折旅 (8)
楽園が舞い降りた、それだけは確実に言えます。この静謐な空間をみごと席巻したのは、紛れもない彼女であったのです。僥倖が指差す印は、まさに私のみへと向けられていた。また、際立って示されるその存在は、私の眼と脳に激しい刺激を齎し、そして興奮を与えたのだ。それは今までの雪辱を払拭させる程に、そして、これからの路を指し示すターニングポイントになる程に、属人的だった我が人生にたった一つの確かな糸を贈答したのです。屡次に及ぶ災難とは全くの別物、いえ、寧ろこれは賜物なのです。そうです。私は今、この出会いにどうしようもないほどに雀躍しているのです。
「じょ...じょ...女子高生だあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!。」
「やっっっっば!!!!。嘘?!?!?!。学生服着てるし、何よりバッグも買い物とかで使うやつじゃない!!!。うん、コスプレじゃない、マジモンの女子高生だぁぁぁぁ!!!。ポニーテール、パッツパツの学生服、そしてあり得ない程に整ったあの顔つき...。クソ!!!。何て凛々しいんだ!。何て美しいんだ!。何でこんなに眩しいんだぁぁぁぁ!!!。」
齷齪と彷徨うだけ、然し、その行動の全ては、こうして真っ当に生きる彼女の陽光を拝む為であったのだと理解しました。結果と過程は直通している。そこに喜びも憂いもついて回ってくる。絶望だけ視認していた私にとっては、この場にて答案と邂逅する事に驚きと違和感を得ました。いや、いっそのこと、これは神からの慰安なのかもしれません。こんなタイミングで会う事だなんてまず無いでしょう。もしかしたら、神様が私に対し救済を贈答しているのだと、そういう事なのかもしれません。
「...はっ!」
彼女の美しさに見惚れていたのは、秒数にして約2秒と言った所でしょう。なに?。2秒にしては喋り過ぎじゃないかって?。大体皆口語化できないだけであって脳内ではこれぐらい喋ってますよ。別にアニメや漫画に限った話じゃないです。まぁとにかく、私はさっと我に返りました。
「冷静に考えたらやばいよな...。」
「女子高生だなんて言ってたけど、要は歳が近いって事だもんな...。色々と考え方が似てるって事だろうし。」
お婆ちゃん同士なら、この光景を知ってもなんとも思わないでしょうが、高校生なら訝しむでしょうよ。だって子供とは言え全く知らない人なんですからね。むしろ、こちら側がお婆ちゃんに誑かしたんじゃないかとか言ってきそうじゃないですか。というか常識のある青年なら絶対にそう言いますよ。こっちが何か悪い事を企んでいるかもって、向こうからしたらそう見えるじゃないですか。セリフにしてみればこんなもんですよ。
「お婆ちゃん...あの子誰なの?。」
「あぁあの子かい?。いやぁかっこいいしお利口さんなもんだから、もうイチコロになった訳よぉ。」
「見てみいやぁ。アイス奢ったってんやんか。今あーやってちびちび食べとるやろう?。」
「お婆ちゃん...。あの子、絶対この辺りどころかこの地区に縁すらないと思うよ。」
「まぁ、そりゃそうやろうけどなぁ。でもまぁ、折角ここまで足運んできたんやから何か振る舞ったげんとあかんやろう。」
「そうそう、そこなんだよお婆ちゃん。真っ昼間で彷徨いてた子供をご飯に誘ったんでしょ?。」
「おかしいと思わない?。この時期、この時間で、小中学生の子が学校以外にいるってあんまりないじゃない。」
「いやいやぁ。そらこの地区の子じゃないんやからぁ事情とか都合も変わってくるやろうよ。」
「お婆ちゃん、もう一度あの子をよく見てみてよ。」
「...。」
「私の知ってる子でも、あんな見窄らしい服着てる子なんていないわ。」
「確かに...ボロッボロやなぁ。親があかん奴って事なんかなぁ。」
「いいえ。それに見てよ、マナーだってまるでなってないじゃない。」
「あ!。食事中やってのにケータイ見とる...!。アイスもゆーて手ぇつけてないやんか!。」
「お婆ちゃん...。これ以上関わるのはやめた方が良いと思うよ。あんな状態でさ、親が悪いなって結論づけるのも違うと思うんだ。」
「断る選択を取らなかった以上、向こうも何かしら持ってる可能性も否めないよ。ほら見てよあの顔、ろくでなしの顔じゃない。」
「...はぁ、相手間違えてしもうたわ...。」
「だから言ってるじゃない。見ず知らずの子に食べ物あげないでって!。野生動物と一緒!。可哀想に見えても、中にはそれを逆手に取る奴だっているの!。」
「まぁ確かに、あたしが知らない雰囲気を感じるのよねぇ。なんかこう、本当は貧乏じゃないっていうか...。」
「こんな事言うのもどうかと思うけど、あいつ、将来ニートになるような人に見える。というか絶対にそうでしょ。」
「全く、あんたはいっつもハッキリ言うわなぁ。聴こえてたりでもしたらどうすんねんやぁ。」
「別にいいよあんな奴。少なくとも、良い人ではないって言うのは見て分かるじゃない。」
って言って、こちらに対する愚痴だのなんだのを敢えて聞かせるんですよ。
「そして...。」
「坊や、ちょっと良いかな。」
「え?。」
「悪いけど、帰ってくれないかな。」
「え...え?。ちょ、ちょっと、何言ってるんですか?!。」
「...あのお婆ちゃんに連れられてここに来たんでしょ?。」
「は...はい、そうですけど。」
「お婆ちゃんね、期待してたんだよ。」
「えっ...。」
「君が想像通りの男の子である事を望んでいたの。分かる?。」
「...何言ってるのか分かんないよ...。」
「君の住んでる街じゃ誰も咎めないんだろうけどさ、おかしいと思わなかったのかな。」
「...だからなにを!。」
「...帰って。君をこの街に受け入れたくないの。」
「意味がわからないんだよ!!!。だったらお前が引き取ってくれるのかよ!!!。」
「お婆ちゃんも本心だったの。綺麗な本心で君を招き入れたの。でも君は違った。穢れた本心でそれを甘受したの。」
「だからね...気色悪いんだよ...!。」
「黙れよ...!!!。うるさいよ...!!!。」
「...あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ....。」
シナリオが全て見えたんです。それも、最悪のシナリオが。今までなんなくしてた行動が全て裏目に出て、僕への眷顧が嫌悪に切り替わるのです。そして、その時僕を見つめるあの薄ら目は、妄想だけでもはっきり浮かび上がるぐらい辛いものなのです。もはや人を見る目じゃない、人型の何かを見ているような目つきで、僕を蔑むんです。そう、辟易するのです。
「...ひいぃぃっ!!!。」
冷静に考えれば、これは異常事態なのです。あり得ない事象です。少なくとも、田舎じゃなきゃこんな事許される訳ないです。田舎だから許された話なのです。お婆ちゃんの要件を甘んじて受け入れなければ、今、こんな辛い思いをする必要も無かったのです。
「そうだ...。女子高生だーって喜んでたけど、歳が近いって事は共通の感覚だって有してる可能性もあるって事じゃん...。」
少なくとも自分自身、お婆ちゃんみたいな朗らかな人からそんな話されたらどんだけ仲良くても疑っちゃいますよ。例えお婆ちゃんとどんだけ仲良くってもね。だって人間ってある程度関わらないと本心なんて分からないんですし。
「...そうだ。来た事そのものに問題は無かったんだ...。来てからの選択を間違えただけに過ぎないんだ...。」
彼女だって、それは同じな筈です。あそこまではいかないとしても、この状況を本心から笑って見守ってくれるだなんてありうる訳がない。
「帰ろう...。帰れば良いんだろ...?。」
とっととこのアイスを平らげて、お婆ちゃんと彼女が談笑している中しれーっと引き上げれば問題などない。そうすればいつもの自分へ、そして理想の旅へと回帰できる。こんな赤っ恥をかくようなハプニングなんざハナから求めちゃいないんだ。これ以上の屈辱を味わうだなんてまっぴらごめんだ。
「...ご馳走様でした。」
甘い蜜には罠がある。まぁ今回の場合はそのまま行けば良かったものの、部外者が乱入してきたが故に起こった事象なんですが、取り敢えずはそういう事です。今抱く深い後悔も、やがて教訓へとじわじわ変化していくのです。そう、後悔は人生の是正措置なのです。遭いたくなかった、この一言に尽きるのですが、こればっかりは自身の弱い心が招いた問題なのです。誰よりも自分自身を第一に責めなければなりません。
私はそっと立ち上がり、リュックを肩にかけました。なんとかずらかろうと画策したのです。大通りの片隅でひっそり帰路に付く鼠の様に、私は辟易と所望を従え逃走するのです。それも、とっておきの義侠心を示しながらね。
「いけるか...。」
あの状況なら、今抜け出したってバレやしない。見てみろ、バカみたいに話し合っていやがる。自分ら以外に人がいる事も忘れて高笑いしている。後悔もこれ以上は深くならない。痛くならない。変に大きな音を出さない限り、彼女らは僕がいなくなっている事に気づきはしない。というより、物を割ったりだとか、そういう事じゃない限り彼女らは反応すらしないだろう。
「...。」
顔を顰めた。よく考えたらお婆ちゃんだってそうじゃないか。顔で相手を判断したんだ。何も内面に触れるような事など何一つ言っていない。でも無垢な僕には、それが救済の様に思えたんだ。いや、思わせたのだ。なんてあくどいのだ。なんて姑息なのだ。下唇を噛んで、僕は元凶であるお婆ちゃんをひっそり睨んだ。
「くそっ...。」
居ても立ってもいられない気持ちで、私は小売店を後にしようとした。もう用はないから、もう、教訓を得たのだから。
「あ...ちょっと待ってよ!。」
然し、僕は悲しい事に無垢のままであった。教訓を活かす事などできなかったのだ。
「...なんですか。」
声をかけられた以上、返事をする他ない。これは一般的な常識であるのだが、その結果痛手を喰らうハメになったのだ。にも関わらず、僕はまた汚れる選択を取らなかった。善人でいる事に拘泥したのだ。
なんと情けない。そう自嘲するよ。
「しれーっと帰らないでよ!。びっくりしちゃったじゃん!。」
「あぁ...。」
微かな息がそっと漏れる様に、私は掠れた声で彼女に応対します。彼女の目は真っ直ぐこちらを凝視しており、とても好奇心に溢れてるかのように見えます。少なくとも、僕への侮蔑を現した目ではありませんでした。
「...やめてくださいよ。僕は帰るだけですから。」
僕は人を簡単に信用しないと、そう固く誓ったのです。本能から直感的に彼女の本質を理解できたとしても、それを論理化する事も、擁護する事もできはしません。その後の未来が明るい事も暗い事も分かりません。ただ、僕はこれ以上の未知に触れたくないだけ。今知っている選択だけを取って知っている結果を受容すれば良い。その方が余計な負担もかからないし、晴れやかな気持ちで過去から背を向けられるのだ。
「だから...僕はもう良いんです。」
だから、これ以上踏み込む訳にはいかない。これ以上の未知を知りたくないんだ。
「...ボク、どうしたの?。」