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死体が消える町  作者: 臥亜


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2/2

崖の下

 兄はよく転ぶ子だった。


 走ると、たいてい石につまずいた。振り返ると、いつも少しだけ遅れている。母は「注意力が足りないのよ」と言って、兄の頭を軽く叩いた。


 あの日も、崖の上で風が強かった。


 私は覚えている。たぶん。


 空は白くて、海は思ったより遠くにあった。足元の草が倒れる音がして、兄が何か言った。言い返した気もする。内容は思い出せない。


 ただ、手のひらの感触だけが残っている。


 柔らかい布を押したような、曖昧な感触。


 私は押していない。


 押していないはずだ。


 兄は足を滑らせたのだと思う。あの子は昔から、よく転んでいた。私は何もしていない。ただ近くに立っていただけだ。


 落ちる音は、小さかった。


 叫び声があったのかどうかも、よくわからない。風の音のほうが強かった。


 気がつくと、私は一人で立っていた。


 下を覗いたかどうかも覚えていない。


 そのあと、どうやって家に帰ったのかも。


 大人たちが騒いでいた記憶はある。誰かが私の肩を強く掴んで、「大丈夫」と言った。何が大丈夫なのかは説明されなかった。


 兄は事故死になった。


 町の診療所の医師がそう言った。警察も来たはずだが、制服の色も顔も思い出せない。私は白い封筒を受け取り、母は何度も頭を下げていた。


 遺体は、見ていない。


 子どもには刺激が強いから、と言われたのか。私が拒んだのか。


 葬儀の日、棺は閉じられたままだった。


 私は泣かなかった。


 泣けなかったのかもしれない。


 その夜、母が私の部屋に来て、長い間座っていた。何も言わなかった。ただ、私の手を握った。強く、少し痛いくらいに。


 「あなたは悪くない」


 母はそう言った。


 私は、何もしていないのに。


 あの崖に立つと、いまでも風の向きがわからなくなる。前から吹いているのか、後ろから押されているのか。


 手のひらが、まだ覚えている。


 何を、とは言えないまま。

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