第1章2節: 外界との接触と最初の実践
立ち上がってみると、視界の高さにも慣れないものを感じた。前世の記憶にある自身の身長よりも、明らかに低い。そして、やはり軽い。一歩踏み出すごとに、まるで身体が浮いているかのような錯覚を覚える。これがエルフという種族の特性なのだろうか? あるいは、単に若さゆえの身軽さか。これもまた、観察と考察の対象だ。
森の中は、静かでありながら、生命の気配に満ちていた。見たこともない形状の植物、色鮮やかな鳥、奇妙な鳴き声を発する小動物。そのすべてが、私の知的好奇心を刺激する。私は、系統的な観察を始めた。植物の葉の形、幹の質感、土壌の色、風向き、太陽の位置。可能な限りの情報を収集し、記憶し、分析する。
しばらく歩くと、不意に腹のあたりから奇妙な感覚が湧き上がってきた。
――空腹感。
実に、久しぶりの感覚だった。前世の晩年は、食欲も減退し、生命維持に必要な最低限の栄養を摂取するだけの日々だったからだ。この若い肉体は、明確にエネルギーを要求している。
「なるほど、これもまた生物としての基本的な欲求か」
空腹という生理現象ですら、今の私にとっては新鮮な考察対象となる。この欲求にいかに応えるか。これもまた、実践的な哲学の問題だ。
周囲を見渡す。食べられそうなものはあるだろうか? 前世の知識は、この世界の植物の安全性については何の保証もしてくれない。毒を持つ植物も多いだろう。下手に口にするのは危険だ。
論理的に考えよう。
第一に、動物が食べているものは、人間にとっても安全である可能性が高い。ただし、種による代謝の違いもあるため、絶対ではない。
第二に、水は生命維持に不可欠だ。幸い、先ほどの泉があった。水の確保は優先事項となる。
第三に、木の実や果実のようなものは、比較的判別しやすいかもしれない。
私は、小動物や鳥の行動を注意深く観察し始めた。彼らが何を口にし、何を避けているか。赤い木の実を啄む鳥を見つけた。その木の実を、注意深く観察する。形状、色、匂い。私が知るどの果実とも似ていない。だが、鳥が複数、明らかにそれを食料としている。
少量ならば、試してみる価値はあるかもしれない。リスクはあるが、行動しなければ何も得られない。これもまた、決断と責任の問題だ。
私は、その赤い木の実を一つだけ採取した。まずは匂いを嗅ぎ、次に僅かに皮を舐めてみる。特に刺激はない。意を決して、ごく少量だけ口に含み、ゆっくりと咀嚼する。甘酸っぱい味が口の中に広がった。
しばらく様子を見る。身体に異変はないようだ。
どうやら、これは安全な食料らしい。安堵、というよりも、仮説が検証されたことに対する知的な満足感を覚えた。
その後も、同様の方法でいくつかの食料候補を見つけ、水の補給も行った。森の中での生存は、知識と観察、そして論理的な判断力があれば、不可能ではないようだ。
ふと、足元で何かが動いた。
見ると、拳ほどの大きさの、紫色の甲殻を持つ虫が、ゆっくりと此方に向かってきている。その形状は、前世のどの昆虫とも異なり、明らかに異様だ。特に、その顎と思しき部分が鋭く、威嚇するように開閉している。
危険かもしれない。
身体は、僅かに硬直した。これが、恐怖、という感情に由来する身体反応か。興味深い。しかし、思考は冷静だった。
この虫の行動原理は何か? 縄張り意識か、あるいは私を捕食対象と見なしているのか? 大きさから考えて、致命的な脅威とは考えにくいが、毒を持つ可能性は否定できない。
最善の選択は、争いを避けることだ。
私は、虫の進行方向から静かに身を引いた。虫は、しばらく私のいた場所をうろついた後、興味を失ったかのように別の方向へと去っていった。
「ふむ。観察と回避。これもまた、有効な生存戦略の一つか」
この森での一つ一つの出来事が、私にとっては実践的な哲学の演習のようだ。知識を応用し、観察し、分析し、判断し、行動する。そして、その結果から学び、次の行動へと繋げる。生きることそのものが、思考の実践であり、問いへの応答なのだ。
この身体は非力だが、この精神は健在だ。いや、むしろ、前世以上に冴え渡っている感覚すらある。この新たな生は、困難であると同時に、この上なく刺激的な探求の機会を与えてくれているのかもしれない。