第7話 家族の時間
毎日の王の仕事は、ピラミッド建築が開始しても、今までどおりに同じ時間に同じ仕事が続いていた。(そりゃぁ数分のズレはあるけれど、スマホで時間を確認している俺が言うのだから間違いない)
たまに、裁判官としての仕事が発生したが、犯罪としては王族の墓の盗掘が一番重罪で死刑が確定していたので、叔父さんに「余は許可する」と伝えるだけだった。
しかし、少し変更したことがあった。
夕方の祈りの時間の後は、踊り子を鑑賞しながら毎晩行っていた宴会をやめて、家族の時間にした。
体感気温ではこの時代のエジプトは常春で、王族から庶民まで冬以外はリネン製の布1枚だけで十分生活が出来ていたので、王宮内でも男性は腰布、女性はワンピース姿だ。(この時代には、まだ下着は履いていない)
さらに、夜の宴会の時間には踊り子だけではなく、給仕の侍女や男性の侍従たちまでも簡易な衣装で動き回るので目のやり場に困った。
そんな宴会も、誰かの働きをねぎらったり外交上の式典として行うなら理解できたが、俺の為に毎晩開いてもらうのは日本人の平民意識が抜けない俺には我慢できなかった。
(夜の宴会で飲むビールは、昼間の食事用と違ってアルコール度数が高いので、次の日が辛いのもあったが)
そんな時間があったら、エジプト王朝を改革するために『次世代の王候補』の若者たちに教育を行う方に興味があった。
最初は、2人の王妃と1人の側室と全員の子供を集めて『家族の時間』を作ってみた。
「ネブイ(我が主)、集合いたしました」第1王妃のメリテーテス1世が頭を下げると全員が同じように頭を下げた。
どうやら、今までは家族全員を集めたことがなかったので、王から何か命令されると思ったようだ。
「皆に集まってもらったのは、家族全員で楽しい時間を過ごしたいと考えたからだ」
俺の話の途中で、頭を下げた第1王妃の肩がピクッとした。
メリテーテス1世が美しい顔を上げて訊ねる。「ネブイ、ここに集まった全員という事でしょうか?」
「そのとおりだ」細かな説明が面倒なので、王の言葉が絶対なのを利用する。
ここで、侍女のセネトから聞いておいた『俺の家族』をまとめておいた。
第1王妃のメリテーテス1世との間の子が、第1王子のカワブ、王子のジェドエフホルとバウフラー、第1王女のヘテプヘレス2世の4人だが、実の兄妹のカワブとヘテプヘレス2世はすでに結婚していた。
王妃のヘヌツセンとの子は、第3王子のカフラー
側室のイセトには、第2王子のジェドエフラーがいた。
この時代のエジプト王朝は、初代統一王朝を作った500年前のナルメル王の血筋がどれだけ濃いかが王の継承順位になっていた。
だから、現代日本では考えられない近親者と結婚して子孫を作ることが王になる近道だった。
(中学生の頃に読んだ、E・E・スミスが書いた最古のSFヒーローシリーズ『レンズマン』では、男性はキニスン、女性はクラリッサという作られた血筋があり、この2人が出会って出来る子供が銀河系を救うという壮大なストーリーだったけど、この王朝の血筋への執着は大丈夫なんだろうか?)俺は心配になった。
そんなことを考えながら、王妃たちの視線をよそに俺は子供たちの中に入っていった。
「王として大切なことは何だろうか?」10代に満たない見た目の子供たちにするには、少し難しい質問をしてみた。
すぐに、長女のヘテプヘレスが答えた。「神の化身としてマアト(世の秩序)を維持する事ですわ」多分、母親に教わったとおりの回答を満足そうに答えた。
まだ10歳ぐらいの妻のヘテプヘレスに急かされて第1王子が「神の化身として、国民の繁栄を保証することです」優秀な生徒の答えを返した。
一番幼いバウフラーは「神の意志とは、黄昏の光のように・・・」何か詩的で、歌うように話し出しながら歩きだした。
バウフラーの歌声をさえぎるようにジェドエフホルが「すみません。すぐに戻ってきますので」弟をかばうと「王の仕事についてのご質問ですが、私は将来、王を支える宰相を目指しています」しっかりとした話し方だった。
第1王妃の子たちの回答が終わると、待っていた第2王子のジェドエフラーは「王は人々の上に立つ存在として、常に威厳を保たねばなりません」胸を張って答えた。
最後に第3王子のカフラーは「皆さまが正解されたので、不足はありませんよね?」誰からも好かれそうな満面の笑顔だった。
皆の回答が終わったところで、俺は全員の目を見ながら話しだした。
「今回の質問は難しかったかもしれないが、王に必要なことは、こうやって考える事だ。そうすると色々な意見が出てくるので、それが正しいのか、間違っているのかを、一度立ち止まって、もう一度考える」
「それでは前に進めません」と第1王子
「良い意見だ」近くにいるカワブの頭をなでる。「しかし、重要な決定をする前こそ、時間をかけて準備をすべきだ。そして、一度決定したら、変更せず迅速に事を進めるのが正しい行いだ」
ジェドエフホルは心配そうに「その決定が間違っていたらどうしましょう?」と聞いてきた。
「誰でも間違う事はある。そうしたら、自分で責任をとること。次は正しい方に修正するんだ」
今まで、王から直接話しかけてもらった事のなかった子供たちは、最初は戸惑っていたが、最後には目を輝かせて話を聞いていた。
3回続いた全員集合の家族の時間は、大失敗に終わった。
序列が違う王妃たちは自分の子を王とするために、それこそ血眼になって毎日を競い合っていた。
だから、同じ土俵で楽しい家族の時間を過ごすことなど出来なかったのだ。
次に、各王妃ごとに日替わりで『家族の時間』を過ごすことにした。
しかし、単純に3で割って順番に回していたら、ヘミウヌ叔父さんから(怖い顔で)アドバイスされた。
「正妃の家族の割合を増やして、側室の日にちを減らさねばなりません」
(そうか、王妃の順位を考えないのは失敗だった)
最終的には、この時代の1週間(Decan)は10日だったので、会う日数は4・3・2日にして最終日は休日にした。
月末の夕方、神殿での祈りの時間に神官長のラホテプが近づいてきた。各地の神殿に出向いていることが多い彼に会うのは久しぶりだった。
「ネブイ(我が主)、第1王子様の事でご報告がございます」
第1王子のカワブは、『家族の時間』を過ごすようになって少し経過してから体調がすぐれないことが多くなり、最近では欠席が目立つようになっていた。
それまでは次期国王として俺からの教育を熱心に受けていたが、体力回復のために安静にするように指示していた。
「報告を許す」
「現在、王国の最高の祈祷師を、王子様の治療に当たらせておりますので、ご安心ください」
(王子の病状は心配だけれど、王からは細かな病状を聞けないのは面倒だな)
「全力を尽くせ」
「我が国の祈祷師にお任せあれ」
神官長は頭を下げたので、俺はその場を去った。
王妃メリテーテス1世は、それまでは感情を表に出すことがなかった王が、日食の日を境に別人のように変わったことに驚いていた。
クフは彼女にとっては義理の兄だが、遠縁の血筋だったので、婚姻するまでは彼との接点はほとんどなかった。
実際に会ってみると、王からは愛情どころか笑顔を見る事さえなかったので、結婚後は業務としての王妃を演じているに過ぎなかったが、最近になって王の態度が急変して、彼女に対しても子供たちにも笑顔で優しく接するようになった。
(この王となら、幸せに暮らせるかもしれない・・・)
彼女は王に愛され、第1王子のカワブが成長して王位を継ぐ未来を夢見るようになった。
ところが、愛する我が子が体調を崩したのだ。
王子の部屋の中は、花の香と薬草の匂いと祈祷師の読み上げる神への言葉が満ちていた。
ベッドには青白い顔をして横たわるカワブの姿があり、王妃は自ら王子の手を握りながら額の汗をぬぐった。
「胸はつらくないですか?」
「母上、父上は今日もお忙しいのですか」王子は目を閉じながら母に問う。
その声は、冬の鳥のさえずりのようにか細かった。
(最近の王は熱心に王子に話しかけてくれていたのに、なんで苦しむ王子の様子を見に来ようとしないの!)
王妃は心が張り裂けんばかりだったが、優しく微笑みながら答える。「明日にはお仕事の手が空いて、会いに来てくれるわ」
「また、父上から王の心得を教えてほしいなぁ」王子は消え入りそうな声で言うと眠りについた。
次の日、侍女のセネトが朝の身づくろいに来ると「ネブイ(我が主)、本日は第1王子の部屋に行くべきです」と唐突に言ってきた。
「神官長からカワブは大丈夫と聞いているが?」
「第1王子の侍女からの報告では、かなり病状が思わしくないと聞いています」
「本当か!この後の予定は中止して、王子に会いに行く」
「ネブイ、朝の神への祈りの後にお願いいたします」セネトから注意された。
「もちろんだ。」忘れていたことは気づかれているが、返事をしておく。
セネトは最後に王の髪の毛を整えながら思った。(言い訳の仕方も弟にそっくり・・・)
第1王子のカワブの部屋に入った途端に、俺は自分の大きなミスに気付いた。
つい日本の常識で、子供の病気なんて数日で元気になるものと思っていた。ところが、ベッドに横たわるカワブの様子は数日前の元気に教育を受けていた少年の姿ではなかった。
顔色は青白く目はうつろで、唇が乾燥してひび割れているようだ。
ベッドに近づいて王子の手を取る。「どこか痛いところはないか?」
「・・・父上・・・お話に聞いていた甘いお菓子を食べたいです・・・」
俺は、家族の時間の何かの話で、日本の美味しい菓子の話をしたことを思い出した。
「すぐに準備するから、体を休めて早く良くなってくれ」カワブの手を握り締めた。
その日の予定はキャンセルして、俺は侍女セネトを連れて調理場へ向かった。調理場では調理人や侍従たちが突然の王の来訪に驚いていたが、セネトが説得して人払いをしてくれた。
「セネトよ、新鮮な卵と乳、砂糖か蜂蜜を準備してくれ」
「ネブイ(我が主)、ヤギの乳と蜂蜜はご用意できますが、卵は本日中の準備は無理です」
(王子が重体なのに簡単なプリンも作れないか・・・)調理場を見回すと、蒸し器どころかオーブンや鍋もなく、土器とキャンプ場の火床のようなものしかなかった。
用意できたヤギの乳に蜂蜜を加えて、王宮の庭でも見かけたイチジクとナツメヤシのドライフルーツがあったので、それを加えて加熱した物を試食する。
「卵がないから固まらないけど、甘くておいしい。冷やしたらカワブは気に入ってくれるかな?」
「これは大変美味しいです。きっと第1王子様もお喜びになります」一口飲んだセネトは絶賛する。
俺が、その甘味を冷やす方法を考えていると、宰相のおじさんが走ってきた。
「ネブイ(我が主)、カワブ様が・・・」
俺は手に持った器を落としたまま、しばらく動けなかった。
笑顔で眠っていた第1王子はその日の午後、本当に急に病状が悪化して眠るように亡くなった。
(中世ヨーロッパでさえ子供の死亡率は高かったのに油断した。俺の現代知識があれば、彼を救う事が出来たんじゃないのか?)
後になって後悔しても第1王子が戻ることはなかった。
(神官長の言葉を信じた俺が悪かったんだ・・・)
正妃のメリテーテス1世は、この事があってから夜の懇談に顔を出さなくなってしまった。
彼女には4人の子がいたが、12歳という若さで亡くなった初めての子のカワブの死は耐えられなかったようだ。
引き続き他の子どもたちの教育は続けていたが、兄を亡くした弟たちからは以前のように笑い声が聞こえることは少なくなってしまった。
俺はカワブの葬儀を進めつつ、次の後継者を指名しなければならなくなった。
困ったときは叔父さんだ。
「ヘミウヌよ、王位継承順はどのようになるか?」 ヘミウヌ叔父さんを呼んで聞いてみた。
「ネブイ(我が主)、大変心苦しく存じますが、王家の理により年齢が上の者になります」叔父さんもカワブの弟たちを気にかけているようだ。
しかし、年齢が高い順に、側室イセトの子「ジェドエフラー」、次が第2王妃ヘヌツセンの子「カフラー」だ。
残念ながら正妃メリテーテス1世の第2子は年齢的に3番目なので、後継者には出来なかった。
世継ぎの決定は時間を空けない方が良いだろうと考えた俺は、第1王妃の部屋を訪れた。
「メリテーテス、今回の事は本当に残念だ」
「・・・」王子が亡くなってから泣き濡らして腫れた目で俺を見つめる。
「ジェドエフホルとバウフラーは残念だが年齢が足りていないので、後継者には指名できない」
第1王妃は王の言っている内容が信じられなかった。(まだ、カワブの葬儀も済まないうちから、世継ぎの話をするなんて、あの子の事は何とも思っていないのね!)
この時の想いのすれ違いが、メリテーテス1世の心の中で次第に大きくなっていった。
史実では、クフの祖父フニ王の子は、王子1名王女1名なので後継者問題は発生しませんでしたが、父スネフェル王は15人以上の子を設けたので、兄妹間で結婚して血統を争ったようです。
スネフェル王の「王の長男」の称号を持つカネフェルとネフェルマアト1世(なぜ長男が2名いるか不明です。)が後継者抗争に敗北した理由は分かっていません。
また、年齢順位不明(推定2位)のアンクハフは、スネフェル王の長女と結婚しているのでクフより優位ですが宰相止まりだったようです。
クフも5名以上の王妃と10~20名ほどの子供たちがいたようです。
史実どおりの内容では複雑すぎて物語は作れないので、その後、王になる主要メンバー以外は簡略化しました。
物語の進行上、12歳で亡くなった設定の第1王子カワブですが、クフの宰相などを経験した後、30~40歳で亡くなったのがという説が主流です。




