第6話 建築開始
俺の命によりギザの地に、巨大なピラミッドの建設が始まった。
場所さえ決まってしまえば、古代エジプトの極めて優秀な官僚組織の書記たちが、その能力で次々と仕事を進めていった。その中には、各地域のノモス(地方長官)への人員と資材の差出表も含まれている。
― 差出表、メンフィス・ヘリオポリス・ギザ その他のノモス(地方長官)へ宛てる ―
太陽神の化身たる王の陵墓を建築することが、神託により決定した。
それぞれのノモスは、下に示す人民と資材を王のもとに差し出せ。人員・資材の追加、返納については別に示す。
人員
・石工 1,000名
・工房技術者 1,000名
・船舶輸送員 1,000名
・石材輸送員 2,000名
・食材調理人(女性でも可) 500名
資材
・大麦
・麻
・・・
各ノモスの割り当て数は、以下のとおりである。
・・・・・
クフ王の治世1年 成長期の1月目(1月)
―― 王の首席大臣・宰相 ヘミウヌの名により命じる 王印 ――
ピラミッド建築地のギザでは、まず、建築者が住むための『労働者村』が作られた。
村と言っても農民から徴用された多数の労働者に加えて担当高官、神官、熟練職人、食事の準備要員など、最盛期には数万人が住むことになる巨大都市だ。
『労働者村』は、船で運ぶ資材の荷揚げに便利で、労働者たちの食材用の家畜の餌を確保しやすいように、ナイル川沿いに作られた。
現在のナイル川はクフ王のピラミッドから 10 km 程離れたところを流れているが、これは1902年と1970年にナイル川の上流にダムが出来た影響なので、当時のナイル川はピラミッドのすぐ横を流れていたのだ。
『労働者村』には、徴用された作業員たちが住む町だけではなく、各種施設も合わせて建設される。
ナイル川から資材を陸揚げするための湾港用地、ピラミッド近郊の採石場地、採石場と湾港から石材を移動するための傾斜路予定地、銅製品の工場や病院は用途に合った場所に、そしてピラミッド建築用地の小高い丘のそれぞれの場所の測量を行うことになっていた。
測量と聞いて、俺は気になったことがあった。
現代(21世紀)の工業化を可能にしたのは規格の統一だ。世界中どこで作られた部品も、国際規格を使って作られているから、現場で集められた部品を組むとピッタリと合わせることが出来る。
「この当時の長さの誤差は、どの程度なのか?」王の執務室でつぶやいた。
一応スマホの Wiki で調べた後に、この時代の長さの単位を筆頭書記のプタホテプに聞いてみた。
「プタホテプ、長さを測る標準機を持って来て説明をしてほしい」
筆頭書記は、静かに、しかし急いで長さを測る標準機を取りに出て行った。
「ネブイ(我が主)、こちらです。最小の単位は『1ジェバ』で王の指1本の幅です。次の単位の『1シェセプ』は王の手のひらの幅です。建築で使う標準の長さの『1メフ・ネスウト』は王の指先から肘までの長さになります」
(Wiki で調べたら、1ジェバが1.87cm、1シェセプが7.48 cm、1メフ・ネスウトが52.36 cmだったな)
(王の体のサイズって、「どの王が何歳の時のサイズだよ!」と突っ込みを入れたくなったが、俺はエジプト王なので止めておいた)
しかし、1メフ・ネスウト(52.36 cm)の長さは、ピラミッド建築の精度に直結するので、長さの標準機を正確なモノに統一するぞ。
すでに目途は付いていた。
現代から持ってきた俺のスマホは、ネットの履歴で製品情報を見たら、高さは 167 mm だけど横幅が 74.8 mm ピッタリだ。
(偶然だとは思うけれど、スマホの横幅も手のひらの幅を考えた設計なら同じでもおかしくないかな)
スマホの幅は『シェセプ』と同じなので、俺のスマホで7つ分の長さを測れば、ピッタリ『メフ・ネスウト』になる。
「プタホテプ、出来るだけ正確な長さの標準機を10本用意してほしい」
「ネブイ(我が主)、お心のままに」
筆頭書記が持ってきた標準器は良く手入れされていて、保護用の樹脂が塗られた木製で、『ジェバ』の28の小さな区切りと『シェセプ』の大きな印が7つ刻んであった。
さっそく、俺のスマホの横幅と比べてみると微妙に短いものが多かったが、3本は俺のスマホの幅と同じ長さだった。
(すごい精度で作られているなぁ)
巨大な建築物を作るときにズレがあると困るので、全ての標準器の印の位置を、スマホの正確な幅で修正して赤い印をつけた。
次に、宰相の叔父さんを呼んでこう告げた。
「今後、長さの基準は、この王の尺を使用するように」
宰相のヘミウヌは、王が長さのズレの修正を突然命じてきたため、ピラミッドとの関連を思い浮かばなかった。
そこで、短い時間で考えた末に、来月から毎年のナイル川の氾濫後に行われる、麦畑の検地に備えているのだと勘違いした。
「ネブイ(我が主)、王宮の測量班、各地のノモス(地方領主)と神殿に配布した標準器を、全てこの『王の尺』に統一いたします」
俺は、自分の言葉が足りなくて宰相が勘違いしていることなど思いもせずに、これで、巨大建築物でも誤差は最小に抑えられるだろう。と安心していた。実際には、王の命により短時間に国内の全ての長さの標準が統一されたので問題はなかった。
次の日に、筆頭書記のプタホテプが定期報告を終わると、少し緊張した顔で話しかけてきた。
「ネブイ(我が主)、セナクト(仲間会議)に招きたい者がおります」
「どのような人物なのか?」突然の事だったが、どんな奴なのか気になったので素直に聞いてみた。
「王のメル(ピラミッド)の設計主任で、名をマアトカレと申します。スネフェル王の王墓(赤いピラミッド)を設計した者を父に持ちます」
「それは色々と聞いてみたいものだな。いつから会えるだろうか?」
「外に控えておりますので、よろしければ今からでも呼ぶことが出来ます」
段取りが良すぎるな感心しつつ「かまわない。呼んでくれ」と命じた。
すぐにプタホテプに続いて、この時代にしては少し太り気味の20代後半の男が入ってきた。
「ネブイ(我が主)、こちらがピラミッド設計主任のマアトカレであります」筆頭書記がその男を紹介した。
すると、俺の許可もなくマアトカレと紹介された男が話し出した。
「王のメル(ピラミッド)は何色が良いですか?」王に対する敬称もなしに、突然話しかけてくるヤツは初めてだった。
プタホテプが真っ青になって「お前!あれほど言ったのに!」横にいる男に文句を言っていた。
そして、俺に頭を深々と下げて、右手でマアトカレの頭を押さえながら、「ネブイ(我が主)、大変失礼いたしました。彼は大変優秀ではあるのですが、それ以外の事は少々足りておらず・・・」
「問題ない。俺も常識には疎いからな。両名とも頭を上げよ」
マアトカレは、ほら見ろと言った表情で「王様は何色がお好きですか?」と再度聞いてきた。
「色の事は次回にしよう。それよりもメル(ピラミッド)について、知りたいことが沢山あるので教えてくれ」
「何でも聞いてください」設計主任は、自信満々に俺を見つめてきた。
「まず、メルで使う予定の石材の総量だ」
「どのような意味でしょうか?」自信に満ちていたマアトカレの顔色が少し戸惑って見えた。
俺は例を挙げて言い直した。「例えば、1段目の横幅が石材10個分だとすると、1段目を作る為に必要な石材数は100個だ。これを運ぶ輸送員の組が10組あるとすると、石材を運び終わるには10回の往復が必要だな」
「おお!王様、素晴らしい計算力です。私の設計班にもここまでの優秀な者は私以外には数名しかいません」
プタホテプが止めようとしていたが、俺はそれを制止した。
「お世辞はいらない。石材の総量を教えてくれ」
「王様は思い違いをされているようで」
俺は何かこの時代の常識とズレているようなので、とりあえず話を聞くためにうなずいた。
マアトカレが続けた。「王宮や神殿などの普通の建物を作るときは、建築前から使用する日干しレンガの個数を計算して、工房にレンガの製作を依頼します。でも、メルのような巨大な物を作るときは違います」
「メルも建築物だから、建築計画を作って必要な資材を準備して、下から順番に作るものだろう?」俺は現代の常識で聞いてみた。
「人が自分たちの思いどおりに作れる建物の大きさは、1ケト(約50 m)までです。王宮も1ケトまでの長さで出来ています」
俺は設計主任の言っていることが理解できなかった。「先王の3つのピラミッドは1ケトを大きく超える大きさで存在するし、2代前のジェセル王の墓も2ケト程の大きさだろう。」
マアトカレは、少し困った顔で「あ、説明不足でした。メルは三角形で基礎にかかる重量が半分になるので、半基底(長辺の半分)で計算します」
そう聞くと確かに、ジェセル王の階段ピラミッドは南北約109mだから、半分にすると1ケトぐらいか。
技術主任は続けた。「スネフェル王の1つ目のメルは、半基底が1ケト以上のサイズを普通の建物と同じ作り方で建築したところ崩壊しました。2つ目のメルは同じぐらいのサイズですが、崩壊を防ぐために途中で角度を変える必要が起きました。どちらも失敗作です」
彼は勝手に、俺の机の上に置いてあったメモ書き用のパピルスに、2つのピラミッドの絵を描いて説明を続けた。
「そして、私の父が作ったのが、スネフェル王の王墓となった3つ目のメルです。この建築には今までと違う方法を試して成功しました」
「どんな方法を使ったのだ?」
「1つ1つの石材を正確なブロック状にして、誤差なく積み上げる従来の手法を止めたのです」
「そんなことをしたら、それこそ、すぐに崩れてしまうだろう」
「人ごときの力ではなく、神の御心に従ったのです」
こいつ、オカルト的な話をし始めるのか?と俺は警戒した。
すると、マアトカレはそれに気づいたようで「言い方が誤解を招いたようですみません。地形の層を剥がして1つの段はそのまま持って来たのです」
(そうか、Wiki ではエジプトの石灰岩の地形は、1mから2m位の層になっていることが多いと書いていたな。)俺は何となく理解した。
「採石場では、積み上げる1段分の広さの倍の面積を測量して、端から1つが2メフ・ネスウト(約1m)四方の石材として切り出します。厚さは地層によって少しずつ違いますが、2メフ・ネスウト(約1m)程度の石が多く取れます」
「そこまで分かっているなら、簡単に各段の石の個数が分かるだろう?」俺は聞かずにいられなかった。
「いいえ、各段の周囲はきっちりと積みますが、内部は余白を残して積んでいきます。私の父は適切な余白の具合を長い経験で編み出して我が家の秘術として残しました」
そうか、日本でも古代から残っている木造建築では、ガッチリと固定せずに余裕を持たせて、地震があると柱は動いて力を逃すんだったな。
「なるほど、そうすれば上からの力や外部からの力がかかっても崩壊しないのだな。そして、その石材間の余白には採石場から出た小石を詰めて安定度を増すのか・・・」
それを聞くと、彼は興奮して叫んだ。「王よ!素晴らしい理解力です」
俺は専門家に褒められて少しうれしかったが、横に立っている筆頭書記のプタホテプは彼の言葉遣いが気に入らないようだった。
「余剰の石材は、傾斜路を作る為の資材としても活用されるので、各段の倍の面積を確保しておくとちょうど良い分量になる事も、我が家の秘術です」マアトカレは早口で説明を続けた。
「秘術をここで話しても良いのかな」おれはニヤリと微笑んだ。
「王のために、スネフェル王の王墓より巨大で厳粛なメルを作り上げて見せます!」
「まだ、色々と聞きたいことがあるが、これからも余のために仕えてくれ」
今日も俺の後ろで控えていた侍女のセネトが、耳元でつぶやいた。「ネブイ(我が主)、この者をセナクト(仲間会議)に招くことに異存はございませんね」
なんだか最近、俺の考えが全てセネトにバレているようで少し怖くなってきたが、笑顔でうなずいた。
よく見ると、セネトが耳元を赤らめて見えたが、夕日の光のせいかもしれなかった。
ギザの地のピラミッド建築現場では測量が終了して、農民が動員できる『氾濫期の初月(9月)』に土木作業が開始された。
作業は重労働だったが、農村から徴用された男たちは『神の施設を建設する聖なる労働』に参加できる誇りに満ちていた。そして、屈強な男たちを見物に来る適齢期の女たち、ヒーローを見るようなキラキラした瞳の子供たちのおかげで、現場には笑い声が絶えなかった。
「労働者村」(Lost City of the Pyramids)は、1988年にマーク・レーナー博士が発掘した、クフ王の時代に実在したピラミッド建築者のための都市です。
そこは墓やゴミ捨て場として使われていた砂漠の空き地で、それまでの考古学者が持っていた「古代エジプトではナイル川の東岸側に生きた人々が住み、西岸側は死者の住む場所」という「常識」を疑ったレーナー博士による30年以上に及んだ執念の発掘作業により、奴隷ではなく普通の人々がピラミッドを建築した事が証明された遺跡です。(すごい人ですね。)
「労働者村」の場所はピラミッドの南東ですが、当時のナイル川の水域とピラミッド周辺の概略図を作成してみました。(緑色の部分です。)
ちなみに、今回、ピラミッドの技術主任が石材の積み方を解説していますが、実際のピラミッドの建築方法は現在のところ、まだ分かっていないので、この部分は生成AIの情報を基にしたフィクションです。




