んだ、見上げるほど背の高い青年だった。短い茶髪に、日焼けした精悍な顔立ち。何よりその瞳には一点の曇りもない。
「ははは、こらこら、順番だ! 剣は危ないから駄目だけど、お土産ならあるぞ。ほら、町の市場で買った干し肉と、それから……とびきり甘い林檎だ!」
青年――グリハンが大きな袋から林檎を取り出すと、子供たちは歓声を上げた。
彼は子供たち一人一人の頭を大きな手で撫で、目線を合わせる。その仕草には、長年この場所で「最年長のお兄ちゃん」として過ごしてきた者特有の、自然な慈愛が満ちていた。
「神父様、お母さん。ただいま戻りました。少しばかり休暇をいただけたので」
「おお、グリハン。よく帰ったね。無事で何よりだ」
神父夫妻も、実の息子を迎え入れるような慈しみの表情で彼を包み込む。
そんな光景を、ラオは数歩離れた場所から腕を組んで眺めていた。
「……フン。あれがグリハンか。小ヌルい。実に小ヌルい男だ。あの程度の魔力で軍人とは、この世界の人間はどれだけ脆弱なのだ」
ラオが吐き捨てた瞬間、グリハンがこちらに気づいた。彼は爽やかな笑顔を浮かべ、大股で歩み寄ってくる。
「君が、リオラの手紙に書いてあった新しい家族だね。ラオ君、だったかな?」
「貴様……不敬なり。我を『君』などと呼んでいいのは、この百万那由多の宇宙で――」
「ははは! いい面構えだ。少しばかり生意気なのが、この年代の男の子らしくていい。俺はグリハン。ここの卒業生だ。よろしくな、ラオ!」
グリハンは、ラオの「破壊神としての威圧(一厘バージョン)」を、微塵も感じ取ることなく、その広い掌でラオの頭をガシガシと掻き回した。
「なっ……! 貴様、我の聖なる御髪を勝手に! 今すぐ指をへし折ってくれようか!」
「元気があっていいな! よし、後で一緒に裏庭で訓練でもするか?」
「話を聞け小ヌルい男め!」
ラオの激昂を「元気な挨拶」と変換するあたり、さすがはこの教会の出身者である。
リオラの天然ぷりも、どうやらこの環境が育んだものらしいとラオは悟り、天を仰いだ。
その夜、食堂にはいつも以上に豪華な(といっても、グリハンが持ち帰った食材が増えた程度だが)食卓が囲まれた。
グリハンは、食卓を囲む子供たちに軍での「ちょっとした武勇伝」を面白おかしく語って聞かせていた。魔物を追い払った話や、厳しい訓練の失敗談。子供たちは目を輝かせて聴き入ってた。
いつもより賑やかになった食事の時間はあっという間に過ぎていった。
◇◇
子供たちが寝静まった後。
食堂に残ったサミエル神父とグリハンの会話を、夜食(二度目の夜食)を求めて部屋を出たラオは、影から耳にすることになった。
「……そうですか。また三人も増えたんですね」
グリハンの声から、昼間の快活さが消えていた。彼はランプの灯りに照らされ、沈痛な面持ちでテーブルを見つめている。
「戦況は、良くないのかい?」
サミエル神父の問いに、グリハンは重く頷いた。
「膠着状態ですが、前線が広がっています。村が焼かれ、親を失う子供たちが後を絶たない。俺たちが弱いために、守りきれない命が多すぎる……。こんな小さな教会に、こんなにも負担をかけてしまっている現状が、情けなくて仕方がありません」
グリハンは拳を握りしめた。
「戦争をすぐに終わらせる事は出来なくても、せめて早く出世してもっと給金を送れるようになりたい。この教会を建て直して、子供たちがひもじい思いをしないように……リオラや神父様たちが、無理をしなくて済むように。それが、俺の唯一の願いです」
「グリハン、お前は十分やってくれているよ」
「いいえ、まだまだです。俺がもっと強ければ、そもそも子供たちが孤児になる必要なんて……」
その言葉には、本物の「痛み」が宿っていた。
影で聞いていたラオは、鼻を鳴らす。
(馬鹿な男だ。この世界の構造そのものが腐っているのだ。個人の力でどうにかしようなど、それこそ『小ヌルい』考えだというのに)
しかしラオの胸の奥には、昼間にグリハンが林檎を配っていた時のあの屈託のない子供たちの笑顔がこびりついていた。
もし、このグリハンという男がいなければ。あるいは彼が送ってくる僅かな金がなければ。今日、ラオが食べたあのシチューの具材は、もっと少なかったのかもしれない。
「……チッ。やはり、小ヌルい」
◇◇
翌朝。
裏庭では、グリハンが子供たちに木剣を教えていた。
「いいか、守るための剣は、引いちゃ駄目だ。足を踏ん張って――」
そこへ、優雅なあくびをしながらラオが現れた。
「おい、小ヌルい軍人。貴様のその『守るための剣』とやらで、我を打ってみせよ」
「ラオ君? 危ないぞ、木剣とはいえ当たれば――」
「いいから構えろ。貴様の言う『強さ』の底を見せてみよ」
ラオの瞳に、一瞬だけ「破壊神」の片鱗が宿った。
グリハンは本能的な寒気を覚えた。
目の前にいるのは十二歳の少年のはずなのに、まるで巨大な竜に睨まれているような錯覚。
(なんだ……? この圧迫感は……!)
グリハンは無意識に構えを正した。真剣そのものの目。
「……わかった。手加減はするが、行くぞ!」
グリハンが踏み込み、木剣を振り下ろす。軍人として鍛え上げられた、淀みのない一撃。
だが。
「……小ヌルい」
ラオは動かなかった。ただ、右手の指を一本、パチンと鳴らしただけだ。
その瞬間、グリハンの木剣は、彼の手の中で「砂」となって崩れ去った。
「な……!?」
「そんな鈍重な動きで誰を守るつもりだ。貴様が塵になる前に、守りたいもの全てが灰になるぞ」
呆然とするグリハン。子供たちは「手品だ!」「ラオ君すごい!」とはしゃいでいるが、グリハンだけは冷や汗を流していた。今の衝撃。魔力の奔流。
ラオは背を向け、歩き出しながらグリハンに言葉を投げ捨てる。
「おい、グリハン。貴様が死ぬとおそらくリオラがうるさくて敵わん。精々、我の背後を汚さぬ程度には踏ん張ってみせよ」
ハッとした表情を浮かべた後、グリハンが沈痛な面持ちで答える。
「……ああ。そうだな」
グリハンは崩れた木剣の柄を見つめ、それから不敵に笑った。
「小ヌルいところ、見せないようにしなきゃな」
遠ざかる破壊神の背中を見つめながら、グリハンは己の拳を強く握ったのだった。




