5.覚悟
(ボロボロだ……)
短髪の男が隣の男を支えゆっくりと歩みを進めている。
彼の支えがなければもう一人は歩くこともままならないだろう。右足は完全に折れているように見えるし、左肩は本来の位置よりだいぶ低い。服の上からでもはっきり分かる。肩が外れている以外考えられなかった。
怪我をしている人間を見慣れているせいで、パッと見ただけでもこの人の酷い怪我ぶりが分かってしまう。確実に自分と同じ世界の人間だ。
ジロジロと見ちゃいけない。
さりげなく目を逸らしつつ少しだけ歩くスピードを上げた。ドクン。ドクン。と心臓の音と同じタイミングで足を踏み出す。ようやく通り過ぎることが出来る距離にきて気が緩んだ。
緊張して息を止めていたらしい。気が緩み息を吸い込んだ瞬間、ふわっと香った匂い。
「シビラ?」
そんなわけないのにポロっと口から零れた名前。
自分でも驚く。確かめようと振り向いた途端、突然首と肩を壁に押さえつけられた。細く長い指が首にめりこんでいく。
「あ、っ……や、」
「誰だ」
短髪の男が抑揚のない声でそう言った。
あと一センチ指が首に食い込めば息が止まる。ぶわっと恐怖が体を支配して、半開きになった口から浅い呼吸音が絶えまなく溢れた。
「ひっ、ゅー……。っふ。ぁ」
シビラの香りと同じ男は、一人で立っていられないのか壁に背中をつけた。よほど怪我が酷いのか俯いたままズルズルとその場に座り込んでいく。
苦しさは時間が経つほど増す。けれど彼の顔を確認しなくちゃ。この目で見ないと……。
首を押さえつけられたまま無理やり体を動かす。逃げると思われたのか、壁になおさら強く体を押し付けられる。顔をグッと反らして「あ」と声が出た。
反らしたせいで頭から離れた帽子は、くるくると宙に円を描くように座り込んだ男の足元に落ちた。
「は?……お前女か?」
一瞬首を抑える指の力が抜ける。
ミスズの身体を押さえつける男の声に、座り込んだ男が反応した。自分の足元にある帽子を手に取りゆっくりと顔を上げる。
暗く冷たい。
真っ暗な路地奥のような目と目が合い、すぐに分かった。
「は?……ミスズ?」
あぁ。シビラだ。
シビラの声だ。
焦がれていたものが目の前にある。瞬きをしたら頬が濡れた。
シビラが名を呼んだことで押さえつけていた手の力が緩む。
短髪の男はまだ不審な顔でミスズを見ていたが、体を起こそうとするシビラを見て慌てて体を貸しにいく。肩を貸され立ち上がったシビラは瞳を揺らしながらゆっくり手を伸ばした。
「そんな恰好してどうしたんだ?……あぁ、痛かっただろう?」
シビラの指は壊れ物に触れるように繊細に首を撫でる。優しく触れられているのにざらざらした感触がした。その正体が指に巻かれたテープだったと気付いて、泣くつもりなんてなかったのに、瞬きをしたらまた涙が落ちる。
濡れた頬を労わるようにシビラの指先がたどたどしく頬を辿った。あまりにも優しい手つきに今度はグッと腹の底から感情がこみ上げてくる。
「こんな怪我して……わ、私のせいっ……?え、っく……ひ、ごめ、なさっ」
シビラの顔を見て。
手を貸してもらわなければ立つことも出来ない姿を見て。
最後はもう言葉にならなかった。
恥ずかしいくらい泣きじゃくってしまうと、シビラはますます困ったように視線を泳がせる。
黙ったままシビラとミスズの会話を聞いていた短髪の男は、ぐっとシビラを自分の方に引き寄せ路地奥に一歩足を踏み出した。
「シビラの知り合いだったんだな。ここじゃ目立つ。こっちに来る覚悟があるなら来い」
「メイセイ、彼女は……」
ミスズを一瞥したあと、シビラの言葉を無視してメイセイと呼ばれた男はそのまま歩き出した。
「来なくていい。早く、帰れ。こっちには来るなよ……っ。話は、また……ゴホッゴホッ」
「傷に響く。大声を出すな」
シビラは来るなと言う。メイセイは覚悟があるなら来いと言う。
右を向けば大通り。
空は夕日も沈みかけて紫色とピンクのグラデーションのような美しい色をしていた。
左を向けば路地。
一度行ったから分かる。右とは違う世界だ。
ただその違う世界が、本来私がいるべき世界。
巻き込んでしまった。
私がシビラをこっちの美しい世界から遠ざけたんだ。
ついていかない、なんて選択肢はなかった。覚悟などマフィアの娘に生まれたときからあるに決まっている。
あっち側に背を向けると足元に影が伸びた。
自分の影を自分で踏みつけるようにミスズは進む。
遠くなっていく二人の背に向かいそのまま走り出した。
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