折旅 (7)
学校終わりの人かと思われたのでしょうか。いきなり自分に向け声をかけられました。田舎だと割とあるらしいですけど、いざ起きると本当にびっくりします。
「...。」
顔を上げます。目の前には、さっき私に呼び掛けたと思われるお婆ちゃんが一人佇んでいました。当然面識なんかないです。私、記憶だけはちゃんとしてますから、一回でも話し合ったりした人の顔はちゃんと覚えてますよ。でも覚えていないから、本当に知らない人なんです。でも、私に確実にさっきの呼び掛けが投げかけられたのです。なんせこんな静かな街です。周りに人なんか全くいません。あの呼び掛けが自分に向けられたものだってすぐに理解できましたよ。
「あえ...。」
でも理由がないじゃないですか。よーっすって返事するより先に驚きですよ。”何か落とし物でもしたのかな”とか”キャッチセールスなのかな”とか、もしくは、私が不審者に見えたから、とか絶対にこんな街じゃあり得ないじゃないですか。まぁ最後以外はですけど。正直凄い怖いです。
「あんたどっから来たんや。この辺りの子ぉちゃうやろ?。」
「えぇっ...。」
やっぱ顔で分かるんですかね。もしくはこの地区の子供は皆ちゃんと学校に行ってるから?。まぁ恐らく前者かと思われますが、長く住んでいるが故に周りの人の事をとにかく知り尽くしているのでしょう。
「そうですね...。」
私は少し怯えながらにそう返しました。驚きはありますが、納得の感情の方が大きかったと思います。確かに私はこの地区の人どころかこの県の人ですらありませんし、この場所に来た事も初めてです。気付かない内にオドオドしていてお婆ちゃん外様だっていうのを悟られたのかもしれません。
「...あんた。」
ゴクリ。と固唾を飲んで次なる言葉を待ちます。田舎のお婆ちゃんとは言えど、知らない人と言うのは事実です。これまでの手法も、俗にいう不審者が児童を悪い事へ誘うものと似ています。無いとは思いますが、万が一の可能性を考え、顔をしかめます。
そして、お婆ちゃんはこう言うのです。
「カッコええやないかぁーえぇ!。」
「ええ顔してるのに勿体ない服してるわーほんま。」
「...。」
「え?なに?どういう事?。カッコいい?。誰を前にしてそんな事言ってるの??。え?。私の後ろに俳優でもいた?。お世辞だとしても自分がブスなの分かりきってるから嬉しくないよそんなの???。田舎のお婆ちゃんはこんな事言って旅行者とお喋りしてるの???。コミュ力エグすぎだろ!!。私には絶対できないよそんなの!。まず、開口一番あんたかっこええやないかってなんだそりゃ!。私の街どころか大体の市町村でもノンデリすぎるよそんなの!。カッコいいとか不細工だとか関係なしに!。それと、知らない人と接するのって道案内とかが基本じゃないのか???。なーに相手の事を直接聞いちゃってんのさ!。困るに決まってるじゃんか!。お婆ちゃんだって見て分かんないの?!。さっきまで顔しかめてたけど、お婆ちゃんがそれ言ってから私めーっちゃ引きつった顔してるよ?!。だって何て返したらいいか分かんないからね!。それ言われてうんありがとうって返せる程私陽キャって訳じゃないからね??!。」
勿論ですけど、これは心の中で思っている事なんで、少なくともお婆ちゃんの目の前で喋ってないですよ。だって考えてみてください。さっきまで引きつった顔した奴が急に饒舌になったら、今度はお婆ちゃんが引きつった顔するでしょ?。形勢逆転じゃないですか。面白いですけど、そんなオタクみたいな事やれないですよ。私もそこまで落ちぶれてはいません。矜持とまではいかないですが、とにかく捨てちゃいけないものはまだ持ってはいますからね。
「...あ。」
私にとって、相応の返答とは不可能に等しいです。見ての通り、私にできる事はこうして言葉にならない言葉を呟くのみなのです。これが最大限の努力なのです。嘲笑されてもしょうがないとは思いますけど。
「あー。」
お婆ちゃんは顔を横に向き、何かを考えているようです。その目はとてもきらきらしていて、言い方は良くないんですが、私の態度を全く見ていないように感じました。というか、たぶん分かっていないです。向こうからすれば、私はすっごい喜んでお婆ちゃんの話に乗ってるんだって風に見えてるんでしょう。どう足掻いてもそうじゃないよって顔してるのに分かんないのか。と言いたい所ですが、それこそ私がノンデリになっちゃうじゃないですか。流石に言いませんよ。
「...。」
お婆ちゃんは少し考えた後、パッと顔をもう一度私に向けました。さっき以上にお婆ちゃんの顔は晴れやかになっていて、少しの笑窪も見えます。何を提案されるのでしょうか?。私はお婆ちゃんの次なる口語を待ちました。
「何にせよこんな時間や。腹減っとるやろ?。」
待った、という表現は相応しくありませんでしたね。今ここで謝罪します。なんせ待つ間も無かったんですからね。まぁ、またお婆ちゃんからのトンデモ発言を耳から脳に仕入れた訳ですから、もうびっくりですよ。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ?!!!!?」
流石に割愛しますよ。こんなオーバーリアクションにどれ程の意味があるかなど私もよく分かっていますから。
「こじんまりした店だなぁ...。」
お婆ちゃんに連れられ30秒もかかっていないでしょう。店に着きました。お婆ちゃんはいそいそと店員さんと話しに少し遠くへ向かわれました。流石にそこまで介入するのも良くないので、私は少し離れた所にある椅子に腰掛ける事にしました。
「食べものめっちゃあるじゃん...。」
その店は、農産物、特に果物がこれでもかというほどに陳列されていて、まさしく地元の方向けの店って感じでしょう。こういうお店が駅前に設置されてる時点で、ここはそんな観光地じゃないんだなって、そう思いました。名産物らしいみかんも私の地元のスーパーよりも圧倒的に用意されていて、店に入った瞬間見えたのもみかんでした。
「にしても、田舎のコミュニティってとんでもないよな...。」
さて、私はお婆ちゃんと店員さんが話し合ってる所から少し離れた所にある椅子に腰掛けたと言ったじゃないですか。腰掛けるすぐ前からお婆ちゃんと店員さんの高らかな声が聞こえたんです。漫談?雑談?、よく分かりませんが、お互い凄く満足そうです。
「...。」
友達なのかもしれませんが、向こうは店員ですよ?。お互い身分が違う関係になってるにも関わらず、どうしてそれに拘泥せずあんな楽しく話し合えるのか。それが疑問でした。この店の広さとこの街にある店からから鑑みるに、上の者がそもそもいないんだろうなとも思えるんですけど、でも仕事中にも関わらず、同職じゃない友達と呑気に話し合ってたりでもしたら仕事に影響が出そうな気がするのですがね。
「...いや、余裕があるのか。」
私は、対照的に考える事を一時的に忘れていたのです。それができる程、この店の事を知り尽くしている。または自分の仕事にある程度の余裕を持っている。だからあーやってお婆ちゃんと仲良く話し合える。笑い合える。冷静に考えれば、何もおかしい事じゃないよなと思いました。ここは長閑な田舎街なんだ。都会人の感性で物事を測るのは烏滸がましい事この上ないでしょう。今までの邪な発言を撤回します。
「...さ、あんた!」
店員さんとの雑談が終わったのでしょうか。私の方にお婆ちゃんが振り返りました。
「...!。」
その手には、何かを持っているのが見えました。私も視力があまり良くないので、何かはこの段階では視認できません。
「でも...まさかな。」
然し、それが何であるかはある程度分かります。それも、この時期に絶対食べちゃいけないものです。
「ほれお食べ!。ここのアイスは美味いんや!。」
「ぬわぁぁぁぁぁぁぁ!!!。」
時刻は14時手前。私は、今ここでモロに挟撃をくらったのです。
「アイスだ!。アイスだぁぁぁぁ!。師走にも関わらず、このお婆ちゃんは堂々とアイスを差し出してきやがったぁぁぁ!!!。やっぱ嫌いなんじゃねぇのか???!!。いや嫌いなんだよね?!?!?。ていうかどんだけ嫌いなんだよ!!!。なんかどうしようもないオーラ醸し出してたから仕方がなく話しかけただけなんでしょお婆ちゃん?!?!?!。ご飯奢ってまでそういう意思表示しなくてもいいから!!!。」
「大体、あの店員さんもどうかしてるよ!!。真冬にアイスなんだぞ!!。おかしいと思わないのか?!。なにを唆したんだあのお婆ちゃんは!!!。キンッキンに冷えたアイスなんか用意させてなんであんな笑顔でいられる!!!。2人がかりで殺そうとしているのか!!!。」
脳内で繰り出される怒涛のツッコミ。さっきとはレベルが全く違います。もはや止まる事を知りません。リアルで言えば、私はずーーっと机に置かれたアイスを凝視しています。こんだけ心の中で思っている訳なんですから、動くこともままならないです。然し、知らず知らずまた過ちをおかしてしまったみたいです。でも、こればっかりはしょうがないですよね?。流石に皆さんも勘弁願いたいです。真冬に凄く易しいお婆ちゃんからアイスを奢られて、しかもその場で食べないといけない場面になったら、ほぼないんでしょうけど多分皆さんこうなりますよね?。
「...。」
私は、約4時間越しの覚悟を決める事にしました。お腹と相談は、ある程度物事が済んでからで良いでしょう。
「...!。」
アイスを口に運ぼうとした瞬間、突如として店の引き戸から音がしました。
「...いや、まぁお婆ちゃんとかが来るんだろう...。」
誰かが来るとしても、この時間ならお婆ちゃんぐらいしか出歩いていないでしょう。然し、もし若い人が来たりでもしたら、お婆ちゃんからこの光景とその理由を口外されたりした時、間違いなく私をからかったりするでしょう?。とんでもないですよ。然しまぁ、今はお昼時です。流石にこれは余計な心配でしょう。そのその引き戸が開かれるまでの一瞬で、私は焦燥と杞憂を経験しました。
「あれ!。お婆ちゃんいるじゃん!。」
引き戸から現れた人物、私はそれをあからさまに見つめてしまったのです。ほんの少しだけでも分かった筈なのに、どうしても全貌を拝みたかったのです。