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折旅  作者: 谷安
2/12

折旅 (2)

「ダメだ...。」

午前10時03分。焦りはピークに達していました。焦っているのに、その矛先はどこにもありません。何もできないのに、何かをしたくなってしまう。全く違う思いが一つの心の中に宿っており、居ても立ってもいられない気分でした。私は持っていたお皿とスポンジをキッチンに起きさっさと手を洗いました。

「うっ...。」

蛇口を止めようと顔を上げた瞬間、強い日差しが目を打ち抜きました。さっきまで一切感じる事の無かった、強い光が。反射的に手で隠し、荒ぶる心臓を僅かの所で食い止めました。

「...。」

この際、私の心が幾つかの何かに侵されている事に気づきました。緊張、夢、自由、眠っていた幼い心。また、冷寒、觳觫、嗚咽。廟所から拾い上げた後継の穏やかな生き地獄。もっとも、それは確定的であり、退廃的であり、崇拝的に結論づけられるもの。私にとって、以上の感情は致命傷を受けるに相当でした。網戸から這い寄ってきたこの日差しは、外界の理を心にひたすら植え付けてきます。

末恐ろしい気持ちでした。立ち上がる事ができません。顔を上に上げる事ができません。私は頭を抱え、蹲ります。端から見れば、私はヒステリックを起こしているのかと思われそうです。今は冬だと言うのに、私の瞳孔は未だに梅雨から抜け出せていません。口語も無く、ただ怯え、狼狽える。意味も無く、拒否し、喚き散らす。まさに、時間の無駄遣いとも言える行動です。見れば分かる通り、私には、それを考える余地はありません。ただ自然とこの癇癪が静まるのを待つのみ。咽び泣き、頭を掻きむしり、絶対を前に抗い続けるのみ。

「嫌だ...。こんなの...もうっ...!。」

本能というは余計な時間が嫌いなようです。私のこの癇癪に横槍を入れるかのよう、何がしたいのかという自問が脳内から繰り出されました。が、私はそれに自答する事ができませんでした。ただゆっくりと朝を迎え、惑星の均衡と生命体の保護の為人間のように労働に勤しむ太陽を見ながら、安寧の地、この檻の中で飯を食うだけの日常。スマホをずっと弄り続ける、徒に1日を終えるだけのあの日常に惰性の希望があったからです。それは双脚輪状文のように、歪なものであり、そこに何の理があるかも不明。ただそこにはそこでしか得られない享楽や浪漫がある。

「どこでも良い...。どこか、ここじゃない何処か...!。」

だが私は、そこからいずれ生まれる青写真にまだ賭けていたのです。いえ、いずれどころか生涯それは生まれる事もないでしょう。私は無に時間を投資していたのです。ここで私は、苦難からの逃避だけに囚われ、そこから先の発展を何一つ考えていなかったのだと気付かされました。元来、自身に有り余る惰性を、不登校、及び不登校になる上の事情等を盾にして正当な行為であると、他者、又は自身に嘘をつき続けていたのです。

「...行かなきゃ、いけないんだ...。」

私はそっと立ち上がりました。

私をおかしくした震えも知らない内に止まっています。むしろ、今の私は少しだけ晴れやかな気持ちになっています。理由は分からないです。いや、今は理由を探す事はナンセンスな気がします。私はいそいそとキッチンから立ち去りました。

「...よいしょっと...。」

私は階段を使い一階へと降りました。今まで触れていませんでしたが、私の家は二階建てなのです。一回は主に両親が使っていて、2階は主に私が使っています。もちろん、キッチンは2階にあるので、私が運良く早起きした際には両親と共に料理をしたり朝ご飯を食べたりもします。しかし、今の時間は10時ちょっと。両親はとうに家を出ていて誰もいません。大きな寂しさが部屋全体を包んでいながら、そこにポツンとそれが立ち尽くしているように感じました。

「ん?。」

テーブルの上に何かが置かれてあるのが見えました。ですが、あくまで何かです。ここからではそれが何かを暴くことはできません。少し近づいて正体を確認してみます。

「...えぇ!。」

驚きました。堂々とこれが置かれていた訳ですから。声を上げてしまいました。それに幾らの価値があるかを分かっていたから。

「...。」

テーブルの上には、4万円と一つの切符が置かれてありました。あり得ません。今、自分がまだ夢の中にいるんじゃないかと思ってしまう程でした。目が赤くなるぐらい擦りました。景色は変わりません。頭を何度も揺らしてみます。景色は変わりません。部屋全体を行ったりきたりしてみます。それでもそこに切符と置かれた4万円は消えていません。

「...。」

これは現実。れっきとした現実世界なのです。

誠であり、これは現。猜疑心どころか敵愾心をも向けてしまうその光景。または積み重ねたこの邪な感情、不作法を窘めようとするこの光景。この、4万円と一つの切符。そしてそれに釘付けになった私。

おおよそ4分程、私はその場を離れる事はありませんでした。

「どういう...。」

脳内を埋め尽くすのは、この2つの在り処でした。

“親のものじゃないのか?“、“何の為にわざわざこの2つを置いて家を出たのか?“、“4万という大金と切符をいつ用意したのか“。ありきたり、普遍的な疑問ばかりが浮かぶのみですが、こうなる事は自然的です。何にせよ、私も一人の人間に過ぎません。焦燥に駆られるその時、穴を突く利発な思考はもはや不可能に等しいです。しかし、一般人の器量というのはそういうものです。ここを機敏に対応する能力が無くても社会ではある程度やっていけるのです。青天の霹靂をうたれた今と同じく、理解のできない状況に出くわした大体の人達はこのようになります。

この場を飲み込める程、私は才人ではありません。

この2つに関係するものが何かないか虱潰しに探そうとしました。押し入れ、デスク、炬燵、視界に映るもの全てを確認しました。まだこれをどうしたらいいかという理由が見つからない以上、それを見つける他ないのです。もしあの2つが自分以外の誰かのものだとしたら、潔く諦められます。でも確証がない。“こんな律儀に置いているぐらいなのだから、相当の理由がある筈なのだ“。私の心中には、醜く歪んだ青い炎が揺らいで、そして滾っていました。“自分のものにしたい。“どこかなど有耶無耶にする事無く、確かにその思いが心にありました。

「あっ...。」

ひらりと、私の目前を舞い降りるひとひらの紙切れがありました。微かに地を掠る音を立て、その紙切れは重力の理に則り着地しました。地に着くやいなや、私はすぐにその紙切れを拾い、裏を捲りました。

「...これは...。」

それは単純であり、明白でした。紙切れに書かれてあるものの矛先は、この金と切符の用途についてのものでした。

これを叙述した時、畏まって言うなら、私は、初めて譬喩歌を見た、又はそれと似た表裏のあるものたちを見た感情を得たと確定できるでしょう。分かってしまう。その刻がもう近くにある際に生まれる昂り。贈答された不浄な謝礼が私の中へ再び帰入し、当たり前だった春日遅遅も今日で終いであると自覚し、悔やみ、そして腹を括りました。陰風が私の体をそっと抱擁したかのごとく、これを読み終えた後、私の屈めるこの背中は突如としてピシっと治りました。

「へぇ...よし。」

私は財布を持っていませんでした。というのも、元から外に出る用事が無さすぎてお金を使う必要も財布を持つ必要が無かったからです。まぁゲームの課金とかはしたりしますが、それ以外でお金を使う事もまずありません。月に数回コンビニに行くぐらいしか外出がないと言うのに、わざわざ財布なんか持っていても仕方がないですよね。よってこの2つを仕舞う先は今履いているズボンの頼りないポッケのみです。試しにですが、手を突っ込んでみてどのくらいのスペースがあるか確かめてみる事にします。

「...えぇっと...。」

何て事でしょう。そもそも手が入りきりません。ポッケなんですから、こんな事有り得る訳ありません。ズボンのサイズに余裕が無いからでしょうか。

2週間程前にコンビニに行った際、えらく歩くのに苦戦した思い出がありました。その時履いていたのは、今履いているズボンと全く同じ。なるほど。そういう事か。と、大きなため息と納得を痛いぐらいに感じました。

「しょうがないか〜...。これで行くしかない!。」

手に力を込め、私は4万と切符をポッケに詰め込みました。ほぼ無理やりでしたが、頑張ったら何とか入れる事ができました。中で破れてたりしていなければ良いのですが...。

そろそろズボン買い替えてもらわないとなと思いつつ、私は玄関へ向かい靴を履きました。

色々ありましたが、遂にやってきました。目の前の扉を開けば、俯くばかりで見れなかった外の世界がこれでもかと言う程に広がっています。しかし、恐怖はもうありません。今私の中を占めているものは好奇心のみです。唐突に感じた、知らない所に行きたいという強い気持ち。ここじゃない所で、新しい何かを見つけたい。あげてもキリがないぐらい、良い思いがありました。そうした気持ちは、やがて行動に直結していきます。

気づけば私は、外の世界に来ていました。





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