第3章1節:仮説と実験の提案
ボルツ村長との対話の後、私は改めてミストウッド村が抱える問題について深く思考を巡らせていた。
不作と影狼。どちらも村の存続に関わる深刻な問題だ。村長は私の知恵に期待を寄せているようだが、それは私が何か特別な力を持っていると誤解しているからかもしれない。私にあるのは、観察し、分析し、論理的に推論する力だけだ。
しかし、それだけでも、あるいはそれだからこそ、貢献できることがあるかもしれない。
「ボルツ村長」
翌日、私は村長を訪ねた。マルクも隣に控えている。
「昨晩のお話についてですが、不作の問題について、私なりに考えたことがあります。もしよろしければ、もう少し詳しく畑の状況を観察させていただき、原因究明の一助となるような試みをご提案させて頂いてもよろしいでしょうか?」
私の申し出に、ボルツ村長は少し驚いた顔をしたが、すぐに険しい表情に戻った。
「…ほう。原因究明の試み、だと? 精霊様のお怒りが原因だというのにか?」
「精霊様のお怒りという可能性を否定するものではありません」
私は慎重に言葉を選んだ。
「しかし、そのお怒りが、具体的にどのような形で現象として現れているのか、そして、もし我々人間の側に改善できる点があるのなら、それを見つけ出す努力をすることもまた、精霊様への誠意を示すことになるのではないでしょうか?」
私の言葉に、ボルツ村長はぐっと押し黙った。
彼の内心で、伝統的な信仰と、目の前の現実的な問題解決への期待がせめぎ合っているのが見て取れる。
「…わかった」
しばらくして、彼は重々しく頷いた。
「お前の言うことにも一理あるかもしれん。好きにしてみろ。ただし、マルクを必ず同行させ、村人たちを無用に刺激するような言動は慎め。それと、どんな結果になろうとも、責任はお前が取る覚悟はあるのだろうな?」
「もちろんです。私の提案が原因で、事態が悪化するようなことがあれば、その責任は私が負います」
私はきっぱりと答えた。
責任。
これもまた、重い哲学的概念だ。
許可を得て、私はマルクと共に再び村の畑へと向かった。今回は、より詳細な観察を目的としていた。
いくつかの畑を回り、土を実際に手に取ってみる。色は全体的に白っぽく、乾燥してパサパサしている印象だ。水を撒いても、すぐに染み込まず表面を流れてしまう場所もある。これは、土壌の有機物が不足し、保水力が低下している兆候かもしれない。
次に、病気に罹っている作物を注意深く観察する。葉には茶色や黒の斑点が広がり、ひどいものは枯れ落ちている。特定の種類の作物に、特に被害が集中しているようにも見えた。これは、特定の病原菌がその作物を好み、蔓延している可能性を示唆している。
農夫たちにも話を聞いた。やはり、多くの畑で長年同じ作物を育て続けている(連作)ことが分かった。肥料は、家畜の糞などを少量使うこともあるが、体系的な土壌管理という意識は薄いようだった。病気に対しては、祈祷やまじないに頼ることがほとんどで、物理的な対策(病葉の除去など)は行われていない。
観察と聞き取りを終え、小屋に戻った私の頭の中では、仮説がより明確な形を取り始めていた。
――原因は、連作による土壌養分の偏りと枯渇、そして特定の病害の蔓延。
これらが複合的に作用し、作物の生育を阻害している。精霊の怒り云々は、この結果に対する彼らなりの解釈に過ぎないだろう。
問題は、これをどう証明し、対策を実行に移すかだ。
前世の知識が役立つかもしれない。輪作、緑肥、堆肥による土壌改良。病害対策としては、抵抗性のある品種の導入(それはすぐには無理だろうが)、あるいは単純だが効果的な病葉の除去や焼却。
しかし、これらの方法をそのまま提案しても、すぐには受け入れられないだろう。彼らの信仰心を考慮しつつ、段階的に導入する必要がある。
「ボルツ村長」
私は再び村長のもとを訪れた。
「畑を観察させていただき、いくつか気づいた点と、試してみたいことがあります」
私は、土壌の状態や病気の蔓延状況について、観察結果を客観的に報告した。
そして、連作による土壌疲弊と病害の可能性という仮説を、(精霊への言及は避けつつ)慎重に提示した。
「そこで、ご提案なのですが」
私は続けた。
「原因を特定し、改善策を探るために、いくつかの畑で『小さな実験』をさせていただけないでしょうか?」
「実験、だと?」
ボルツ村長は訝しげな顔をした。
「はい。例えば、畑の一区画だけ、これまでとは違う種類の作物……たとえば豆類など、土壌を豊かにするとされるものですね……を植えてみる。あるいは、別の区画では、土に枯れ葉や家畜の糞をよく混ぜ込み、土壌改良を試みる。また、病気が見られる葉を、早期に丁寧に取り除き、畑の外で焼却する。これらの試みを、通常のやり方と比較するのです」
私は言葉を加えた。
「これは、土の精霊様が好まれる豊かな土壌を取り戻し、作物を健やかに育むための、我々なりの努力と工夫を示す試みとも言えます。もし、これらの試みで僅かでも改善が見られれば、それは我々の努力の方向性が間違っていないことの証となり、今後の対策を考える上で大きな手がかりになるはずです」
精霊への配慮を滲ませつつ、あくまで論理的な実験計画を提示する。ボルツ村長は、私の言葉を聞きながら、深く考え込んでいた。彼の表情は、依然として厳しい。しかし、その奥に、わずかな希望、あるいは賭けてみようという気持ちが揺らめいているようにも見えた。