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最終章

最終章です。


「霧島さん! 一緒に帰ろ!」

 授業がすべて終わり、葛城くんがアタシの席へとやってきて、誘ってくる。

「う、うん。帰ろうか」

 今度は邪魔も入らないだろう。やっと葛城くんとの時間を楽しむことができる。

「霧島さん」

 後ろから声がかかる。紫雨さんだ。

「……なんの用」

「あら。ボク嫌われるようなことした?」

 またふざけたような態度を取っている。

「アタシはこれから用事があるの。悪いけど、あなたに構ってる暇はないの」

 少し強めに言葉を放つ。そうでもしないと、また余計なことを言い始めるかもしれない。

「まあ、今日は葛城くんに譲ってあげるよ。霧島さん、明日はボクと一緒に帰ろ? 明日は予定ないでしょ?」

 そう言われてしまうと困る。確かに明日は葛城くんと帰る予定はない。もちろん他の予定も。しかし、コイツと帰るのは……。

「ダ、ダメだ! 霧島さんは明日も俺と一緒に帰るんだ!」

 返答に困っていると、葛城くんが隣から叫ぶように言ってくる。

「霧島さんは、登下校は毎日俺とする約束なんだ! だから、ダメだ!」

 顔を赤くして、息を切らしながら言う葛城くん。

実際に損案約束をした覚えはない。でも、ここは葛城くんのこれに乗っかるしかない。

「そういうことなの。ごめん。紫雨くん」

 なんとも無理矢理な理由だ。付き合ってもいないのに、こんなのはおかしいだろう。

「ふーん。そう言うことね。まあ、いいや。今日は引くことにしよう」

 そういうと、紫雨くんは踵を返し、教室から出て行ってしまう。次があるの……。

「霧島さん。帰ろ」

「う、うん」

 袖を引っ張られ、葛城くんの方を見ると、その顔にはいつものような元気がないように見えた。

 それから、校門を抜けるまで葛城くんが口を開くことはなかった。

 帰り道。アタシと葛城くんの影が伸び、真っ赤な夕日が辺りを同じ色に染め上げている。

 いつもなら、そろそろ葛城くんが話し始めても良い筈なのに、今日はなぜかずっと黙ったままだ。

 もしかしたら、昼休みのこと怒っているのか?

 そうだったら、ヤバイ。確実にアタシのせいだ。

「か、葛城くん」

「ん? どうしたの?」

 やっぱり、いつもより元気がない。しかも、アタシのほうを向いてくれない。めっちゃ怒ってるよ。

「そ、その、お昼のこと、ご、ごめん。約束、破っちゃって」

「え? あっ、大丈夫だよ! 気にしてないからさ!」

 アタシが誤ると、いつもと同じような感じで笑って許してくれる。

 しかし、それからまた無言の時間が続く。今日はなにかおかしい。

「霧島さんはさ」

 急に葛城くんが口を開く。

「霧島さんは、紫雨くんとの会話では噛まないんだね」

 なんの前触れもなく、そんなことを言われる。

確かに今アイツとの会話を思い出してみても噛んだ記憶はない。それは、恐らくだが、アイツがアタシの母親になぜか似ているのが関係して、上がり症が出ないのだろう。

「ま、まあ、そうだね。それが、どうしたの?」

「いや、別にどうってことじゃないんだけどさ……。なんか納得いかないよ。俺と話すときは、カミカミなのに、紫雨くんのときは普通なんだもん」

 足を止めて、葛城くんは泣きそうな声でそう言う。

 アタシの手を掴み、強く握ってくる。柔らかい感触と彼女の体温が伝わってくる。

「なんでなんだ……? なんで、俺より早く、紫雨くんと普通の会話をしてるんだ?」

 ついに、葛城くんの瞳から大粒の涙が零れる。

「霧島さんも、どこかに行っちゃうのか……?」

 アタシはバカだ。まだ、いじめが落ち着いて少ししか経っていないのに、なんで彼女を一人にしてしまったんだ。

「大丈夫。アタシはどこにも行かないから」

「ホントか?」

「ああ」

 握られている手を、アタシからも強く握る。

「そっか……。ごめんね。泣いちゃって」

 手が離れ、涙を拭きながら笑顔を浮かべる葛城くん。

「でも、どうして紫雨くんとは普通にしゃべれるんだ?」

 少し落ち着きを取り戻した葛城くんは、再び疑問をぶつけてくる。

「……あまりいい話じゃないけど、それでもいい?」

 今、説明しとかないといけない気がする。葛城くんには知っておいてもらいたい。

「……うん。聞くよ」

 アタシの思いが伝わったのか、葛城くんは真剣な顔つきになり、頷く。

「じゃあ、そこの公園に行こう。そこでゆっくり話すよ」

 そういって、公園に入り、そこのベンチに座る。

「じゃあ、始めるね。まずは、アタシの家はアタシと母さんの二人暮らしなんだ」

 早速本題に入る。まずは、アタシの過去を話さなければいけない。

「アタシがまだ小さい頃に、母さんが浮気して母さんと離婚して、それからずっとアタシと母さんだけで暮らしてきた」

 そのことを言うと、一瞬葛城くんが暗い表情を浮かべる。

 だが、アタシはそれを気にせずに、しゃべり続ける。

「それからだった。アタシは男性との関わり方がわかんなくて、女性と会話をしようとすると、噛んだり、どもってしまうようになったのは」

 そう。これがアタシの上がり症の理由。

 両親の離婚がきっかけで、家には女の存在がいなくて、学校でも、女子との接し方がわからなかった。それから、ずっとアタシは上がり症が続いている。そして、それがアタシの『目的』に強く影響している。

「そうだったんだ……。じゃあ、なんで紫雨くんとは普通にしゃべれるの?」

「……今日の昼休み、彼から言われたの。ボクの母親は、あなたの元母親だって」

 その事実を告げると、葛城くんは驚いたような表情を見せる。

「彼の笑顔がどこかあの人に似ててさ。そのせいか、彼とだけは普通に会話できるっぽい。まあ、今はだいぶ、葛城くんとも普通の会話が出来るようになったけど、たぶん、まじめな話だけだと思う」

 実際、今のアタシは葛城くん相手でも噛まずにしゃべれている。たぶん、これで日常会話をしようものなら、また噛んだり、どもったりしてしまうだろう。

「まあ、こんな感じかな。良い言い方をすれば、紫雨くんは特別。悪い言い方をすれば、どうでもいいとか、アタシからすれば敵。みたいな感じだよ」

 これもアタシの本音。

 葛城くんからアタシを奪うみたいなことを言っていたが、どう頑張っても、アタシが紫雨さんに気持ちが移ることはない。

「そっか。そんなことがあったんだね。ごめんね、嫌なこと話させちゃって。俺の我侭なんかで」

「き、気にしないで。いつかは話そうと思ってたから」

 やっと、一つ伝えることが出来た。胸の中の楔が一つ外れたようだった。少し楽になった。

「ありがとう。でも、安心した」

「え? な、なにが?」

 やはり、普通の会話をすると噛んでしまう。どうやったら治るのだろうか。

「霧島さんと紫雨くんが、特別な関係とかじゃなくてってこと。まあ、ある意味では特別な関係かもしれないけど」

 どういうことなんだろう。意味が分からない。

 でも、そう言う葛城くんの顔は安心しきったような、穏やかな顔をしている。

「ねえ、霧島さん。恋華って呼んでいい?」

「え!?」

 いきなりのことに焦る。

 あの葛城くんがアタシのことをしたの名前で呼んでくれる。アタシの記憶が正しければ、葛城くんは男子のことをしたの名前で呼ばない。そんな葛城くんがアタシのことを下の名前で。

「は、はい! もちろん!」

「よかった! 俺のことも京って呼んでくれると嬉しい、かな」

 中々難しい提案をしてくる葛城くん。でも、呼べれば大きな一歩だ。

「き、きききき、きょ、う」

 めっちゃ噛んだ。最悪だ。

「あははは! ゆっくりでいいよ。いつか、噛まずに俺の名前を呼んでね。恋華!」

 そういって、ベンチを立ち、笑顔を浮かべる。いつものあの笑顔だ。

「が、頑張りましゅ」

 また噛んでしまった。

「うん! じゃあ、帰ろっか!」

 アタシの手を引っ張り、公園の外へ出る。

 茜色に染まる道に、二つの影が伸びる。それだけを見れば寄り添って歩いているように見える。

 ――いつか、本当に寄り添って歩けるように慣れたら。

 そんな思いを胸に、今この時間を楽しみながら、帰路についた。


***


「ただいま」

 玄関の扉を開ける。リビングに電気がついている。母さんがいるのだろうか。

「おかえり。恋華」

 予想通り、リビングの扉が開き、そこから母さんが出てくる。部屋着姿だ。

「母さん。ちょっと話があるんだけど」

「ん? ええ、別にいいわよ」

 今日のことは母さんにも話しておいたほうがいいだろう。傷つけてしまうかもしれないが。

 ローファーを脱いで、リビングへ入る。カバンをソファーに置くと、アタシもそこに座る。

「それで、話って何?」

「今日、転入生が来たんだ」

「へえ。それが?」

 それからの言葉に詰まってしまう。

 正直怖い。母さんを傷つけることが。でも……。

「恋華?」

「……父さんの再婚相手の息子だった」

 言ってしまった。母さんから返事が返ってこない。顔が見れない。

「再婚、していたのね……」

 出てきた言葉は、今までの母さんからは想像もつかないほど弱弱しく、今にも消えてしまいそうな声だった。

「ごめん……。でも、伝えとかなきゃいけないと思って」

「いや、いいの。そうか……空は幸せになったんだな」

 そう言って母さんは、顔を上に上げ、涙を堪えるようにしていた。

「母さんはまだ、父さんのこと……」

「ええ。愛しているわ」

「なんで、なんで、あんなアタシと母さんを捨てた女のことをまだ好きでいるんだよ!」

 わからなかった。アタシをこんな風にして、母さんにこれほどまでの辛い思いをさせているのに、なんで母さんは今もまだ好きでいるのかが。

「恋華。覚えている? 前に母さんが言ったこと」

「母さんが言ったこと?」

 身に覚えがなかった。つい最近まで、母さんとは碌に会話もしていなかったし、小さい頃はそもそも記憶にない。

「覚えていないわよね。まあ、あの時はまだ小さかったからね」

 やはり、小さいときのことだった。

「まだ幼い恋華が聞いてきたの。『まだ、パパのこと好き?』って」

 アタシはそんなことを言ったのか。全然記憶にない。

「そのときに言ったの。『ママは、パパがママのことを嫌いになってもママはずっと好きでいる』って」

『父さんが母さんのことを嫌いになっても、母さんは父さんのことをずっと好きでいる』

「思い、出した」

 そうだった。アタシが『恋』をしたいと思ったの最大の理由。その時の母さんの言葉の意味を知るため。

 いつからだろう。この上がり症を治すためと勘違いしたのは。

「思い出したのね。そういうことよ。母さんはずっと父さんが好きなのよ」

 そう言って笑う母さんの目には、うっすら涙が浮かんでいる。

 やっぱり、辛いものは辛いんだろう。けど、それを羨ましいと思ってしまう。

 そこまで、一人の人を好きでいられることが。

「アタシも、アタシも母さんみたいになれるのかな」

「なれるわ。あなたは母さんの子だからね」

「なによ。それ」

 そう言って二人で笑い合う。

 でも、本当にアタシも母さんみたいに一人の人を。ずっと想っていれるようになれたら。なんて考えてしまう。

「着替えたら、晩御飯の準備するね。今日は何がいい?」

「じゃあ、ステーキでお願い。恋華が帰ってくる前に、お肉だけ買っておいたから」

「りょーかい」

 リビングを出て、階段を上り自室へ入る。

 母さんのあの言葉のおかげで、『目的』の本当の意味を思い出せた。でも、それと同時に今、アタシが抱いている葛城くんへの想いに疑問が生まれる。

 アタシは本当に葛城くんのことを……。

 いや、きっとアタシは葛城くんのことを……。と、頭の中で考えがループする。

 ――もう一度考え直さないといけないかもしれない。

 そう思いながら部屋着に着替える。階段を下りていく。

 今日の夕飯を作るために。


***


 カーテンの隙間から日差しが漏れ、それにより目が覚める。

 スマホで仕官を確認すると、もうすぐアラームが鳴る時間だった。

 体を起こし、グッと伸びる。ベッドから出て制服に着替える。

 階段を下り、リビングへ入ると、母さんがコーヒーを飲みながらテレビを見ていた。

「今日も会議?」

「いや、今日はお得意さんのところに挨拶をしに行かなきゃいけないの」

 いつもとは違う返答。会社員にも色々あるんだな。

「そっか。夜はご飯いる?」

「んー、まだわからない。またメールするよ」

 そう言うと、母さんはソファーにかけてあった上着とカバンを取る。

「じゃあ、行ってくるね」

「うん。いってらっしゃい」

 バタンと、扉が閉まる音が聞こえ、母さんは仕事に行ってしまった。

 アタシも、軽く朝食を作り、それを食べると、学校へ行く準備をする。

「いってきます」

 誰もいない家に、アタシの呟きが木霊する。ゆっくりと扉を閉め、陽炎が浮かぶ道をに向かって足を進めた。

「恋華! おはよう!」

 いつもの十字路で葛城くんは待っていた。

「お、おはよう。葛城くん」

 挨拶を返す。すると、空に浮かぶ太陽に負けないほど眩しい笑顔を向けてくる。

「じゃあ、行こっか」

アタシの言葉を合図に、学校へ向かうため足を運ぶ。

「ねえ、恋華。今週の土曜日、なにか予定ある?」

「こ、今週? なんで?」

 急に葛城くんから予定を聞かれ、内心ドキッとする。

 もしかして、デートのお誘いとか?

「えっと、一緒にどこかお出かけしたいなーって」

「な、な、なっ! マジですか!」

「う、うん……」

 頬を赤く染め、視線を落としながら言う葛城くん。

 その仕草に見惚れながらも、アタシの胸の高鳴りは上がる一方だった。

 まさか、本当に葛城くんとデートができるなんて、思いもしなかった。

「よ、予定はありません! あっても、無理矢理空けます!」

「あはは! じゃあ、また詳しいこと決まったら、連絡するね」

「はい!」

 今週。葛城くんとデート。これから楽しみで眠れないかもしれない。

 未だに鳴り止まない心臓の鼓動。隣の葛城くんに聞こえているんじゃないかと疑うくらいうるさい。

「おはよう。霧島さん」

 デートのことで、胸を膨らましていると、後ろからあまり聞きたくない声がアタシの名前を呼ぶ。

「紫雨くん……」

「なんでそんなに嫌そうなんだい?」

 小首を傾げながら、不思議そうな顔をしてくる。自覚が無いのだろうか。

「で、なんの用?」

「あら、そんなの決まってるじゃない。霧島さんと一緒に登校しようと思って」

 そう言ってアタシの隣に駆け寄り、後ろから抱きしめてくる。男の子特有のがっしりとした感覚が、アタシの背中を包み込む。心なしか、甘い香りもしてくる。

「な、何やってるの! 離れて!」

「いいじゃないか。別に減るもんじゃないんだし」

 ついには、アタシの肩に頭を乗せ始める。このままじゃ身が持たない。

「あの、俺がいること忘れてません?」

 はっとし、隣を見ると、葛城くんが頬を膨らまし、ジト目でこちらを見ている。ちょっとかわいい。

「あら。葛城くんいたんだ?」

「いました! 最初から! それに恋華は俺と一緒に登校しているんです!」

 紫雨くんのところまで詰め寄り、半ば叫ぶように言う葛城くん。それを何も感じていないように聞く紫雨くん。

「そうなんだ。じゃあ、一緒に行こうか。三人で。それなら問題ないだろ?」

 その提案に少し呆けてしまう。まさか、紫雨さんが妥協点を打ち出すとは思ってもいなかった。

 正直、ここまできたらその提案を呑むしかない。葛城くんと二人っきりで登校したかったのに。

「いやだ!」

 そんな諦めモードでいたアタシだったのだが、まさかの葛城くんが紫雨さんの提案を拒否した。

「俺が最初に恋華と一緒に登校してたんだから、紫雨くんは先に行ってろよ!」

 もしかして、負けず嫌いなのだろうか。葛城くんまでもが、アタシのあいている腕を抱き、紫雨くんに対抗し始める。

 逆の腕からも、柔らかい感触と体温が感じられ、葛城くんの方からは、柑橘系の香りがする。

「へえ、キミ意外と独占欲が強いんだね」

「そ、そんなことない!」

 両サイドから睨み合いが始まる。これがもしかして、噂の修羅場ってやつなのか?

「あれ? 恋華。どうしたの?」

「恵!」

 恵に声をかけられ、助けを求めるような目で精一杯見つめる。

「あー、状況は大体わかったわ。モテ期だね。恋華」

 アタシの肩に手を置き、ため息混じりにそんなことを言う恵。これが、本当にモテ期なのだとしたら、怖いんだけど。

「そ、そうだ! 四人で一緒に行こう!」

 半ば強引な提案をする。正直、そろそろ周りの視線が痛い。

「逃げた」

「逃げたわね」

「恋華……」

 少し引き気味の目で、アタシを見てくる三人。アタシにはこれ以外の選択はできなかった。

「まあ、ボクはそれでいいよ」

「まあ、俺も……」

 男子二人が納得してくれたところで、胸を撫で下ろす。

 止まっていた足を再び動かし、少し早足で学校に向かう。思っていた以上に時間が経っていて、いつもどおりのペースで歩いていたら遅刻してしまう。

「そう言えば、葛城くん。なんで霧島さんのこと、名前で呼んでいるの?」

 なんとか、チャイム前に学校の中に入る。すると、下駄箱で紫雨さんが爆弾を投下する。そのせいで、周りにいた生徒が発狂する。

「ほ、本当なの! 恋華!」

 そういう類のことが大好きな恵も食いついてくる。

 等の質問された葛城くんは、顔を真っ赤にして口をパクパクさせている。

「いや、あの、それは、その」

 珍しく葛城くんがあたふたしている。あれじゃ、まるで……。

「恋華みたいだな」

「うるさい」

 隣にいる恵に突っ込みを入れる。

「で、周りがうるさいけど、なんでなの? 教えてくれない?」

「い、いや、それは、成り行きで……」

 葛城くんがそう言うと同時に、チャイムの音が鳴り響く。

「やばい! HR始まっちゃう!」

 話は中断され、皆一斉に階段を駆け上がる。

 なんだかんだ、こんな朝の時間もいいものだ。

「恋華くん。今日のお昼は一緒に食べようね」

 走りながら、葛城くんが小声で囁く。

「もちろん!」

 それに強く頷く。チラッと見えた窓の外の景色は眩しく、輝いて見えた。

 これからの日々、あの景色のように明るい日々になったら。なんて思いながら、教室へと向かった。


***


 腹の音が鳴る。朝走ったせいか、ずっと腹が減っている。

 机に突っ伏して、午前中の授業をずっと聞いているが、やはり先生の話が頭に入ってこない。

 空腹が限界に近づいてきたところで、終業のチャイムが鳴り響く。

「よし! ご飯だー!」

 思わず、叫んでしまう。

 カバンに勢いよく手を突っ込み、弁当箱を取り出す。

「れ、恋華。大丈夫?」

 葛城くんが近くにいることに気がづかず、思いっきり叫んでしまった。案の定、少し引き気味だ。

「ご、ごめん。めっちゃお腹減っててさ……」

「そ、そうだったんだね。じゃあ、早く食べよっか」

 あいている席をアタシの席にくっつけ、そこに葛城くんが座る。アタシと向かい合わせだ。

「じゃあ、いただきます」

「いただきます」

 手を合わせ、挨拶を済ますと早速箸を手に持ち、おかずに手をつける。

「美味しい~」

 思わず声が漏れてしまう。久々にここまでお腹が減っていた。今朝は色々あったから、その分エネルギーを使ったのだろう。こんなにもうまいご飯は初めて。

「本当にお腹空いてたんだね。あっ、俺のも少し食べる?」

 男らしい弁当箱をアタシの方に向ける葛城くん。

「え? いいの?」

「うん。俺いつも残しちゃうからさ。だからどうぞ」

 恐る恐る、葛城くんのお弁当に箸を伸ばし、卵焼きをつまむ。

「じゃ、じゃあ、い、いただきます」

 口に入れると、甘い味が口の中に広がり、出汁がジュワっと溢れ出る。

「お、おいしすぎる……」

「そう? じゃあ、からあげもどうぞ。はい、あーん」

「なっ!」

 葛城くんがからあげを箸で持ち、アタシの口元まで持ってくる。これがまさか、伝説の『あーん』と言うものなのか!

「か、葛城くん。は、恥ずかしいので、じ、自分で食べますよ……」

 アタシにはまだ、その覚悟はできていなかった。流石にクラスの皆の前でそれをやられるのは恥ずかしすぎる。

「だーめ。ほら、早くして。俺も手が疲れてきちゃったから」

 何を言ってもやめる気はないらしい。

 これは諦めるしかないのか?

「恋華。早く」

「うっ、あ、あーん」

 恥ずかしさを押し殺し、からあげをほお張る。その時に、葛城くんの箸にアタシの唇が触れる。

「お、おいしいです……」

 恥ずかしさで悶え死にそうだ。あーんもそうだが、それよりもか、間接キスをしてしまった。正直からあげの味なんかわからない。

「うん。よかった。」

 そう言うと、葛城くんはアタシが口をつけた箸で、また食事を再開する。

「か、葛城くん! それ、アタシが口を……」

「えっ? ……あっ」

 今気づいたのか、見る見る顔を赤くする葛城くん。りんごとか比べ物にならないくらい赤い。

「ご、ごめんね。俺気がつかなくて……嫌、だったよね」

「い、嫌なんかじゃ……」

 それから言葉を繋げることができない。気まずい空気がこの場に流れる。

「霧島さん」

「し、紫雨くん」

 購買から戻ってきたのか、アタシと葛城くんの間に立つ紫雨さん。些か不機嫌っぽい。

「仲、良いね」

「そ、そうかな?」

 無表情でそう言ってくる。どこか冷たい気がする。

「はあ、まあいいや」

 アタシと葛城くんを交互に見てから、ため息を一つついて、諦めたように言う。

「ボクもここで一緒させてもらうよ」

 そう言うと、彼女は自分の席をアタシたちの机にくっつけ、そこに座る。

「ちょ、ちょっと! 朝だけじゃなくて、お昼も邪魔する気なのかよ!」

 葛城くんが席を立ち、抗議を始める。

「邪魔? 別にあなたたちは付き合っている訳じゃないんでしょ? なら別にボクが同席してもいいじゃないか」

「そ、それは、そうだけど……」

「それに、ボクには目的があるの。だから、正直そういうことをされるのは迷惑なんだ」

 さらっとした流れで、またも紫雨さんは爆弾を落とす。しかも、朝の時とは比べ物にならないほどの。

「えっ……それ、どういうこと……?」

「言葉通りだよ。ボクは彼女の一番になりたいの」

 その言葉により、クラス全体が騒がしくなる。

「ちょ、紫雨くん」

「なに? 別にいいだろ? 事実なんだから」

「紛らわしい言い方をしないで!」

 特に恥ずかしがることもなく、いつもとなんら変わることなく言ってのける紫雨さん。

 横目で葛城くんのほうを見ると、彼女の言葉が信じられないのか、固まって紫雨くんのことをじっと見ている。

「恋華……本当なのか?」

 顔をこっちに向けず、口だけを動かしてお入れに問いかけてくる。

「確かに、一番になりたいとは言われたよ。でもそれは……」

「……返事は?」

「え?」

「返事は、したのか?」

 勘違いをしたまま、葛城くんは不安の色を、瞳に浮かべながら聞いてくる。

「していない……」

 真実を話せる雰囲気じゃない。

「……ちょっと来て」

 葛城くんに手を引かれ、教室を出る。

 連れてこられたのは、屋上。最近何かとここに来ることが多い気がする。

「なんで、返事返さなかったの?」

 先ほどの話題を振られる。葛城くんはアタシの方を向かず、背中を見せたままだ。

「待って。まずは話を聞いて」

 まずは誤解を解かなければ。

「なに?」

「一番になりたいって言ってたのは、葛城くんが思っているようなことじゃないの。友達の一番になりたいってことだよ」

 とりあえず、すべての真実を話す。

 本当に、めんどくさいことをしてくれた。

「……じゃあ、紫雨くんのこと好きとかそういうことじゃないの?」

「それはない! だってアタシは……」

 ダメだ。これ以上先は言ってはいけない。今はまだ。

「なに? アタシはなんなの?」

「……言えない」

「恋華、そればっかりじゃん! いつになったら俺に本当のキミを見せてくれるの? 俺は全部見せてるのに、恋華くんは全然見せてくれない!」

 何も言えなかった。実際その通りだ。アタシは自分のうちを一切と言っていいほど見せていない。

 別に彼女が信じられないとかじゃない。それでも、今はまだ見せられない。

「何か言ってよ! ちゃんと言ってくれなきゃわかんねーよ!」

 こちらを振り向き、見えた彼女の瞳からは涙が流れている。また、アタシが泣かしてしまった。

「……今週」

「え?」

「今週、出かけるでしょ? その帰りにすべて伝える。今まで隠していたことすべて。そして、アタシの気持ちも。だから、もう少しだけ待ってくれないか?」

 これが今のアタシにできる精一杯だ。これでダメなら、もう打つ手が無い。

「……本当?」

 アタシのそばに近寄ってきて、潤んだ瞳でアタシを見つめてくる葛城くん。

「ああ。だからお願い。もう少し待って? 京」

「……それは、卑怯、だよ」

 アタシの胸に頭を預け、シャツを強く握ってくる葛城くん。その手は微かにだが、震えていた。

「わかった。待ってる。今週ちゃんと聞かせて。もうそれ以上は待たないから」

 目を赤く晴らし、一心にアタシを見つめてくる葛城くん。その目から視線を逸らさないようにアタシも、彼女の目を見て強く頷く。

「うん。満足。それじゃ、戻ろ」

「うん。ご飯もまだ、半分しか食べてないし」

 そう言って、屋上の扉を開けると、チャイムが鳴り響く。それは、昼休みの終わりを告げる鐘の音。

「ご飯、食べそびれた……」


***


 空腹の中、午後の授業を何とか終え、放課後になる。

「霧島さん一緒に帰ろ」

 後ろの席から、紫雨さんに呼ばれる。昨日と同じく帰りの誘いだ。

「恋華! 一緒に帰ろ!」

 こちらもいつもどおり、葛城くんが帰りの誘いをしてくる。でも、今日は。

「ごめん、葛城くん。今日は紫雨くんと帰るからさ。明日一緒に帰ろ?」

「え?」

「へえ、今日はボクと帰ってくれるの? じゃあ、早速行こうか」

 紫雨さんに腕を引っ張られる。だが、アタシはそれに抵抗し、掴まれていた腕を解き、葛城くんのところへ行くと、耳元に顔を持っていく。

「……決着つけてくるから」

 それだけ言うと、葛城くんから離れ紫雨さんの元へ駆け寄る。

「じゃあ、帰ろっか」

「うん」

 葛城くんの方を横目で見ると、心配そうな目でアタシのことを見ていた。

 少し申し訳ない気持ちになる。あんな目はさせたくなかったのに。

 そのまま、紫雨さんに腕を引かれながら、下駄箱まで行く。

「そんなに葛城くんのことが気になる?」

 不意に紫雨くんから声がかかる。

「なんで、そう思うの?」

「顔を見ればわかるよ。なんかずっと心此処にあらずって感じだから」

 結構鋭い。

「そんなことはない。別に葛城くんのことを考えているわけじゃないし」

「……まあ、そういう事にしておいておげるよ」

 まだ何か言いたそうな目でアタシを見てきたが、それを無視し、校舎を出る。

「で、なにを考えてるんだ?」

 横に並んできた紫雨さんが問いかけてくる。

「考えるってなにを?」

「とぼけないでよ。今日ボクと帰るのは理由があるんだろう? その理由はなんなのか聞いているんだ」

 本当に鋭い。隠し事はできなそう。

「はあ、もうちょっと行ったところに公園があるの。そこで話すよ」

「……わかった」

 渋々といった感じでうなづいた紫雨さんは、その後何もしゃべらず、アタシの隣に並んで歩いている。

「ここだ」

 公園に着くと、葛城くんと話したベンチへ腰を下ろす。

「じゃあ、早速話してもらおうか」

 紫雨さんもベンチへ腰を下ろすと、すぐに本題を持ち出してくる。

「わかった。あなたと帰った理由は……あなたにアタシの思いを伝えるため」

 そう言うと、紫雨さんはいつもの冷静を装った顔を崩し、驚いたような表情を浮かべた。

「なんで、急に」

「ある人に言われて気づかされたの」

 今日の昼休みの葛城くんとの会話。あの時の気づいた。なんでアタシはすぐに紫雨さんに答えを返さなかったのか。それは簡単な答えだ。アタシが今まで告白されたことが無くて、どう返事を返せばいいのかわからなかったからだ。

 でも、それは単純だった。アタシの今抱いている気持ちをそのまま伝えればいいんだ。

「じゃあ、言うよ?」

「待って!」

 答えを返そうとすると、急に紫雨さんから止められる。

「そんなの勝手すぎる。まだ会ってから日も経っていないし、ボクのことを知ってもらっていない! 何より、ボクの心の準備ができていない! だからそれはまた今度に……」

 紫雨くんらしくない怒涛の捲くし立てに、怯みそうになるが、でも、もう。

「今じゃなきゃダメなの。これからいくら時間が経とうと、紫雨くんをどれだけ知ろうと、アタシの返事はかわらない。だから今じゃなきゃダメなんだよ」

 アタシの言葉に彼女は何も言えなくなり、視線を落としている。

 少し強く言い過ぎてしまっただろうか。

「……わかった。返事聞かせてくれ」

 顔を上げ、小さく、弱弱しい声でつぶやく紫雨さん。それを合図にアタシも口を開く。

「じゃあ、言うね」

 一拍置き、深呼吸をする。そして、紫雨さんの目を見つめ、言葉を紡ぐ。

「ごめん。紫雨くんとは友達にはなれない」

 視線を外すことなく、彼女にとって残酷な答えを言い放つ。

 紫雨さんの瞳から涙が零れ落ちていく。

「なんでダメなんだ……? ボクの方が遅かったから? ボクがあの人の息子だから?」

 涙交じりのその声は嗚咽を含みながら、アタシに問いかけてくる。

「違う。あなたのほうがアタシと早く出会っていても、あなたがあの人の息子じゃなくても、アタシはあなたの友達にはなれないよ。」

「じゃあ……どうして?」

 縋るようなその瞳には、まだ諦めた様子はなかった。

 涙を流していても、なんとかなると思っている目だ。

「どうなったとしても、アタシは紫雨くんを選びはしないよ。彼がアタシの近くにいる限りね」

 きっとアタシには葛城くんしかいないだろう。別に初めての人だからとかそういうことじゃない。多少はあるかもしれないが、それでも、アタシは。

「だから、ごめん」

 最後にそう告げる。紫雨さんは先ほどよりも勢いよく涙を流している。

 それとめる資格はアタシには無いだろう。アタシのせいなのだから。

「……霧島さん。先に、帰っててくれないか?」

「え?」

「お願い。今は一人にしてくれ……」

 両手で顔を隠し泣く紫雨くんの頼み。ならアタシはそれに従うしかないだろう。

「また、学校でね」

 それだけ言って、紫雨さんと別れる。

 アタシが公園を出ると、泣きじゃくる彼女の声が聞こえてくる。

 それがずっと耳に残り、頭から彼女の泣き顔が焼きついていた。


***


 ベッドに身を投げる。目を瞑り、先ほど事を思い出す。

 まだ紫雨くんと会って数日しか経っていないが、『紫雨直哉』という一人の男の子が、どういう人間か少しだけ解った気がする。

 美少年で、どこか大人っぽくて、意外とお茶目で、そして、本当にアタシの一番になりたかった男の子。

 もし、アタシが葛城くんと出会っていなかったら、今抱いている気持ちの相手は、彼になっていたかもしれないと思えるほど、魅力的な女性だった。

 アタシの母さんの今の息子でも、そのマイナス点を帳消しにするくらいに。

 でも、アタシはんそんな彼の気持ちを受け入れず、泣かせてしまった。

 家に帰ってきた今でも、彼の泣き顔、泣き声が頭から離れない。

 何もせず、ただベッドに寝転がっていると、スマホが震える。メールだ。

『今から帰る。夕飯よろしく』

 母さんからだ。

 夕飯を作らなければいけない。なのに、体が起き上がることを拒否している。

 何もやる気が起きない。

 耳には、紫雨くんのあの声がこびりついて離れない。

「もう!」

 枕を思いっきりクローゼットに向かって投げる。物に当たっても何も変わらないのに。

 何かしなきゃいけない、何もしたくないと言う気持ちが混ざり合い、胸の中が気持ち悪い。

 スマホを手に取り、電話帳を開く。

『葛城京』

 その名前をタップすると、彼女の電話番号が表示される。

 彼女の声が聞きたい。彼女に会いたい。それで何かが変わるなんて思っていない。それでも、葛城くんに会いたかった。でも……。

 スマホの電源を切り、またベッドに放り投げる。

 今、葛城くんに会うのはダメだ。

 そんなことをしたら葛城くんにも、そして何より紫雨さんにも失礼だ。

 アタシはまた、何もやることなくベッドに身を預けたまま、天を仰ぐ。

「ただいまー」

 下から声が聞こえる。母さんが帰ってきたのだろう。

「恋華? いないの?」

 アタシを呼ぶ声。それにすら反応する気も起きない。

「恋華、入るわよー……なんだ居るじゃない。返事くらいしなさい」

 部屋の扉が開き、母さんが顔を覗かせる。

「母さん……」

「どうしたの?」

「話聞いてもらっていい?」

 そんな事を口走ってしまう。何も考えずに出てきたその言葉。弱いな。アタシは。

「……ええ。じゃあ、リビングに行こうか」

 ベッドから起き上がり、下へ降りる。

 リビングのソファーに、母さんと対面で座る。

「で、何かあったの?」

 その言葉をきっかけに、アタシは先ほどの紫雨さんとのこと、そして彼女のあの姿と声が忘れられないことを話した。

「……これも、母さんのせいなのかもしれないわね」

 そう小さく呟く母さん。どういうことなのだろうか。

「過去の父さんと、母さんが離婚するきっかけになった喧嘩。覚えているでしょ?」

 無言で頷く。忘れられるわけが無い。母さんを裏切ったあの女がやったことを。

「父さんは恋愛脳で、しょっちゅう浮気をしていた。最初は母さんも、なんとか我慢をしていた。でも、いくらいっても止めてくれなかったから、ついに言ってしまったの。『なんで子どももいるのに、そんなことが出来るの! 父親としての自覚を持ってよ!』て」

 詳しい事までは知らなかったが、ここまで酷いとは思わなかった。

 一回だけじゃなく、幾度と浮気をかさね、母さんが怒ったらそれで切り捨てる。

 そんなやつがアタシの母親だったなんて。考えただけでも反吐がでそうだ。

「それで、あなたが知っている喧嘩になって父さんと母さんは離婚した」

 そこまで言うと、母さんはあのときを思い出しているのか目が少し、潤んでいた。

 そんな思いをしていたのに、まだあの人のことを……。

「でも、それが今のアタシの気持ちと何か関係があるのか?」

 それが一番の疑問だった。聞いていたところ、何か関係があるようには思えない。

「恋華はたぶん、『裏切り』に強い嫌悪感を持っているんだと思う」

「うら、ぎり……」

 思い当たる節はある。でも、今回のは裏切りになるの?

「でも、今日のことはただ、アイツの友達申請を断っただけで、何も裏切ってなんか……」

 思ったことをそのまま母さんにぶつける。

「裏切りなのよ。恋華はその子の気持ちにすぐに答えを出さず、期待させてしまった。そして、その期待を裏切ったの」

 そう言われ、何も言えなくなる。

 アタシが紫雨くんの期待を裏切った。今思えば、紫雨さんがやたらアタシに絡んできたのは、ただアタシに振り向いて欲しかったから。そんな彼女の必死のアピールを蔑ろにして、挙句の果てに告白を断った。待たせたことで期待させてしまい、それを裏切った。

 最低じゃない。やり方は違うけど、こんなのあの人と変わらないじゃない。

「アタシは……」

 自覚し、認めてしまった。

 視界が歪み、目からとめどなく涙が溢れてくる。

「確かに、恋華のしたことは褒められることではないわ。でも、あなたにはもう答えは出ていたんでしょう? なら、そうなってしまうのは必然だったのよ」

 顔を上げ、母さんを見る。

「むしろ、裏切りに対してそこまでの嫌悪感を持たせてしまったのは、母さんのせい。あの時、あんな喧嘩をしていなければあなたを、こんなにも追い詰めることはなかったかもしれない。ごめんなさい」

 頭の上に大きな手が置かれる。温かくて、大きくて、そして優しい。母さんの手。

「かあ……さん……」

 先ほどよりも、涙が溢れてくる。もう母さんの顔が見えなくなるほどに。

「溜め込みすぎよ。馬鹿。そんなところばっか母さんに似るんじゃない」

 クシャクシャに撫でられる。乱暴な撫で方だが、そこにはちゃんと優しさがあった。

「たまには吐き出すことも大事よ? 今日ぐらい全部吐いて楽になりなさい?」

 その言葉をきっかけに、久々に大声をあげ、泣き喚いてしまう。

 母さんの胸に飛び込み、そこでわんわんと。

 アタシが泣いてもしょうがないことは、わかっていた。本当は、この涙を流すのは紫雨さんのはずだ。むしろ、これよりも多く。

 でも、どうしても泣かずにはいられなかった。


***


 カーテンから差す木漏れ日により目が覚める。

 洗面所に行くと、自分の顔が鏡に映る。酷い顔だ。

 あの後、泣きつかれて寝てしまったのだろう。起きたとき、テーブルの上に、デリバリーのピザの箱が置いてあった。

 顔を洗い、気持ちを切り替えようとするが、ダメだった。

「今日学校行きたくないな……」

 紫雨くんに会うのが気まずい。いや、もしかしたら昨日のことで、彼も学校に来ていないかもしれない。

 それはそれで気まずい。

「はあ……」

 思わず漏れ出すため息。

 リビングに戻ると、机の上に手紙があることに気づく。

『先に出ます。今日は晩御飯はいらないです。母より』

 そう書かれていた。

 手紙をゴミ箱に入れ、自室へ戻り制服へと着替える。

 そのまま玄関へ行き、外へ出る。朝食を作る気になれなかった。途中でコンビニに寄り、おにぎりを一つ買い、食べながら学校へと向かう。

「おはよう。恋華」

 いつの間にか十字路まで歩いていたようで、葛城くんが声をかけてくる。

「……おはよう」

 今日始めて出した声は、酷く枯れており、醜い声だった。

「ど、どうしたの! その声!」

 いつも通り、葛城くんは優しい。でも、今はその優しさを受けたくない。

「ちょっと、昨日色々あってね……」

 なんとか、笑顔を浮かべる。うまくできているかは解らないが。

「紫雨くんのこと……?」

「……ああ」

「何か酷いことされたのか? 俺、今日学校であったら言ってやるよ!」

 違う。

「恋華をこんなにするなんて。なに考えてるんだろう」

 違うんだ。

「大丈夫だから! 心配しないでね!」

「やめて!」

 怒鳴り声を上げてしまう。そして、言ってから気づく。今、自分が何をしたのかを。

「ごめん。違うの……。悪いのは、アタシなんだ。紫雨くんは何もしていない……」

 葛城くんを見ると、少し震えている。本当に自分が嫌になる。

「よ、良かったら聞かせてもらっていい?」

 葛城くんの言葉に無言で頷く。

 アタシは、昨日紫雨さんと話した公園に向かい、そこのベンチに座る。

「それで、何があったの?」

「……紫雨くんに返事をしたんだ」

「そっか……」

 そう言ったきり、葛城くんは口を閉ざしてしまう。

「……断った」

「え?」

「断ったの。その後、母さんと話してさ。アタシが紫雨くんの期待を裏切って、傷つけて、そんな自分が嫌で……」

 思い出しただけでも、涙が零れそうになる。

「アタシがすぐに答えを出していれば、もしかしたら紫雨さんの傷も少しは、和らげることが出来たかもしれないのに。アタシ……」

「それは普通のことだよ」

「え?」

 葛城くんの言葉を思わず聞き返してしまう。

「人は関わっていく上で、必ず人を傷つける。傷つけないなんてことはできない」

 そんなこと知ってしまったら。アタシが今まで追い求め来たものは、今まで頑張ってきたことは無意味なのか。

「裏切りなんていっぱいするし、される。それでも人は人を求める。なんでだと思う?」

「そんなの、わかるわけ……」

「そう。それが答え。解る訳ない。理屈じゃないんだよ。そんな理由なんか求めちゃいけないの。人は人が好きなんだよ。それが当たり前なんだよ。ただ、それに代償があるだけ」

 そう言って空を眺める葛城くんの顔には、笑顔が浮かんでいた。

「だからね、恋華。キミが言う裏切りは、必要なことだったんだよ。人の好意を受け取れないとき、傷つけないことなんかできないよ。だから、そんなに落ち込まなくていいんだよ」

 その時、温かい何かに包まれる。葛城くんに抱き締められている?

「優しいんだな。恋華は。良く頑張ったね。辛かっただろ? もう大丈夫だから。キミはもう自分を責めなくて良いんだよ」

 葛城くんの言葉で、アタシの中の何かが壊れた。それと同時に、涙腺も崩壊していた。止めようとしても、止まらず、どんどん溢れてくる。

 そして、アタシの中にあった不安までもが消え去っていた。

 三河さんと話したときに抱いた違和感は無くなり、今ならちゃんと胸を張って言える。

 ――アタシは葛城くんのことが。

 それに気づけた。そして、彼女の言葉で救われた。

「あり、が、とう。きょ、う」

「うん」

 しばらくの間、アタシは彼の、京の胸の中で涙を流していた。


***


 泣きやみ、時計を見るとどう頑張っても遅刻確定の時間だった。

「ごめん。アタシのせいで」

「ううん。しょうがないよ。今から行こう? 遅刻はしちゃうけど」

 そう言ってアタシの手を引く京。

「ちょっと待ってくれない?」

 学校に向かおうとする京を一旦引き止める。これだけは今言わなくちゃ。

「一つだけ。答えが出たの」

「答え?」

「うん。アタシは今まで、過去に囚われて、男性と関わる機会がないことを言い訳に、逃げてきた。でも、そんなアタシももう終わり。母さんと恵に助けてもらって、紫雨くんに告白され、京に大切なことを教えてもらって、やっと気づけた。もう、こんなアタシは終わり。過去の、男の子が怖かった、そんなアタシとは」

 前に進もう。そう思えた。アタシの周りの人たちを見て。そして、常に前を進もうとしている京を見て。いつまでも、足踏みしてはいられないことに。

「だから、これからは新しいアタシを、『霧島恋華』をよろしく!」

 手を京に向けて出す。

 京は、それを見てからアタシの顔を見ると、いつもの笑顔を浮かべ、両手でアタシの手を包み込む。

「うん! よろしくね! 恋華!」

 その顔を見ると、自然とこちらの口角も上がっていく。

「じゃあ、学校行こ」

 そしてアタシは、学校へと足を運んだ。


***


 学校へ着くと、その時にはもうすでに一限の授業はもう終わっていて、先生にこっぴどく叱られた。

「なーにやってんのよ。恋華」

「色々あったの。てか、恵。紫雨くんって今日学校に来てる?」

 学校に着き、一番最初に見たのは、アタシの後ろの席。紫雨くんの席だ。

 だが、そこには彼はおらず、やはり来ていないのかと思ってしまう。

「ん? 紫雨くんなら来てるよ? ほら、お前の後ろにいるじゃん」

「はあ? お前なに言って……」

「おはよう。霧島さん」

 声が聞こえ、後ろを振り向くと、恵の言う通り、紫雨さんが後ろに立っていた。

「今日も葛城くんと一緒に登校か。しかも、遅刻して。そうですか」

 ジト目でこちらを睨んでくる紫雨さん。

「霧島さん。昼休み、話があります。屋上に来てもらって良いか?」

「えっ、う、うん」

 それだけ伝えると、紫雨さんは自分の席へと戻っていく。

「なんだなんだ~。恋華、モテ期が来るとそんなに呼び出されることが、多くなるのかよ~」

 ふざけている恵に一発入れ、自分の席へ戻る。

 昼休み、なにを言われるのだろうか。そのことを考えると、授業の内容が入ってこない。貶されるだろうか。また泣かれてしまうのだろうか。そんなことで、頭がいっぱいになる。

 そんな調子で授業を受けていると、四限の授業の終了を知らせるチャイムが鳴り響く。

「霧島さん。きてもらうよ」

 授業が終わるとすぐに紫雨さんに手を引っ張られ、教室の外へ連れ出される。

 アタシのことお構いなしで、手を掴んだまま廊下を歩く。そのせいで、周りからの視線が痛い。

「あ、あの~、紫雨くん。手を離してくれませんか」

「いやだ」

 即答。しかも、たった三文字で話が終わってしまった。

 階段を上り、屋上の扉を開ける。

 外に出ると、やはり夏場の昼間。熱気がすごく、一気に汗が噴き出してくる。

「霧島さん。昨日のことなのだけど……」

 いきなり本題を突きつけてくる。やはり、アタシのこと恨んでるんだろうか。

「ボク、諦めないから」

「はい?」

 紫雨くんの口から出てきた言葉は、アタシの予想から大きく外れた回答だった。

「確かに昨日はショックだったよ……。でも、それでもボクは貴方の一番になりたい。そんな一回断られたくらいで、諦めきれない。だからこれからもアタックしていくから、覚悟してね?」

 その言葉に開いた口が塞がらない。

 意外と元気だった。その事に驚きもしたが、何より安堵した。

 落ち込んでいなくて、学校にこれないようになっていなくてよかった。

「……なんか言うことあるんじゃない?」

 少し頬を赤く染めながら言う紫雨さん。ホント、アタシにはもったいないくらいいい子だよ。

「……あなた、意外とバカね」

「なっ! キミは!」

「紫雨くん」

 紫雨くんの言葉を遮ってアタシの言葉を紡ぐ。

「アタシは、あなたになにされようと一番になることは無いよ。絶対にこの気持ちは揺るがない。けど、それでもなりたいって言うなら、勝手にして」

 今のアタシの本当の気持ち。それをすべてぶつける。それがアタシが彼女にできる精一杯だ。

「……そう。なら勝手にさせてもらうよ」

「うん。勝手にして」

 やっとこれで、すべて終わった。アタシの中の不安は消え去った。

 あとは、アタシの想いを京にぶつけるだけだ。

「じゃあ、アタシは戻るね」

「ああ。……報告ちゃんとしなよ。じゃないと彼また、妬くよ?」

 妬く? 何のことだろう。京がヤキモチを妬く理由なんかあるはずないんだが。

 紫雨くんの言葉に悩まされながら、アタシは教室へと足を運ぶ。

「遅い! 紫雨くんと何してたんだよ!」

 教室へ戻ると、すごい勢いで、アタシのところに京が詰め寄ってきた。

「いや、ちょっとお話をしていまして……」

「本当か? なにもしてない?」

 逆に、アタシが何かするとでも思っているのだろうか。

 ただ、京の目には元気が無く、弱弱しい瞳でこちらを見ていた。

「本当になにもないって」

「ああ。とりあえず、ボクが彼女に告白しただけよ」

 少し遅れて紫雨さんが、戻ってくる。そして、またも爆弾を投下する。しかも少し脚色して。「ちょ! 紫雨くん! あなた、テキトーなこと言わないで!」

「そんな事無いよ。実際そうでしょ? ボクは諦めない。貴方の一番になるって言ったんだから、告白だろ?」

「そう言われるとそう思えてきた……」

 そこで、思い出す。前に京がいたことを。

 恐る恐る京の顔を見ると、涙を浮かべてはいるが、その瞳にはしっかりとした怒気が篭っているように感じられた。

「恋華……嘘、吐いたのか?」

「ち、違う! あれは告白じゃない! 決して京に嘘を吐いていたわけじゃない!」

「本当?」

「本当だよ」

 それだけ言うと、京は黙ってこちらをじっと見つめ、何か納得したかのように首を立てに振る。

「なら、信じる」

 その言葉にで、無意識に入ってたであろう肩の力が抜ける。

「ねえ、恋華。あんた、葛城くん相手に噛まなくなったの? しかも京って……」

 話を聞いていたのか、恵が突っ込んでくる。そう言えば、まだ、学校に来てから京の名前呼んでいなかったっけ。

 そのせいか、紫雨くんもこちらを信じられないものでも見ているかのような目で見てくる。

「恋華ちゃん? ボクのことも直哉でいいよ?」

 紫雨くんが京に対抗するように、アタシの名前を下で呼び、自分のことも下の名前で呼ぶように言ってくる。

「だ、ダメだ! これは俺と恋華だけの呼び名なんだから!」

「いやいや、葛城くん。ウチも恋華と下の名前で呼んでるよ?」

 恵が珍しく空気を読まない発言をしている。

 紫雨さんも京も、冷たい視線を恵に向けている。なんか怖い。

「別にいいじゃないか。別に減るものでも無いんだし。あまり独占欲が強すぎると、嫌われるよ?」

 恵の発言をスルーし、話を続ける紫雨さん。

「そ、そんな事無い! それに、紫雨くんはフラれてるんだから、あんまりでしゃばって来んなよ!」

 京もその発言に対抗するが、仕方がよく解らない。

「お前……言ってくれるじゃないか」

「俺だって、言うときは言うんだよ!」

 よくわからないことを言い合う二人。

 その間にアタシは、自分の席に戻りちょっと遅めの昼食を摘んでいた。

「恋華。いいの?」

「何が?」

「あの二人」

「いいんじゃない?」

 そんな曖昧な返事を返す。「テキトーだね」と言い残して、恵は自分の席へと戻っていった。

 実際、あれでいいと思う。いじめから開放されて、いつも通りに戻った京。アタシが振ったせいで一度傷つけてしまったが、立ち直った紫雨さん。

 二人とは少しの間とは言え、一度笑えなくなってしまったが、今はまたこうして笑っていられている。

 それだけで、いいと思えた。

「恋華! 紫雨くんに言ってやれ! お前にはなれないって!」

「恋華ちゃん。この人に言ってあげなよ。しつこい男は嫌いだと」

 ただ、この二人はなぜかは知らないが仲良くはなれそうに無いと、なぜかそう思えてしまった。


***


 放課後。今日は珍しく恵が部活が無いらしく、久々に一緒に帰ることになった。

「それにしても、驚いたよ。あんたが男子に対して噛まなくなってて」

 夕日に染まる道を、二人並んで歩いていると、恵がそんなことを口にする。

「まあ、色々あってな」

「そっか。そういや、最近アタシも部活が忙しくて、あんま恋華の話聞いてなかったし」

 腕を頭の後ろに組んで、ため息交じりに言う恵。確かに、最近京のことや紫雨くんのことでドタバタしていて、恵と話す機会がなかった。

「まあ、お互い忙しかったんだからしょうがないよ」

「まあ、そうだけど。なーんか、ウチが知らない間に恋華が色々変わっちゃってて、なんかやるせない感じだよ」

「あんたはアタシの親か」

 そう言って笑い合う。なんだかんだ、やっぱりこの時間は好きだ。

 別に京と一緒にいると疲れるとか、そういう事じゃない。やっぱり、同性の友達と異性の友達とでは色々、違うものがある。異性には気を使うことが多いから、その点男友達にはあまり気を使わなくても良い分、気楽だ。

「なに一人で笑ってるのよ。気持ち悪い」

「恵は少し、他人に気を使うことを覚えたほうがいいよ」

 できる限り、精一杯のジト目で恵を睨む。すると、気まずそうに目を逸らす恵。

 あの顔、絶対アタシ以外に言われたことあるな。

「でも、良かったよ。あんたのコンプレックスを解消することができて。ずっと悩んでたもんね」

「まあ、ね。ホント、最近色々ありすぎて、色々考えることが多くて疲れるよ」

「まあ、暇よりはいいでしょ」

 こっちが真剣に言ってるのに、恵はお茶らけた様に笑ってみせる。

「で、どうなの? 葛城くんへの想い。自分の中で答えは出た?」

 唐突にそんな質問を投げかけてくる。

 確か前にも、恵に聞かれたことがあった。でも、その時はまだ、アタシの中で答えが出てなくて曖昧に答えていた。

「……うん」

「……そっか。ならよかった」

「聞かないの? アタシの出した答え」

「聞かなくてもわかるよ。その顔を見れば」

 そんなにも、わかりやすい顔をしているだろうか。

 ただ、そう言った恵の顔は、本当にわかっているようで、どこか納得したような顔をしている。

「あと、あんたが相当鈍感だということもわかったしね」

「はい? 何言ってんのよ」

 アタシが鈍感? 正直自分の中では結構、鋭い方だと思っていたのだが。

「いや、これは後々あんたが、自分で気づくことになるだろうよ」

 そう言ってアタシの前を歩く恵。

「なによ。教えてくれてもいいじゃない」

「ダメだよ。これは恋華が自分で気づかないと意味が無いからね」

 これは、どう頼み込んでも教えてはもらえなさそうだ。

「まあ、頑張って。恋華」

「ん? よくわからないけど、わかった」

 急なエールを送られ戸惑う。でも、なぜか不思議と安心感に包まれる。

「どんなことがあっても、ウチだけは味方でいてあげるから」

 さっきからよくわからない事を口に出す恵。

「なんか今日の恵、おかしいよ?」

「ひどーい。せっかく人が良いこと言ってるのに」

 その意味が分からなければ、どうしようもないと思うのだが。

 そんな他愛もないことを喋りながら、帰り道をゆっくりと歩く。

 夏のせいか、夕方になってもまだ暑い。

 額に汗を滲ませながらも、アタシらは休むことなく、分かれ道まで口を動かし続けた。

 久々のこの時間を目いっぱい楽しむように。


***


 金曜日の朝。アタシはあることを考えながら、学校へと向かっていた。

 それは、明日の京とのデートだ。そして、その日にアタシのすべてを伝えること。

 今から考えるだけで、緊張で心臓の音がうるさい。

「恋華! おはよう!」

 そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか十字路についていた。

 あれから本当に、毎朝京と登校している。

「おはよう。京」

「うん!」

 挨拶を交わすと、お得意の笑顔を、アタシに向けて浮かべる。

 これを見ると、あさから元気が出る。

「あっ、そういえば明日のことなんだけど……」

 今、アタシが考えてることが話題に出て、少しドキッとする。

「う、うん。明日がどうしたの?」

「うん。まだ、どこに行くか思いつかないから、今日の夜にメールで送る感じになっちゃうんだけど、それでもいいか?」

 少し潤んだ瞳でこちらを見てくる。しかも、アタシの角度から見ると、上目遣いをしているようにも見える。

 正直、京は相当あざといと思う。こういう仕草とか、たまに出る日常会話の言動とか。

「う、うん。問題ないよ。どうせ、夜なんか暇だし」

「そっか! よかったー」

 そう言って胸を撫でおろす京。

 それから、少し無言の時間が続く。いつものことだ。

 大体、一つの話題が終わったら、アタシたちは必ず無言の時間ができる。

 ここで、一つの問題に気付いた。

 いつも通りなら問題はないのだが、明日はデート。特別な日だ。尚且つ、アタシはもう一つ重要なことが控えている。

 そんな中、今みたいな時間があったら不味いんじゃないか?

 京につまんないやつだと思われて、デートを早く切り上げられてしまうかもしれない。

 それだけは、何が何でも回避しなければ……。

「恋華! 俺の話聞いてる!?」

「え!? な、なに?」

「やっぱり聞いてなかった! もー!」

 そう言って頬を膨らまし、京は、明後日の方向を向いてしまう。

「わ、悪かった! ちょっと考え事してて……」

「……はあ、しょうがないなー」

 こちらに向き直り、笑顔を見せてくる。機嫌を直してくれたようだ。

「じゃあ、もう一回言うな。今日の帰りも一緒に帰ろうって話なんだけど。いい?」

「うん。どうせ今日は、恵は部活だろうし」

 結構重要な噺家と思いきや、いつもの帰りのお誘いだった。

 本当に、最近は京といることが増えたな。昔だったら考えられないことだ。

「そういえば、さっきなに考えてたの?」

 少し黙っていると、京に先ほどのことを聞かれる。

 ど、どうしよう。流石にデートのこと考えてたなんて言えないし……。

「恋華? もしかして、話せないようなこと?」

「えっと、話せないことって言うより、話すとアタシが羞恥に悶えるような話で……」

「まさか……えーっと、ごめんね。女の子だもんね。それぐらい考えるよね」

 リンゴみたいに顔を赤くし、目を泳がせる京。これは。

「京、壮大な勘違いをしていない?」

「だ、大丈夫! 恋華が、人に言えないこと考えてても、俺は大丈夫だから!」

「いや、なにが大丈夫かはわからないが、お前の思っているような事は考えてないから!」

 まさか朝から、しかも京に対してツッコミを入れるとは思ってなかった。

 またも朝から凄い疲労感がアタシを襲う。

 そんな疲れを感じながらも、やっと学校に着く。

「はよー」

「はよーっす。恋華」

「おはよう。恋華ちゃん」

「おはよう。恵、紫雨くん」

 教室に入ると、恵と紫雨さんと挨拶を交わす。

 すると、顔を険しくして紫雨くんが近寄ってくる。

「な、なに」

「また、葛城くん一緒に登校してきたんだ。そして、ボクのことは直哉って呼んでって言ったでしょ」

 これは俗に言う嫉妬。というやつなのだろうか?

「ちょっと! 紫雨くん! 近い!」

 京がアタシと紫雨さんの間に入ってくる。そんなに近かっただろうか?

「ちょっと葛城くん、邪魔。ボクは今恋華ちゃんと話しているのだから」

 その言葉がきっかけで、最近恒例の言い合いが始まる。

「恋華も苦労するね」

「人事だと思って……少しは助けてよ」

「嫌よ。だって人事だもん」

「あんた……」

 一発ど突きたくなる気持ちを、何とか抑える。

 彼女たちのほうを見ると、まだ言い合いを続けている。

 その光景を見ると、ここ最近で本当にアタシの周りが変わった。

 京と紫雨くんが喧嘩して、恵がそれを笑いながら見ている。

 そんな今。めんどくさいこともあるけど、なんだかんだ楽しくやってる。

 いつぞやに感じたアタシの中の雲は晴れたようだ。

 そして、アタシ自身もやっと空っぽだったあの頃から変わることができた。

「なにぼけっとしてんの。恋華」

「恋華! 紫雨くんになんとか言ってやれ!」

「それはこっちのセリフだよ。恋華ちゃん、この分からず屋にバシッと言ってあげな」

 こんな、みんなでバカやっていられる今が、最高に楽しい。あわよくば。

「あー、はいはい。そろそろチャイム鳴るよ。席に着こう」

 ずっと今が続いてくれたら。なんて思ってしまう。


***


「じゃあ、恋華! 夜にメールするな!」

 帰り道。葛城くんと一緒に帰り、いつもの待ち合わせの十字路で別れる。

 あれから学校も何事も無く終わった。

 明日は葛城くんとのデート。

 朝も考えていたが、だんだん近づいてくる事実に心臓の音がうるさくなる。

「ただいまー」

「おかえり。恋華」

 家に着くと、母さんがリビングからひょっこり顔を出す。

 そうだ。母さんなら。

「母さん、聞きたいことがあるんだけど」

 明日、葛城くんにアタシの想いを伝える。でも、伝え方わからない。

 でも、経験者の母さんならいいアドバイスが聞けるかもしれない。

「ん? まあ、いいけど」

「ありがとう。着替えたらリビングに行くね」

 ローファーを脱ぎ、階段を駆け上がる。

 箪笥から部屋着を取り出し、それに着替える。

「おまたせ」

 速攻で着替えを済ませると、リビングまで駆け抜ける。

「え、ええ。なにをそんなにいそいでいるの?」

「そんなことは、どうでも、いい! 母さんが、母さんに、告白したときの、こと、おしえてほしいの!」

 息を切らせながらも、本題をぶつける。

「なんでそんなことを急に?」

「いいから!」

 無駄話をしている暇はない。アドバイスを聞いて、明日のことを考えなきゃいけないのだから。

「まあ、いいわ。母さんの告白は普通だったわよ? 大学の合コンで知り合って、何回か会って、告白した」

「その内容を教えて!」

「え、ええ。少し恥ずかしいけど、確か、『空さん。一目見たときからあなたのことが好きでした。付き合ってください』みたいな感じだったかな」

 本当に母さんが言った通り、普通だった。

 でも、アタシが京に想いを伝えるのにそれでいいのか?

「どうしたの? なんで急にこんなことを?」

 首を傾げながら問いかけてくる母さん。

 どうする。言ったほうがいいのか? でも、身内とはいえ流石に恥ずかしいし……。

「……そういうことね。あなたの想いを伝えるのね」

「な、なんで」

「この質問と、今のあなたの顔を見ればわかるわ」

 そんなにわかりやすいのだろうか。よく恵にも言われる。

「そっか。ついに」

 母さんは腕を組んで、何か納得したように頷いてる。

「恋華」

「な、なに?」

 先ほどまでのニヤケ面は一気に消え、真剣な顔つきになり、アタシの名前を呼ぶ。

 急なことで、一瞬怯んでしまう。

「告白でカッコつけようなんて思わないの。あなたは素直に想いを伝えればいい。それがどんなにカッコ悪くてもよ」

 母さんの言葉に驚きを隠せない。カッコ悪くてもいい?

「そんな。それじゃ、嫌われちゃうかもしれないじゃない!」

「そんな事は無い。確かにカッコいい告白は理想かもしれない。でも、あなたはこれが初めてでしょ? なら、そんなことは考えなくていい」

 ダメだ。母さんの言っている意味がわからない。

 カッコ悪くてもいいの? 告白はそんなのでいいのか?

「告白はカッコいい、カッコ悪いじゃない。ちゃんと相手に、自分の想いを百パーセント伝えることが出来るかどうかよ」

 それを言われ、何も言えなくなる。

 確かに母さんの言うとおりだ。

 アタシは、見た目ばかり気にしていた。どうまともに、尚且つ、どうカッコよく想いを伝えられるかを。

 でも、違った。アタシの本当の目的は、アタシの想いをすべて京に伝えることが出来るかどうかだ。見た目の問題なんか、どうでもいいんだ。

「……ありがとう。母さん」

「ええ。あなたの力になれたならそれでいいわ」

 ホント、良い母親を思ったよ。アタシは。

「じゃあ、ちょっとアタシ、明日のことで考えることあるから、今日は外で食べてきて!」

「えっ! ちょっ! 恋華!」

 母さんの叫びを無視し、自室へと戻る。

 すると、スマホに通知を知らせる光が灯っている。

 京からだ。

 夜にメールすると言っておきながら、もうメールが来ていた。

 それをタップし、メールを開く。

『明日、十時に駅前のベンチの前に集合で良いか? 内容は明日のお楽しみだ』

 内容は明日までわからないのか。まあ、いいか。

『わかった!』

 返信をし、スマホを枕元に置く。

 明日、勝負の日か。

「頑張れ。アタシ」

 自分自身にエールを送る。

 明日、どんな結果になろうとも、アタシはもう逃げない。

 それを胸に、明日のことを考える。

 この想いをすべて、京に伝えるために。


***


 朝八時半。アラームの音により、沈んでいた意識が覚醒する。

 ついにきてしまった。

 楽しみと言う気持ちの反面、緊張の方がアタシの中を支配する。

 とりあえずベッドから起き上がり、顔を洗いに洗面所に向かう。

 蛇口を捻り、水を出して手ですくう。それを顔につける。

 まだ、働いていなかった頭が働きだす。それにより、今日のことへの緊張感が一気に高まっていく。

 顔を拭きリビングに行き、簡単な朝食をとる。食べ終わると、自室に戻り、今日着ていく服選びに入る。

 自分が持っている中で一番無難で、ダサくないやつを選び、それに着替える。

 時計を見ると、もうすぐ、九時半。そろそろ出なければ。

 財布とケータイを持つと、下へ降り玄関で靴を履く。

「いってきます」

 誰もいない家に一声かけ、家を出る。

 さて、勝負の時間だ。


***


 九時五十分。約束の十分前に駅前に着く。

 流石に土曜日ということもあり、人で賑わっている。

「恋華!」

 前のほうから声が聞こえ、いじっていたスマホから顔を上げる。

「おまたせ。早いね」

「そんなことないよ。京だって約束の時間より早いじゃない」

 私服姿の京はデニムジャケットにで、左側を耳にかけているをしている。

 控えめに言ってももの凄くかっこいいいです。

「あ、あの、そんなに見られると、ちょっと恥ずかしいかな?」

「ご、ごめん!」

 いつの間にか見惚れてしまっていたらしい。

 顔を赤くして、肩を抱いている京。やばい、さっきからドキドキしっぱなしだ。

「え、えっと、今日の服、かっこいいよ……」

 話を変えようと、京の服装を褒める。

「ほ、ホント?」

「うん。すごく似合ってる」

「……ありがとう。恋華も似合ってるよ。すごくかわいい」

「ありがとう……」

 そこでまた会話が切れてしまう。

 ダメだ。いつもと違う京に緊張して、思うように会話が続かない。

「と、とりあえず、京が考えてきたところに行こう」

「そ、そうだね!」

 現状を打破するために、動くことにする。

「んで、今日はどこに行くの?」

「最初はショッピング。今年、まだ夏物の服買ってないんだー」

 そういうことで、やってきたショッピングセンター。どうやら、ここに京のお気に入りの服屋があるらしい。

「わー! かっこいいのがいっぱいある! どれにしよっかなー」

 アタシ自身、女性物の服屋に入ったことがないので、少し新鮮な感じがする。それになにより、先ほどまで恥ずかしがっていた京のテンションが、一気に上がる。

「ねえねえ! これとかよくない!?」

 持って来たのは、半袖のネイビーのシャツ。少し、オーバーサイズでなんともイマドキ男の子らしい服だ。確かに、京なら似合いそう。

「そうだね。試着とかしてみれば?」

「そうだな! そうする!」

 そう言って、気に入った服をカゴの中に入れ、試着室に入っていく京。

 京が着替えている間、少し一人の時間が出来る。

 な、なんとか、デートはできているはず。まさか、このアタシが本当にあの、葛城京とデートするなんて。

 昔のアタシが聞いたら、卒倒するだろうな。

「恋華! 似合ってるかどうか見てー」

 京の声で現実に引き戻される。

「りょーかい」

「じゃあ、いくねー。じゃじゃーん!」

 試着室のカーテンが開き、中から京の姿が現れる。

 スキニーパンツに、少し大きめのTシャツで、耳にはピアスが光る。

 先ほどのカジュアルの格好とは別で、キレイ目のイマドキ男子という感じだ。

 デニムジャケットも良かったけど、これはこれで。

「どう、かな?」

「……うん。似合ってる。その服もいいよ」

 ぶっちゃけ、アタシ的には今の服装の方が好みだ。

「そっか。じゃあ、とりあえず上だけ買おうかな」

「え? なんで?」

「流石に、全部買えるだけのお金は持ってないよー」

 そう言って苦笑いを浮かべる京。よかった。今日、お金多めに持ってきて。

「さて、着替えてお会計してこないと」

 試着室のカーテンを閉め、着替えを始める京。今がチャンスだな。

 先ほど京が着ていた服と同じやつを探して、それを会計に持っていく。サイズは、先ほど京が選んでいるときに見ていたから覚えている。

「彼氏さんへのプレゼントですか?」

「いや、まあ、そうです……」

 店員さんに言われ、少し恥ずかしくなる。

 会計を済ませ、服をもらう。

「デート楽しんでくださいね」

「ありがとうございます」

 レジから離れ、試着室のほうへ戻る。まだ京は出てきていないらしい。

「おまたせー……なに? その袋」

 出てきた京は、早速、アタシの手にある袋に興味を持つ。

「はい。まあ、プレゼントってやつだよ」

「え!? う、受け取れないよ!」

「受け取ってくれなきゃ、この服たち捨てるしかないんだけど」

「で、でも……」

 ここまで言っても、京は悩んでいるようだった。

「受け取って。あの服、すごく似合ってたかさ、これ着てまた、見せてくれない?」

 顔が熱い。恥ずかしすぎる。服を持っている手が震えて、落としそうだ。

「う、うん。ありがとう」

 やっと、受け取ってくれた。その事にホッと胸を撫で下ろす。

「じゃあ、次は俺がおごるよ! カラオケ行こ!」

 手を引かれ、走っていく京。

 その楽しそうな姿を見て、思わず笑みが零れる。

 今は、このデートを楽しもう。アタシの想いは後回しだ。その時になってから考えよう。

 彼女のおかげで、少し緊張が和らいだ。

これでやっと本当にデートを楽しめる気がした。


***


 場所は変わり、カラオケに来た。

 カラオケなんか、恵と数えるくらいしか来たことがない。

「さーて! 今日はいっぱい歌うぞー!」

「京は、結構カラオケとか行くのか?」

「うん! 友達とよく行くよ!」

 そうだったのか。今度アタシも恵とまた行ってみようかな。

「さっ! 恋華も曲入れて!」

そう言われ、半ば強引にデンモクを手渡される。

正直、京の歌だけ聞いて、アタシはそれを楽しもうと思っていたのだが。まアイツか。

「曲決めた?」

「いや、まだ。京先に入れていいよ」

「そう? じゃあ、お言葉に甘えて」

そう言うと、京が入れた曲が流れ始める。確かこれって一時期すごい流行った恋愛ソングだ。アタシの音楽プレイヤーにも入っていたと思う。

 うまいな。なんか凄い気持ちが篭っているように感じる。

「ふう~、やっぱりこの歌は歌いがいがあるなー」

 歌い終わると、いつもの京に戻る。

「歌、上手いね。しかも、なんかいつもとは違う大人っぽい雰囲気もあったし」

「ちょっとー。それじゃあ、俺がいつも大人っぽくないってことー?」

「いや、そうだけど?」

「そんな正直に言われると、逆に返す言葉が無いよ……」

 がっくりと、うなだれる京。それを見て、つい笑ってしまう。

「あー! 笑った! もういいよ! 歌うから!」

「そう思ったところ悪いけど、曲入れちゃった」

「うがー!」

 無駄に叫ぶ京。それにまた笑ってしまう。

「あれ? この曲……」

 アタシが入れた曲。京と同じように恋愛ソングだが、つい最近発売された新曲だ。京も知っていたようで、この曲に反応する。

「俺、この曲好きなんだよなー。今の俺みたいで……」

 歌っていて、聞こえなかったが、京が何か言っていたようだ。

 歌い終わり、マイクを置いて、ジュースを飲む。

「恋華も歌上手だね」

「そう? あんま言われたこと無いからわかんないけど、京が言うならそうなんだろうな」

 自然とそんな事を口に出してしまった。流石にキザすぎたか?

「うん! 俺が言うんだから間違いなし!」

 そんな事、彼女は気にしていないようだった。

「よっし! 次は俺の番だ!」

 そういってマイクを手に持ち、歌い始める。

 彼女の歌声を聞いていると落ち着く。

 そんなときに限って、この後のことを考えてしまう。やはり、完全に忘れることはできない。もし、失敗したらなんて考えてしまう。不安の波が押し寄せてくる。

「ふうー。あれ? 恋華。曲、まだ入れてないの?」

 歌い終わり、京が声をかけてくる。

「ごめん。また考え事してた。すぐに入れるね」

「もうー。今は俺とのデートに集中しなさい!」

 相変わらずあざとい感じで、言ってくる京。でも、今の京のほうが彼女っぽくていい。

「ごめんごめん。よっし! 歌うぞー!」

 入れた曲が流れ始める。さっきまで考えていたことを、忘れるために、アタシは夢中で歌を歌った。


***



 しばらくの間、くだらない話をしながら歌うを繰り返して、終了を知らせる電話くる。

「はあ~。歌ったなー」

「まったくだよl。歌いすぎてのどが痛い」

 あれから、最後のほうはずっと歌い続けていたから、本当にのどが壊れるかと思った。

「じゃあ、そろそろ夕飯食べに行こう! 歌ってたらお腹空いちゃった。お昼食べてないし」

 時計を見ると、もう六時を回っていた。楽しい時間は、本当にあっという間に過ぎていくんだな。

「そうだね。どこに入るか決めてる?」

「実はまだなんだー」

 えへへ。と言いながら彼女は苦笑いを浮かべる。

「じゃあ、テキトーはファミレスにでも入ろっか」

「ああ!」

 止まっていた足を駅前のほうに向けて動かす。

 どこも人がいっぱいで、待つハメになりそうだったので、なんとか空いている店を見つけそこにはいる。

「やっぱ、土曜日だからどこも混んでるね」

「まあ、しょうがなよ。さて、何食べる? 流石にアタシもお腹空いたよ」

 お互いに食べるものを決め、店員さんを呼び、注文を済ませる。

 今しかないだろう。この時間で、次を決める。

「京。ご飯食べた後、少し時間ある?」

「……話してくれるんだね?」

 わかっていたように、そう言う京。

「うん。隠していたこと。あとアタシの想いも」

「……わかった。大丈夫だよ」

「ありがとう」

 それから、また無言の時間が始まる。いつもだったら、そこまで気まずくはないのだが、今に限っては正直、気まずい。

 いや、ただ、アタシが緊張しているだけだろうか。

 周りの賑やかな声が聞こえなくなる。アタシだけ隔離された空間にいるような錯覚に陥る。

 ついにきた。勝負のときが。今までに感じたことが無いほどの緊張の重圧が、アタシに圧し掛かる。それに押しつぶされてしまいそうだ。

「お待たせしましたー」

 店員さんの声で、現実に戻る。

「では、ごゆっくり」

 店員さんが去り、テーブルの上に注文した料理が並んでいる。

「とりあえず、食べよっか」

「そうだね」

 そして、アタシたちは無言で料理を口に運んでいく。

 これから始まる勝負に向けて。


***


 夕飯を食べ終わり、店を出る。

 外は日が落ち、辺りは人の手によって作られた光で照らされている。

 道行く人たちは、休日を目いっぱい楽しんでいるようで、皆笑顔を浮かべている。

 その人並みを潜り抜け、アタシたちは人気の無い公園へと足を運んでいた。

 ついに来た。この時が。

 緊張と不安で押しつぶされてしまいそうになるが、そこを何とか耐える。

 気付いてみれば、手が震えている。

「あそこのベンチに座ろう」

「うん」

 目に入ったところにベンチがあり、そこまで行き、同じタイミングで腰を下ろす。

 それから、お互い口を開こうとせず、黙り込んでしまう。

 どう、切り出せばいいのか。それがわからない。いきなり言ってしまっていいのか。それとも、最初は普通の話をしてから切り出したほうがいいのか。わからない。

「恋華、話してくれる? キミの隠してたこと」

 悩んでいるところに、京が口を開く。そして、アタシに笑顔を見せてくる。

 ああ。悩む必要なんか無かったんだ。アタシは、アタシの言葉で全てを伝えればいいんだ。

 彼女の笑顔を見て、やっと気づくことが出来た。

「わかった。でも、それは最後」

「え?」

「まずは、アタシの目的と、この学校に来た意味を話すよ」

 彼女にはアタシの全てを知って貰いたい。たとえ、そのことで拒絶されたとしても。

「わかった。聞くよ」

「ありがとう。まずは、アタシの目的ね。この前さ、アタシの父親が浮気して出て行ったこと話したよね?」

 アタシの問いかけに彼は無言で頷く。

「それで、男性に対して上がり症になった。その後かな。母さんと話していたときに、アタシがさ、『まだお父さんのこと好きなの?』って聞いたことがあるの。その時母さんがなんて言ったかわかる?」

「……もう好きじゃない。とか?」

 少し考え込むようにして、京は答えを出す。

「残念、外れ。答えは、『父さんが母さんのことを嫌いになっても、母さんは父さんのことをずっと好きでいる』だよ」

「その言葉がきっかけで、今のアタシがいて、目的ができた」

「素敵なお母さんだね」

 微笑みながら、京は言ってくる。

 その言葉に頷く。

 本当にそう思える。母さんはアタシの自慢の母さんだ。

「それでその言葉で、できたアタシの目的。それは『恋』だよ」

「恋?」

「そう。恋をすれば、母さんの言葉の意味、アタシの上がり症も治ると思ってたんだ。まあ、途中で、上がり症を治すことがメインになってたけどね」

 本当、なんであの言葉を忘れちゃってたんだろう。バカだな。アタシは。

「だけど、少、中と失敗してきた。男子とは碌に関わらず、ずっと逃げてきたんだ。だから、高校っていう新しい環境で再スタートをきろうと思ってこの学校に来たんだ」

 とりあえず、目的とこの学校に来た理由は伝えることができた。

 あと、もう少しだ。

「そっか。それで、恋華は恋をすることはできたの?」

 やっぱり、そういう質問してくるよな。

 京の言葉に少し、黙り込んでしまう。

「恋華?」

 もう、後戻りはできないんだ。ここで伝えなくちゃいけないんだ。

「……うん。できたよ。それを『恋』って気付いたのは結構最近だけどね」

「そっか……恋華、好きな人……いるんだ」

 なぜか、京が落ち込んだ表情を見せる。

 なぜだろう。なにかまずい事でも言ってしまっただろうか。

「続けて、いい?」

「……うん」

 顔を合わせず、下を向いたまま頷く京。声をかけようにも、かける言葉が見つからない。

「京?」

「大丈夫。大丈夫だから、続けて?」

「わかった……」

 ここからはアタシの想い。上手く伝えられるかはわからないけど、アタシのすべてを彼にぶつけよう。

「アタシはその人に会ったとき、『この人となら恋ができるかも』って言う不純な動機だったんだよ。最初はその人のこと、ただの『鍵』としか見ていなかった」

 横目で彼女を見るが、未だに視線を落としたままだった。それでも、アタシは想いを紡いだ。

「でもさ、アタシ、全然話しかけることができなくて、結局また中学と同じ事をしてたんだ」

 脳裏に、最初の頃のアタシと京が浮かぶ。

 アタシはずっと、彼女を見るだけ。遠くで楽しそうに話している、あの眩しかった花を。

「でも、あることがきっかけで彼女と話すことがあって、それから彼女と会話することが多くなったんだ」

 あの時、アタシの席を京たちが占領していなかったら、きっと今でもアタシは京とこんな風に話すことは無かっただろう。

「その時は、やっと鍵と接触することができたって思ってた。このまま行けばもしかしたら。なんて思ってた。でも、そう上手くはいかなかった」

 あの体育館裏の出来事が頭に浮かぶ。

 アタシが一旦、話を止めると京が顔を上げて、アタシの方を見ていた。

「なにがあったの?」

「友達がちょっと、その子にアタシ関係の冗談を言ったら怒って、アタシを避け始めたんだ」

 ホント、恵の悪ふざけには、勘弁してほしい。

「その放課後、その人を探していると、ある場所で告白されていたんだ。アタシは、それを偶然見かけてしまった」

 今思い出しても、胸が張り裂けそうだ。

「その時、ひどく落ち込んだよ。壊れてしまいそうだった。結末まで見ないで、アタシはその場を逃げ出した。でも、その時気付いたんだ。これが、恋なんだって」

 京の方を向くと、アタシの顔をじっと見て、一向に視線をそらそうとしなかった。

「それで、どうなったの?」

「う、うん。結局、その人は告白した女子を振ったらしいんだ」

 その事を聞いた時、本当に安心した。もうダメかと思った。気づくのが遅すぎたと。でも、告白は成功しなかった。嬉し涙が出そうだった。

「そっか……そうなんだ」

 また、京が顔を伏せる。さっきから何か様子がおかしい。

「ねえ、京。本当に大丈夫?」

「大丈夫な……」

「きょ、京?」

「大丈夫なわけないだろ!」

 いきなり怒鳴り声を上げる京。

 ベンチから立ち上がり、アタシを上から見下ろす。そして、その目からは大粒の涙が零れ落ちていた。

「どうして……泣いてるの……」

「当たり前だろ! まだわからないのかよ! 俺の気持ち!」

 京の、気持ち?

 わからない。なんで京が泣いているのか。なんで京が怒っているのか。

「ごめん……」

「なんで、なんでわかってくれないんだよ! 鈍感!」

「わかんないよ。言葉にしてくれなきゃわかんないよ!」

 つい、アタシまで怒鳴り声を上げてしまう。

 それがきっかけで、想いが雪崩のように、どんどん流れていく。

「京が何考えているのか全然わかんない! どんなに考えても、どんなに悩んでも、答えが見つかんなくて、辛くて、苦しくて、それでも……それでもアタシは!」

「俺だってわかんない! 恋華が何考えているのか!」

 そこで、一旦話が止まる。

 さっきまでの口論が嘘のように、辺りは静寂に包まれている。

「……じゃあ、言葉にするよ。わからないなら、直接言葉にする」

「え?」

 彼に言われて、そして、自分で考えて思った。

 言葉にしなきゃ伝わらない。思ってるだけじゃ、考えているだけじゃ、何も伝わらないし、わからない。

「アタシさ……」

 彼との思い出が頭の中に蘇る。

 初めて一緒に帰ったときのこと。初めて一緒に学校へ行ったこと。お互いがすれ違ってしまっときのこと。彼が告白されて、落ち込んでいた時のこと。いじめのこと。そして、今日のデートのこと。

  今まではただの興味、事務的に恋をしようとしていた。でも、今は違う。アタシはアタシのために恋をする。

 今まで本当に色々あった。そして、やっとこの気持ちにも、母さんの言葉の意味も気づくことができた。

 全部彼女が、京がいてくれたから気づくことができた。京がいてくれたから、今のアタシがいて、この気持ちを持てた。

 色んなものを、彼はアタシにくれた。もういらないってくらい、いっぱい。

 辛いこともあったし、苦しいこともあった。でも、それ以上に京と居て、楽しかった。嬉しかった。満たされた。

 そんな京のことが。アタシは……。

「……好きです。京のことが」

 口に出した言葉は、この静寂な世界に響き、ゆっくりと消えていく。

 目を閉じたまま、開けることができない。

 怖い。拒絶されてしまったら。

 怖い。これで、関係が崩れてしまったら。

 不安が押し寄せ、立っているのがやっとなくらい、足が震える。

「バカ……」

 耳に届く京の声で、思わず目を開けてしまう。

 目に映ったのは、涙を流しながらも笑顔を浮かべる京の顔。

 その顔に思わず見惚れてしまう。

 ゆっくりと京が近寄ってくるが、体が石になってしまったかのように重く、動けなくなる。

「やっと、やっと言ってくれたね。ずっと待ってた。あの時、俺を助けてくれた時から、ずっと」

 アタシの前まで来ると、一旦止まり、アタシの目をじっと見つめる。

「遅すぎるよ。本当に」

 それを、最後にアタシを彼女も声が出なくなる。

 アタシの唇と、彼女の唇が重なり、甘い香りが花を通り抜ける。

 何時間、何分、何秒経ったのかわからない。

 すると、ゆっくりと、彼女の唇が離れていく。

「俺も、俺も恋華が、大好きです」

 そう言って、アタシの体を包み込む。

 頬から何か熱いものが流れ落ちる。勝手に腕が、彼女の体を包み込む。

「これから、よろしくね」

「うん……うん……」

 やっと重なった二人の想い。

 静かな二人だけのこの世界に、アタシたちを祝福するように月光が差し込んだ。

 そして、もう一度お互いを確かめ合うように、その満天の星空の下で唇を重ねた。


***


「やばい! 寝坊した!」

 月曜日の朝。珍しく、アラームをかけ忘れ、いつもより少し遅くに起きてしまった。

「恋華、朝食は?」

「作ってる暇無いから、コンビニで買って! それじゃ、行ってきます!」

 母さんの言葉を受け流し、家を出る。いつもの待ち合わせの十字路に向かって。

「やばいやばい。怒ってるかな」

 額ににじむ汗を拭きながら、目的の場所へと向かう。

「恋華! 遅刻だぞ!」

 やっと、目的の場所に着くと、頬を膨らまして待っていた京に怒られてしまう。

「ごめん! 目覚ましが鳴らなかったんだよ」

「言い訳はいい! 行動で示しなさい」

 そう言うと彼は、前かがみになり、目を瞑り、顔を突き出してくる。

「えーっと、はあ」

 朝の時間、人が通る中はあまりしたくなかったが。

「はーやーくー」

「はいはい」

 呆れながらも、優しく触れるようなキスをする。

「よろしい!」

 満足そうに笑う京を見ていると、こちらまで自然と笑みが零れる。

「おーおー。朝からお暑いねー。お二人さん」

「恋華ちゃん。絶対、葛城くんから開放してあげるからね」

「ちょっと! 紫雨くん! 恋華くんは俺の彼氏なんだから、手は出さないでよね

!」

「恵……いるなら教えてよ」

 うしろから、ニヤケ面の恵と、不機嫌そうな顔をしている紫雨さんが声をかけてくる。

 そして、京と紫雨くんは案の定、喧嘩を始めてしまった。

 それをアタシと恵で見ている。

 そんないつも通りの日常。

「もういい! 行こうぜ! 恋華!」

「ちょっ、京! 腕組みながら歩くのは、流石に恥ずかしいから!」

「葛城くん! 離れなさい!」

「相変わらずだなー」

 恵がいて、紫雨くんがいて、そして京がいる。

 そんな当たり前の日常。

 変わったと言えば、アタシと京の関係だけ。

 いろんなことを乗り越えてなった、アタシと京の今の関係だけだ。それ以外は何も変わらない。

「……好きだよ」

 不意にそんな言葉が口から出る。

 聞こえていたのか、京がこちらを見てくる。

「うん。俺も」

 そう言って、あの笑顔を浮かべる。

 あの時、母さんの言葉が。

 あの時、京と話していなかったら。

 あの時、恵に励まされていなかったら。

 あの時、紫雨くんの告白の答えをだしていなかったら。

 そんなもしもをたまに考えてしまう。

 でも、ただ一つ胸を張ってコレだけは言える。

 ――私の初恋があなたでよかったと。


FIN


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