第15話 アイゼン砦の断頭台(後編)
アイゼン砦の上空は、もはや物理法則が書き換えられたかのような異常事態に陥っていた。
王国軍エリート魔導騎士、ギリアムの放つ「星屑の雨」の一発一発が、まるで意思を持つ追尾弾のごとく、ファルバラ帝国の魔獣軍団を正確に撃ち抜いていく。
「……何だ、この感覚は。術式を構成する数式が、私よりも先に『正解』を叩き出している……!?」
ギリアムは細剣を振るいながら、内なる驚愕に震えていた。
彼は万能型のエリートとして、常に完璧な演算を信条としてきた。だが今自分の魔力が、まるで見えない「神の添削」を受けたかのように、百パーセントの効率で破壊へと変換されている。
「チッ……! アステミアにこれほどの術者がいたとはな。だが、小賢しい小細工もここまでだ!」
飛行キメラに跨るゼノス・ヴァン・ドレイクが、その冷徹な仮面をかなぐり捨てて叫んだ。彼は軍服の胸元を引きちぎり、そこに刻まれた禁忌の紋章を露わにする。
「魔獣融合・最終術式――『万魔の捕食』!!」
ゼノスの咆哮と共に、周囲を舞っていた数百の飛行魔獣が、悲鳴を上げながら一つの巨大な「肉の塊」へと凝縮されていった。それは砦をも飲み込まんとする、全高五十メートルを超える超巨大な合成魔獣へと変貌する。その口からは、城門を一撃で消滅させるほどの高密度魔力が溢れ出していた。
「……計算不能な質量か。だが逃げる選択肢など我らにはない! 迎撃するぞ! 全魔力を一点に集中せよ!」
ギリアムが絶叫し、砦の王国魔導兵たちが死を覚悟して杖を掲げた。
だがその時…………
「……ふむ。少々……いや、かなり悪趣味な粘土細工だな。我の美しい空を汚すなと言ったはずだ(言ってない)」
上空三千メートル。ラオは最後の一つとなったクリームパフを、惜しむように口に運んだ。
彼の眼下ではゼノスが跨る合成魔獣の放つ絶望的な一撃が、今まさに放たれようとしている。もしあれが着弾すれば、アイゼン砦は地図から消え、その遠く背後にある教会も無事では済まない。
「……小ヌルい。実に、小ヌルい執着だ。……消えろ」
ラオは、膝に置いたパフの包み紙を丸め、それを「弾く」ように指先でパチンと鳴らした。
――因果の断絶・空間の剥離。
ラオが放ったのは、攻撃魔法ではない。ゼノスの巨大魔獣が放とうとした「エネルギーの指向性」から、前方の概念を切り取ったのだ。
---
「死ねッ! アステミアの愚民ども!!」
ゼノスが命じ、巨大魔獣がその口から極大の魔力奔流を放った。
視界が真っ白に染まる。砦の兵士たちが目を閉じ、最期を悟った――その瞬間。
「……なっ……!? 消えた……だと!?」
ゼノスの絶叫が響いた。
放たれたはずの魔力奔流が、砦の手前数百メートルの空間で、まるで鏡に吸い込まれるように完全に消失したのだ。
そしてその消失したエネルギーは、次の瞬間――ゼノスの「背後」の空間から、全く同じ威力で逆流してきた。
「ぎ、ぎゃああああああああああッ!!?」
自らの放った絶大なる一撃を、背後から無防備に浴びたゼノス。巨大魔獣の肉体は一瞬で半分が蒸発し、ゼノス自身も白い軍服を鮮血に染め、ボロ雑巾のように空中に放り出された。
「今だッ!! グリハン!!」
ギリアムの鋭い声が、呆然としていた戦場を叩き起こす。
「おおおおおっ!!」
グリハンが追い風(ラオの無意識の加護)を受けて空を飛ぶような跳躍を見せる。彼は半壊した巨大魔獣の核へと突っ込み、その全霊を込めた一撃で、魔獣の心臓部を真っ二つに叩き斬った。
ドォォォォォン!!
巨大な肉塊が爆散し、アイゼン砦に黒い雨が降る。
指揮官を失い、最強の切り札を粉砕された帝国軍は、潮が引くように撤退を開始した。
◇◇◇◇
数時間後。夕焼けが戦場を赤く染めていた。
アイゼン砦は守られた。兵士たちが歓喜の声を上げる中、指揮官のギリアムだけは独り砦の先端に立ち、静まり返った空を見上げていた。
「……あり得ん。今日の戦い、私の計算を上回る『何か』が働いていた」
ギリアムは自分の右手の掌を見つめる。術式の最適化、そしてあの不可解な攻撃の消失。
それは王国軍の技術でも、自分の才能でもない。もっと根源的で圧倒的な「意思」がこの戦場を支配していた感覚。
「……誰だ。誰が、この戦いを弄んだ……? あのラオ……?なのか? あんな子供が?」
◇◇
一方……敗走する帝国軍の輸送車の中。
全身を包帯で巻かれ、瀕死の重傷を負ったゼノスは、虚空を睨みつけていた。
「……あれは、神の仕業か……。私の術式を、あのように赤子を扱うがごとく捻じ曲げる存在が、あのアステミアにいるというのか……」
彼は恐怖に震えていた。負けたことよりも、自分の理解を超えた「何か」に触れたことへの、根源的な恐怖。
その頃。
教会の屋根(新調されたばかり)の上に、一人の少年が静かに降り立った。
「……ふぅ。全く、余計な魔力を使ってしまった。リオラのパフがなければ、割に合わん労働だったな。まあ、試運転にはちょうど良かったかの」
ラオは何事もなかったかのように、自分の部屋の窓から中へと滑り込んだ。
すると階下から、リオラの明るい声が聞こえてくる。
「ラオくーん! 夕ご飯よ! 今日は砦の勝利祝いで、お肉多めのシチューにしたわよ!」
「……ぬ。肉多め、か。……小ヌルくない配慮だな」
ラオの口元に、ほんの僅かな、破壊神らしからぬ満足げな笑みが浮かんだ。
戦場を揺るがした『神』の介入など、誰も知らない。
ただ、今夜のシチューがいつもより美味いこと。ラオにとっては、それがこの世界の何よりも重要な真実であった。




