第2章2節:異質なる対話者
「ごもっともな問いです」
私は静かに頷いた。
「正直に申し上げますと、私自身、なぜ一人で森にいたのか、明確な記憶がないのです。気がついた時には、森の中で独りでした。仲間がいたのかどうかも、定かではありません」
これは、事実だ。転生前の記憶はあるが、この肉体として森に現れた経緯は不明なのだから。
「記憶がない、だと?」
村長は疑わしげに目を細めた。
「そんな都合の良い話があるものか」
周囲の村人たちも、ざわざわと不信の声を上げ始める。
「やはり怪しいぞ」
「森の魔物にでも操られているんじゃないか?」
ふむ。記憶喪失という説明は、かえって疑念を深めたようだ。これもまた、一つの学びだ。人というものは、理解できない事象に対して、しばしば否定的な解釈を加えがちだ。
「都合が良い、とお感じになるのは理解できます」
私は再び口を開いた。
「しかし、それが現時点で私がお伝えできる、偽りのない事実なのです。信じていただけないかもしれませんが、私に貴方がたを害する意図は毛頭ありません。ただ、状況を理解し、可能であれば、しばし休息を頂けないかと考えておりました」
私の淡々とした、しかし真摯さを込めた(つもりの)言葉に、村長はしばらく沈黙した。彼は、私の目をじっと見つめ、何かを探るような仕草を見せる。その視線は鋭いが、単なる敵意だけではない、複雑な感情が混じっているように感じられた。
やがて、彼は重々しく口を開いた。
「…ふん。エルフというのは、もっと高慢で、人間を見下しているものだとばかり思っていたが…お前のような変わった者もいるのか」
その言葉には、長年抱いてきたであろうエルフへの偏見と、目の前の現実とのギャップに対する戸惑いが滲んでいた。
「ボルツ村長、しかし…」
隣にいた屈強な男が何か言いかけたが、ボルツと呼ばれた村長はそれを手で制した。
「まあ待て。害意がない、と言うのは本当かもしれん。少なくとも、今のところはな」
彼は再び私に向き直った。
「だが、素性の知れぬ者を、そう易々と村に入れるわけにはいかん。特に、この時期はな…」
「この時期、ですか?」
私は問い返した。何か、村特有の事情があるのだろうか。
ボルツ村長は、僅かに顔を顰めた。
「そうだ。…不作続きでな。皆、食うものにも困り始めている。それに、最近は森の魔獣…特に、『影狼』の動きが活発で、村の近くまで現れる始末だ。皆、気が立っている」
なるほど。生存への脅威。それが、彼らの警戒心を増幅させている要因の一つか。論理的な繋がりが見えてきた。
「それは、由々しき事態ですね」私は同情、というよりも、事実認識として頷いた。「そのような状況とは存じ上げず、配慮に欠けた申し出でありましたら、お詫びいたします」
私のその言葉に、ボルツ村長は少し意表を突かれたようだった。彼は小さく咳払いをした。
「…いや、詫びる必要はない。知らなかったのなら仕方あるまい」
彼は少し考え込むように腕を組み、やがて結論を出した。
「よし。ナギ、と言ったな。ひとまず、お前を村の空き小屋に案内しよう。だが、勝手な行動は許さん。我々の監視下にいてもらう。それでよければ、一時的な滞在を認めよう。それで不満か?」
願ってもない申し出だった。情報収集の機会が得られる上に、最低限の安全も確保される。
「感謝いたします、ボルツ村長。その条件で、何ら不満はございません。ご配慮、痛み入ります」
私は丁寧に頭を下げた。
私のその反応に、ボルツ村長は再び少し驚いたような顔をしたが、すぐに厳格な表情に戻り、近くの若者に指示を出した。
「マルク、西の空き小屋へ案内してやれ。それと、何か食べるものを少し分けてやれ。ただし、見張りは怠るなよ」
「は、はい!」
マルクと呼ばれた若者は、緊張した面持ちで頷いた。
こうして、私は異世界の村での、最初の足がかりを得ることになった。ボルツ村長の言う「不作」と「魔獣」。それらは、この村が直面している具体的な問題だ。そして、それは私にとって、新たな「問い」と、思考を実践する機会となるのかもしれない。