第21話 聖都の裏路地と背徳の肉
聖都アステミア。その表向きの顔は、白亜の石造りと清浄な祈りに満ちた「神の箱庭」である。
だが一歩、大通りの裏側――迷路のように入り組んだ下町へと足を踏み入れれば、そこには教会の香油の匂いを掻き消すほどの、強烈な「生」の臭気が渦巻いていた。
「――っしょ! これこれ! 大教会の『聖水シチュー』なんて、毎日食べてたら魂が干からびるっしょ! ラオ君、王都の本気を見せてやるっしょ!」
ベッキーが、ラオの首根っこを掴むような勢いで、モウモウと煙の上がる屋台の前へと陣取った。
そこには太い鉄串に刺さった巨大な肉の塊が、脂を滴らせながら炭火で焼き上げられている。
「……ぬ。……不潔な煙だ。……だがこの暴力的なまでの脂の爆ぜる音。……創造神の教えには背いているようだが、我の胃袋にはこの不敬な香りが心地よく響くな」
「わかってるっしょ! これは『黒豚の岩塩焼き・ニンニク爆弾添え』っしょ! さあ、食うっしょ!」
ベッキーが差し出した串焼きを、ラオは躊躇なくかじりついた。
口の中に広がるのは、教会の薄味料理とは対極にある濃厚な肉の旨味とスパイスの刺激。
「…………小ヌルくない。……実に、小ヌルくない暴力だ」
「ぎゃはは! いい食いっぷりっしょ! ラオ君、あんたマジで修道者に向いてないっしょ、最高っしょ!」
「……貴様に言われたくない、破戒僧め。……だが、ベッキー。貴様のその、規律を紙屑のように扱う潔さは……嫌いではない。……ゴルドアンの庭でこれほど自由に振る舞えるのは、ある種の『破壊』に近いな」
「褒め言葉として受け取っておくっしょ! さあ、次は揚げパンのハチミツ漬けっしょ!」
ラオは毒づきながらも、ベッキーの強引なリードに身を任せていた。
彼女の「っしょ」というふざけた語尾も、この混沌とした下町では不思議と調和の取れたリズムに聞こえ始めていた。
◇◇◇
腹を膨らませ、賑やかな中央広場の噴水近くまで戻ってきた時のことだ。
「――あら! ベッキーじゃない! 何やってんのよ、こんなところで!」
不意に派手な衣装を纏った三人の女性たちが、ベッキーの背中に飛びついた。
彼女たちはこの街の中央広場近くの大きな酒場で、演武を披露している踊り子一座のメンバーだった。
「おっ、アンジェラっしょ! 相変わらず衣装の布面積が少なすぎて、大教会の騎士団に見つかったら即逮捕っしょ!」
「固いこと言わないでよ。それよりベッキー、今日は休み? ちょうどこれから三人で裏通りの『酔いどれ亭』に行くところなの。あんたも来なさいよ、樽ごとワインを空けましょう!」
踊り子たちがベッキーの腕を左右から掴み、グイグイと酒場の方へ引き寄せようとする。ベッキーの瞳が、これまでにないほどキラキラと輝き始めた。
「……酒っしょ。……キンキンに冷えた、エールっしょ。……大教会のぬるい聖水(水)とは違う、本物の液体っしょ……!」
ベッキーの足が、フラフラと踊り子たちの方へ向きかける。彼女の頭から「案内役」という使命が、音を立てて崩れ去ろうとしていた。
「……おい。……待て、破戒僧」
その時ベッキーの法衣の裾を小さな、だが力強い手が掴んだ。
ラオである。
「な、なんなんっしょ、ラオ君! 私、今から聖なる儀式(飲酒)に行くところっしょ! 邪魔しちゃダメっしょ!」
「……小ヌルい。……太陽が真上にあるこの時間に、貴様が酒を喰らって泥酔すれば、誰が我を宿舎まで送り届けるのだ。……それに、リオラが帰ってきた時、貴様が真っ赤な顔をして『っしょ~』と千鳥足で現れれば、あいつは泣くぞ。……我の前で、女の涙を流させるな」
「…………えっ?」
ベッキーは、驚いたように足を止めた。
いつもなら「勝手にしろ、消えろ」と言い捨てそうなラオが、自分を引き止めている。
しかもその理由は自分を心配しているのか、あるいはリオラを悲しませたくないのか、どちらにせよ「責任感」のようなものが微かに滲んでいた。
「……それに、貴様のその頭のベール、少し曲がっているぞ。……大教会の看板を背負っている自覚があるなら、せめて日暮れまでは、その『小ヌルい化けの皮』を被り通せ」
ラオは、不器用な手つきでベッキーのベールを整えた。
「…………っしょ。……マジか、ラオ君。あんた、子供の皮を被った熟練の騎士か何かっしょ?」
ベッキーは苦笑いし、踊り子たちの手を振り払った。
「ごめんっしょ、アンジェラ! 今日の私は『教育係』としての重大な任務中っしょ! 酒は月が出てからにするっしょ!」
「えーっ、つまんないの! じゃあ夜にね、ベッキー!」
賑やかに去っていく踊り子たちを見送り、ベッキーは大きく一つ、ため息をついた。
「……ラオ君。あんた、意外とお節介っしょ。……おかげでサミエル大司教から大目玉を食らう危機を回避できたっしょ。感謝するっしょ」
「……フン。……勘違いするな。我はただ、貴様がいなくなって、また迷子になるのが面倒だっただけだ。……さあ、行くぞ。……まだ、見ていない屋台があるはずだ」
ラオは、ベッキーの服の裾を離さないまま、再び歩き出した。
ベッキーはその後ろ姿を見て、フッと優しく微笑むと、今度は自分からラオの小さな手を、しっかりと握りしめた。
「わかったっしょ。……じゃあ、次は一番こってりした『揚げ鶏』の店に行くっしょ。……しっかりついてくるっしょ、私の相棒!」
「…………離せ。……暑苦しい……」
口では毒を吐きながらも、ラオは握られた手の温もりを、決して拒むことはなかった。
破壊神の聖都街ブラ。それは教会の規律よりも、一人の「っしょ」な修道女との、妙に居心地の良い絆を育む時間となっていた。
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