第1章 悪役令嬢と呼ばれる少女
王立学園の正門は、
思っていたよりも高かった。
白い石で組まれた門柱は、
朝の光を受けて
静かに輝いている。
エリシアは、
その前で一度だけ
深く息を吸った。
胸の奥が、
少しだけ痛む。
――帰りたい。
そんな弱音が
一瞬、
心をよぎった。
けれど、
握りしめた推薦状が
それを許さなかった。
平民の自分が、
この学園に立っている理由。
それは偶然でも、
施しでもない。
努力の結果だと、
信じたかった。
「……行こう」
小さく呟き、
エリシアは門をくぐった。
途端に、
空気が変わる。
視線が、
集まった。
ひそひそとした声が、
風に混じる。
「平民らしいわよ」
「特別推薦ですって」
「身の程知らずね」
聞こえないふりをしても、
言葉は
確かに胸に刺さった。
制服は同じ。
教材も同じ。
それでも、
見えない線が
はっきりと引かれている。
ここは、
貴族のための場所。
エリシアは、
異物だった。
教室に入ると、
ざわめきが
一瞬だけ止んだ。
そして、
何事もなかったように
再開する。
席に着くまでの
わずかな距離が、
やけに長く感じられた。
その時だった。
「――どきなさい」
凛とした声が、
教室を切り裂いた。
静寂。
エリシアは
反射的に振り返る。
そこに立っていたのは、
ひと目で
“違う”とわかる少女だった。
淡い金色の髪。
完璧に整えられた姿勢。
視線には、
迷いがない。
マーガレット・
ヴァレンシュタイン。
名門貴族の令嬢。
そして、
悪役令嬢。
その名は、
入学前から
嫌というほど
耳にしていた。
「あなたが、
噂の推薦生?」
微笑みは
美しい。
だが、
温度がない。
「平民が、
この学園で
何を学ぶつもりかしら」
周囲が、
息を詰めるのがわかる。
誰も、
口を挟まない。
それが、
この学園の
暗黙の了解だった。
エリシアは、
一瞬だけ
迷った。
黙って
頭を下げれば、
やり過ごせる。
そうすれば、
波風は立たない。
けれど。
「王国の歴史と、
学問です」
自然と、
言葉が出た。
自分でも
驚くほど、
声は落ち着いていた。
「学びたいと
願うことに、
身分は
関係ないと
教わりました」
その瞬間、
マーガレットの
瞳が、
ほんのわずかに
揺れた。
ほんの一瞬。
気づいたのは、
エリシアだけだった。
けれど、
すぐに
冷たい微笑みが
戻る。
「ずいぶん
大きな口を
叩くのね」
くすくすと
笑いが起きる。
「覚えておきなさい。
この学園は、
あなたの居場所では
ないわ」
そう言い残し、
マーガレットは
自分の席へ戻った。
何事も
なかったかのように。
エリシアは、
胸の鼓動を
抑えながら、
席に着いた。
――怖かった。
正直に言えば、
足が
震えていた。
それでも。
彼女の言葉よりも、
あの一瞬の
視線の揺らぎが、
頭から離れなかった。
怒りでも、
侮蔑でもない。
まるで、
確認するような。
――何を、
確かめたかったの?
授業が始まっても、
集中できなかった。
黒板の文字より、
前方の席に座る
マーガレットの背中が、
気になって仕方がない。
背筋は真っ直ぐで、
一切の隙がない。
まるで、
最初から
そうあるべき姿を
知っているかのようだった。
昼休み、
エリシアは
一人で
中庭へ向かった。
食事を取る
気分ではなかった。
石造りの噴水のそばで、
風に当たる。
その時、
背後から
再び声がした。
「ずいぶん、
平気そうね」
振り返ると、
マーガレットがいた。
昼の光の中でも、
その存在感は
揺るがない。
「私が
何をしているか、
わかっている?」
「……はい」
正直に答えると、
マーガレットは
わずかに眉を寄せた。
「それでも、
ここにいるの?」
「逃げたく
ありません」
エリシアは
視線を逸らさなかった。
「理由は?」
「ここで学ぶと
決めたからです」
沈黙。
風が、
二人の間を
通り抜ける。
「……
馬鹿ね」
吐き捨てるように
言いながらも、
その声は
どこか
震えていた。
「覚悟しなさい。
私は、
あなたを
守らない」
去り際、
小さな声が
落ちた。
「――
だからこそ」
それ以上は
聞き取れなかった。
マーガレットは
振り返らず、
歩いていく。
その背中を見つめながら、
エリシアは
胸の奥で
確かに感じていた。
この人は、
本当に
悪役なのだろうか、と。




