折旅 (4)
燈籠が揺らめく直下にて、湛水に近い果汁が底を突きるその時、私の目前には必ず夢がいました。
夢というのは、悪魔の足だ。風魔でも、逢魔でも、淫魔でもない。実に禍々しい悪魔の足なのです。それは、幾年も私を此処に縛り付けている元凶そのもの。私はこの問題に対しどう向き合えば良いのか分からないのです。今でもときたま脳裏によぎる程にです。まったく夢というのは実に長っ尻な奴だこと。良い迷惑です。
もっとも、これは私が努力と理想を混同しているからによると推測されます。
努力とは、夢に向けての済し崩しとも言えます。一気にやろうとしないのは必然的としても、環境等を言い訳にせず、少しずつトライしていく事がモットーでしょう。
一過性の努めだけをして、果てしない夢を掴もうだなんてどれ程馬鹿げた事なのか。惰眠を貪るあの日々から、どのようにして夢を叶えられたというのか。ゆくりなくも、私はまた愚者であると真っ直ぐに痛感しました。然し、突発的な自己嫌悪も、それに苛まれる事もやけに多くなっている気がします。私も困っていました。
贖いと抗いは、この矮小な思考を取り止めない限り終わりはありません。私に限らず、今も尚社会に搾取されるだけの人生を歩み続ける若輩者も抱く思いでしょう。でもこうしてできていないんです。皆がそれを越していないのです。今まで散々見てきた通り、絶望感と焦燥感から逃れる事もできず、ただ虚空を見上げ、職場に向け漫ろ歩きを止めない廃人になるしか無いのです。でも、これは致し方のない事柄なのです。事由はあるのです。
これから宣う話は、そんな彼等、人間を擁立するにはあまりにも値しない事だと思います。何故ならこの概念は、私が漠然と、ただただ思い付いたものに過ぎないからです。
我々人間を夢から最も遠ざける存在、それは人間関係でも学校でも日常生活でもありません。
”甘く淀んだ日常”なんです。堕落に近いんですが、そう言うと少し語弊があると思います。でもこれは詐欺師が言ってたとかそんなのじゃなくて、本当に私がそう思って言っているんです。
甘いって言っても味しないじゃんって話なんですが、まぁ甘ったるいって言い方の方が正しいかもしれません。具体的になると長ったらしい文面になってしまうのですが、やはり、自分を追い込む事に情けがある人達こそ良くない人生を送るんじゃないか。そう考えています。例えば、明日で夏休み終わりだーってなった時、皆さんって宿題とか終わらせていますか?。多分ですけど、6割ぐらいの方は最終日から徹夜でやったわーってなりますよね。ちゃんと終わらせたならまだしも、そもそも宿題を出せないって方もおられますよね。でもこれがもっと年齢が進んでからも起きてたら、それヤバくないですか?。やってないけど家に忘れましたって言えば通用する的な思考が成人になっても残ってたらエグくないですか?。そういうものなんですよ。何かから逃げるっていうのは。私もそうでした。こうして外の世界に触れるまで、私は本当の碌で無しでした。前にも言ったけど、グータラ過ごしては何もしないけど怒られはしない1日を送って。マジで、一部の方からは殴打されてもしょうがない生活をしていましたよ。でも私は、日の目を見る事で前向きになれた。私にとっての外出というのは、皆さんが思っている以上に困難な問題でもあったんです。それくらい、私を変えてくれたのです。
でも、分かっていても、難しいですよね。本当に変わらなくちゃいけないって時でも、きっとこの問題は容易に払拭できるものではないはずです。来年から大学だーとか、来年から就職だーって凄い重要な時期でも、多分、この思考はついて回ると思うんです。早起きするとかメモを取るとか、そういう一つの行動を改善する事とは訳が、ベクトル違うんですから当然と言えば当然でしょう。
でも、私は上枝開智。かつて自分をどこか高貴な存在だと慢心し、周りから後ろ指をさされる不登校というレッテルを誇っていた人間です。たった一歩で映る世界が変わったあの日から、私も、人、誰かを労る心が小さいながらも身につきました。
だからですね、その時が来たら、一回でも良いです。夢の事だけ考えれば良いと思います。夢って、響きも良いし、とっても輝いていますよね。でもそこに行き着くまでの過程って凄い険しいじゃないですか。その過程には、勿論ですが普段の生活で必要とされる所もありますよ?。でも関係無いのだってありますよね。毎朝に野菜炒め食べる事とか、参考書買うとか、皆さんが一度は考えた夢とどう関係あるのか分からないってのがあると思うんです。だからまず”何をするか、何から始めるか”を考えて、夢に向けての生活にチェンジさせる事が重要じゃないかな、と思います。個人的な主観になりますが、やっぱり夢と学業って両立できないと思います。私も、子役俳優だとか芸能人だとかで、そういった方を何人か見てきました。双方上手くいく、上手くいかせるって言う考えも、もしかしたら、さっき言った甘ったるいものなのかもしれません。
でも正直、こんな言い方でいいのか!。って自分にツッコミたくなっちゃいます。やっぱり夢って易しい問題じゃないですし、バッサリ言った方がタメになるのかなとも思っちゃいます。でもやっぱり躊躇しちゃうんですね、これが。私も不器用ですから、人の事労ってるつもりが逆に傷つけてしまう事もあるんです。何と言うか、思いのすれ違い的なやつです。的確に言おうとするとやっぱりいらない事言っちゃいそうですし、このくらいの柔らかい言い回しで良かったのかなとも思っちゃいます。
最近の話ですが、床に伏せた時、私は眼を閉じるまでによく鼻歌を歌っているんです。見上げる天井は電車と違って移動なんか全くしないんですが、何だか散歩してるみたいな気分になるんです。もう逆に、家にいる事がストレスみたいになっていますよね。自分でもとても信じられないです。一人で歩いているバージョンとか、誰かと河川敷を歩いていたりとか、想像って、とてもとても奥深いです。
にしても、とんでもない長話になってしまいましたね。いつから私はこんなに喋れるようになったんだって驚きましたよ。自分の脳と舌を少し褒めてやりたくなりました。でもやっぱり、それくらいスケールのでかーい話なんだよねーって思います。だから達成した時の爽快感ってパない訳なんですし。だから私もですが、皆さんも留意してくださいね。ごめんなさいね。失礼致しました。