婚約者が何を考えているのか全く分かりません!
「それでは、定刻になったので俺は帰る」
「そ、そうですか」
「ではまた」
彼は片手で開いていた本をパタリと閉じ、そのまま私を置いて庭を出ていった。
なんと驚くことに彼は……私の婚約者である。
子爵家の令嬢である私、アデライドは数年前に、侯爵家の嫡男であるレオン様と婚約をした。
相手側にあまり利益を見いだせないこの婚約に、私の家族は戸惑ったものだ。
しかし、そんななか……私はひそかに期待していた。
この婚約の理由は「私に惚れたから」ではないかと。
でも……いざ彼に会ってみれば、全くそんなことはなかった。
むしろ、一般的な恋人関係よりずっと冷めていると言えよう。
最近は仲の良い友人も、婚約者の惚気話ばかりしているのに、私の婚約者は、私がいてもいなくても何も変わらなさそうだ。
「……はぁ」
私だって、恋愛に憧れているのにな……なんてため息をつくと、視界の隅に、置き忘れられたレオン様の本が映る。
まだそこまで遠くには行っていないだろうし、届けに行こう。
彼は家まで馬車で帰る。
ただ、私の家の前の道路は狭く、馬車を止めれたものではない。
だから街の中心まで出て、そこから馬車で帰るはずだ。
「忘れ物を届けに行ってくるわ」
「分かりました、お嬢様」
子爵家の数少ない使用人に一言声をかけ、私は街へと歩く。
しかし、かなり早歩きをしているのにも関わらず、彼は背が高いこともあって、なかなか追いつけない。
背が高いと言えば……
「アデライドさんの婚約者って、あのレオン様なの!?」
「えぇ、そうよ?」
「なになに! あのレオン様ですって!」
「そうなのー!?」
お茶の席では毎回彼のことが話題に上がる。
スタイルが良く、容姿が整っている、更に頭が良いとなれば、かなり女性からの注目も高いらしい。
「それで? レオン様とはどのようなデートをしているの?」
「あのレオン様が甘い言葉をささやいているところなんて、想像できないわ……どんなことを言われるのか教えてちょうだい!」
などと質問攻めにされるのだ。
……私だって、彼が甘い言葉をささやいている姿なんて全く想像できない。
そんなことを考えていたからだろうか?
私は、いつもより街がざわざわとしているのに気が付かなかった。
目的地である街の中心に着くと、予想通りレオン様が馬車を待っている姿が見える。
「これ、忘れものよ!」
そう言ってあと数十メートルの距離を走ると、何故かレオン様も焦ったように私の方に向かって走って来た。
……焦ったように?
「危ない!」
彼と出会った中で一番感情のこもった声に驚き、後ろを振り返った私は……
そのままナイフで胸を刺された。
「……!!」
目を開ける。
そこは少し暗い部屋だった。
慌てて胸に手を当てるも、怪我はどこにもない。
それによくよく確認すれば、ここは私の寝室だ。
「……これは、夢?」
それにしては、現実味のある痛みを伴う夢だった。
それなら現実に起きたこと? でも……
「夢、だわ。夢でなければ、レオン様があんなことを言うはずがないもの」
ナイフで刺され、私の意識が遠のいていくなか、レオン様の声を聞いた。
『よくも……俺の大切な人に手を出したな』
思い出すと、ときめいてしまう私がいる。
あれは夢で現実ではないことを、次に起きるまでにはしっかり頭に入れておかないと。
現実の彼に期待するだけ無駄なのは、目に見えているから。
「とにかく、夢でよかったわ……もう一度寝
もう一度寝よう、と言いかけたが、少し出てきた朝日に照らされて、私はありえないものを見てしまった。
「今日の日付が……一週間前!?」
カレンダーは、確かに時間が一週間巻き戻っていることを示していた。
◇◇◇
メイド達にそれとなく話を聞き、家族にも違和感を抱かれない程度に時間軸を探ってみた結果、やはり1週間前に戻っていた。
ただの夢だったと思おうにも、その日に出てくるご飯も同じメニュー、お茶会がある日も一緒、それにレオン様が訪ねてくる日も一緒ということで、時間が巻き戻っているとしか考えられなかった。
それなら……レオン様のあの言葉も現実の出来事だったということで……?
「……俺の顔に何かついているのか?」
「い、いえ……何も」
普段は彼が本を読んでいる横で、私も好きなことをして過ごしている。
しかし今日は、彼について考えている間に無意識に見つめてしまっていたようだ。
彼は少し首を傾げた後、再び本に目を落とす。
他の人から見れば、これはデートと呼べるものでは無いのかもしれないが、これが私達にとって当たり前だった。
でも……
『よくも……俺の大切な人に手を出したな』
死ぬ間際に聞こえたレオン様の声をが蘇る。
夢ではなく、時間が巻き戻ったのだとしたら、目の前に座っている彼だって私のことを「大切な人」と思ってくれているかもしれない。
それならば、デートらしいことをしたいという、私のわがままを聞いてくれるだろうか?
「あの……」
声をかけてみると、すぐに彼は本を閉じた。
「どうした?」
「このあと、甘い物を食べに行きたいのですが……」
いざ声を発してみると自信が無くなってしまう。
「連れて行ってくれませんか?」と言いたかったのに。
自分の手元から視線を外し、ちらりと彼の方をみてみると、驚く程に無表情だった。
「す、すみません! 本を読むのを邪魔するつもりはなくて……」
私が焦って発言を撤回しようとすると、
「邪魔などとは思っていないよ。そうだな……いつも君の家から帰る時にある、あの店にしよう」
「えっ!?」
てっきり嫌がっているのかと思っていたけれど、彼は椅子から立ち上がり、こちらを振り向いた。
「行かないのか?」
「行きたいです!!」
「それなら早く行こう」
彼は私の歩く速さに合わせるように、隣を歩いてくれた。
◇◇◇
この前、婚約者と一緒にお店でケーキを食べるという、人生初のデートのようなことをした。
その時に思ったのは、時間が巻き戻る前の私は、歩み寄る努力を怠っていたのではないか、ということだ。
私が2つのケーキを見比べて、どちらにしようか悩んでいたら彼は、
「それなら、その2つを買って分け合おう」
と私に合わせてくれた。
更に、帰り道、勇気をだして彼の服の袖を掴んでみたら、
「手を繋ぐか?」
と聞いて初めて恋人同士のように手を繋ぐことができた。
今まで私は、そんな事をしたって何も変わらないと半ば諦めていた。
時間が巻き戻ったのは、そんな私に神様がチャンスをくれたのかもしれない。
そんなことを考えていると、目の前に大きな影ができた。
「待たせてしまった」
「いえ、大丈夫ですよ。私が早く着きすぎてしまっただけなので」
「次からは10分前を定刻にするとしよう」
時間ぴったりに待ち合わせ場所に来たレオン様は、やはりいつも通り、何を考えているかよく分からない顔をしている。
でも、いつもと違うことだってある。
時間が巻き戻る前は、いつも通り私の家の庭で彼が本を読む隣にいるだけだった。
しかし今日は、こうして待ち合わせをして、舞台を見に行くことになったのだ。
今日は殺された日だけれど、あの日とは完全に別の場所にいるので、私が死ぬこともないだろう。
だから私はただただ、彼とデートをするのが楽しみで仕方なかった。
「楽しそうだな。そんなにこの舞台が見たかったのか?」
「勿論舞台も見たかったですが、それよりもレオン様と一緒に見に行くから楽しみです」
歩み寄るのが大切とはいえ、この言葉はストレートに気持ちを伝えすぎたか?と不安になる。
けれど、
「そうか」
と答えた彼の口角が少し上がっていることに気がついた私は、途端に幸せな気持ちになる。
そっと彼の手を握れば、彼も握り返してくれた。
◇◇◇
「今日はとても楽しかったです!」
「あぁ、俺も同意見だ」
観劇が楽しかったのはもちろん、その後にフラフラと街を散歩しながらたわいもない話をしたことも、本屋をめぐって彼におすすめの本を紹介してもらったことも、全てが新鮮で楽しかった。
楽しい時間はあっという間だというのは本当で、もう待ち合わせ場所だった劇場の前に着いてしまった。
「では、私は帰りますね。今日はありがとうございました!」
私の家と彼の家の方面が違うため、迎えの馬車もそれぞれ違う所に止まっているはずだ。
しかし、名残惜しい気持ちのまま、私が彼の手を離そうとすると……離してもらえなかった。
「ど、どうしましたか?」
「今日は君の家まで馬車に乗ってもいいか?」
突然の提案に私は目を見開く。
「私の馬車に乗るのですか? それだとあまりに遠回りに……」
「ダメか?」
彼はいつも通り、何を考えているか分からない顔……に見えたが、今日彼とたくさん話をした私にはわかった。
眉尻が少し下がっているようだ。
そこから読み取れるのは、焦りや不安……?
「レオン様がいいなら、私は構いませんよ」
「ならば、同乗させてもらうとしよう。感謝する」
そこからはまたとりとめのない話をしながら、私の馬車が待つ方面まで歩く。
しかし、彼からにじみ出る焦りや不安は消えないままだ。
それに加え、常に辺りを警戒し、緊張している様子もある。
デート終わりに何を不安になることがあるのだろうか?
やはり、彼の考えていることはよく分からない。
……いや、よく分からないのは当たり前だ。
私はこの2回のデートを通して、歩み寄ることが大切だということを学んだではないか!
今の彼の気持ちだって
私が聞かない限り
分からないのは当然なのだ!
「ねぇ、レオン様。先程から何に不安を感じているのですか?」
「……君は、俺が緊張していることに気がついたのか」
僅かに見開かれる目。
これは驚きの表情だ。
「これについては、現時点での回答が難しい。だから、次会う時に
彼はそこで急に言葉を切り、私の腕を勢いよく引っ張った。
何事かと驚く間もなく、私の横にある建物の屋根が崩れ落ちてきた。
重みのあるレンガが何枚も私が立っていた場所に転げ落ち、大きな音を立てる。
街の人々もなんだなんだと周りに集まってきた。
そんな中私は彼に腕を掴まれたまま、呆然と立ち尽くす。
……もし私が彼に腕を引かれぬままあそこにいたら、頭にいくつものレンガがぶつかり、死んでしまっていただろう。
私が死んでもおかしくない。
時間が巻き戻る前は、死ぬ運命にあったのだから。
しかし私は、レオン様のおかげで生き残ったのだ。
「あ、ありがとうございます」
「……」
返事が返ってこない。
慌てて彼の方を見ると……
無表情のまま涙をこぼしていた。
「今度こそ、助けることができて良かった」
「レオン様!?」
私は近くのベンチまで彼を連れて行き、落ち着くのを待つ。
レンガの崩れた家では、幸い怪我人は出なかったらしく、騎士団が事後処理をし始めた。
そして彼の涙が止まったところで、一つ疑問に思っていたことを聞いてみる。
「今度こそ……? もしかしてあなたも記憶を持ったまま時間が巻き戻っていたのですか?」
今になって考えてみれば、彼の焦りや不安、緊張は、私が今日また死んでしまう可能性を考慮してのことだろう。
「そうだ。つまり、君も記憶を持ったまま巻き戻ったということ……時を戻したとはいえ、運命の大筋は変わらないはずだが……前と違って君がかなり積極的だったのは、記憶を持っていることによる誤差だったのか」
最初の一言以外は独り言のようにブツブツとつぶやいている。
なんだか私より、この「時が戻った」現象については詳しそうだ。
「レオン様はこのことについて色々知っていそうですね」
「勿論だ。なぜならこの時間の巻き戻しを実行したのは俺自身だからな」
「……えっ?」
「君が殺されてから、どうにかして生き返らせることはできないかと、そればかり考えていた」
どうやら私が死んだ後も世界は続いていたらしい。
「生き返らせることは不可能だったが、時間を巻き戻すことはできることに気が付いたんだ。そこからは十年間、研究を続けた」
「十年間も……!」
「そして遂に方法を見つけた俺は、こうして君が死ぬ一週間前に帰って来たんだ……俺の記憶が残るのは想定内だったが、君の記憶まで残っているとは考えもしなかったよ」
彼が話し続けるなか、私は彼が十年間も時間を巻き戻す研究をしていたことに驚きすぎて、話についていけない。
「わ、私のために十年の日々を費やして、その世界線での交友関係を捨てて、過去に戻って来てくれたんですよね? それって、まるで……」
「まるで?」
「随分、いやものすごく私のことが好きじゃないですか!?」
「そうだ。言ってなかったか?」
「……!?」
あんなに私に興味がなさそうな言動をしていたのに……
私のことを『大切な人』と表現してくれたことから、私のことを好きなのではないか、と少しは思っていたけれど……私のために時間まで戻すなんて。
「好きだなんて言われたことないですよ! ……でも、そんなに想ってくれていたのなら、何故私に対して何もしなかったのですか?」
彼は、恋人らしいことなんて全くしようとしなかった。
にも関わらず、私のことが好きというのは少し違和感を感じる。
「自分が好意を寄せている訳でもない相手からのアプローチは、負担になるからな」
それはつまり……私のことを考えて何もしなかったということで……
それに気がついた私は、両手を顔にあて、思わず俯く。
「……それは、確かにそうですけど!! でも、私達は婚約しているのですから、多少は私も期待していたというかなんというか。はぁ、話さないと伝わらないことって多いですね」
私のこの気持ちだって、今までレオン様には話したことがなかったから、伝わっていなかっただろう。
「……確かに話す方が合理的だ。実際に俺は君の期待については知らなかったからな」
彼も納得した様に頷いているのを見て、私はとあるお願いをしてみる。
「合理的だと思うなら……私に好きっていってくれませんか?」
彼は一瞬驚いたような顔になるも、すぐにいつもの顔に戻った。
一方の私と言えば、おそらく耳まで真っ赤になっているだろう。
「君のことが好きだ」
そこで一旦間を空けたあと、もう一度彼は話し出す。
「君は覚えていないかもしれないが、昔会ったことがあるんだ」
幼い頃から、無表情で言葉も少なかった彼は、周りの子供達には不気味がられ、避けられていたらしい。
しかし、私だけは隣で一緒に本を読んでいたのだという。
「そうだったんですね……」
私はそのことについて、全く覚えていなかった。
「あぁ。それで?」
「……それで、とはなんですか?」
「俺は気持ちを伝えたんだ。君も、言うべきだろう?」
「……!!」
彼は私が今までに見たことのない表情をしている。
楽しそうで、それでいて面白そうな……
そうだ、彼は私のことをからかっているのだ。
私の気持ちなんて、私が口にせずとも伝わっているだろうに。
しかし、伝えるのが大切だと言ったのは私だ。
ここで、私が言わない訳にはいかないだろう。
「……私も、レオン様のことが好きです」
時間が巻き戻った後のデートはとても楽しかった。
それに何より、時間を巻き戻してまで私を好きでいてくれた彼のことを嫌いになれるわけがない。
「そうか」
相変わらずの素っ気ない返事。
でも、私には普段より声が弾んでいるように聞こえた。
「それなら、遠慮なく」
何が「遠慮なく」なのだろうか?
私が戸惑っていると、彼は両手を伸ばし、私の体を優しく包み込む。
「アデライド、これからもずっとそばに居てくれ」
初めて呼ばれた私の名前。
私にキスをひとつ落とした彼が考えていることなんて、手に取るように分かるのだ。
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