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第二章

本日中に完結まで投稿致します。

見ていただけたら幸いです。

日が傾き、綺麗な夕焼け空が浮かぶ放課後。

 あの後は、特に何事もなく授業が終わり、あっという間に下校時間となっていた。

「それじゃ、恋華。また明日ねー」

「うん。部活頑張ってね」

 帰宅部のアタシはそのまま家に直帰だが、バスケ部に入っている恵はこれから部活だ。

帰るときはいつも一人だ。

 下駄箱まわりも、校庭も、校内も下校する生徒で溢れかえっている。

 その人波の中を潜り抜け、ゆっくりと家へと向かう。毎度の事だ。

「あれ? 霧島さん、今帰り?」

 後ろから聞こえてきたこの声は。ああ。まただ。

「か、葛城くん。そ、そうだけど」

 今日はやたらとこの人に関わる。その事が嬉しくもあったが、反面、心臓に悪くもある。

 夕日に照らされて、葛城くんの顔が少し赤くなっている。その何ともいえない色気にこちらの顔まで熱くなってくる。

「よかったー。霧島さんの背中見つけて走ってきた甲斐があったよ」

「な、なんかアタシに、よ、用でしょうか?」

 カミカミながらも何とか言葉を搾り出す。

「霧島さんって確か、途中まで俺と帰り道一緒だよね?」

「そ、そうでしたっけ?」

「確かそうだよ。それでさ、俺も今日帰り一人でさ、そしたら霧島さんが一人で帰っていくのが見えたから……迷惑じゃなかったら途中まで一緒に帰ってもいいかな?」

 思考が停止した。

 あの葛城くんが? アタシと? 一緒に帰る?

「お、お供します!」

「あはは! なんか昔の人みたいだよ!」

 太陽のような笑顔を不意に、こちらに向けられる

そんな顔を直視できるはずもなく、反射的に顔を背けてしまった。

「どうしたの? 霧島さん?」

 葛城くんが下から覗き込んでくる。

 その距離は昼休みの時と同じだった。

互いの吐息を感じる事ができるほど近い。

葛城くんのキメ細やかな肌。

大きくパッチリと瞳。

それらがアタシの目に映りこむ。

「い、いえ! なんでもないでしゅ!」

 その近さに耐えられなくなり、彼女との距離をとった。

 葛城くんは小さく小首を傾げている。

「まあいっか! じゃあ、帰ろ!」

 そう言って、アタシの前を歩き始める葛城くん。

 その後ろにつくようにアタシも歩きはじめる。

「後ろじゃなくて、隣に来なよ。それじゃ、ストーカーみたいで怖いよ?」

 振り返り、彼女はそんなことを冗談めかして言ってくる。

「じゃ、じゃあ、お隣、失礼します……」

 ガチガチに固まった体を無理矢理動かし、隣に並ぶ。

 肩と肩が触れ合いそうなほどの距離にこの人がいると考えるだけで、どうにかなってしまいそうだった。

「霧島さんっていつも帰るとき一人なの?」

 不意に葛城くんが口を開く。

「そ、そうですね」

 そんな簡単な返ししかできない自分が恨めしい。もっと会話を繋げたいという気はあるのだが、どうしても言葉が出てこない。

「清沢さんは? 一緒にいつもいるじゃん」

「め、恵は部活があって……」

 この後どういう風に話を進めたらいいのか分からず、視線が下を向く。

「そっかー。それじゃあ、しょうがないよね」

 その葛城くんの言葉を最後に、無言の時間ができてしまう。

 ローファーが地面を叩く音だけが周りに響く。

「あ、あにょ!」

 完全にやっちゃった。めっちゃ噛んだよ。最悪だ……。

 顔が燃えるように熱くなる。

「ぷっ、あははは!」

 透き通るような笑い声が聞こえる。その方を見てみると、葛城くんがお腹を抱えて大爆笑している。……そんなに笑えますかね。

「霧島さんって面白いんだね! あまり話したこと無かったからわかんなかったけど、キミ、ホントに面白いよ!」

 目に溜まった涙を拭きながら、なぜかアタシを絶賛してくる葛城くん。

 そんな葛城くんの姿をアタシはただ呆然と眺めているだけだ。

「あー、久々にこんなに大爆笑したなー」

 笑い終わると、近くにあった電柱にもたれかかる葛城くん。その顔は笑ったせいか、先程よりも顔を赤くし、息切れまで起こしていた。

「そ、そんなに、お、面白かったですかね……?」

「面白いよー。だって、しゃべる時、毎回噛んでるんだもん。緊張しすぎだよー」

 そう言いながら、アタシの隣まで来て背中に手を置く葛城くん。

 その行動にドキっとしていた。普段のアタシならここで、手を振り払っていたのだろう。だが、今はその手を振り払うことはしなかった。いや、出来なかった。

 久々に感じた人の手のぬくもり。

 服越しではあったが、それは確かに温かく、柔らかな感触が背中から全身に伝う。

 ――ああ。こんなにも心地いいものだったっけ。

このままずっと、このぬくもりを感じていたくなる。

「霧島さん? 大丈夫?」

 何も言わなくなったアタシの前に顔を覗かせる葛城くん。

 その時、背中に置かれていた手が離れてしまった。

正直、もう少しだけあのぬくもりを感じていたかったな……。

「どうしたの? そんな捨てられた子犬みたいな顔して」

「え!? そ、そんな顔してましたかね?」

 葛城くんに言われ、咄嗟に両手で顔を隠した。

「隠さなくても良いじゃん。可愛かったよ? なんか庇護欲が掻き立てられそうで」

「な、な、な!」

 これはなんとしてでも、両手を外すわけにはいかない。今のアタシは、きっと誰にも見せられない顔になっているだろう。

 自分でも分かる。頬がだらしなく緩みきっていることが。

「ほーら、手、外してよー」

「だ、ダメでしゅ!」

 アタシの手を掴み、剥がそうとする葛城くん。それをアタシは必死に抵抗する。

「大丈夫だって! 怖くないから」

 笑いながら言ってくるが、それがめちゃめちゃ怖い。

「か、葛城くん。ほ、ホントにダメ……です」

「ちぇ~、そこまで言うならやめてあげる」

 なんとかアタシの腕を解放してくれた彼は、ちょっとつまらなそうに頬を膨らませ、前を歩いていってしまう。

 お、怒らせてしまっただろうか。

 アタシの中に焦りが芽生える。

「あ、あの。すみません……」

 こんなところで嫌われてしまったら。そう思うと、顔から血の気が引いていくのがわかる。

 だが、そんな心配は杞憂に終わった。

「どうして謝ってるの? 霧島さん何も悪いことして無いじゃん」

 一度立ち止まり、振り返りながら彼女はそう問いかけてくる。

「え? でも、お、怒ってたんじゃ……」

「あれぐらいじゃ怒らないよ。心配性だなー。霧島さんは」

 後ろを振り返り、彼女は笑いながら言ってくる。

 よ、よかった。怒っていなかった。

 焦りが、跡形も無く消えていく。

 止めていた歩みを再開する。先ほどよりも足取りが軽い。

「あっ、俺こっちだから」

 楽しい時間はあっという間に終わる。今、その言葉が身に染みて分かる。

 葛城くんの指差す方向は、アタシの帰る方向とは違う方向を指していた。

「じゃあ、霧島さん。また明日学校でね」

「は、はい」

 手を振りながら去っていく葛城くんに、少しの寂しさを覚えながら、アタシは自分の帰路につく。

「霧島さん!」

 少し歩いたところで、またも葛城くんに声を掛けられる。

 何事かと思い、葛城くんのほうを見る。

「また一緒に帰れたら、一緒に帰ろうね!」

「っ! は、はい!」

 そう告げると、彼女は走りながら帰っていった。

 アタシは、葛城くんの姿が見えなくなるまでその場で立っていた。

 夕焼け空が、トパーズのような輝きを放っていた。


***


「ただいま」

 暗く静かな玄関にローファーを脱ぎ捨てた。玄関、階段、リビングの順で電気をつけていく。階段をあがる。

 一段ごとにぎいぎいと、獣の鳴き声のような音が響く。

 部屋に着くなり、カバンとブレザーをフローリングに放った。

ベッドに身を投げ出す。

 今日の夕飯のことを考える。

 何を作るかも問題だが、どれくらい作るかも問題だ。

 ――母さんの分。

 いつもなら、夕飯がいらない場合は、メールが来る。今日はまだ来ていない。

 ポケットからスマホを取り出し、電話帳を開いた。

『今日夕飯いる?』

 それだけを打って、メールを送信し、スマホを置く。

 ジャージに着替えてから気づいた。

「あっ、買いもの行ってない……」

 冷蔵庫は空っぽだ。放課後に買いに行く予定だったが、葛城くんとの事ですっかり忘れていた。

「めんどくさいな……」

 ため息をつくと、カバンから財布を取り出し、また一階へと降りた。

 サンダルをひっかけたところで、ポケットの中のスマホが震えた。

『いらない』

 たったそれだけ。

 アタシは返信せず、スマホを仕舞い、扉を開けた。

 外は、日が完全に落ち、辺りはダークブルーに染め上げられている。

 海の底にでもいるかのようだ。

 見上げれば、空には数え切れないほどの星々が瞬いている。

 夢のようで、幻のようで、確かにそこにあって。一つ一つがしっかりと『自分』を主張していて。

 アタシにはあの星たちのように輝きがない。求めているのに手に入らない。

 アタシは『自分』を持っているのか。それを自問自答しても、肯定することはできなかった。

 あの空に手を伸ばしたところで、届くはずもない。

「バカ……」

 分かっていてもどうしてか無性に悔しかった。


***


 眠い目を擦りながら体を起こす。

 昨日、早寝をしたせいで、今朝はいつもより早くに目が覚めてしまった。

 とりあえず、ベッドから抜け出し、制服に着替える。

 だいぶ時間に余裕がある。

 最近、朝食の手を抜いていたから、今日はちゃんとしたものを作ろう。

 階段を降りていると、リビングの方からテレビの音が聞こえてきた。アタシは昨日テレビをつけた覚えがない。

「早いわね。恋華」

 リビングに母さんがいた。ソファーでコーヒーを飲みながらテレビを見ている。

 ワイシャツにネクタイを締めたスーツ姿だ。

「母さんこそ……」

「ええ。もう少ししたら出なきゃいけないから。今日も会議よ」

 その言葉に耳を疑った。

「え……? じゃあ、朝食は?」

「さっき済ませたわ」

 カップを置きながら平然と言う。

「さて。それじゃあ、恋華。戸締りよろしく」

 カバンと、上着を取ると、アタシの肩に手を置き、母さんはリビングから出て行った。

 アタシはリビングに一人取り残され、動けずにいた。

 胸がざわつく。

 何もおかしくない。何も間違っていない。ただの日常なのに。

 テレビの音が響いてくる。

 リモコンを手に取る。テレビを消してから、それを思いっきりソファーに叩きつけた。蓋が壊れて、電池が床へ散らばった。

「バカ……」

 雨の音が低くしつこく聞こえている。

カーテンを力任せに閉じて、アタシは朝食の準備を始めた。

***


 外は土砂降り。学校へ行く気持ちが萎える。

そんな中、アタシは重い足を無理矢理動かし、学校へ向かっていた。

「なにやってるんだろ……」

 呟きと共に、唇を噛み締める。

 雨音の残響が、耳にこびりついて離れない。

「もう校門……」

ずっと下に向けていた視線を上げてみると、いつの間にか学校へと着いていた。

「やめよう」

 今まで考えていたことを頭の中から消して、教室へと足を運ぶ。

 まだ時間が早いせいか、下駄箱まわりは閑散としたものだ。

「はよー」

 どうせ、こんな早い時間から来ている奴なんていないだろう。

「あれ? 霧島さん? 今日は早いね」

「え……?」

 変な声が出た。そこには葛城くんがいて、しかもアタシの席に座っているのだから。

「か、葛城くん? なんでそ、そこに」

「あっ、えっと、これはね……」

 あまり見たことが無い、葛城くんの焦った表情。なんか新鮮だな。

「あっ、そう! いつも俺がいるグループって最初に来た人が、どこかの席を取っとくっていう変な決まりがあるんだ! それで、今日はたまたま霧島さんの席だったってだけ! それだけ!」

 彼の顔は少し赤く染まっており、目があちらこちらに泳いでいる。

「は、はあ」

「む。その顔、何言ってんの? って感じがビンビン伝わってくるんだけどー?」

 次は頬をふぐのように膨らませ、こちらをジト目で見てくる。

「ぷっ、あはは!」

 その表情の豊かさに、思わず笑ってしまった。

「な、なんで笑うんだよ!」

「い、いや、なんか面白かったからさ。ごめん。……ぷっ」

「あー! また笑った!」

 席を立ち、分かりやすく拗ねる葛城くん。可愛い。

「いや、なんか葛城くんが、焦ってるとこ初めて見たからさ。あはははは!」

 ダメだ。笑いが収まらない。こんなことは初めてかもしれない。

 なんだろう、くすぐったいな。体も軽い。

教室が明るくなったような気さえする。

 ふと、葛城くんのほうを見てみると、先ほどとは打って変わって、呆けた、言ってしまえばバカっぽい表情を浮かべている。

「どうかしたの?」

 アタシが声をかけると、頬を緩ませ、柔和な笑顔を浮かべる。

「……やっと、ちゃんとした会話ができたね」

「っ!」

 言われて気付いた。そうだ。その通りだ。

「あ、あの、す、すみません……」

 なぜ? なんで、今アタシは、普通に葛城くんと話すことが出来たんだ?

「あちゃー、また戻っちゃったね」

 ダメだ。そう意識すると、もう舌がもつれる。話せない。

「でもね……」

 彼はアタシから視線を外さず、じっと見つめてくる。

「また、いつか、俺と『本物』の会話をしてくれたら、嬉しい、かな」

 顔をほんのりと上気させて、ニコッと効果音が付きそうなほどの満面の笑みを浮かべた。

 心臓の鼓動が早くなる。言葉が胸に残る。まるで、火が灯ったようだ。

 彼が言った『本物の会話』。いつかそれが出来る日が来るのなら……。

「そ、その時まで」

「え?」

「その時まで、アタシのこと、待っていてもらえますか?」

 心臓の鼓動がうるさい。呼吸がうまくいかない。

 葛城くんは、驚いたような表情を浮かべた。

「い、いや、あ、あの、その」

 もう、どうしたって言葉が出てこない。待つしかない。

 けど、沈黙が痛い。

 たまらず、目を瞑った。手を強く握る。

「ふふっ」

 葛城くんが笑った。

 おそるおそる目を開けると、彼女は柔らかな笑みを浮かべている。瞳が潤んでいる。

「うん。待ってるよ」

「っ! あ、ありがとうございます……」

 静寂が教室に染み渡っていく。

 柔らかな笑みを浮かべて、こちらを見る葛城くんから、目が離せない。

「さて! ちょっと俺は行くとこあるから。またお話しようね。霧島さん」

 そう言うと彼女は、足早に後ろの扉から教室を出て行く。その時にチラッと見えた頬が赤く染まっていた。

「はあ……」

 自分の席に着き、一つため息を零した。

 先程までの葛城くんとのやりとりを思い出すと、嬉しい反面、羞恥に悶えたくなる。

なんでアタシは、あの時、あんなことを……。

『その時まで、アタシのこと待っていてもらえますか?』

……恥ずかしすぎる。別に離れ離れになるわけでもないのに、ドラマチックすぎるよ。さっきのアタシは。

「はよーっす。……って、恋華? 頭抱えて何やってんの?」

「恵。いや、ちょっとね……」

「ほー。そういえば、今葛城くんとすれ違ったんだけど、なんか様子がおかしかったんだよねー」

 恵の言葉にドキッとする。

「恋華、なんか知ってるんじゃないの?」

「い、いや、何も知らないよ?」

 顔を背けた。

 窓の外を眺めた。雨は止んでおり、雲間から太陽が少し顔を出している。

 じきに晴れるだろう。当たり前だが、雲の向こうには青空があるのだから。

「なに笑ってんのよ。恋華」

「ちょっとね」

 二羽の鳥が、じゃれ合いながら飛んでいる。

 二羽で居ることが楽しくてたまらないという様子だ。

――また、いつか、俺と『本物』の会話をしてくれたら、嬉しい、かな。

 葛城くんの言葉が思い出された。彼の笑顔もまた。

「恵」

「ん?」

「アタシ、頑張る」

「はあ? 何を?」

「秘密」

「今日の恋華、なんかおかしいよ?」

 恵が席へ戻った後も、アタシはずっと空を眺めていた。


***


 帰宅すると家に明かりが点いていた。

「おかえり。恋華」

 リビングの扉が開き、母さんが出てきた。ラフな部屋着姿だ。

「ただいま……。今日は早いんだね」

 自分でもビックリするほど、低い声が出た。

「ええ。最近仕事ばかりで、休みが無かったから。今日は早めに上がったんだ」

 何てこともないように、軽く言ってくる。

「そうなんだ」

「ええ。あなたもそんなところに突っ立ってないで、早く入ってきたらどう?」

「……そうだね」

 いつもならリビングへ行くところを、すぐさま階段へ向かった。早く部屋に戻りたい。

「恋華」

 一段目に足を乗せたとき、母さんに呼び止められた。

「もし、よかったらなんだけど、一緒に夕飯作らない?」

 勢いよく振り向いた。

 母さんは、頬を掻きながら、照れくさそうな表情を浮かべている。

「いや、最近家にいなかったから、たまには息子とのコミュニケーションを取ろうとおもって……」

 早口に言う母さん。

「……うん」

「そ、そっか! じゃあ、作るときになったら言って!」

 テンションをあげる母さんに、「わかった」と一言だけ残して、階段を上がっていく。

 自室へ入ると、カバンとブレザーを床に放り投げる。ベッドにダイブした。

なんで、アタシだけが悩んでるなんて思っていたんだろう。

 独り相撲も良いところだ。

「バカみたい」

 体を起こし、部屋着に着替える。

 下からテレビの音が聞こえてくる。

 久々にこの時間から、テレビの音を聞いたような気がする。

「母さん。そろそろ準備するよー」

 そう呼びかければ。

「わかったー」

 母さんが返事をしてくる。

「おまたせ」

 リビングに入った。台所で母さんが調理器具の準備をしている。

「恋華。お米は炊けたんだけど、調理器具がどこにあるのか分からなかった」

 なるほど、色んなところをあけた形跡が見て取れた。

「母さん、いつも台所に立たないんだから、分かるわけないじゃん。一緒に準備しよ」

 慌てている母さんの姿を見て、少し笑った。

「そ、そうね。……いつも任せきりにしてごめんなさい」

「いいよ。もう慣れたからさ」

 台所に立ち、母さんの隣に並ぶ。

「今日は何を作るの?」

「無難にハンバーグとかかな。母さんはサラダの方をお願いするよ」

「了解」

母さんと料理をするのは久しぶりだ。

アタシが料理を始めたばかりの頃はよく一緒に作ったものだ。

今となっては、アタシの方が慣れた手つきで、肉を捏ねている。

「上手くなったわね。昔は全然ダメだったのに」

「そりゃ、毎日作ってれば上手くもなるよ」

捏ね終わった肉をフライパンに敷き詰め、焼きあがるのを待つ。

「ほら、見てばっかりいないでさ、お皿持ってきてよ」

「え、ええ。了解」

 焼き終わった肉とサラダを皿に盛り付ける。料理を、机の上に並べる。

肉の匂いが鼻を通り抜け、食欲が掻き立てられる。

普段使っている肉と同じなのに、高級な肉料理のような匂いがする。

「それじゃ、いただきます」

「いただきます」

 箸を手に持ち、夕飯を食べ始める。

 硬い表情を浮かべながら、黙々と母さんは、ご飯を食べ進めている。

 その姿をじっと見る。

「何か学校でいい事でもあったの?」

 最初にこの静寂を、破ったのは母さんだった。

 先ほどのような顔では無く、優しい笑みを浮かべている。

 急な質問にすぐに答えを返せない。

「どうしたの? 急に」

 当たり障りのない言葉ではぐらかす。

「いや、帰ってきたとき、いつもよりも声が明るいような気がして」

 いつも通りに帰ってきたはずなのに、声の明るさだけでわかるなんて。

 顔がニヤケていくのがわかる。

「母さんの勘違いならいいんだけど……」

「……まあね」

「そっか。……好きな人でもできたの?」

 その言葉にすぐに首を縦に振ることは出来なかった。

 ――好きな人。

「……わからない」

 それがアタシの出した答えだった。

 アタシは彼女にどんな感情を抱いているのか。

 嫌いではない。

なら好き?

 それもピンとこなかった。

「悩んでいるの?」

 箸を置き、母さんはアタシに問いかけてくる。

「うん……」

「じゃあ、恋華はその人と話しているとき、どんな気分に?」

 葛城くんと話しているとき……。

 昨日の帰り道、そして今朝のことを思い出す。

 夕日の赤に染まった景色の中に浮かぶ葛城くんの笑顔。

 その笑顔が胸に染みる。

『霧島さんって面白いんだね! あまり話したこと無かったからわかんなかったけど、キミ、ホントに面白いよ!』

『む。その顔、何言ってんの? って感じがビンビン伝わってくるんだけどー?』

 彼のことを思い出すだけで、体の奥底にジワっと温かいものが広がり、それがアタシの全身を包み込む。

「楽しそうね」

「えっ?」

 急な言葉にドキッとする。

「笑っていたわよ?」

 手で口を押さえる。

「じゃあ、次は、その人の隣に自分じゃない誰かを置いて考えてみて」

 母さんに言われるがままに、その事を想像する。

 葛城くんの隣にアタシじゃない女子が並び、楽しそうに話している。

 手を繋いで、頬を赤く染め、アタシに向けられたことの無い笑顔。

 酷い嫌悪感が襲う。それ以上二人の姿を見たくない。

「その時どんな感情を持った?」

「……嫌だった」

「そういう事だよ」

 アタシにはまだ、母さんの言葉の意味がわからない。

「その人と一緒にいると楽しい。その人が自分と違う人と一緒にいるのが嫌だ。それが恋なんじゃないの?」

 ――葛城くんと一緒にいると楽しい。

 ――葛城くんがアタシじゃない違う人といるのが嫌だ。

 これが、この気持ちが恋?

「まだわからないなら、明日学校で確かめてみればいいわ。きっとわかるから」


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