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ep6,艶の花園Ⅰ

大変お待たせして申し訳ありません。

頑張りました!

また次の話までは時間かかりますがよろしくです。

今回からアラビア数字? なんか数字表記面倒になったので全部漢数字でお届けします。後に全部統一させます。

 夕陽が姿を隠すと同時に街の頭上では沢山の提灯が明るく輝き始め、色とりどりの衣を纏った女たちが店の前へ姿を現す。この時間になると街は本格的に活気に溢れ、娼婦たちは己を担保に商いを行うのだ。花の蜜を目当てにこぞって男たちは虫のように集まってくる。この街の景色は眩むほどに煌びやかで、けれど身を滅ぼしかねない中毒性を秘めていた。

 今日もまた艶花たちは美しく着飾り、男たちを魅了する──。が、しかし、

「ブゥゥ゙!!!! 聞いてねぇぞ!」

 兎坂托空(とざかたく)は猛抗議の末、憤死する勢いで金切り声を上げていた。彼にメイクを施していた女はびっくりして危うく手元を狂わせるところだった。

「いいえ、言いました! いいからもう観念して大人しくしてなさいよあんた!!」

 近くで監督していた兵瓦(ひょうがわら)紅緒(べにお)はすっかり素に戻ってしまい、彼を取り押さえにかかった。

 

❋❋❋

 

 ──遡ること数時間前。

 

「では、恐れながら私に考えがあります」

「聞こうか」

 この時点では紅緒はまだ冷静で、普段通り外面を完璧に整え、支配人らしく交渉の席についていた。対する喰狼(くろう)蓮海(はすみ)は優位さを誇示するように余裕の表情だ。内心ではいけ好かない男だと彼女は思っていたが、嫌な客とのやりとりを思い出してどうにか表情筋を維持するのだった。

「ぶちのめすのは得意だ。俺に任せろ!」

 托空は二人の駆け引きには目もくれず、Sparkを売り捌く不届き者をどう懲らしめるようかと息巻いていた。

「んん゛! 張り切っているところ申し訳ないのですが……」

 その時、リヴォが冷静に口を開いた。

 

「先に事件について詳しく説明する必要があるのではないですか?」 

 

「……それもそうね」

 我に返って紅緒は頷く。

「では皆さんこちらへ──」

 彼女の案内で通された大部屋にはすべての空間を埋めるように何人もの女たちが横たわっていた。薬品と甘ったるいお香が入り混じったような独特な臭いが入った瞬間から香ってきた。

「この人たちは……」

 托空は戸惑った。女たちは目を瞑ったまま苦悶の声を漏らしている。

「奥から順に被害に遭った娼婦たちよ」

 紅緒はやるせない表情で声を押し殺して言った。

「すごい臭いだ……。何を焚いてるんだ?」

 あまりの激臭に耐えられなくて、司麻は軽く嘔吐(えず)いた。

「鎮静剤を調合した特殊な香を焚いてるのよ。でないと暴れてしまうから」

 彼女は部屋の隅に置かれた香炉を指さした。

「……想像以上だな」 

 部屋を見渡しながら蓮海が呟くと、横でリヴォは悲しく首を振った。

「いいえ、これが全てではありません。他に男娼が数名おり、彼女たちとは別室にしてあります。あとは行方不明者が多数……」

「ちなみにその行方不明者ってのはSparkとなんか関係あんのか? 俺の知る限りSpark中毒に徘徊癖なんてのはねぇけど……」

 托空は首を傾げる。

「恐らくは。──というのも、行方不明者は一度Sparkの被害に遭った者のみが該当するのです」

「ふぅん、目的は不明だがSparkと関連するのは間違いねぇみたいだ」

 すると被害者たちを観察していた蓮海が口を開いた。

「一応聞くが単なる獣化、もしくは全員が濃血障害というわけではないよな?」

 だが、彼女たちにSparkの中毒症状が進んでいるのは聞かずとも分かりきっていた。ある者は顔中に毛が生え、またある者は悪夢にうなされて獣のくぐもった鳴き声を出しているのだ。

「残念ながら違いますね」

 蓮海のわざとらしい質問を侮辱と受けとったらしく、紅緒は不機嫌そうに一から説明してやる。

「うちの子たちは訳あって普段から獣化するようにさせてますけど、だからといって昏睡状態にまで獣化が維持されるなんてことはありえません!」

「そうか。ここにいる全員がSpark中毒者だとはにわかに信じがたかったが残念だ」

 すると托空は素朴な疑問を口にした。

「なぁ、完治した人はどうなった? 出来れば話を聞きたいんだけど、会わせてもらえねぇか」

 しかし、彼女は答えず、隣のリヴォと顔を合わせるだけだった。

「……まだ……せん」

「へ? よく聞こえなかった。今なんて?」

「っ……だから! まだ──いません! 完治した人はいないなの!」

 彼女は衝撃の事実を口にし、托空は呆気にとられた。

「っ……! ……はぁっ!? そ……おかしいだろ! ちゃんと隔離措置も取ってるんだし一人くらい……」

「いないのよ! ……Sparkの中毒症状は初期段階では発見しにくくて、ここに隔離される時点でどの子もステージは3かそれ以上なの。完全に薬が抜けきるまでかなりの時間を要するわ」

「だとしても時間がかかりすぎだろ! じゃ一体いつからこの状態なんだ?」 

「っ……そ、れは……ここまでになったのはつい最近……一ヶ月前ぐらい、から」

「嘘だな」

 蓮海はすぐさま嘘と見抜き、一番奥に寝かされていた女の傍へ膝をつくと、様子を観察しながら言った。

「一番奥の……この古参らしき女は一ヶ月もここにいない。せいぜい一週間程度だ。点滴の跡が少ないのがいい証拠……それに症状が未だステージ4のそれだ。思うにここは人の出入りが激しいようだな? つまり──完治した者も必ず居た筈だ」

「……」

「本当は?」

「はぁ……いつからなんか覚えてないくらい前からこの街は少しずつSparkに蝕まれていたわ」

 そもそもSparkが世間に広まったのはおよそ八年前のことだ──托空は当時の事を思い出して苦々しい気持ちでいっぱいになった。

「勿論対処はしていました。その都度売人を調べ上げて薬の入手経路を突き止め、街の治安を守ったわ。でもそれも一時しのぎ……無駄だったの」

 彼女は辛酸を嘗める思いだった。薬物を禁止する喰狼組のシマでもSparkは横行し、今では収拾がつかなくなる一歩手前まで追い詰められてしまっている。

「正確には……そうね、ここ一年。ちょうど行方不明者が出始めた頃に急激に悪化した気がするわ」

「紅緒様の仰る通り、今までの比ではないくらいSparkの被害が増加しています。また、その侵入ルートがいまだつかめていないのが問題なんです」

「これまでになく巧妙な手口というわけか」

「そうです……。ふぅ……その特定出来ないのには理由があって……実は……これまでの被害者は全員──…」

 彼女は言い淀んでから再び言葉を振り絞った。

 

「回復しても口を噤むか……失踪してしまうの」


「ふむ……」 

「変な話だ」

 司麻は眉間に皺を寄せて頭を悩ませた。

「だから調査が進まねぇのか……」

 ちょっと考えたあと、蓮海はもっともらしく意見する。

「そうか? 簡単なことだ。口を割らせる手段は幾らでもあるだろう?」

『……』

 しんみりした空気の中に突如として爆弾が投下された。辛うじて司麻は賛同したが、それ以外の者は正気を疑う目で男を見た。

「おかしなことを言ったか?」

 そんな彼に対して托空はキレ気味に返す。

「おかしいのはてめぇの頭だ! ぼけ!」

「はぁ……流石に。その方法は同意しかねます。彼女たちは被害者なんですよ」

 紅緒は呆れて目眩すら覚える。

「だが、薬に手を出したのは彼女たち自身の意思によるものだ」

 蓮海は切り捨てるように発言した。その薄ら寒い笑みの向こう側には別の誰かに向けた侮蔑のようなものが籠っていた。 

「てっきり航貴ならやりかねないと思っていたが」

「……」

 すると紅緒は無言で眉の端を少しだけ動かした。

「蓮海様、我が主人をあまりからかわないでください」

「そうだぞ! てめぇのそういうとこ良くねえぞ!」

「同調するな……やかましい。話を戻すぞ」

 彼はどこか苛立って言った。

「で、証人が使えないこの状況でどうするつもりだ?」

「失踪者との関連性も気になりますね……」

 司麻は鼻声になりつつも神妙な顔で考え込んでいる。

「ひとまず部屋を出ましょう。そして今の光景を忘れないでください──」

 こうして状況説明が済むと紅緒は部屋をあとにした。

 

❋❋❋

 

 執務室に戻るなり本格的な作戦会議が始まる。

 

「先程のことで分かったと思うけど、Sparkの売人を突き止めるのにはかなりの難局が予想されるわ」

 

 紅緒は机に身を乗り出して言い、お茶を配りながらリヴォが補足する。

「そこで我々は考えました。手がかりが少ない中ではありましたが、Spark被害者の共通するところである顧客に目をつけたのです」 

「おぉ!」

 目を輝かせた托空はすっかりその場の空気にのみ込まれてしまっていた。

「行方不明者の捜索及び原因の究明も視野に入れ、潜入調査を依頼します!」

 指揮官のように紅緒は宣言した。

 

「ごほんっ。──それでは、今回Sparkの売人を検挙するにあたって重要なことがいくつかあるのでそこから説明しましょう。一つは『取引の場をおさえる』こと。皆さんにはうちの従業員に扮してもらって探りを入れていただきます」

 紅緒がリヴォに指示すると彼女はやがて何かのリストを持って来た。

「これが目星か?」

 せいぜい十枚程のファイリングされた顧客は、大体どれも写真の中で怪しく笑っている。

「この写真はどうやって?」

 司麻は托空を押しのけて覗き込んだ。

「写真家志望だった娘がいてね、遠い画角ながらも正確に撮ってくれたわ」

 何人か心当たりがあるようで彼はまぢまぢと見つめた。

「こいつとこいつはうちでもマークしていました」

「ん、特段注意するとしよう」

 蓮海が静かに頷く。

「ええ、そうします。それとここでもう一つ『大元を特定する』必要があります。ただ単に売人を検挙するだけでは完全に解決したとは言えませんからね」

「大方察しはつくがな……」

 虚空を睨みつけて蓮海は言った。

緋月(あかつき)……だったか?」

 托空もまた思い浮かんだその名を口にする。

「ああ、またの名をロッソ・セレネ」

「で、結局そいつらはなんなんだよ」

 床を足踏みしながら托空は唸るように呟いた。

「それが未だ詳細な情報は掴めずにいる」

 うんうんと紅緒も同調する。

「目的不明。構成人数不明。トップが誰かも分からない。一貫して分かっているのは名前とシンボルマーク、そして『Sparkを広めている』ということだけよ」

 「ふぅん」と托空は考え、暫く使っていなかったスマホを取り出したが、画面に表示された大量のメッセージ件数を見て結局何もせずにまた元の位置へしまった。

「ま、これが上手く行けば奴らの手掛かりに繋がることは間違いないだろう」

 ひいては後継者選定の条件を満たし、他を出し抜くことにも繋がる。蓮海は算段つけて目を光らせた。

「──最後に行方不明者の捜索です。まぁ、先ほど言った二つの事を念頭に置いてもらえれば、自ずと答えは出る筈よ」

 

「では、早速! リヴォ」

 

 紅緒が手を叩くと待ってましたとばかりにリヴォが服を抱えてやって来た。

「今から貴方がたには我々『黒露椿(くろき)屋』のスタッフになっていただきます」

 その制服は黒を基調としていて動きやすく、清潔でスタイリッシュなデザインをしていた。胸元のバッヂと腕の腕章には椿の花がモチーフされている。

「しっかりした生地で中々着心地が良さそうだ」

 義姉(あね)の趣味でよく試着に付き合わされる蓮海は感心して言った。

「まぁ、これも『High・Order(ハイ・オーダー)』特注の物で、水鈴様からのご厚意ですから」

義姉(ねえ)さんのか。なるほどな」

 聞いていて托空は思い出した。そういえば以前、蓮海の義姉の水鈴(みすず)は表のビジネスで洋服を扱っていると言っていた。喰狼家の会合の折でもお揃いの法被を用立ててくれたが、今回こそはきちんとした物を着れるようだ。それによくよく考えれば『High・Order(ハイ・オーダー)』は有名な洋服ブランドではなかったか? 

 服に頓着しない托空は改めて思い返して、彼女の偉大さに気付かされるのだった。

 

「で、ここからが本題です」

 

 まだ本題にすら入っていなかったのかと全員が突っ込みたくなる中、紅緒は得意げに副経営者本来の威厳で話し始めた。

「我が娼館でスタッフとして行動する以上、皆さんにはきちんとしたそれ相応の振る舞いをしてもらいます!」

「…………はぁ」

 間の抜けた返事の托空等を睨みつけて彼女は熱の籠もった指導を彼等に説いた。

「キャストとお客様の間で働くのがスタッフです。当館ではキャストの六割は草食獣種で残る三割が雑食獣種、最も少ないのは肉食獣種にあたります。反対にお客様の大半は肉食獣種なので、スタッフはそれを念頭に置いて無理のない接客とお客様が笑顔になる奉仕をキャストへ指導しなければいけません。いざという時にはキャストを守る役目もあるから、常に警戒しておくこと!」

 言われずとも、薬の売人を捕まえるために警戒は怠らない筈だが、それを指摘するには彼女の熱意はあまりにも強すぎる。

「それとうちでは全従業員が獣化したまま営業を行っていますのでそのように。また、スタッフ側の雇用は大型の草食獣種(・・・・・・・)と決まっているので、蓮海様と司麻様は草食獣種に変装していただきますね。これも徹底した経営理念のためなのでご理解ください」

「構わない」

 托空は蓮海を見て戸惑った。というのも彼の頭にはどうあっても隠せない犬耳がぴんと生えていたからだ。もし変装するとして、耳か角がもう一つ増えるのは奇妙だし、格好がつかない。

「心配せずとも薬を飲めば暫く隠せる」

 托空の視線に気づいて蓮海が言った。「ふぅん」と托空は納得しつつも疑問に思う。

「つか、なんで獣化なんて面倒くせぇことを?」

「話せば長くなりますが、簡単に言えば『差別の視覚化』のためです」

「は? なんだそれ」

 すると横からリヴォが飄々とした顔で説明する。

「この街自体そうなんですよ。かつて肉食獣種は草食獣種を支配していました。その名残がこの『浮夜四番街』であり、ここは元々肉食獣種のための箱庭だったわけです。現代でもそれは受け継がれている。我々が獣化して耳と尻尾を曝け出すのは彼等肉食獣種を満足させるための演出です」

「ちっ」

 虫唾が走る内容に托空は激しく嫌悪を示した。紅緒は複雑そうに眉毛を寄せる。

「……あたしも肉食獣種だからただの戯言にしかならないかもしれない。けどね、敢えてそうした差別を利用することで草食獣種にとっていい面もあるのよ。それは庇護を受けられること。この街は肉食獣種の箱庭であると同時に草食獣種の安息の地でもあるわけ」

 受け入れられない托空は押し黙ってしまった。紅緒はちょっと気にかけたが、中断するわけにはいかないので再び話に戻った。

「──それぞれインカムを支給するから何かあればそれで連絡してください」

 

 そうして説明が終わるとリヴォから各々マニュアルと制服が配られた。けれども、ここでまた托空が反発した。

「なんだこれは!?」

 そう、彼の服のみ男性キャスト用のドレスだったからだ。

「見ての通りだけれど、不備でもあったかしら?」

 白々しくも小首を傾げる紅緒に托空は口を戦慄かせた。

「悪いけど貴方は逸材すぎる。メイクを施したら化けるわよ! ってことで副オーナー権限で強制的にキャストへ任命します」

 

「フザケンナ!!!! 誰がやるかッ」

 

 断固拒否な彼は大声で叫んだ。すると紅緒はこんなことを言い始める。

「なら、残念ですがこの取り引きはなかったことに……」

 蓮海は騒ぎ立てる托空の肩に手を置いて一言述べた。

「やれ」

「てんめぇ……」

 正気か? と彼は小声で詰め寄る。

『こちらの台詞だ。たかが男娼になるだけなのに何を慌てる必要がある?』

『たかがじゃねぇし! てか、そんな事言うくらいならてめぇがやれや』

 大きくため息をついて蓮海は托空の耳元で呟いた。

『お前の覚悟はその程度だったのか。Sparkを潰すためなら何でもすると言っていたのは嘘だったんだな』

「あ゛あ? んなもんいくらでもやってやるわ!」

 売り言葉に買い言葉でまんまと乗せられた托空は大見得を切っていた。

「それじゃあ決まりね」

 嬉しそうに紅緒は微笑んだ。 

「けど!」

 

「──この服は無しだ。露出が多すぎる……」

 

 

❋❋❋

 

 そんなこんなで着替えや化粧を施されることになった三人だが、托空は一人だけ別室で女たちと攻防を繰り広げていた。

「嫌だって言ってんだろ! こんなのは男が着るもんじゃねぇ!」

「要望通り違う物を用意してあげたってのに贅沢言うんじゃないわよ!」

「ブゥ゙ゥ゙これのどこが──」

 その衣装は大きく胸が開いて肌が露出するようになっていた。合わせのズボンはおよそズボンとは言えぬほど丈が短く、まるでミニスカのようだ。

「これでも加減してやってるのよ。布面積が前より三割増しなんだから! 他のキャストのに比べてもまだまだ生温いくらいよ。 いい? これ以上煩わせるならそっちを着せるわよ?」

 托空は絶句した。これ以上布が少ない服が存在するのかと。

「そんなこと言って……。やれるもんならやってみやがれ!」

「そう……」

 この失言に彼女は殺気の籠もった狩人の目をした。托空の頭には咄嗟に知り合いの闇医者『双葉結(ふたばゆい)』の顔がちらついた。その女医は托空にとって母親代わりともいえる存在であり、有無を言わせずあらゆる手段を使って事あるごとに彼を『教育(しつけ)』してきた。その恐怖と全く同じ気配を紅緒は感じさせたのだ。

「わ、わかった! わかったからそれだけは勘弁しろ!」

 結局は馴染みのある脅威に托空は屈するしかなかった──。

 

 その頃。一足先に着替えを済ました司麻と蓮海は托空の支度が終わるのを首を長くして待っていた。彼等は普段から黒いスーツに身を包み、どうしたってスーツを着れば、誰がどう見てもその筋の者と分かるような雰囲気を放ってしまうのだが。今は草食獣種の変装を施しているからか、せいぜいガタイの良い美丈夫(・・・・・・・・・)くらいの存在感に留まっていた。

 黒露椿屋の敏腕秘書リヴォは、副経営者の紅緒と肩を並べる程の審美眼の持ち主であり、娼婦たちの統括も含め、プロデュース力には自信がある。彼女の力をもってすれば、元々素材の良い司麻と蓮海は別系統の美しさへ変わることが可能なのだ。

 蓮海よりやや身長の高い司麻は寡黙な性質もあって怖がられることがしばしばあり、眉間に皺が寄ってしまうのも難点だ。そんな彼に彼女が選んだのは『牛の獣人』。彼等は大らかさで無口な者が多く最も大柄な草食獣種であるため、草食獣種の中では限りなく司麻に合う種族だろう。

 獰猛な虎は今は鳴りを潜め、立派な雄角を持った牛の獣人に変わっていた。地毛である金と黒のメッシュは変えることが出来なかったが、かえって二面性のある魅力を引き出していた。

 そして蓮海は自ら望んで兎の獣人に扮した。ただ、彼にうさ耳をつけたところで狼の存在感を完全に隠す事はできず、むしろ悪目立ちしてしまうため、そこから更に髪型を変えて眼鏡もつけなければいけなかった。

 最終的に七三分けの眼鏡をした地味な青年に落ち着いたが、制服から浮き出る筋肉は隠しようがない。

 

「まぁ、全力は尽くしました」

 

 リヴォはやりきったとばかりに額を拭い去った。

 その後の彼等は、生まれ変わった自分の姿を鏡で眺めたりお互い見合ったりして時間を潰していたが、やがてそれにも飽きてしまい。追加で彼女の淹れた特製ハーブティーを味わうなどして過ごすも、そろそろ忍耐の限界が近づいてきていた。やっと托空の準備が整った頃には彼等はハーブティーでお腹がいっぱいになっていた。


「……お待たせしました」

 

 疲れた様子の紅緒は息を切らしながら部屋に入ってきた。それに従っておずおずと托空が姿を見せる。

「いいか、笑いやがったらぶちのめすからな……」

 そう言う彼だったが、托空の姿を見た者はあまりの変貌に息を呑んで固まってしまった。

 

 ──鮮烈な燃火に似た彼は漆黒に包まれるとより磨きがかって美しく照るようだ。

 赤茶の明るい髪はよく()いて艶に濡れ、対照的に陶器のような白い肌とよく映える。目尻と唇には濃い朱が引かれ、彼がその琥珀の瞳を細めれば花も恥じらい、熟れた唇に微笑まれれば甘い気配に目が離せなくなる。

 開けた胸元と曝け出した美脚も齧りつきたくなる程に甘美だった。そして垂れたうさ耳と短く突き出した尻尾は庇護欲を駆り立てて止まないだろう……。

 

「不格好だからってあんまじろじろ見つめんな!」


 自覚無しの彼は男たちを苛々させた。

「流石です。紅緒様」

 出来上がった托空を見て、リヴォは主人に尊敬の眼差しを向ける。

「貴女も中々やるじゃない!」

 紅緒もまた蓮海と司麻の出来栄えに満足して言った。和気あいあいとお互いを褒め合う女たちとは違って三人はげんなりしている。

「んで、てめぇは何のつもりだクソ犬」

 早速托空はわざわざ兎を選んだ蓮海に対して、新手の嫌がらせかと胸ぐらを掴みにいった。そんな彼に至近距離で見つめられと妙な気分になり、蓮海は咄嗟に相手を睨みつけて歯ぎしりしてしまう。

 ぎりぎりと噛み締められ見え隠れする犬歯と鋭い視線によって托空の闘争心が刺激された。

「……が良いと思った」

「あ?」

「お前を見ていたらこれが良いと思った」

 歯の間から絞り出された言葉は不覚にも托空へ突き刺さった。

「はぁ!?」

「お前は今まで会った草食獣種の中でもだんとつの強さがある。そう考えると自然と……んぐ」

「プップッ……わ、わかったからちょっと黙れ!」

 蓮海の率直な物言いに、耐性のない托空は頬を紅潮させて物理的に彼の口を塞いだ。聞いたと思ったら黙れと言う理不尽な態度に蓮海はつい魔が差して、覆っている掌の内を音を立てて舐めあげるのだった。

 

 ──ぺちゃ。

 

 びっくりして托空は手を引っ込め、信じられないものをみるような目で彼を睨む。

 そして男は意趣返しが成功したとわかるや舌なめずりしてやらしく微笑んだ。どれだけ可愛らしい兎に扮していようと、その瞬間だけは獲物を狩る肉食獣に戻ってしまうのだった。

「何しやが」

「あーー! そこ、襟が曲がってるじゃない。変に触らないでください」

 雰囲気を打ち破って紅緒は蓮海の襟を綺麗に整えた。托空はどきどきした鼓動を悟られないように深く呼吸して気持ちを圧し殺す。

 紅緒が蓮海の襟を直し終わると今度こそ彼等は完全に準備が整った──…。

 

❋❋❋

 

 「あんたが今日入った新人?」

 托空は慣れない服の裾を後手で握りしめ、歪な笑みを浮かべた。

「……は、い」

「へぇ」

 聞いた本人は興味なさげに生返事し、隣りに居たもう一人の女は優しく微笑みかけると彼を歓迎した。

「紅緒様から聞いてた通りとても可愛らしい子ね。今日からどうぞよろしく。私は婷姫(ティンヂェン)よ。婷姐(ティンジェ)でも姐姐(ジェジェ)でも好きなように呼んでね! そしてこの子が」


彩梅(あやめ)。彩梅さんって呼んで」

 

 婷姫の話を遮って彩梅という女はぶっきらぼうに自己紹介した。どうやら彼女は婷姫と違って托空と仲良くする気がないらしい。

 

『──調査していただくにあたって皆さん別々に行動しましょう。そっちの方が早く済むし効率が良いので。人員はこちらで手配しますから、リストにあった者を手分けして調べてくださいね。ついでに言うと事情は一切口外していないので、新人として愛嬌よく振る舞ってください』

 

 なんて紅緒は言っていたが、早くも難ありだ……。

 托空は今、二人の娼婦を前に頭を悩ませていた。彼女たちはどちらも見目麗しい美女だったが、その内の一人である彩梅は初対面でも分かるほど托空とは性格的に相性が悪い。小柄な彼女は気の強い目をした山羊の獣人だった。

 一方で婷姫は彩梅とは対照的に大柄な馬の獣人である。おっとりしていて親しみやすいが、距離のつめ方が少々強引でどう接していいか分からない。

 

「兎坂托空です。彩梅さんとてぃんぢ……えと、てぃんじぇ(婷姐)、さん? よろしくお願いします」

「馬鹿なの? 『(ジェ)』は東和の方の言葉で『(あね)』という意味。婷姫さん(・・・・)なら分かるけど敬称呼びに『さん』をつけるのは間違ってるから」

「こらぁ! 彩梅ちゃんそういう言い方は良くないと思うな。同じ新人さん同士仲良くしよ、ね? 托空君もごめんね、気にしなくていいから!」

 慌てて婷姫は訂正するも彩梅は全く反省していない。それにしても聞き捨てならない言葉が聞こえたような……?

「てか『新人』って……」

「そう、実は彩梅ちゃんは先月入ったばかりでね。このお店では新人さんってことで私が教育を任されてるの」

 てっきり偉そうにしているから先輩だと思ったのに、彼女は一月違いの新人だ。「大差ねぇじゃねぇか!」なんて口から出かかったが、なんとか踏みとどまった托空だった。そんな彼の考えを読み取ったのか彼女は威張って言った。

「言っとくけどあたしのが一月あんた(・・・)より先輩だから。あと、この店で新人だからって舐めないでよね。あたしはどこぞの馬の骨(・・・・・・・・)と違って推薦で引き上げられてここにいるんだから」

「………………ははは」

 小柄な彼女は托空がその気になればすぐ潰してしまえそうだった。

「馬の骨ってもしかして私のことでも言ってるのかしら?」

 ()の獣人である婷姫は目敏く反応すると怖い顔して言った。

「ち、違う! 冗談だって、ごめん婷前輩(せんぱい)!」

「よろしい。じゃあ、彼と仲直りの握手して」

「へ」

 彩梅はきょとんとして托空の方を見て、それから凄く嫌そうな顔をした。

「反省してないの?」

「し、してる!」

 口角を小刻みに震わせながら彼女はこちらに手を差し出してきた。

「無知を馬鹿にして悪かったわね、後輩(・・)

 棘のある謝罪を托空は受け入れた。

「気にしないでください彩梅サン(・・・・)

 ただし、握る手にはこれでもかと力を込めたが……。

 

 天井に吊られたペンダントライトが辺りを幻想的に照らす中、托空は婷姫の先導で客間へ向かっていた。夜の娼館は昼間来た時とは違って淫らな雰囲気で満ちている。通りがかる小部屋からは女の嬌声が漏れ聞こえた。彼は耳がいいので、なんとも居た堪れない気持ちで俯きながら彼女たちの後をぴったりついて行く。

「ところで托空君はどういう経緯でここへ?」

「えと……それは」

 「Sparkの調査で潜入しています」なんて言えるわけがない。考えていると婷姫はすぐさま謝罪した。

「言いたくなかったら良いの! 無神経な質問してごめんなさい」

「いや、そんな。大丈夫です。俺の事情なんてそんな大した事じゃないんで」

「……そう」

 彼女には無理して取り繕っているように聞こえたのかもしれない。心なし婷姫は気落ちしているようだった。

「どうでもいい」

 唐突に彩梅がそう辛辣に言い放った。

「この街の住人になる理由なんてたかが知れてる。貧民街では居場所がない弱い草食獣種かそれとも表じゃ働けない事情抱えた訳アリか」

 その話し方はむしろ清々しくもあり簡潔だ。

 獣人社会では未だ貧富の差が激しい。一部の上流階級者と大多数の中流階級者、一番下には更に多くの下流階級者や浮浪者といった者たちで溢れている。中でも弱きに追いやられているのは草食獣種たちだった。それは歴史に起因するものだったが、人口的にも数が多すぎるため社会もそれを黙認している。

 婷姫はとつとつと言い聞かせるように口を開いた。

「そうね。私は移民で、元の国ではここよりもっと酷かったわ。奴隷制度に肉食獣種至上主義の法律に……。今もあそこにいたら一体どうなっていたか。ここに流れついた者の中には自国に見捨てられた子も多いしね。そう考えるとまだ居心地が良いのだわ」

 聞いていて托空は憤りを感じずにはいられなかった。それは社会に対する漠然とした不満のようなものでもあり、彼女が理不尽に甘んじていることに対するもどかしさでもあった。

「……自分の価値は自分で決める」

 托空が口を開く前に彩梅が言った。彼女は何か強大なものと対峙しているように前方を見据えて拳を固く握りしめている。

「その通りだわ」

 上品に笑いながらも婷姫は背筋を伸ばした。そんな彼女は接客の席に着くやいなや、完璧な先輩娼婦としての実力を発揮させる。彼女が操る言葉はまるで魔法のようで、途切れることなくいくつも話題が飛び交う。

「婷姫! 君は最高だよ!」

「まぁ、澤村様ったら口がお上手なんだから」

 その男は謙遜する彼女に益々熱を上げて、露骨に膝を突き合わせるぐらいの距離まで近づいた。

「おっと、手が滑った」

 見兼ねた托空はわざとらしく体勢を崩し、客の頭に酒を浴びせる。

「うわぁ! 何するんだ!!」

「やべ……」

 思いの外の量が飛び散り、ちょっと焦った托空は急いで近くにあった布巾で男の頭を乱雑に拭った。

「よせ! や、やめろ!」

 彼の怪力にその客は暴れ、拍子に隠されていた秘部が暴露されてしまう。托空によって男の後頭部のてかり(・・・・・・・)がその場に晒された。

「き、きさま」

 男は怒りのあまり蛸のように顔が真っ赤になってしまった。墨を吐く勢いで彼は全身を小刻みに震わせている。托空は取り繕おうと必死で言葉をかけたが……、

「でも、怪我が無くて良かったです」

「『毛がなくて良かった』だと!!!?」

 むしろ火に油を注ぐことになった。

 そこで婷姫はしなやかな腰を持たれさせて甘く囁く。

「私の後輩がごめんなさい。今日が初めての子だからきっと緊張しちゃったのね。私のせいだわ、お詫びに何でもします」

 すると男は彼女の色香に当てられ、さっきまでの気勢をなくした。不純な目で間近にある彼女の身体を舐めるように見た後に機嫌を良くして言う。

「君が謝ることじゃないさ。いや、新人の子相手に僕も大人気なかったよ」

 婷姫はこっそりと托空に目配せをし、内心不承不承ながらも彼は男に謝罪するのだった。

「……すいませんでした」

「ハハハ! いいんだ。誰だって最初はミスをする! 君は外見は可愛いんだし、先輩の婷姫を見習ってこれから精進しなさい。特に無愛想で会話が下手なところなんかは指導してもらうに越したことない! ハハハ」

「そ、そうですね……ハハ」

 托空は殴りたい衝動を必死に堪えて無理に笑顔を作った。

「見た感じ水揚げもまだなんだろ? なんなら僕が引き受けてもいいけど」

「残念ながらこの子は見習いなんです。それはまだ早いですわ」

「あ? 何だそれ?」

 素に戻りかけた彼を婷姫は優しく窘める。

「托空君ちょっとお口にチャック」

 横でやり取りを聞いていた彩梅はすかさず托空に耳打ちした。

「『水揚げ』ってのは初めて客をとることで、娼婦の処女貫通儀礼のことを指すの」

「な!? てめ……」

「んん!」

 大きく咳払いをして婷姫は托空に口を出させまいとし、彩梅が彼を引っ張っていった。

 

「は・な・せ! あの蛸野郎を一発殴ってくる!!」

 

「馬鹿やめなさいよ! あれでも大事な太客なんだから!」

 廊下に出た二人は中と同じくらいの剣幕で言い争い、怒り心頭の托空は彩梅に羽交い締めにされた。

「それがどうした! いいから殴らせろ」

「何を怒ることがあるの? ここで働く以上あんなのは日常茶飯事だってば!」

 彼女の主張は正しかったが、頭に血が上っている托空には通じない。

 彼の短気は今に始まったことではなかったが、それは不快な要因を早い内に摘んでおくというある種の自己防衛であり、鬱憤を解消する手段でもあった。あの男の発言は今までそういった類いの侮辱を受けたことがない托空にとって怒りの起爆剤になったのは勿論、それまで大人しくしていた分と相まって大爆発したのだ。

「──あんた本当に何しにここへ来たのよ!」

 息も絶え絶えに彩梅は言い放つ。それでようやく当初の目的を思い出して、彼は胸に手を当てて自分を律するのだった。その時ひんやりした金属が手に触れ、思わず力を込めて握った。

「なにそれ?」

 不思議そうに彩梅は小首をかしげる。

「お守りみてぇなもんだ」

「まったくそんな風には見えないけど」

 憎々しげに托空はそれを手の中で弄んだ。首にかかっているチェーンからは例の指輪が垂れている。喰狼組の組長の正妻だけが持つとされる指輪、そのレプリカは今回の後継者選定の折に必要な参加表明の品だ。

 托空自身もよく存在を忘れてしまうので、別行動する前には「絶対失くすなよ」と蓮海から強く念押しされていた。といっても指に嵌めるのは癪で、けれどポケットに入れるのは危険すぎるため、托空は最終的に首から下げることにした。巨大な組織の勢力図を左右するとあっては、ただの指輪も殊更重く感じてしまう。まるで首輪を付けられようで托空はたびたび鬱陶しく思っていた。

「へぇ、お守りね」

 彩梅は怪しい目つきでそれを見た。

「んだよ……?」

「別に。装飾品にしては上品ね」

 彼女は少し小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「ほっとけや!」

 「好き好んでつけねぇよ」なんて聞こえない声で托空は独り言ちた。

「てか、あんた……」

「な、なんだよ。まだなんかあんのか……?」

 托空は警戒して彩梅を見たが、彼女は何の気なく訊ねるだけだった。

「なーんか顔色悪いわよ。平気なの?」

 指摘されて初めて托空は身体に感じる妙な違和感に気づいた。

「……言われてみれば確か、に……? 身体が少し重い気がすんな……」

 だが潜入一日目で休むのは気乗りせず、不調も勘違いの範疇だったため、托空は気を取り直すと何でもなかったかのように言った。

「ま、初日だから疲労がたまんだよ! てめぇのせいで無駄に体力使ったしな!」

「それはあんたが勝手に暴れただけでしょ! はぁー心配して損した! ──じゃ、そろそろ戻るよ」

「ああ……」

 そうして二人は、引き続き床入りの時刻まで先輩娼婦たちに混じって接客をしたが、托空はSparkの手掛かりを掴めなかった。その後も夜の客を取れなかった娼婦たち数人と混じって新人の托空たちは部屋の清掃やら客引きやらで店内と外を行ったり来たりして働いた。

「あら、婷姫は今日は客を取らないのかい?」

「私はこの子たちの教育を任されてるから」

「それは適任だ」

「あんたたち、少しは慣れたの?」

 おそらく婷姫より年上であろう数人の娼婦たちが托空たちを囲んだ。濃いメイクで年齢を誤魔化しているせいで、白粉と紅を塗りたくった顔が近くで見ると面妖な物の怪のようだ。

「新人のうちからでもこんなに忙しいのよ」「そうそう、いっそ男と寝てた方が楽ったらない」「頑張って売れっ子になりな」なんて彼女たちは激励したり世間話を二人に聞かせたりし始めた。

 そうして彼女たちは和気あいあいと娼婦同士の夜の話や客の愚痴を溢し、面白おかしく談笑した。

「それでなんて言ったと思う? 『ママって呼んでいい?』だって! まったく良い年してたまったもんじゃないわ。第一あたしはそんな年齢じゃないっての!!」

「それは腹立つネ! ワタシも常連のおやじに下手だ言われたヨ」

「酷い男ばっかだね!」

「きっと心だけじゃなくあそこも小さいのよ」

 下の話で盛り上がり爆笑する彼女たちは思った以上に逞しい。すると、とりわけ噂好きの娼婦が托空に目をつけて話をふってきた。

「あんたって男の割にべっぴんさんだねぇ。ここまでのレベルはうちの男娼の中にもそうはいないさ。ねぇ、そういえば、今日入ったばかりのボーイもモデル並みにイケメンって聞いたよ」

「千鶴さんそれほんと?」  

「気になるわねぇ、見に行ってみる?」

 そこで、好奇心に押された彼女たちは噂のボーイを見に行くことにし、托空も巻き添えで連行されてしまうのだった。

 

 見学に来た一階のメインルームは最初の部屋より二倍も三倍も広く、更には服の露出度合いも比例するようで女たちはほぼ下着のような格好をしていた。そんな客の熱情を一身に煽る彼女たちが、今は仕事も忘れて二人の男にばかり夢中になっている。

「連太朗さんってばどうしてそんなに素敵なの?」「ねぇ、あたし司麻さんにならただで抱かれたっていいわ」「二人ともずっとここにいてちょうだいよ!」

 中心にいたのは予想通り蓮海と司麻だ。片方は軽薄な笑みを浮かべて、もう一方はひたすら寡黙に彼女たちを相手していた。どちらが商売なのかと疑うレベルだ。軽蔑する托空の視線に気付いたようで、蓮海は彼に向かって人の良い笑み(・・・・・・)を作った。

 

「調子はどうだ?」

「喋りかけんな」

 

 馴れ馴れしい蓮海に托空は心底嫌そうに顔を歪めた。

「その子だぁれ? 連太朗さんのお知り合い?」

 一人が興味ありげに聞いた。

「いや……」

「恋人だ」

 いち早く蓮海は言い切った。途端に彼へ言い寄っていた女たちは一斉に振り返り、煮えくり返るような、或いは羨望の眼差しで托空を睨んだ。

「てめぇ蓮……レンタロウ!!」 

 危うく本名を明かすところだった托空はなんとか喉元まででかかった言葉を飲み込む。すると大声で名前を呼ばれた司麻が反射的に顔を向け、目が合うと一気に不機嫌になった。どちらの男も憎たらしく思いながら托空は地団駄するのだった。

 というのは彼等が仕事につく前の出来事だったが……。

『言い忘れてましたが、蓮海様は航貴様と顔が激似な上に結構な著名人ですから本名は控えて偽名を使ってください』と紅緒は言った。そのために蓮海は現在、司麻(・・)から名前を借りて『連太朗』と名乗っている。

 ここで困ったのが主君に名を貸すことになった司麻である。彼は普段から同僚とは苗字で呼び合い、部下からも同様に、それか役職名で呼ばれることが多く、蓮海にも大抵は「司麻」と呼び捨てにされる。そのため自分が苗字で呼ばれることには慣れていたが、問題は尊敬する主君を自分の名で呼ばなければならないことにあった。

 (かた)や蓮海はいちいちそんなことを気にする質ではないし、彼と司麻は長幼の頃から将来の主と家来として交流させられていた間柄だ。それこそ昔は親しく名前で呼びあっていたので、懐かしく思いこそすれ不快に感じることはなかったが。──司麻は気にせずにはいられない……!

 何度も「蓮海様」と言いかけては鉄の意志で思い留まり、意地でも自分の名で呼ぼうとするのだがどうしても出来ず、また忠義心から「様」を付けるべきかとも悩んだ。でも自分の名前なのに「様」をつけたら間抜けだし嫌がられかもしれない。でも「連太朗」と呼び捨てにしてしまったら主をそのまま呼び捨てにしてしまっているようで不敬だし……。

「は、いや、れ……んん………」

「はははははは!」

 眉間いっぱいにしわを寄せた状態で硬直してしまった司麻を見て、蓮海は込み上げてくるのを堪えられず笑い出し、托空はちょっと憐れに思えて無言でいた。

 ひとしきり笑った後で蓮海は「気を使わなくていい。敬称は不要だ」と言って司麻を安心させようとしたが、彼は納得せずに一人で悶々と腕組みして、葛藤した末に「連太朗さん」と無難な形に落ち着いたのだった。

 自分の名前で主を呼ばなければならない前代未聞の状況に司麻はこの後も苦戦することになる。それは托空も同じだった──…。

 

『おい、蓮海(・・)変なこと言うなよ!』

『照れることないだろ?』

「ブゥゥ゙」

 二人が小声で話しているのを見た彼女たちは彼等が親密であると勝手に憶測し、尊いものだと心を和ませた。そこで今度は別の意味で熱狂し、ちらちら横目で拝んでは目の保養だと噂する。

「ほら、皆さんお客様がお待ちですよ!」

 男娼たちだけが絆されずにその場を仕切った。いつか紅緒が言っていた通り彼等は托空よりもっと扇情的な格好をしている。ある者は胸を完全に露出させ、またある者は一物が飛び出そうなくらいサイズの小さいパンツを穿いていた。そんな彼等からしてみれば托空は素人と一目瞭然だ。新人に情けをかけるように少しの間だけ二人を見逃してくれた。

「収穫は?」

「……あんまし。つか離れろ、近い!」

 周囲に怪しまれないためか、蓮海は托空の腰を抱いてぐいぐい顔を寄せてくる。すると濃厚な若葉の香りが至近距離で迫ってきて、安堵と同時に妙に高揚してしまう。狼の匂いを消すために彼がつけた香水は、托空が好む自然の香りがする。そこに微量に混じる蓮海本来の野性味ある特有の香りが、なんとも言えず托空の心臓を早らせるのだ。

 身体を繋げてから托空は蓮海の体臭を感じることができるようになっていた。まるで番同士が互いを惹きつけ合うように遠くにいても時折存在を認識できるのだ。

 ぴったりと密着しながら蓮海は言った。

「まぁ、航貴は暫く帰って来れないだろうからゆっくりやればいい。俺の方も成果は芳しくないしな」

「てめぇの策略かよ」

 来たときからおかしいと感じていたが、やはり「黒露椿屋」の主である航貴が不在なのは蓮海の思惑あってのことらしい。

「うん、今頃は両手じゃ数え足りないほど俺の悪態をついてるに違いない。戻ってくる時にはみすぼらしい姿になってるだろうな」

 内容はともかく無邪気な顔で笑う彼は少し可愛く見えた。

「……そうしてる分には仲悪そうには見えないけどな」

「俺は気にかけてないが、向こうが拗らせてるんだ」

 まるっきり子供のように蓮海は拗ねた態度で言う。

「てめぇも十分拗らせてんじゃねぇか」

 托空が鼻で笑うと蓮海は小さく唸って、不意打ちざまに噛み付く仕草で彼の口元近くに影を落とした。

「ガゥ」

「やっぱガキだな」

 動じずに托空はうんざりした顔で彼の思わせ振りな挙動を見送り、代わりに数人の目撃者が興奮混じりの吐息を漏らした。

「面白くない」

「何回も引っかかってたまるか馬鹿犬」

 言いつつも落ち着かなくて托空は逃げるように顔を背けた。 

「そろそろ行かねぇと。進展あったら報告する」

 ちょうど蓮海の腕から抜け出したタイミングで婷姫が戻るよう催促しているのに気付いたのだ。

「うん。彼女が?」

「そ、世話になってる婷姫先輩。あともう一人いたんだけど……」

 いつの間にか彩梅は姿を消していた。

「いや、いいか。じゃあ、また後で……」

「あ、ちょっと待て!」

 行こうとすると蓮海に腕を掴まれた。

「んだよ?」

「顔色が悪い。少し休んだほうがいいんじゃないか?」

 今度は冗談ともつかない真剣な目で彼は托空を見つめている。

「ふざけ……」

「──托空」

「はぁ……別に平気だ、余計な心配すんな」

 それでも蓮海は腕を離さなかった。

「プゥ、プ……おい! あんましつけぇと……」

「倒れられても面倒だ(・・・)。少しでも思い当たる節があるなら休んでおけ」

 カッとなった次の瞬間には言葉が出ていた。

「余計なお世話だっ!!!!」

 托空はそう吐き捨てると、蓮海の忠告を無視して先輩のところへ足早に駆けていった。

 去っていく彼の背中を蓮海は名残惜しそうにしているのだった──…。

 

 

 婷姫(ティンヂェン)は托空が戻ってくると胸を撫で下ろした。

「おかえりなさい。取り込み中のところごめんなさいね。実はさっき彩梅ちゃんがどこかに行ってしまって心配していたの。大丈夫だとは思うんだけど……。変な客に絡まれてると危ないわ。悪いんだけど探すのを手伝ってもらえないかしら?」

 彩梅の性格的にほっといても大丈夫だろうという確信があったが、彼は優しい先輩のために一肌脱ぐことにした。

「わかりました」

「助かるわ……」

 しかし、一歩踏み出した瞬間、少し視界が揺らいだ。下腹に鈍痛が走り、違和感を感じて托空は立ち止まる。

「……? 大丈夫? どこか具合でも悪い……」

 婷姫は彼の異変に気づき、他に見つからないように彼を支えて回廊へ出た。托空はもう立てなくなってその場へうずくまる。

「いッ……! 腹が……」

「どこが痛いの?」

 真剣な顔で婷姫は彼を介抱し始めた。彼女は腹部周辺の数カ所をツボ押しの要領で触診してみる。へそのすぐ下を触った時、托空はあまりの痛みに声も出せず乾いた呻きを漏らした。

「ッ!!」

「……ここね?」

 初めから原因が分かっていたように婷姫は落ち着き払っていて、それがむしろ嫌な予感を加速させた。

「お、れ……病気、で、す……か?」

 息をつくのも苦痛で托空は途切れ途切れになりながら聞いた。複雑そうに彼女は言い淀んでいたが、その内に「人を呼んでくれるから待っていて」と言って仲間の男娼を連れてきた。

「安心して。すぐ落ち着くわ」

 彼女はショールを掛布代わりに彼へ巻きつけ、温かい飲み物を渡すと背中を優しく撫でてくれた。

「少し収まったら移動させましょう」

 じんわりと芯が温まると少しずつ痛みが引いていって、けれども下腹の違和感は増していく。

「なんか、変だ……」 

 彼に肩を貸した男娼が宥めるように声をかけた。

「大丈夫だよ。心配しないで」

 救護室らしき別室へ着いた時、濃厚な血の匂いが鼻をついて途端に托空は不安になった。昨日負った腹部の傷が気になって、今朝確認したのにも関わらず服をずらし、身体のあちこちを触って回った。……しかし、どこも外傷はみられない。

「は、ぁ……なんだ? クソったれ! なんなんだよ……!」

 ──また双葉の薬の副作用か? 今までこんなことはなかったのに……。

 托空はもう混乱して、頭を抱えたまま当たり散らすように床を繰り返し乱暴に踏みつけた。婷姫も男娼も落ち着かせようとしたが、彼は聞ける状態にない。

「……え」

 赤いものが一粒。ぽたりと血が垂れる。

 信じられずに放心した托空は、震える手でその出どころへ手を伸ばす。考えたくもなかった。しかし予想と反して手は赤く濡れ、穢れた血がこびりついた。彼は思いもよらなかった。──まさかそれが自身の股から流れ出た鮮血だとは。

「……嘘だ。そんな筈ない」

 焦燥感と気持ち悪さで益々血の気が引いていく。青白く引き攣った顔の彼は見ていて気の毒だった。そっと婷姫は労わるように肩へ手を当てた。

「托空君のそれは怪我でも病気でもなくて……『生理』よ」

「違う! だって俺は男だ!」

 激情する声音には明らかに怯えが籠もっている。見兼ねて傍にいた男娼が口を開く。

「その機会がなかっただけで、ある条件を満たせば男でも生理になるんだ。昔は女性だけが子を産むという歴史的な偏見も多かったけど、今は男が出産するケースも少なくない」

 彼は冷静に事実を口にし、托空は全身を殴りつけられた心地だった。

「でも、これまでそんなの……一度もない……!」

 一縷の希望に縋るように托空は必死に否定したが、手の平は未だ真っ赤な血が乾ききっていない上に、叫んだそばから痛みがぶり返して腹の奥が蝕まれているかの如くじくじくと痛む。彼は自分の身体を根本から違うものに作り変えられているような恐怖に支配されていた。 

「ッ……! くぅ……こんなの嘘だ……」

 涙が出そうなくらい痛かったけれど、彼は我慢強くその場に突っ立ったまま耐えていた。本当はすぐにでも座り込んで痛みを逃がしたかったが、ここで膝を屈すれば負けたような気がして嫌だった。

「……暴れないで聞いて頂戴ね」

 彼に気を使って婷姫はゆっくりと慎重に話を切り出す。

「あのね、貴方たちは女性と同じで妊娠できるけれど、私たちとは身体の作りが違うのよ。私たちは元々周期的に生理が起こるのだけれど、男の人はそうじゃない。男性子宮は発情した状態じゃないと露出しないし、使わなければ一生縁が無い機能なのよ……だから、その……」

 婷姫に代わって男娼が言った。

「妊娠以外でそこを使うと生理が誘発されるんだ」

 目眩がした。それは男としての尊厳をめちゃくちゃに踏みにじられ、言い表せないほどの恥辱を受けたようだった。

 蓮海に男性子宮(ナカ)を犯された時の衝撃と嫌悪がまざまざと蘇る。今でも耳に残っている嬌声。よがっていたのはどちらだったか、でも確かに「     」 と思ってしまったのは事実だ……。

 過去の自分を呪って砕けるくらい奥歯を噛み締めた。托空の心情を察してか、男娼は口を開いた。

「──あんただけじゃないよ。ここで働く連中はみんなそうだ。みんな男に身体を売って苦しい生理だって経験する。俺だってそう……」

 そんな慰めを聞きたいわけでは無いと、托空は八つ当たりに近い形で彼を睨みつける。強い視線だった。だが、男娼も負けじと逸らすことなく托空を見つめた。彼は自分の心臓に手を当てて自身に問いかけるように、今度は力強く否定した。

でも(・・)、恥ずかしいとは思っちゃいない。確かに同性に身体を暴かれるのは不名誉なのかもしれないけど、それでも、俺たちは決して惨めなんかじゃない(・・・・・・・・・)……!」

 彼の瞳は静かな怒りが透けていた。

「肉食獣種がどうした? なぜ草食獣種であることを卑下する? 力に驕る奴らもここでは乞食と同じで俺等に媚びるしかないのに。そうさ、貴賓も差別も関係ない、決めるのはいつだって自分自身だ。──生き方を俺たちだけは否定しちゃいけない!」

 言い終わると男娼はふっと力を抜いて優しい表情を浮かべた。托空はこの時やっと冷静になれた気がした。

 復讐に生きる托空にも覚えがある。どうにもならない境遇や不幸を嘆いて他人を羨んで、それでも目的のためには汚泥に塗れても前進し続ける。強い信念には捨てられない『矜持』があること。──だから自分はここにいる。

 

「……わかった。もう大丈夫だ」

 

 彼は静かに息をついた。身体も心も鉛のように重かったが、迷いや戸惑いは羽毛が風に巻かれたようにどこかへいっていた。

 托空が落ち着いたのが分かると男娼は自分の替えを持ってきて彼に貸した。少しぶかぶかだったが、以前より着心地は格段に良い。

「……色々助かった。ありがと……えと……。そういや、名前を聞いてなかった」

 元気の無い顔で微笑むと、その男娼もまた遠慮がちに微笑んだ。

淳剣(チュンジィェン)だよ」

 改めてよく見れば、彼は栗色の瞳と柔らかな巻き毛を持つ馬の獣人で、柔和な雰囲気が婷姫と似ていた。

「それにしたって姐姐(姉さん)! 一日目の新人に伽を教えたの?」

 突然怒った様子で淳剣は婷姫に聞いた。

「馬鹿言わないで。阿剣(アージィェン)、私がさせると思う?」

 彼女は砕けた調子で返す。

「そうなんだ……。じゃ一体……」

 横目で托空の方を見てからお互いの顔を見合わせた淳剣と婷姫は推量して、すぐ気不味そうにそれ以上詮索するのを止めた。

「ま、まぁ、相手がそれなりに良識があって、よかった……?」

 言っている途中でそれは違うと思ったのだろう、淳剣は疑問を浮かべた。

「色事に疎い子を惑わすなんてどう考えても悪いわよ!」

 婷姫が慌てて訂正し、気恥ずかしさで托空は耳まで真っ赤になってしまう。 

「もう、やめてくれ! てか、あんたらすっげー仲いいけど姉弟かなんかなのか?」

 咄嗟に話題を変えようとした彼に二人は声を揃えて言った。

『違う(よ)!』

『そう(よ)』

「……どっちだこれ……?」

 婷姫は意外そうにしている。

「私たち姉弟みたいなものでしょう?」

 ちょっと悲しげに見つめられ、淳剣は不満げに口を曲げた。

「血の繋がりはないじゃないか」

「そんなつれないこと言わないでよ。阿剣はいつまで反抗期なの?」

 揶揄われた淳剣は、もどかしくて堪らないとでも言うように尻尾を揺らした。托空が疑問に思っていると婷姫は分かるように説明してくれる。

「阿剣……じゃなくて淳剣は私と同郷でね、一緒に育ったのよ。こっちの国に来てからの貧民街でもね」

「そ、原生獣種族が同じ者同士助け合ってきたわけさ」

「……ここで働くのに抵抗はなかったのか?」

 二人の仲が良いだけに托空は気になって聞いていた。

「そりゃね……身体を売るわけだし」

 婷姫は困った表情を浮かべる。逆に淳剣は平気な顔して言った。

「婷姫がやるのに俺がやらないわけないよ」

「……阿剣ったら私が黒露椿屋に働く時にどうしてもってついてきたのよ。本当に仕様がない子」

 ため息ついて彼女は淳剣を見た。「そっちこそ」と文句を言う彼に、托空は似た者同士だなと思う。

 そうこうして、生理の不快感にも慣れてきた頃、異常を聞きつけていた紅緒が急ぎ足でやってきた。

「彼の状態は! 大丈夫?」

 しかし、目に飛び込んできた光景は雑談に花を咲かせている三人の姿で……拍子抜けして彼女は体勢を崩した。

「紅緒様!」

「副オーナー」

 婷姫と淳剣は恭しくも嬉しそうに近づく。

「知らせを受けて来たんだけど……」

「大丈夫です。もう落ち着きましたよ」

 朗らかに笑う婷姫に紅緒は安心した。

「そう。それは良かっ……ごほん。いえ、詳細は後ほどリヴォを通して報告するように」

「わかりましたわ」

 大人ぶる子供を相手するみたいに婷姫は返事した。

「それで、結局原因はなんだったの?」

 紅緒は落ち着かない様子で髪をいじりながら、行ったり来たりしだし、見兼ねた淳剣は部屋においてあった椅子を彼女へ差し出した。

「その……まぁ、月のものです」

「はぁ?! それは本当?」

「えぇ、まぁ。今回が初めてで混乱したんでしょう」

 托空に気を使いつつ、淳剣はわざと言葉を濁して説明した。

「そう。タイミングが悪かったわね……ご愁傷さま。私に出来ることがあれば何でも言ってちょうだい。ちなみに騒がれると面倒だと思って、お連れの二人には言ってないから安心して。淳剣は彼に色々と教えてあげて欲しいわ」

「承知いたしました」

「……何から何まですまねぇ。ありがと」

 素直に礼を言う托空が珍しいとでも言うように紅緒は目を瞬かせた。

「ま、まぁ、少しの間とはいえ、ここで働くのです。面倒は最後まで見るわ」

 彼女は得意げに鼻を鳴らす。

「それで托空君をどうします? 今日は辛いでしょうからあがらせようと思っているのですが……」

 見計らって婷姫は指示を仰いだ。

「そうね、そうしましょう。彼の宿舎は……」

「どうせ同じところですし、俺が案内しますよ。ね! 構わないですよね?」

 実のところ紅緒は托空へ調査の進捗を聞くために寝泊まりはキャストと分けようと思っていたのだが……淳剣の善意を無下にすることは出来なかった。

「……そうね。お願い」

「あ? どうすんだよ……!」

「大丈夫だよ、教えてあげるから。それじゃ早速、案内するから付いてきて」

 勘違いした淳剣に連れられて托空はその場を去らねばならなくなり、彼は最後まで紅緒に目で訴えていた。

「頑張ってちょうだい……」

 無視して紅緒は彼を見送る。そしてため息をつき、後で内密に呼び出さねばと疲労を滲ませた。

 

「──さ、入って入って」

 

 淳剣に連れてこられた共同部屋は僅か四畳半しか満たない二段ベッドのみで構成された小部屋だった。楼では五階全体がそのまま従業員用の宿舎として貸し出されている状態で、似たような部屋が沢山並んでいるのだという。

「来てくれて良かったよ。丁度相方がいなくて寂しかったんだ。君は上を使ってくれ」

 道中で軽く自己紹介しただけだと言うのに淳剣は陽気に托空に話しかける。

「……あぁ」

 一方の托空は、これからのことに気を揉んで到底安らげそうになかった。それは部屋の広さも問題ではあったが……。

 疲れた身体を横たえると脆いベッドが軋む。下腹は湿っていて気持ち悪く、体勢を変えると染み出すようにどろりと血が溢れる感じがして不快だ。慣れない感覚に漏らしたのではと心配する。

「気持ち悪い……」

 鬱々とした気持ちで托空は胎児のように丸まった。

「鎮痛剤飲む? ピルもあるけど」

 淳剣が心配そうに下から覗いているのが分かる。

「いや、薬は併用しちゃうから駄目なんだ。医者から止められてる」

「病気かなにか? 大丈夫?」

「ん、いや、違くて普通に持病で……ま、しいていえば免疫をあげる……薬てか、サプリ的な……」

 托空は少し口籠りながら誤魔化すように言った。──彼には人には理解されない秘密がある。それは蓮海と同様に体質的な問題だ。だから蓮海から濃血障害を聞いた時、自然と彼もまた自分の先天的な欠陥のことで親近感を抱いていた。とはいえ、元々疑り深く負けん気の強い彼はそれを話すことをしなかったが……。

 そんな彼の主治医である双葉は、数少ない理解者であり、体質へ合わせた特殊な薬を処方してくれている。ただ、常備薬であるそれは他の薬と併用できない上、副作用も著しいため、今回のように身体に不調をきたした時などには困ってしまう。

「全然大した事ないから気にすんな」

 内心では不便な身体を恨めしく思った。

 そして淳剣はまだ不安そうに托空の体調をおもんばかっては、ブツブツと一人で考え込んでいた。

「分かった……いや、でも……やっぱり接客は体調的に無理があるし、暫くお休みさせた方が良いかも……?」

 それを聞いて托空は慌てた。

「絶対に駄目だ!!」

 このままでは調査が滞ってしまう。

「でも無理は……」

「俺……そう、金が必要なんだ!! だからもっと働きたい!」

 勢いに任せて言うと淳剣は声に同情を滲ませた。

「分かった……。接客のときは俺か婷姫を付き添いにして、具合が悪くなったらすぐ知らせてよ。詰め物をすれば衣装も着れるだろうし、やり方は後で教えてあげる」

「助かる」

 礼を言うと淳剣は「気にしないで」と陽気に返した。托空は低い位置にある天井を見つめ、木目を数えて気を紛らわしていたが、やはり腹痛が堪えて寝返りを打ち、その度にスプリングが嫌な音を立てた。

「──ねぇ、托空は何にお金を使おうと思ってる?」

 見兼ねて淳剣が話しかけてきた。話している方が痛みも幾分ましになるので、托空は意識を会話へと集中させる。金の使い道を尋ねられ改めて将来について考えた時、初めて彼は疑問に思った。お金、お金……何に使うか……いや。

 

 ──何をしたいか……? 

 

「金はあるに越したことねぇから……」

 

 大した答えは出てこなかった。──Sparkを悪用する奴らを潰すこと、Sparkをこの世から無くすこと。母の無念を晴らすこと。

 それ以外考えたことがなかった。もしすべてが終わったら、自分はどうなるんだろう……?

 考えたくなくて托空は頭を振った。すると淳剣が大きな声で宣言した。

 

『大金集めて苗字を買うのが俺の夢!!』

 

「ッびびった……! んだよ。急に!」

 托空のうさ耳は頬にぴーんと貼り付いて小刻みに震えている。悪びれもせず淳剣は続けた。

「ここに来る前のことは聞いたろ? ……異国の孤児であった俺は戸籍を持たない。だから表ではまともな職に就くことが難しいんだ」

 彼はとつとつと語る。

「ここでいっぱい稼いだら……戸籍を買って苗字を持ち、正式にこの地に根を下ろす。そして中流階級になったら婷姫と一緒に暮らすんだ」

 

「──それが俺の夢」

 

 彼は幸せそうに未来の想像を膨らました。

「なぁ、もしかして婷姫のこと好きだったりするのか?」

 淳剣の話しぶりからは姉弟以上の何かを感じ、堪らず托空は質問していた。

「……わかる?」

「なんとなく……? つか、ばればれ」 

 からかうと恥ずかしそうに淳剣は押し黙った。

「いい夢じゃねぇか、叶うといいな」

 托空は心の底からそう思った。

「うん……、でもまぁ、向こうは俺のこと全然意識してなくてさ。家族みたいなノリですぐあしらわれちゃうんだよね……」

 悔しそうに淳剣は言った。

「あー……」

「な! 見てれば分かるだろ!?」

 「どうしてあんなに鈍感なんだ!」と愚痴をこぼす彼だったが、そこには隠しきれない愛情が籠っていた。その後も淳剣の惚気話は続き、軽い雑談を交わす内に少しずつ彼らは打ち解けていった。

 普段からあまり人と関わることをしてこなかった托空だったが、仕事柄もあって明るい性格の淳剣に対しては自然と会話が弾んだ。

 

「──それじゃまた明日。おやすみ……」

「ん、おやすみ」

 

 托空の体調が落ち着いたのを見計らい、淳剣によってその日の会話は終わった。

 托空は明日の調査に気を引き締め、何もない天井を睨みつけた。やがて淳剣の寝息を聞く内にうつらうつら微睡んできて、完全に夢の中へと落ちていくのだった──…。

 

最後まで読んでくれてありがとう!

感想くれたら作者が泣いて喜び、次のモチベに繋がります──待ってるぉ♪

Twitter(X)でごくたまーーに進捗&愚痴&弱音を吐きます。

次もガンバリマス。筆が遅いですが、よろしくお願いします。

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