第4章2節:知恵の砦、築かれる
その夜から、ミストウッド村は総力を挙げて影狼対策の準備に取り掛かった。恐怖に震えていた時間は終わり、今は生き残るための具体的な作業が、村人たちを突き動かしていた。
ゲルド老人率いる狩人たちは、経験と勘を頼りに、村の周囲の地形を調べ、影狼が通りそうな獣道や、死角になりやすい場所に、巧妙な罠を仕掛けていった。簡単な落とし穴、足を引っかける蔓の輪、そして、踏むと大きな音を立てるように木の板と石を組み合わせた原始的な警報装置。数は多くないが、無いよりは遥かにましだ。
マルクと若者たちは、夜を徹して薪を集め、村の周囲に等間隔で大きな篝火の準備を進めた。松明も大量に用意され、夜間の見張りと、いざという時の武器(威嚇用)として備えられた。
女性たちや子供たちも、できることをしていた。食料や水を備蓄し、ボルツ村長が指定した石造りの倉庫を避難場所として整頓し、怪我に備えて薬草や布を用意した。不安な表情の中にも、皆で困難に立ち向かおうという連帯感が生まれていた。
私は、特定の作業に直接加わることはなかったが、各所の準備状況を見て回り、論理的な観点から気づいた点をアドバイスした。
「ゲルドさん、その落とし穴ですが、深さも重要ですが、底に尖らせた木の枝などを仕込むよりも、単に深く掘って脱出困難にする方が、彼らを殺傷せずに足止めするという目的に適っているかもしれません。血の匂いは、他の影狼を呼び寄せる危険性があります」
「マルクさん、篝火の配置ですが、風向きを考慮に入れると、より効率的に煙や火の粉を森の方向へ流し、忌避効果を高められる可能性があります」
「避難場所の準備をされている皆さん、入り口の barricade は、単純な積み上げだけでなく、内側から突っ張り棒などで補強すると、より強度が増します」
私の助言は、前世の知識(物理学、工学の初歩、あるいは単なる論理的思考)に基づいたものだったが、この世界の村人たちにとっては新鮮な視点だったようだ。彼らは、私の言葉に熱心に耳を傾け、可能な範囲で取り入れてくれた。
そんな中、エルザ老婆の一派は、この動きに冷ややかな視線を送っていた。彼らは、村の準備作業には加わらず、集落の片隅にある小さな祠に集まり、何やら祈祷を行っていた。
「あんな付け焼き刃の策で、影狼が防げるものか」
「精霊様の怒りに触れた結果だというのに…余計なことを」
彼らの声は、準備に沸く村の中では小さく、かき消されがちだったが、不協和音として存在し続けていた。ボルツ村長は、彼らを説得しようとはせず、今は目の前の脅威への対策を優先する構えのようだった。これもまた、集団における現実的な判断なのだろう。
陽動策については、実行が難しかった。彼らが嫌う音や光を安定して発生させる装置を作るには、材料も知識も不足していた。そのため、今回は見送ることになった。
準備が整い始めたのは、翌日の夕刻だった。村の周囲には、十数箇所の大きな篝火が設置され、いくつかの罠が仕掛けられた。石造りの倉庫は、簡単な barricade で補強され、避難準備も整った。村の男たちは、松明と粗末な武器を手に、見張り台や要所に配置についた。
日が落ち、空が深い藍色に染まる頃、村全体が異様な緊張感に包まれた。風が止み、森が不気味なほど静まり返っている。
「…来るぞ」
見張り台の一つから、かすれた声が響いた。
遠くの森の闇から、複数の赤い光点が、ゆらゆらと現れた。それは、ゆっくりと数を増し、村を半円状に取り囲むように広がっていく。
影狼の、目だ。
ボルツ村長の合図で、村の周囲の篝火に一斉に火が入れられた。炎は勢いよく燃え上がり、闇を切り裂いて村の周囲を明るく照らし出した。パチパチと薪がはぜる音と、炎の熱気が、村を守る砦のように感じられた。
赤い光点は、篝火の光を警戒するように、一定の距離を保ったまま動きを止めた。森の端から、低く唸るような声が聞こえてくる。威嚇であり、仲間との合図でもあるのだろう。
知恵と工夫で築かれた、ミストウッド村のささやかな砦。それが、飢えた魔獣の群れに対して、どれほどの効果を発揮するのか。固唾を飲んで見守る村人たちの心臓の音が、やけに大きく聞こえた。




