第8話 現場視察
第1王子のカワブが亡くなって数日後に、宰相のヘミウヌが執務室にやってきた。
「ネブイ(我が主)、王妃様共々の心労はお察しいたしますが、カワブ様の埋葬について取り決めたいと存じます」
「分かった」
俺はカワブの元気な時の笑顔と、亡くなる前のやせ細った姿を思い浮かべて悲しみが増した。
「王子のお体においては最高の処置を致しております」
(つまり、すでにミイラ化が行われているという事だな)
「埋葬場所については、王のメル(ピラミッド)の聖なる東側を予定しています。ここには王妃様と女王様(先王の妻)の墓も建築予定です」
「了承した。そのように行え」
葬儀の指示をしていると、カワブが亡くなった事実はとても悲しいが、何となく他人事のように感じている自分がいることが分かる。
(これは、他人の子という感覚なのか、クフの器がそう感じているのか・・・)
「ところで、我がメルの建築は順調なようだな」
「はい。予定どおり遅延なく進捗しています」
俺はニヤリと笑顔を見せて「現場を見に行きたいのだが」と伝えた。
叔父さんは、すでに俺の無茶ぶりに慣れて来たのか「ネプイ、お心のままに」と平然としていた。
「ただし、3名の王妃様方は視察への同行にはご興味を持たれていないと聞いております」
その情報は、侍女のセネトからも聞いていたので「分かった。準備が出来たら報告してくれ」と指示した。
(王太子となったジェドエフラーの教育を兼ねて現場の見学に行きたかったが、母親が反対しているなら無理強いは良くないか)
「ネブイ、今まで王族が直接に視察をした事はございません。しかし、民にお声がけなどをすることは良きことです。現地での警備はお任せください」宰相は柔らかな表情で報告を終わると執務室を後にした。
(ヘミウヌ叔父さんも、言葉遣いは硬いままだけど、結構『こちら側』に引き込めた感じがするな)
満足げにしていると、後ろに立っていた侍女のセネトが話しかけてきた。
「ネブイ(我が主)、メルの視察にはマアトカレと共に同行させていただきます」
(マアトカレは、小太りのピラミッド建築主任だったな)
「そのように手配してくれ」
昼食の準備のために執務室を後にするセネトの後姿を、ボーっとしながら見つめていた。
2日後には早くも準備が出来て、俺はナイル川を北に向かって進む船の上にいた。
王宮内で過ごすのと比べて、晴天の早春の風を受けて立つ屋外は清々しかった。
「ネブイ(我が主)、到着後はメル(ピラミッド)の全体が見渡せる丘へ向かう予定です」
同行したセネトの髪も春風で緩やかに流れていた。
(クフ王の役を演じて半年になるけれど、自然体でいられるのは楽でいいな。)そんな事を考えながら、彼女の姿に見とれていた。
「本日の船の長のメレルが参りました」
俺の数歩手前で膝をついて頭を下げているのが船長のようだ。
メレル船長は褐色の良く日焼けした肌と力強い筋肉質でヒゲ面の30代の男だった。
「面を上げて発言を許す」もちろん俺から指示をする。
「ネプ(我が主)、この偉大な王の船を任されているメレルでさ」彼は地方の出のようで少し訛っているようだ。
「メレルよ、余のために良く励め」
「いつもより、ガンバって働くぜ。なあお前たち!」メレルが右手を力強く上げると、船員たちが「やぁ!」と掛け声を上げる。
「余は満足だ」
「俺が力んでも、風がなきゃあ無理だけどなぁ」船長が笑うと真っ白な歯が覗いた。
ギザに着くと港は資材の積み下ろしで大賑わいだったが、俺の乗る船の周りは屈強な警備員たちが人払いを行っていた。
小太りのピラミッド建築主任が近づいてくる。
「王様、この港はスネフェル王の時代から石材の出荷で使われていたものを拡張したんです」
確かに、よく見ると港の低い部分の石材は年数が経って色が変わっているようだった。
「この港はメル(ピラミッド)建築現場の一番近くの港です。南に作られた新しい港は、船の修理設備も備えた最新式で、『労働者村』のすぐそばに作られてます」
俺はここに着く少し手前に、大きな港があったのを思い出した。
「『労働者村』の周辺には、住民の食事用の家畜を育てる大きな農場も併設されました」
(思ったより大規模な街だな。これがピラミッド建築者のために作られたのか・・・)
俺が、『労働者村』の巨大さを創造していると、建築主任が歩き出しながら「これからセダハで建築現場へ向かいます」
セダハは、王専用の神輿のような乗り物だ。
「また、罰ゲームか」あの目立つ乗り物に乗るのかと、つい愚痴が出る。
「何か言いました?」マアトカレが聞いてくる。
「余は満足だ」王の定型文でごまかした。
後ろに控えていた侍女のセネトが「くすっ」と噴き出していた。
10人の力自慢の男たちの担ぐ神輿で、ゆるやかな坂道を500mほど運ばれて、俺はピラミッド建築現場の良く見える高台に到着した。
太り気味の設計主任は、少し息を切らして汗を拭きながら近づいてくる。
(こいつは頭は良いかもしれないけれど、完全な運動不足だな)
「王様、王のメル(ピラミッド)は、すでに10段目までの石材の積み上げが終わっています」
(まだ、建築を始めてから半年ぐらいで10段は早すぎないか?)
「詳細を頼む」
「ギザの高台には3つの丘がありますが、王のメルは一番北側の丘を利用して作っています」
古代エジプトでは北側が聖なる方向で、ピラミッドの入口も北側で統一されている。
マアトカレは続ける「一番北側の丘の高さは、ほぼ「半ケト(約25m)」でした。この丘を上手く利用すると30段ぐらいまでは地形を利用できます」
(そうか、すでに出来上がった10段分は、丘を削り落として作ったんだな)
「こんな感じだな」俺は地面に王の杖で側面の概略図を描いてみた。
「王様、素晴らしいです!・・・そうか、こうやって丘の横から見た切り出しの図を使えば・・・」
設計主任が何か自分の世界に入ってしまったので、俺はセネトを連れて建築現場を見て回る。
俺が王の神輿で運ばれたナイル川の港からここまでの道は、直線でなだらかに整備された通路だった。
(この道は、船で運んできた石材を港から運ぶための傾斜路だな)
高台から俺とセネトは建築現場に歩いて向かう。
「王様、待ってください」とマアトカレの声が聞こえる。
俺はセネトと目を見合わせると、同時にうなずいて速足で歩きだした。
「待ってくださいよー」
周りから見ると俺の姿は今までどおりのクフ王だけれど、セネトと来たピラミッド建築現場の視察の時だけは、以前の日本人のサラリーマン姿で歩いているように錯覚していた。
二人の時間を邪魔するように、マアトカレが追い付いてきた。
「この場所の南西に採石場が作られています。今回のメル(ピラミッド)で使う、ほとんどの石材はここで手に入ります。そして、建築現場の奥から左手に続いて見える建築中の傾斜路が、その採石場まで続きます」
「ここにある採石場以外では、どこから石材を運んでいるのか?」
「外装に使う白い石(石灰岩)は、スネフェル王の王墓と同じくナイル川の対岸から運びます。内装用の黒い石(御影石)はナイル川上流のアスワンからです。メル(ピラミッド)前に建築する神殿専用の聖なる黒い石(玄武岩)は南方の砂漠地区でしか手に入りません」
「次は建築中の傾斜路を通って、『労働者村』へ向かいます」
ピラミッド建築現場から、『労働者村』までは1kmほどの距離があった。
『労働者村』に到着すると、マアトカレが一番目立つ大きな建物を指さした。
「あれが監督官の屋敷ですね。作りは小さな王宮みたいで中庭には池も完備してます。隣に見える豪邸はギザに新しく作られた神殿の神官の邸宅です」
その後は、何軒もの製パン所やビール醸造所、建築に使う工具やカゴなどの小物屋などを見て回った。
『労働者村』は最大で2万人もの人口を収容できる巨大な都市なので、その大通りや市場には関係者以外に商人やピラミッド建設に関係ない男たち、建築関係者を目当てに集まった女たちが入り乱れていたので、昼間の人口はさらに多かった。
セネトは、晴れて日差しが気持ちいい日に視察に同行出来たことを、心から楽しんでいた。
王の侍女として仕事を始めてから、こんなに穏やかな日があっただろうか・・・
(そして、優しく接してくれる王がそばにいる)
町中の商店街を王と2人で歩いていると、王が少し恥ずかしそうに「厠はあるだろうか?」と聞いてきた。
セネトは急いで後ろを遅れて歩くマアトカレに聞きに行く。
「主任様、王が厠をご所望です」
「王族用の厠なら、監督官の邸宅にありますね」
「それでは間に合わないでしょう。他には?」
「民草用なら、そのパン屋の裏にあります」マアトカレは、すぐ横の繁盛しているパン屋を指さした。
セネトは厠に向かうと、内部が清潔で王の使用に問題ないことを確認した。
そして、すぐ横でパン屋を覗いている利発そうな少年に話しかけた。
「あなた、名前は?」
成人したばかり(12歳)に見える少年は戸惑いながらも「ペーティーです」と名前を告げた。
「ペーティー、重要なことを伝えます。この厠を高貴な方が使用されます」
「高貴な方ですか?」
「訳あって誰かは告げられませんが、その方が使用されるまで扉の前で見張りを命じます」
少年は「はいっ!」と元気に返事をする。
セネトは少年が緊張した顔で、厠の扉の前で左右をしっかり見渡しているのを見た後に、急いで王の元に戻った。
「ネブイ(我が主)、民の使う場所ですが、厠の準備が出来ました」
「ありがとう」王は急いで厠に向かった。
王が厠に入ってすぐに、ヌビア系と思われる肌の色が濃く屈強な男が声をかけてきた。
右肩から毛皮を掛けているので王宮の軍人で、その毛皮がヒョウ柄なので高位の者であることが分かる。
「王の侍女様、私は本日の王の警備隊長を拝命しているカエムワセットである」
「何用でしょうか?」セネトは少し緊張して答えた。
「先ほどから王の姿が見えないが、どちらか?」
(そのことか)セネトは安心した。「我が王は、そちらの厠で用足し中です」
「こちらの厠は5人用と報告を受けている。不審者が使っていないか点検に入る」
『王の侍女』に対して失礼な言葉遣いだと感じたセネトは「待ちなさい。」少し強めの声で「すでに内部は点検済みです。そして扉前に人を配置しています。王の用が済むまで立ち入ることはなりません」と正した。
警備隊長と名乗る男は「はっ」と答えて「周囲の警戒に戻らせていただきます」と言ってその場を去った。
セネトが安心すると少しして、王は何事もなかったかのようにスッキリした顔で厠から出てきた。
そろそろ夕方が近くなった時に、マアトカレが後ろから前に出てくる。
「王様、最後に王族の方には案内しない場所へお連れします。問題ないですか?」普段の彼とは違う真面目な調子だ。
「よろしく頼む」
案内されたのは王族どころか、高位の書記なども立ち入らないだろう作業員の住居だった。
そこは天井が高く暗い建物で、疲れて泥のように眠る沢山の人々の姿があった。もちろん、この時代では風呂などは無いので香炉を焚いても、むせ返るような匂いがしていた。
(高校時代のサッカーの合宿を思い出すな)俺は平気だったが、セネトは違ったようだった。
「・・・」建物に入るなりセネトは絶句していた。
高位の官僚の娘のセネトは、現場の労働者が直接床に横になる姿にショックを受けたようだった。
セネトには構わずマアトカレが話しかけてきた。
「王様、この街の王族の方の住居、神官の方の住居と見てきましたが、ここが農民の出の者の住処です」
「そのようだな」
「ここの設計者は、最大収容人数を詰め込める広さの建物を机の上で考えて、現場を見ていません」
(確かに、大きな建物を作っておけば、労働者の人数が変わっても屋根の下で寝られるので問題ないという考え方か)
俺は、この方法の合理性は理解した。
(しかし、衛生的にも次の日に疲れを残さない労働環境的にも、このまま放置はできないな)
「俺に出来る事は・・・」王宮に帰って、実際に出来る改善方法を考えることにした。
クフのピラミッドのすぐ横に2人の王妃と母、第1王子カワブの墓があることは事実です。
また、「労働者村(Lost City of the Pyramids)」に豪邸や牧場、パン屋・ビール醸造所に道具屋など沢山の建物と労働者の住居なども発掘されています。(王宮があったという説もあります。)
しかし、労働者の住環境が最悪だったと言うのはフィクションです。
また、パン屋のシーンが無意味に長く感じるかもしれませんが、予定している次回作への導入部分です。




