2.再会
「こんなところにいたんだ」
カフェを使わなくなって一週間。サボり場所を転々としていたミスズが、近くの公園のベンチに座っていると聞き覚えのある声が聞こえた。
もう二度と会いたくないと思っていたのに。
パッと振り返るとベンチの後ろにあのときの男が立っている。
「つけてきたの……?」
「たまたまだよ。そんな怯えた顔しないで」
心外、というように肩をすくめた男を見るミスズはぎりっと下唇を噛んだ。
どういうつもりだろうか。
この男の言う通り恐怖を感じる場面かもしれないが、あいにくそんなか弱い気持ちをミスズは持ち合わせていない。
マフィアの娘を舐めるなよ。
「誰が怯えているって?……いい加減にして。二度と話しかけないで、と言ったはずだけど」
立ち上がって男と対峙すると、男は一瞬キョトンとした顔をした。「あー……」と頭を掻いて首を少しだけ右に倒す。
「それ、俺返事してないよね」
「は?」
「だから、君が言い捨てて出て行っただけで俺は返事をしていない」
長い前髪の下から覗く鋭い視線にゾクリと震えた。
逃げよう。それがいい。あまりにも変な奴には関わらないのが一番だ。
無知は罪。
学校で習ったばかりの言葉がミスズの頭をよぎる。
怖いもの知らずの男に対して、恐怖というより不快な気分になった。
逃げよう。逃げよう。
ミスズがベンチの上に置きっぱなしだった鞄を手にする前に、それに気が付いた男が一早く動く。
「あっ」
サッと鞄を奪い取られて思わず声が出た。
「そんなに邪険にしないで。ただ君と話したいだけなんだ。頼むよ」
「他の人にしなよ……それを言われて喜ぶのは私じゃない」
「俺は君がいい。他の人間には興味ないんだ」
誰かにこんな執着されたこと今までなかった。
強風で木が揺れているような音を自分の中で感じる。ざわざわと。感じたことのない感覚。不快なんだけどむず痒いような変な気持ちを振り払おうと、大きく息を吐く。
男の瞳は相変わらずミスズを映すだけで、こちらを見ているようには思えない。
「私のこと、……私が誰か知っているの?」
「知らないことを知っているよ。君もそうだ。俺が誰なのか、知らないことを知っているだろ?」
こいつは何を言っているのだろう。
さっぱり分からない。
ただ、なんか急に馬鹿らしくなった。
怖いもの知らずでもいいじゃないか。この出会いが打算的でも私は真っすぐ自分を見つめる瞳にいつの間にか囚われていた。
自分から周りを排除したくせに、こんなにぐいぐい来られると心が躍る。
利用されるだけでもいい。
私は……同世代の誰かと話をしたかったのかもしれない。
自分の気持ちと向き合うと、男の目に映りたいと思う自分がいる。
「私と一緒にいる所誰かに見られない方がいいよ」
「さっきも言っただろう?俺は他人に興味がないんだ。誰に何を思われようと何も思わないし感じない。だからそんな心配しなくていい」
「そう……まぁ、あなた変な人だしいいのかもね」
この人も訳ありだ。
自分と一緒。
そう思ったら、なんだか急に気持ちが楽になった。
私がマフィアの娘だと知らないならそれはそれでいい。
知っているなら、それでも近づいてきてこの男が悪い。
私は何も悪くない。
拒み切れる気がしないから、と自分に言い訳をしながらミスズはベンチの左側に座る。右手でトントンと座面を叩くと男は少し目を細めながら隣に座ってきた。
「名前はなんて言うの?」
「シビラ」
「私はミスズ。ところで、そろそろ鞄返してよ。もう逃げないから」
差し出された鞄を受け取るときにシビラの手首にチラッと跡が見えた。この皮膚が盛り上がったような火傷跡には見覚えがある。平静を装って鞄を受け取りもう一度確認しようとしたが、シビラが手を組んでしまった為確認することは出来なかった。
「あのさ」
野次馬ってわけじゃないけどそれが普通じゃないことはよく知っている。
それとなく聞こうとしたらシビラが遮るようにグイっと体を寄せてきた。急に距離を詰められて思わず息を止める。男に耐性がないわけじゃない。むしろ周囲には強面の男の方が多いはずなのに、シビラが急にまとうこの雰囲気が少しだけ苦手だ。
ミスズは少しのけ反って距離を保ち、シビラの視線の先を目で追う。
「何?」
「これ……ミスズの趣味?」
聞き返してようやく何のことを言っているのか分かった。
口の開いた鞄の中から覗く手帳。
表紙を守るために使っている透明なカバーの下には、押し花と押し花で作られた動物のモチーフが挟んであった。
鞄から手帳を取り出してソッと表紙を手で撫でる。
今の流行はドライフラワーで、押し花なんて作る人も売っている場所も少なくなった。
「なに?シビラも年寄趣味だって馬鹿に……」
笑いながらそう言い顔を上げたミスズはその後に続く言葉を飲み込んだ。
真剣な顔でただジッとミスズの手元にある手帳を見つめていたシビラは、ゆっくりと首を横に振った。
「そんなことない」
「シビラも好きなの?」
なんとなくその表情を見てそんなことを聞いてしまった。
シビラは躊躇ったように眉を顰めて「いや」と言葉を濁す。広がった沈黙を打ち消すようにミスズは明るい声色を出した。
「小さい頃からドライフラワーより私はこれが好きなんだ」
顔を覗き込むとシビラはすぐに微笑み返してくる。
多分だけど、さっき一瞬見せた顔が素の表情な気がした。
「近頃珍しいよね?これ私が初めて買った押し花なの。フリーマーケットで一目惚れして、もう今じゃ売っている場所も知らないから大事にずっと持っているんだ」
もう一度表紙に視線を落とし優しく撫でる。
そうだ、良いことを思いついた。
ミスズはおもむろに手帳からカバーを外して、押し花を取り出した。
「馬鹿にしないでくれたのはシビラが初めてだよ。……見ず知らずの人とは仲良くする気ないけどさ、押し花好き同士なら仲良くなれそう」
そう言いながら手に取った押し花をシビラに差し出す。
「私と話したいっていうなら受け取って」
「あ……」
悩む素振りは見せつつも、素直に出してきた手の平にそっと押し花をのせる。
シビラは手の平に乗せられた押し花を見てわずかに目を細めた。その奥で揺れる瞳に気付いて鼓動が早まる。
泣く。
瞳の揺らめきがそう訴えている。
けどそんな心配をよそにシビラは泣かなかった。涙を流すこともなく花びらを見つめていた。私と話をしたかったと言っていたのに、シビラはただジッと押し花を見つめるだけ。
他人との沈黙は得意じゃないけれど、今この瞬間は苦だと思わない。
動かないシビラの横でミスズは鞄から読みかけの本を取り出した。ゆっくりと目で文字を追い静かにページをめくる。
あんなに逃げたいと思っていたのにミスズはシビラの横でしばらく本を読み続けた。
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