第三章
第三章です。
「それじゃ、いってきます」
玄関の扉を開けると、朝日が差し込み、アタシの体を包み込む。
いつもなら、返事なんか返ってこない。だけど、今日は違った。
「ええ。気をつけて行ってこいよ」
母さんは今日、有り余っていた有給を使い、休みを取ったらしい。
「うん。母さんも休みだからって寝すぎないようにね」
「たまの休みぐらい寝かせてよ」
頭を掻きながら冗談を言ってくる。
「それじゃ、本当に行ってくるよ」
「ええ」
扉を閉め、鞄を背負い直す。
今日は快晴だ。太陽が燦々と照りつける。
暑い。ワイシャツを腕まくりしている。
――今日は自分の気持ちを確かめる。
緊張する。
暑さとは別の嫌な汗が額に流れる。
「よっ。恋華」
不意に背中を叩かれ、体が固まる。
「恵……。あんたねえ……」
後ろを振り向くと、いつも通りのニヤケ面を浮かべた恵がいた。
「なによ。その目はー。いつものおふざけじゃん」
「今日ほどあんたのおふざけに、腹立ったことはないわ」
ため息を一つ吐く。
「そんなことより、なんか悩みでもあるの?」
「……なんで?」
急な質問に少し焦ったが、なるべく冷静に答える。
「いや、なんとなくだけどさ」
「……恵は知らなくていいんだよ」
「どうせ、葛城くんでしょ?」
恵の顔を見る。ニヤケ面を浮かべながらこっちを見ている。
「やっぱりか」
「な、なんでわかるのよ!」
「そりゃ、友達だからね」
ムカつくほど良い笑顔を浮かべる恵。親指を立ててグッ! とやってくる。
「腹立つわね……」
「ひどい……」
素直に言うことはできないが、恵の言葉は嬉しかった。
「で、恋華は、今日葛城くんに告白でもするの?」
「するわけないでしょ!」
すかさずツッコみを入れる。
「なんだよ。つまんないわね」
心臓の音がうるさい。息が切れる。
バレるかと思った。
額に滲む汗を拭きながら、一歩一歩足を前に出す。
「まあさ」
急に、恵が口を開く。
「恋華が、何やるかは知らないけどさ。ウチはそれを応援するから」
後ろを振り向き、ニヤケ面ではなく、優しい微笑みを向けてくる。
肩から錘がとれたように、体が楽になる。
「なに恥ずかしいこと言ってんのよ」
「あー、ウチ今、結構良い事言ったと思うんだけど」
「うるさい」
軽くあしらって、前を歩く。
アタシのニヤケ顔を隠すために。
***
「はよー」
いつも通り、教室の中は賑やかだ。
「あっ、霧島さん! おはよう!」
「っ! お、おはようございます。か、葛城くん」
「うん! 今日もカミカミだね!」
良い笑顔を浮かべながら、葛城くんは棘のある事を言う。
「ちょっとー? ウチもいるんですけど?」
「あっ、清沢さんもいたんだ!」
身体を横に傾け、葛城くんは、アタシの後ろを覗きこむ。
「へーへー。葛城くんには、恋華しか見えてないんですねー」
「な、何言ってのよ! バカ!」
つまらなそうな顔をして、コイツは平然と、とんでもないことを言ってくる。
葛城くんの顔を見る。
彼女の顔は真っ赤に染まっている。
まずい。怒ってる。
「か、葛城くん。コイツの言ったことはき、気にしないでください」
必死にフォローをするも、葛城くんは黙ったままだ。
「ご、ごめん。友達のところに戻るね!」
アタシの顔を一切見ず、彼女は、友達のところへ行ってしまった。
顔から血の気が引いて行くのがわかる。
「あれ? ウチ、まずいことした?」
「どうしてくれるのよぅ……」
「だ、大丈夫だって! ちょっと照れてるだけだって」
「……あとで謝らないと」
「そうだね。それがいい」
「お前……」
「そ、そんなに睨まないでしょ。ごめんて」
「まあ、もう終わったことだしな」
ため息を一つ吐き、自分の席に向かう。
カバンを机の横にかけ、イヤホンを取り出し、耳につけた。
音楽プレイヤーから流れてくるラブソングに、耳を傾けながら、葛城くんのほうを見る。
葛城くんの近くにやってきた女。名前は確か、さんだっけ? いつも何人かの取り巻きを引き連れている、言うならば、女子版のクラストップカーストの一人だったはず。
たまに、葛城くんと仲良さげに話しているのを見かける。
顔も良く、運動もできるで、男子からの人気も高い。
葛城くんと二人で並んでいると、お似合いだ。
胸がムカムカする。
話している内容は聞き取れないが、葛城くんは笑顔だ。
たったそれだけのことなのに、無性に苛立つ。
「なによ……」
机に突っ伏す。音楽プレイヤーの音量を上げてグッと目を閉じた。
***
午前の授業が終わり、昼休みになった。
朝以降、葛城くんと話せていない。授業の合間、話しかけようとしても、逃げられてしまう。
「嫌われた……」
「だから、照れてるだけだってば。そのうちチャンスは来るって」
恵と机をくっつけて昼食を食べているが、昼食が喉を通らない。
「だって、目合ったら逸らされるし、逃げられるし、他の女子とは仲良くしゃべってるのに」
「あんた……めんどくさいわね」
「酷くないですか?」
朝のときのように、机に突っ伏す。
そして、腕の隙間から葛城くんのほうを覗く。
葛城くんがいる男子グループと、三河さんさん率いる女子グループが楽しそうに昼食を食べている。葛城くんは笑顔だ。
「恋華ってさ。葛城くんのこと好きなんでしょ?」
「……わからない」
突っ伏したまま、恵に答える。
「わからない? ウチが見てる限りでは、普通に、恋華は葛城くんのこと好きだと思ってたんだけど」
「自分の中でも、ちゃんとした答えが出てないの。だから今日確かめようと……」
「あー、それでか。朝、緊張してたの」
「なのに、どっかの誰かさんのせいで……」
「だ、だから、ごめんて……」
恵の謝罪を聞き流して、パンをかじる。
このまま済ますわけにはいかない。なんとかして葛城くんに謝りたい。
放課後か。チャンスがあるとしたら。
「そーいや、恋華。次の時間、体育だから早めに食わないと遅刻するよ?」
「お願いだから、もうちょっと早く言って」
パンを無理矢理口にねじ込み、更衣室へ向かう。
横目に、葛城くんが、三河さんに何か渡されたのを見た。
「恋華ー。急ぎなよー」
「ちょっと待ってって!」
急いで恵の後を追いかける。
――三河さんさんは、葛城くんに何を渡したのだろう。
知りたくてもどかしいのに、知るための方法がない。
まさか、と思うところはある。
賑やかに青春しているやつらが、いかにもやりそうな……そういう出来事が起こりそうな嫌な予感が。
校庭の隅の、使われていないサッカーゴールを眺めやった。
錆びれて、忘れられて、ただそこにあるだけの、それ。
日が差さない木陰に隠れて、ただ明るいところを眺めるだけの、それ。
恵にせかされても、どうしてもそれから目が離せなかった。
***
放課後になった。
皆帰り支度を始め、各々この後の予定を話している。
「んじゃ、恋華。葛城くんによろしくね。ウチからもごめんって言っといて」
「わかったよ。部活頑張って」
エナメルバッグを背負い、恵は教室を出て行った。
その背中を見送る。
教室の中を見渡す。葛城くんの姿が見当たらない。しかし、カバンはある。
――まさか。
先ほど抱いた嫌な予感が脳裏に浮かぶ。
カバンを持ち、教室を出る。
思い当たる場所を、手当たり次第に見てまわる。
学食、屋上、中庭。どこを探しても葛城くんが見当たらない。
「……どこにいるのっ!」
思い当たる場所をすべてを見てみたが、どこにもいない。
だんだんと、自分の中の焦りが大きくなっていく。
あと、生徒が行きそうな場所……。
必死に頭を働かせる。
――体育館の裏。
出てきた場所はそこだった。
いやでも、あそこは……。
真っ赤に染まる茜色の空から、少しずつ紺色が侵食していく。
早足で中庭に向かう。
「……いた」
体育館裏から葛城くんの後ろ姿が見える。
「かつらぎ……」
それ以上、先の言葉を発することはできなかった。
葛城くんと、三河さんさんが向き合って話をしていた。
木陰に隠れ様子を見る。
「……それで、どうしたの? 三河さんさん」
「京くんに言いたいことがあるんだ」
この流れは……。
嫌な感じがする。
「京くん。実はあたし……」
――やめて。
手足が振るえ、汗が滲む。
「あたしは、京くんのことが……」
――お願い。やめて。
だが、無常にも、残酷にもその言葉は葛城くんに向けて飛ばされた。
「……好きなの。あたし付き合って」
音が消えた。世界から切り離されたような感覚に陥る。
先ほどまでピクリとも動かなかった足が、勢いよく地面を蹴る。
時間の流れが遅く感じる。
走っているのか、歩いているのかわからない。
何も考えられない。考えたくない。
気づくと、家の玄関で立ちすくんでいた。
「恋華? 帰ってきたの」
母さんが二階から降りてきて、言葉をかけてくる。
しかし、反応できない。
「何かあったの? 顔色悪いわよ?」
「母さん……。アタシ、ダメだったよ……」
震えた声が出る。
「恋華?」
「ごめん。今日の夕飯は出前でも取って」
「ちょ、ちょっと! 恋華!」
母さんを押し退け、自室へと駆け込む。
カバンをほうり投げ、制服のままベッドに倒れこむ。
――全てが遅かった。
彼のことは『鍵』としてしか見ていなかった。
それが話すようになって、一緒に帰ってみて。
その時間が楽しくて、心地良くて。
いつの間にか、アタシの中で彼女は『鍵』というだけの存在ではなくなっていた。
気づくことができなかった。
目を逸らして、わからないと言い訳して。
本当に大バカだ。
無くなってから気づいてたんじゃ、何も意味が無いのに。
「葛城くん……」
あなたのことが。
「―――――」
届くはずの無い想いは、目から流れる一滴の雫と共に零れ落ちる。
嗚咽が漏れる。枕を握る手に力がこもる。
そのまま、瞼と閉じて、いつの間にか意識を闇の底へと落としていた。
***
翌朝。
まだ日が完全に昇っておらず、外は青白い。
時計の針は、四を指していた。
まだ、起きるにも朝食を作るにも時間が早すぎる。
かと言って、二度寝する気にもなれない。
昨日のあの出来事を思い出す。
――三河さんさんが葛城くんに告白をしていた。
付き合ってしまったのだろうか。
そう思うと、再び目から涙が零れ落ちそうになる。
無理矢理頭の中に浮かんでいた考えを取り払う。
ベッドから起き上がり、ジャージに着替える。
「いってきます」
扉を開け、外へ出る。
夏手前とはいえ、朝はまだ少し肌寒い。
気分転換のために外へ出たのはいいが、行く場所も決めておらず、かと言ってまだこの時間。開いているお店もない。
溜め息が絶えない。もう何回したかわからない。
物音ひとつせず、外は静寂に包まれている。
子どもの声や、鳥の囀りもまだ聞こえない。
響くのはアタシの足音だけ。
公園の中に入り、自動販売機でジュースを一つ買う。ベンチに座り、それを飲む。
これに何の意味があるのかは分からない。でも、何かしていないと壊れてしまいそうだった。
ぼーっと周りの景色を眺めてみても、どれも霧がかかったようにぼやけて見える。
今までは、はっきりとしていたのに、そんなものは跡形も無く消え去り、曖昧で、不確かなものになっていた。
――アタシみたいだ。
目標を失ったアタシは今、目の前に広がる、ぼやけた景色だ。
形はあるが、確かなものでは無い。
そのままベンチに座っていると、いつの間にか時計の針がもうすぐ六を指す。
空き缶をゴミ箱に放り投げ、また来た道を戻っていく。
太陽が出て、外が明るくなっていく。鳥達も活動を始めたようで、鳴き声が聞こえてくる。
「学校……行きたくないな」
***
教室に入る。
騒がしいクラスメイトの声をなるべく聞かないようにして、自分の席へと着く。
周りはいつも通りで、どうでもいい話を楽しそうに話している。
何も変わらない日常。
「おっはよー!」
声がしたほうを向くと、葛城くんが元気に教室に入ってきた。
彼もいつも通り。
しかし、彼の周りは違った。
葛城くんのほうをチラッと見て、何も言葉を交わさず、また会話に戻っていく。
「あ、あれ? みんなどうしたんだ?」
葛城くんもその違いを感じ取ったのか、少し慌てている。
周りは、会話を中断してトップカーストグループの様子を伺っている。
「京さー、最近調子乗ってない?」
グループの中の一人が口を開く。
「え? そんなことないよ!」
「じゃあ、なんで昨日の三河さんさんの告白断ったんだよ」
また別の奴が低い声で葛城くんに責める。
え? 葛城くんが告白を断った?
「な、なんでそのことを……」
「昨日三河さんさんから、メールが来たんだよね。『京にフラれた』って」
また最初のやつが口を開く。
「それで今日はまだ、京に会うのが気まずいから学校来ないって」
「で、京。なんで三河さんさんの告白断ったの?」
グループ全体で葛城くんを責めたてる。
「俺、別に三河さんくんのこと好きじゃなかったから……」
「はあ!? ふざけんなよ! おれの気持ち考えたことあんのかよ!?」
最初の男子が葛城くんの言葉にブチギレる。
まさか彼。三河さんさんのことが……。
「おれ、あんたのこと絶対許さないから」
そういい残すと、葛城くんから離れ、教室の後ろの方で固まって話をし始める。
彼は、その場から動けずにいた。
葛城くんのほうに向かいたいが、体が動かない。
今話しかければ仲直りできるかもしれない。
でも……。
「っ!」
葛城くんは走って教室を出て行く。
アタシはそれをただ呆然と見ていることしかできなかった。
「恋華。ちょっといい?」
いつの間にか恵が来ており、後ろから声をかけてくる。
「ちょっと屋上に行かない?」
その声は至って真剣で、いつものおちゃらけた様子はなかった。
「わかった」
恵に言われるがままに、屋上へと足を進める。
「葛城くん。これからまずいことになるんじゃない?」
屋上に着くと、すぐさま清が口を開く。
いつから見てたのかわからないが、彼は今の状況を知っているらしい。
「どうするの?」
「……アタシには助けることはできない」
「っ! あんた! それでいいの!」
胸倉を掴みに来る恵。
抵抗する気はない。
少しの間、恵が睨んでくる。
「恋華。葛城くんはお前の大切な人じゃないの?」
掴んでいた手を離し、アタシに問いかけてくる。
「そんな人が今、ピンチなんだよ? 何もしないの?」
「恵の言いたいことはわかるよ。でも、ダメなの」
「なんで!」
もう一度胸倉を掴んできそうなほどの勢いで、恵はアタシを問い詰める。
「アタシは、そんなに強くない……誰かを守れるほど」
恵は黙っている。
葛城くんにブチギレたやつの気持ち。それがわかる。
そんな奴が葛城くんに何かを言う資格はない。
「でも、だからって、葛城くんを見捨てるの?」
「そんなことできるわけないでしょ!」
つい、怒鳴り声をあげてしまう。
「やっとわかったの。彼のことをどう思っているか。この気持ちは嘘でも偽りでもない。そんな彼が、これから辛い思いをするかもしれない。それを見捨てるわけないでしょ!」
「でも、ダメなんだよ……」
恵から視線を外し、空を仰ぐ。
雲は風に流されるまま、ゆっくりと進んでいく。
「じゃあ、あんたはこれからどうするんだ?」
アタシがどうするか……か。
「……今のアタシは雲なんだよ」
「雲?」
今のアタシは空っぽだ。
風が吹けば簡単に飛んでいってしまいそうなほど軽く、何も抗うことをしない。
あそこに浮かぶ雲のよう。
「雲は何もできないんだよ」
出来るといったら、ただ流れるだけだ。
「じゃあ、恋華はただクラスの雰囲気に抗わずに、ただ流されるだけってこと!?」
「今は、そうなるかもしれない」
素直なアタシの思いを伝える。
少しの間、静寂がここを包む。
「……今は、なんだね?」
先に口を開く恵。
確認するように聞いてくる彼の声に頷く。
「ならウチは、恋華を信じるよ」
真剣だった顔を崩し、柔らかな笑顔を浮かべる恵。
その顔を見て、知らぬ間に入っていた肩の力が抜ける。
「ありがとう。恵」
「いいよ。なんせ親友だからね」
ニカっと効果音が付きそうな笑顔を浮かべる恵。
「……そうかも」
「珍しいね。恋華が素直になるなんて」
「そういう気分だったんだよ。そろそろ教室に戻ろう。HR始まっちゃう」
屋上の扉を開ける。
「恋華」
「どうしたの?」
扉を開け、一歩を踏み出した瞬間、恵が声をかけてくる。
「……頑張って」
「……うん」
上を見上げる。
空は相変わらず、眩しく輝いている。
アタシにはまだ、あの空を直視することはできない。
でもいつか、あの空をちゃんと見れるようになるために、一秒でも早く見れるようになるために、今は自分にできることを精一杯しよう。
***
「ただいま」
玄関にもリビングにもやはり、明かりはついていない。母さんはまだ帰ってきていないようだ。
ローファーを脱ぎ捨て、自分の部屋へと向かう。
あの後、結局、葛城くんは教室に戻ってくることはなかった。
ただ、その事をクラスの皆は、何事もなかったかのように、学校での時間を過ごしていた。
その事に苛立ちを覚えておきながらも、アタシ自身、何も行動を起こさなかった。いや、起こせなかった。
そんな自分にも怒りを覚える。
「ただいまー」
下から母さんの声が聞こえる。
時計を見ると、アタシが帰ってきてから十五分ほど時間が経っていた。
自室を出て、下の階へ降りる。
「おかえり。母さん」
「恋華……大丈夫なの?」
そういえば、昨日のことを何も説明してなかった。
「うん。今は大丈夫だよ。心配かけてごめん」
「いや、大丈夫ならいいんだけど……」
聞きたいことはあるんだろうが、母さんは、中々核心に触れてこない。
アタシ一人じゃ何も出来ない。
なら、アタシが取る選択は……。
「母さん。相談があるの」
「相談?」
「そう。昨日のことにも関わるから聞いてくれないか?」
ダメ元のお願い。断られてもしょうがない。
自分勝手で、我侭で、今まで逃げてきたアタシには、助言をもらう資格はないのかもしれない。
でも、それでもアタシは、彼女を、葛城くんを助けたい。
「わかった。母さんの助言で、恋華の求めてる答えが出るか分からないけど」
先ほどまでのオドオドした顔つきではなく、優しく温かな笑顔を浮かべ、母さんはアタシの相談を快く受けてくれた。
「ありがとう……母さん」
「娘の頼みだ。無碍にする母親なんかいないさ。リビングに行こうか」
この時、本当に『あの時』母さんについていく選択をしてよかったと思えた。
緊張という名の錘が取れ、体の力が抜けていく。
「じゃあ、早速本題に入るね」
「ええ」
昨日、三河さんが葛城くんに告白をしていて、アタシがそれを目撃したこと。そして、今日、葛城くんがトップカーストグループにされたことを話した。
「……こんな感じかな」
話し終えた後、母さんはしばらく考えこんでいるようで、口を開かなかった。
やはり、母さんでも難しいことなのか。
「恋華は、その葛城くんをどうしたい?」
「アタシは、できることなら助けたい。でも、今のアタシじゃ助けることはできない……」
「なんで、出来ないの?」
「アタシにはその資格が無いんだよ……。理由はあまり言いたくない。」
口に出してしまったら、何もかもが壊れてしまう。そう思えた。
今、思い出しただけでも吐きそうになる。
あの時の三河さんさんの告白。それを、聞いているときの葛城くんの顔。結果的に葛城くんは、三河さんさんを振ったが、その答えを知らなかったときの、胸の痛みは今までに感じたことが無いほどの激痛だった。
「そっか……」
考えに耽っていると母さんが口を開く。短く返事をしたと思ったら、またそのまままた黙り込んでしまった。
呆れられてしまっただろうか。こんな思いを寄せる相手のことを無条件で味方になることが出来ないアタシのことを。
「ははっ」
急に母さんから笑いが出る。
「な、なに笑ってんの! こっちは本気で悩んでるのに……」
「いや、ごめんごめん。恋華も大人になったんだなと思ったら、つい」
そう言いつつも、未だに笑いが収まっていない。
なんかアタシ、バカにされてる?
「はー。現状はわかったわ。それで、恋華は今葛城くんを助けることは出来ないと言ってたわよね?」
「うん」
「なら、助けることが出来ないなりに、今のあなたが出来ることを探せばいいんじゃない?」
今のアタシに出来ること。何もない、空っぽのアタシにできること。
その考えは思いつかなかった。
何も出来ず、ただ答えが見つかるまでは傍観者でしかいることしか出来ないと勝手に思い込んでいた。
「そっか。答えは簡単だったんだ」
これからどうなるか分からないが、とりあえずの答えは導き出せた。
「何か思いついたようね」
「うん」
「あと、これだけは覚えておきなさいよ? 恋華」
急に真剣な顔つきになる母さん。
「どんなことがあっても、大切な人に涙を流させちゃダメ。これだけはしっかりと覚えておいて」
「うん……。ありがとう。母さん」
「しっかりね。恋華」
母さんの言葉を聞いて、アタシはリビングを出て行く。
本当にこれでいいのかは分からないが、とりあえず答えは見つけた。
自室に戻り、部屋のカーテンを開ける。
すると、赤と群青色が混ざり合った空が、どこまでも広がっている。
そこにちらほらと、星たちが散らばっており、空の幻想さを強調していた。
空の色のように、アタシの中の物も複雑に混ざり合い、いつか一色の統一した色に染まることが出来るのだろうか。
正直自信がない。
いつもでも混ざり合わず、グチャグチャのまま漂うだけの不純物にもなりかねない。
そうなってしまったらアタシは……。
窓から視線をはずし、ベッドに倒れこむ。
頭に浮かんできた考えを払拭するように頭を振る。
――もう考えるのはやめよう。
ベッドから起き上がり、部屋着に着替える。
明日のことを頭の隅に追いやり、今日の夕飯のことを考える。
今日は少し豪華にしよう。
そう思いながら、階段を降りていった。
***
教室の扉を開ける。
いつも通り騒がしい空間が広がって……いなかった。
騒がしいのは、女子のトップカーストグループだけ。他のクラスメイトはある一人の人物を見ながらひそひそと小声で話している。
その人は。
「やっぱりこうなったのね」
「恵……」
遅れて来た恵が、教室の状況を見て呟く。
クラスの皆が見ている人。そう、葛城くんだ。
自分の席に着き、下を向いて縮こまっている。
そこにはいつもの明るい笑顔は無く、今にも泣きそうな顔があった。
そんな彼に近寄る人も、話しかける人もいない。ただ、遠目から眺めているだけ。
いつもなら、葛城くんの周りには人だかりが出来ているのに、今は独りだ。
「なによ……。たった一つのことでこんな……」
おもわず、愚痴が零れる。
昨日のことだけで、本当にこんなことになるなんて。
男子のグループも、葛城くんなんか、いない者のように、会話を続けている。
「どうするの? 恋華」
「……決まってる。もう、やることは」
そういい残すと、足を進める。
「れ、恋華!?」
恵の声を受け流し、ある場所へと向かう。
近づくにつれ、心臓の音がうるさくなる。緊張で押し潰されてしまいそうだ。
一度、深呼吸をし、声を絞り出す。
「お、おはよう。か、葛城くん」
その瞬間、クラスが一気に静かになる。
先ほどまで、でかい声で話していた女子グループも、周りでひそひそと話していた連中も、全員アタシのほうを見てくる。
葛城くんも顔を上げ、こちらをじっと見てくる。
「……なんのつもり?」
彼から発せられた言葉は、いつもの明るく、楽しそうな声ではなく、怒気を孕んだような低い声だった。
一瞬たじろいでしまう。あの葛城くんからこんなにも低く、こちらを寄せ付けないような声が出るとは思わなかった。
「な、なんのつもりって、た、ただの朝の挨拶ですよ?」
噛みながらも、なんとか言葉を紡ぐ。
「……ちょっと来て」
「えっ、ちょ、ちょっと!」
そう言うと葛城くんは席を立ち、アタシの声を無視して、手を引くと、教室を出る。
葛城くんの手の感触や、体温が直接伝わってくる。
体が熱い。手汗を掻いてないか、心配になる。
目的の場所に向かう間、お互いに会話は無く、アタシはただ、葛城くんの後をついていくだけ。
階段を上っていき、終着地に着く。屋上だ。
屋上に着くと、葛城くんはアタシの手を離し、こちらをじっと見てくる。
「霧島さん。さっきも聞いたけど、なんのつもり?」
彼の目を見ると、声と同じように怒気を孕んでいる。
「……アタシもさっき言ったけど、ただの朝の挨拶だよ」
「ウソ。何か企んでるでしょ?」
彼の目つきが、より一層鋭くなり、アタシを睨んでくる。
「何も企んでない」
「じゃあ、なんで今日に限って自分から声をかけてきたんだ。いつも、キミからは声をかけてこないのに」
そう言われてしまい、言葉が詰まる。
いつもの自分の行いを呪いたくなる。
「やっぱり……。なに? 傷心中の俺に優しくすれば、付け入れることができると思った? かわいそうだから、助けてあげようとか、正義の心が動いたりしたの? ふざけんなよ!」
葛城くんが怒鳴り声を上げる。いつも温厚な彼女が怒鳴り声を上げるところなんて、初めて見た。今日は、初めての葛城くんがよく見れるな。
「なに笑ってるのよ。キミ、俺が怒ってるのわからない?」
自分が知らないうちに、笑っていたようだ。彼女は今にも殴りかかってきそうな勢いで、こちらに近づいてくる。
「ごめんごめん。いや、今日はこれだけでも十分かもしれないね」
「は?」
「いや、今日は色んな葛城くんが見れたからさ。今の葛城くんの姿を知ってるのたぶん、アタシだけでしょ? ラッキーじゃん」
彼は、呆けた表情を浮かべ、「コイツ、何言ってるんだ」とでも言いたげな目で見てくる。
「さっきの葛城くんの言葉は全部勘違いだよ」
「勘違い?」
アタシは、彼女に嘘を吐いた。
実際は、下心が無いわけがない。ただ、それ以上にあなたを。
――守りたい。
「アタシには、葛城くんを助けることはできない」
「え?」
アタシがそう言うと、次は驚いたような表情を浮かべる葛城くん。今日は本当に、色んな彼見ることができる。
「アタシには葛城くんを助けるほど、クラスに影響力は無いし、どう助ければいいのかも分からない。でも」
一拍置いて、言葉を紡ぐ。
「でも、アタシは葛城くんのそんな、そんな辛そうな顔は見たくない! もし、その顔をさせているのが、『一人でいること』だったら、アタシはキミを『一人』に『独り』にしないことはできる」
これがアタシの出した答えだ。
中身が無く、自分一人じゃ何もできないアタシができる京一のこと。
「別に心の支えになるとか、かっこいいことも言えないし、アタシがなれるとも思っていない。でも、話しかけて、クラスから孤立させないことはできる。それしかできない。だから、今日話しかけた」
アタシの思いを言い終わると葛城くんは、黙ったまま下向いてる。
やっぱり、迷惑だっただろうか。アタシの出した答えは間違っていたのだろうか。
そんな不安が押し寄せてくる。
けど、もし間違っていたのならもう一度考え直せばいい。やっとわかったこの想いを諦めたくは無い。
「……バカだね。霧島さんって」
葛城くんが口を開く。視線は下を向いたままだ。
「うん。アタシはバカだよ。前からね」
「なんで、こういう時だけ噛まずにしゃべれちゃうかな」
「え!? い、いや、あ、あの。す、すみません……」
葛城くんに言われ、その事に気づく。
先ほどのことを思い出すと恥ずかしくなってくる。
「今言ったことが、キミの本物の気持ちって事でしょ?」
「あ、えっと、そうです……」
顔が熱い。悶えたくなる。
「そっか……。やっぱりバカだよ。霧島さん」
そう言うと、葛城くんはいつもの顔になり笑ってくれた。
「……やっと笑ったね」
「え?」
「あっ! いや、その」
またやってしまった。今日はよくやらかすな。アタシ。
「……そんなこと言われたら」
葛城くんはまた下を向き、小さく何かを呟く。
「な、何か言いました?」
「っ! いや、なんでもないよ! ほら、もう戻ろ! HR始まっちまう!」
アタシの横を通りすぎ、屋上の扉を開けると、彼は先に行ってしまう。
そして、アタシは屋上に一人取り残されてしまった。
すると、ポケットからスマホから通知音が響く。そこには恵からメッセージが届いていた。
『早く戻って来い』
それだけ書いてある。
屋上から出て、教室へと早足で向かう。
いつもアイツがアタシを呼び戻すときは『戻って来い』だけなのに、今来たメッセージには『早く』と書かれてあった。何かあったに違いない。
教室に着き、扉を開けると、そこには葛城くんが立っており、黒板の方をじっと見ている。
その視線を追いかけるように見るとそこには、ある文字が大きく書かれてあった。
『葛城×霧島』
『ラブラブカップルでーす』
「なによ……これ」
いかにも、アタシたちを煽るように書かれてあるその文字。
クラスを見渡すと、男子グループがニヤニヤしながらこちらを見ている。
きっと犯人は彼らだろう。だが、今はそれよりも葛城くんだ。
彼女は黒板を見て、目にいっぱいの涙を溜めている。
「はあ……」
ため息を一つ吐く。
黒板消しを手に取り、その文字を消していく。
「あれー? 霧島ー。せっかく祝福の文字書いてあげたのに消しちゃっていいのー?」
昨日、葛城くんにブチギレていた女が煽ってくる。
「き、霧島さん」
今にも泣きそうな声でアタシの名前を呼ぶ葛城くん。
「大丈夫だよ」
そう言い、黙々と文字を消していく。
「ちょっとー、なに見せつけてくれてんだよー? きもーい」
男子グループから笑いが声が沸きあがる。
「ちょっと黙ってろ」
自分でも驚くほどの低い声が出る。
初めてかもしれない。ここまで、誰かに対して怒りを覚えたのは。
「はあー? 霧島の分際で何言ってんのー? ウザー」
「じゃあ、ウチが言うわ。黙れ」
男子グループがアタシを貶していると、現状を見ていた恵が口を挟む。
「大体、あんた達さ。なんでこんな今時の小学生もやらない様なことやってんの? 面白いと思ってんの。つまんないわよ。正直白ける」
畳み掛けるように、恵が男子グループのやったことを指摘していく。
すると、男子グループは黙り、小声で話し始めた。
「ありがとう、恵。それとごめん」
「いや、ウチもムカついたからさ。手伝うよ。消すの」
「うん。お願い」
恵と二人で文字を消していく。その間、葛城くんはアタシのことをずっと見ていた。
「あ、あの、どうかしました?」
「っ! いや、なんでも」
頬赤く染め、葛城くんはアタシから目を逸らす。
「さ、先に席に戻っていてだ、大丈夫ですよ?」
よく見ると、彼の体は小さく震えている。
それもそうだろう。こんな分かりやすく敵意をぶつけられたら、誰でも怖くなる。実際、アタシもさっき怖かったし。
「で、でも」
「恋華もこう言ってるし、甘えておきなよ」
恵の言葉により、渋々といった感じに葛城くんは席へと戻っていく。
黒板の文字をすべて消し終わり、アタシ達も自分の席へと戻っていく。
「恋華。放課後、話聞かせてね?」
恵が何の事を言ったのかはすぐにわかった。
「でも恵、部活は?」
「今日は休む。部活どころじゃないし」
「わかった。ありがとう」
お礼を言うと、二カッと笑って恵と別れる。
教室の中は殺伐としていた。
機嫌が頗る悪い男子グループ。そのきっかけを作ったアタシと恵。
自分の席で静かに座っている葛城くん、どうすればいいのか分からない傍観者のクラスメイト。
間違いなく、アタシもこのままクラスからハブられてしまうだろうな。それでも。
葛城くんと恵の方を見る。
ケータイをいじっている恵。ずっと机を見ている葛城くん。きっとこの二人は、アタシの味方でいてくれるだろう。今はそれで十分だ。
今アタシが、しなきゃいけないことは、葛城くんを『一人』に、『独り』にしないことだ。
いつか、また葛城くんがこのクラスの輪の中に戻れるときが来るまで、アタシが一緒にいてあげなきゃ。
校庭には前に見た錆びれたサッカーゴールがある。
あれと同じにならないように。自分自身が錆びれないように、葛城くんが錆びれないようにこれから頑張らなきゃな。
アタシは授業が始まるまで、ずっとサッカーゴールを見続けていた。
***
授業終了のチャイムの音が、教室に響き渡る。
これから昼休みだ。
さすがに昼休みにもなれば、クラスメイトたちはそれぞれのグループで騒ぎ始め、みんな昼食を食べ始めた。
アタシは席を立ち、葛城くんの席へと向かう。
「か、葛城くん。い、一緒にどう、ですか?」
手に持っている弁当箱を見せ、昼食へと誘う。
やはり慣れていないせいか、カミカミだ。
「……うん。食べよっか」
いつも通り。とまではいかないが、浮かべた柔らかな笑みには、朝の時より元気があるように見える。
「じゃ、じゃあ、中庭でなんて、どう、ですか?」
教室でなんか食べていたらまた、女子グループが何をしてくるか分からない。
恵も、部活の集まりがあるとかで、昼休みはいないし、アタシ一人でアイツらに対抗出来る気がしない。
「わかった。じゃあ、いこ」
葛城くんもかばんから弁当箱を取り出し、アタシの前を歩いていく。
「は、はい!」
不謹慎かもしれないが、どうしても気分が高くなってしまう。
葛城くんと二人っきりでの昼食。こんな形出なければもっと、楽しかっただろう。
「そう言えばさ」
中庭に向かう途中、いきなり葛城くんが声をかけてくる。
「なんで、霧島さんは俺に構うの?」
そう言われると、言葉に詰まってしまう。
明確な理由はあるが、今はそれを言う事はできないし。
「えーっと、そのー……」
「どうしたの?」
足を止め、こちらを覗いてくる葛城くん。
「……い、いつか言うので、今は勘弁して、もらえません、か?」
なんとか搾り出した答えに、葛城くんはじっとアタシのことを黙って見ている。
「わかった。でも、ちゃんと聞かせてね」
それだけ言って、また前を歩き出す。
あんなことを言っておいて、アタシはちゃんと理由を話すことができるのか。
そんな不安が、胸の中に芽生える。
「どこら辺で食べる?」
気づいて見ると、中庭に着いており、葛城くんが足を止めてこちらを見ていた。
「じゃ、じゃあ、あそこのベンチ辺りで」
「ん。りょーかい」
ちょうど一つだけベンチが空いていたので、そこに座る。
お互いに弁当を広げ、いただきます。と言ってからご飯を食べ始める。
横を見ると、女の子らしく、小さい口でちまちまとおかずを口に入れている葛城くん。
その姿が新鮮で、目が離せなくなる。
「どうかした? 俺の顔に何か付いてる?」
「い、いや! なんでもないです!」
急いで視線を外し、誤魔化すように自分のご飯にがっつく。
「……女の子なんだね」
「はい?」
「お弁当。小さいし、食べるのも遅い。俺とはやっぱり違う」
「はあ……」
急に訳の分からないことを言ってくる葛城くん。
「それで、俺より……優しい」
手が止まり、葛城くんの視線が下に向く。
何かやってしまったのだろうかと、焦ってしまう。
「なんで、キミはそんなにも優しいの?」
視線を上げ、大きな瞳でアタシのことをしっと見つめてくる。
「なんで、俺なんかのためにクラスの皆を敵に回してまで、一人になることを選ぶことが出来たの?」
懇願するように見つめてくる彼女の瞳には、うっすらと涙が浮かび上がっている。
そんな彼女の顔を見ていると、こっちが泣きたくなってくる。それと同時に、苛立ちが襲ってくる。
「俺は耐えられない。一人なんて……。今も、昔も……」
昔? 過去にも何かあったのか? いや、今はそんなことよりも、なんで葛城くんがここまで追い込まれなければならないのか。なんで、アタシは助けることができないのか。そんな思いがアタシの中を駆け巡る。
朝のあの強気な態度も、自分を偽るための仮面に過ぎなかったんだろう。本当は誰かに助けてほしかったんだろう。
それで、今の質問。
すぐには信用できないんだろう。
そりゃそうだ。つい先日、信じていた人たちに裏切られたのだから。
なら、アタシは彼女に信用されるために、全力を尽くすだけだ。
「アタシは、葛城くんが言うほど優しくないよ」
「え?」
「アタシは最初、自分がどうすればいいのか分からなくて、ずっと悩んでいた。そんな時に恵や、母さんがいてくれたから今、アタシはこうやって答えを持って葛城くんと一緒にいれるんだよ」
ホント、あの二人がいなかったら、アタシはきっとクラスの奴らと同じ、流されるだけのただの雲になっていただろう。
「そっか……。でも、やっぱり霧島さんは優しいよ」
まだ目に涙を溜めたままだが、先ほどまでの弱弱しい表情ではなく、安堵したような笑みを葛城くんは浮かべる。
その顔を見て、辺に入っていた力が抜ける。
「霧島さん」
止めていた端を進め、昼食を食べ始めようとすると、葛城くんが声をかけてくる。
「ありがとう」
視線は下を向いたままだが、髪の隙間から少し見える頬は、少し赤く染まっている。
自分でも、頬が緩んでいくのが分かる。身体の奥底が温かい何かに包まれていくように、心地がいい。
「……どういたしまして」
小さくそう呟く。
時計を見ると、昼休みも残り半分を過ぎている。
「葛城くん。早く食べちゃお。時間なくなってきてる」
「そ、そうだね」
そうして、また箸を進める。
頭上に広がる空は、ここ最近で見た中で一番青く、輝いている。
雲ひとつ無く、太陽が燦々と照りつける。その下で鳥たちが、自由に羽を羽ばたかせ飛んでいる。
そんなあの空に、今アタシは憧れを抱いた。
いつか、あんな自由が訪れることを願って。