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第4話 それぞれの想い

 日の登らない暗い時間に、まだ十代になったばかりの若く序列の低い侍女が「王の侍女」と書かれた部屋へ向かう。

 彼女は見習い侍女の教育は終了していたが、まだ任された仕事は少なく、王の侍女を毎朝起こすことが一番重要な仕事だった。

(美しく優しいセネト様の担当になれて良かったわ)


 部屋の扉を静かに開ける彼女は夜勤明けだったが、王の侍女の優しい笑顔が見られると思うと、幸せな気持ちに包まれた。

「王の侍女様、ラーの祝福あれ」まだ幼い侍女は、教わったとおりの口上を述べた。

「私は目覚めています。下がってよろしい」高位の侍女だけが使用できる、上質なベットの上から掛けられた薄手の蚊帳かやにランプの光で出来たセネトの影が映る。

 そして、幼い侍女の顔を確認したセネトは、にこやかに笑顔を見せると立ち上がった。

 毎朝、決まった時間に若い侍女が起こしに来るが、セネトは王の侍女になってから、その前に起きて身支度を終えることが多かった。


 ベッドから立ち上がるとドレッサーに移動して、髪の毛の手入れを始めた。現代のドレッサーと違って正面に大きな鏡はないが、古代エジプトの化粧品の種類は豊富だ。

 髪の毛にくしを通しながら、今までの人生と、ここ数日に自分の身に起きた事を思い出す。


「セネト、良くお聞きなさい。我が王は人知を超えた神の化身であります」教育熱心な母の話が始まった。

「はい、お母さま」素直に聞いていないと話が長くなることを、セネトも近くにいる父も十分知っていた。

「我が家は、その偉大な王の血筋を引いているのです」

 母は確かに王族につらなる出だったが、「血筋」というほどの家系ではないことは、10歳近くになったセネトには十分理解できていたが、毎度の事なので父と共にうなずくしかなかった。

 セネトが10歳になると王宮に侍女として仕官が決まった。

「ああ、愛する我が子よ。やはり神は見ていらっしゃるのです。」と大喜びだった。

 そして、8年ほどの下積みからの努力の日々が評価されて、王の交代と共に「王の侍女」の一人に内定した。

「セネト、2人だけで話があります」

「母上、何でございますか?」セネトは目上の者に対する礼をとる。

「王の侍女とは、偉大なる王様の最も近くで仕える者ですね?」

「はい、おっしゃるとおりです」

「では、私に考えがあります」母はセネトに近づくと耳元で「王の子をもうけなさい」

「・・・」セネトは驚いて絶句した。

「側室にお取り立て頂くのです。私も昔の王宮の知り合いに接触してみます」

(あれから、優しかった母は変わってしまって・・・)

 彼女の父は王家から少し遠い血筋の出だったので、母の意向を無視できない。

 家庭の中での唯一の味方は2つ下の弟だけだった。


 初めて王の侍女として勤務した時の事は忘れられない。

 神の化身である王の顔を直接見ることは、強い畏敬の心を持っていた彼女には難しかった。その中で一瞬見えた彼女を見る王の瞳は、まるで王宮の壁を見るような空虚な物だった。

 もちろん、侍女であるセネトから王に話しかけることは出来なかったし、母の期待に応えるようなことは何もできなかった。

(これで良かったんだわ)セネトは自分で納得する日々だった。


 それが、太陽が隠れたあの日、王の様子が変化したのだ。

 「我らの王が倒れたらしい・・・」

 普段は下目遣いで静かに歩いている侍女たちも、噂好きの女性の集まりなので、どこかから仕入れた王の具合の話でもちきりだった。

 セネトはまだ18歳だが、王の侍女として若い侍女たちを指導する立場だ。

「我らの王の健康については、最高の秘すべき内容です。外部に聞こえた場合の罰はご存じですね?」

「・・・」

 十代前半の若い侍女たちは、セネトの言葉を聞いただけで顔面蒼白になって静かになった。

 もちろん、王の健康の秘密を外部に漏らしたら鞭打ち以上の刑になる事は、王宮内では誰でも知っていた。


 セネトは王の体調不良のうわさを聞いても、どこか他人事のように感じていた。

(あの空虚な目を思い出すと・・・)

 王が倒れたと聞いた日は、宰相と祈祷師以外の王の身の回りを担当する者の仕事は休みになった。


 次の日に、いつもの時間に日の出前の王の身支度のためにセネトが王の寝室に入ると世界が一変した。

 普段なら何も会話がなく、黙々と進める王の身の回りの世話が、その日は違っていた。

「ありがとう」王はにこやかに語りかけてきた。

 セネトは何が起きたのか理解が出来なかったが、王の口から真実を聞くことが出来た。

「私は昨日、大いなる意思により、この国に導かれた。新しい魂が入ったことで、以前の王の記憶は失われた」

 王の瞳を見るとその言葉に嘘はなく、表情からも親しみを込めて語りかけてくれていることが分かった。


 セネトは、「記憶を失った王」が、毎日行われる朝の祈りの場への行き方も分からなくなってしまっていたので、中庭の王専用の祈りの場に案内した。

 そして、(王族にとっては)軽めの朝食の準備を食事係の侍女に指示をして、いつものように王のすぐ後ろに控えていた。

「ネブイ(我が主)、朝の食事のご用意が出来ました。」

 クフ王に代替わりしてからの指示で、朝食には先王の時代のような豪華な献立ではなく、食べきれる程度の量のパンとビール(当時の麦芽飲料)、果物が並んでいた。

 王は、宮殿のパン職人が早朝から心を込めて焼いた、美しく美味なパンを手でちぎって口に運んだ。

「うん、今日のパンもうまいな」

 他の離れた場所にいる侍女や侍従には聞こえない、小さな声が聞こえた。

 その時に、クフ王が自分の弟と同じような人懐っこい笑顔を見せた。

 その一瞬で、セネトの心の中に「神」ではなく「ひとりの人」として王を意識し始めた。

 セネトの心の中では戸惑いながらも、王への接し方に迷いが生じ始めた。


挿絵(By みてみん)


__________


 プタホテプは、興奮しながら王の執務室から速足で出てきたが、周りに変に思われないように、すぐにゆっくりと歩いて自室に戻って先ほどの事を思い出した。


 王の執務室で王の侍女から「我らの王は、以前からあなたの働きに注目されていました。本日は、王族並みの対応を希望されています」と言われた。

(王族並み?って、どういう意味だろうか。)

 確かに、並みの書記の家系の出なのに人より何倍も努力して、20代後半と言う年齢で筆頭書記に上り詰めた時には、毎日が輝いて見えていた。

 しかし、それも長く続くことなく年齢が上なのに部下となった書記たちの妬みや、仕えるべき王からの自分を人間とは思っていないような態度を疑問に思い、今後の仕事について暗い気持ちを持っていた。

 でも、神の化身である王に対して、そんな考えを持っていることは誰にも相談できなかった。


 対応に迷っているうちに、王から「色々と聞きたいことがあるので、皆の話し方に合わせることにする」と穏やかに話しかけられた。「王族並み」とは私が王と直接話をすることが叶うという意味だったのだ。

 さらに王は「我の話は、立ち上がって対応せよ」と、目線まで同じ位置で話すことを希望されたのだ!

 その後に王に対して報告した内容は緊張のあまり良く覚えていないが、一番の得意分野について聞かれたので、万に一つも間違うはずがなかった。

 最後に王は、今までとは全然違う温かみのある表情で「プタホテプよ、今後も色々と知りたいことがあるので、余のために努めるようにせよ」と王宮で他の者にしたことがない指示をされたのだ。


 プタホテプは、この時から王の真摯な言葉に触れて、初めて「自分は替えの利く駒」から「人として必要とされている」と実感できるようになった。

(よし、初心に帰って、もう一度全力で頑張ってみよう。まずは、王の侍女から王が何をご所望か探ってみよう。)


 王宮の宰相の部屋の次に位置する部屋の住人である、侍女長への予約を取り付けたプタホテプは、ドアを開く。

「侍女長様、筆頭書記のプタホテプです」

「何の御用ですか?」40近い年齢と聞いているが、侍女長は涼しい見た目の美しい女性だ。

「先日、王から資料の提出を求められました。その詳細については「王の侍女」様に尋ねるよう指示を受けました」

「分かりました。侍女長として最大限のご協力をお約束いたします」

「それでは、業務で必要な場合に王の侍女様と面談する許可を頂きたいのです」

「私からセネトには指示をしておきます」上品な角度でうなずいた。


(筆頭書記と言っても男性なので変な誤解を招かない様に、侍女長を通して許可をもらうのが安全だろう)

 こうして、プタホテプとセネトによる王の私設応援団となる「セナクト(仲間会議)」が、王宮の休憩所の片隅の机の上で始まった。


挿絵(By みてみん)


古代エジプトの主食は、ナイル川で取れた麦で作ったパンとビールでした。

これは品質が違うだけで、王も庶民も同じです。


この時代のパンは現代人が食べても非常においしいそうで、2012年に河江 肖剰教授が日清製粉の協力で当時のレシピを再現して試食しています。

ちなみに、庶民が食べていた壺で焼いたパンを再現したら、カロリーが1個で 1万kカロリーでした。(成人男性の1日のカロリーの4倍!)


そして、ビールは、このパンと天然酵母を水につけて発酵させたもので、濁った麦芽飲料です。(ミロみたいな感じですね。)アルコール度数が低くて栄養豊富なので、大人から子供まで飲む日本の味噌汁のような万能食品でした。


ちなみに、生成AI に食事のマナーを調べてもらったら、ナイフとホークは無いので食事は右手だけで食べていたようですが、王のかわいらしさ?を出すために挿絵では両手で食べています。

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