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〇梅桃李。もう一度、貴女から産まれたい。

作者: バスト

「お姉さんはだぁれ?」


 幼い頃に友達のいなかった私の話を最後までまともに聞いてくれた人がいた。その人がどんな顔して、どんな人だったのかという事を私ははっきりとは覚えていない。

 だけど、ある一言だけは今も脳裏を離れないんだ。


「ボクは未来から来た”()()()”」

「嘘だぁ!」

「そう言われるとちょっと困るんだけどな。そうだ! これをあげようか?」


 お姉さんは一枚の古ぼけた切符をくれた。正直、未来から来た人なんだったらこんな切符なんかじゃなくて、もっと凄い。未来の機械とかを見せてくれればいいのに……でもお姉さんは面白い話を後に続けたんだ。


「平成二十五年って書いてるでしょ? これからあと十年くらい先の切符だよ」


 私にはまだ難しかったけど、なんだかそれは凄い物なんじゃないかと私は興奮した。どんな人かを思い出せないのに、お姉さんがあまりにも可愛い人だったという事を今になり思い出す。

 自分はもしかしたらファンタジーの世界に片足を突っ込んでいるんじゃないだろうかとこの時は本気で思っていたのだ。

 子供の想像力は本当に凄い、頭の中で書き換えて本当の事にしてしまうんだから、本来何かのトリックか、お姉さんは信じている私を面白がっていたのか……でも確実に私はこの時お姉さんの言葉を信じ込んでしまっていた。


「ホントに? お姉さんは本当に未来から来たの?」

「うん、そうだよ」

「未来ってどんな所?」

「あんまりこっちと変わらないかな? でも乗り物とかは随分違うね。ここで見る物は凄い懐かしいもん。携帯電話もスマホが主流じゃないんだな」

「スマホ? よくわかんないけどそうなんだ。じゃあお姉さんは未来から何をしに来たの?」


 そう私が言うとお姉さんは少し困ったような表情を見せて笑った。この事もよく覚えている。子供って案外大人の顔色を窺って生きているんだ。だから聞いちゃいけない事を聞いたんだなって何となくわかってしまった。

 お姉さんは私に話してくれた。

 とても痛そうな顔で、深刻そうに声のトーンを落として……


「運命に逆らいにかな? 大切な人を救いに来たんだ。何人のボクが、いいや僕達がそうしたかは分からないけどね」

「どういう事?」


 へへっとお姉さんは笑うと私の頭を撫でる。牙みたいな歯、これは八重歯って言うんだ。それが少し覗いてなんだかお姉さんは可愛かった。アニメや漫画に出てくるようなヒロインのようなお姉さん、私はこの人の事を少し憧れていた。もしかすると私を私の知らない世界へと連れて行ってくれるんじゃないだろうかと、そんな淡い期待をしていた。

 なんだか喋り方もアニメ的で幼い私の心をつかんでは離さない。


「君にもう一つ面白い物をあげよう」

「面白いもの?」


 お姉さんは四つ折りの紙を私に差し出した。この紙も例に外れずとても古そうだった。それを開くと変な絵が描いてある。それだけで私は興奮した。

 これはもしかすると……私が考えている事をお姉さんは言った。


「うん、宝の地図。君がどうしても逃げ出したくなった時にその宝物を探してごらん」


 この紙は宝のありかを示された地図なのだ! と、この時の私は心臓の高鳴りを抑える事が出来なかったのを今でも覚えている。海賊が隠したような金銀財宝のような物を想像していた私。


「じゃあね。君が未来を変えれるとボクは信じてる。助けてあげて、ボクを……ボク達を、できれば君の番で終わる事を切に願うよ」


 そう言うとお姉さんは今までそこには無かった大きな乗り物に乗った。その大きな乗り物が何なのか幼少の私はこう直感したのだ。


(タイムマシーンだ!)


 誰もそれがタイムマシンだなんて言ってはいないが、私はそう確信めいたものを感じていた。

 頬をつねってみる。


「痛い……」


 手の中には未来の切符と宝の地図。

 これさえあれば私は何にでもなれる。大海原に飛び出した海賊の気分で私はその宝の地図を開く。漢字で書かれたそれ、読めない漢字も多かったので漢字辞典を用いてそれを調べた。

 一蘭台小学校旧校舎と書かれ、バツ印を付けてある所が宝の地図のありかなんだろう。

 私はそれから数日後の土曜日、旅に出た。

 目指すは一蘭台小学校。

 電車とバスを使いそこに通うと用務員らしきおじさんに聞いた。


「すみません! 旧校舎って何処ですか?」

「旧校舎? そんな所この学校にはないよ?」


 私の旅は目的地について僅か数分で終わりを告げた。驚きだった。あれだけ私を信じて憧れたお姉さんは嘘つきだったのだ。

 そう……この時はそう思っていたが、お姉さんが未来人だ。という事を忘れていた。


「麗、麗!」


 れい。(うるわ)しいと書いて(れい)、私の名前か……。だなんて言ってみれば現実逃避と言うのだろうか? 私は今呼ばれている事の内容がよくない事だろうと直感している。


「何ですか?」

「貴女の許嫁の誠さんが明日ウチにいらっしゃるから明日は美容院に行ってらっしゃい」


 冗談でしょ? 私はまだ十六で、高校にもやっと慣れたというのに、今から部活や学業を楽しんで、そこで好きになる人と出会って……そんな事も私の家は許されない。

 菱野財閥なんて世間では言われてるけど、まわりの目線を気にするただの成金だ。以前は大きな重工棚田という会社の若いCEOに会わされたばかりだと言うのに、あの件は向こうのCEOにまだ結婚意識がないという事で流れたらすぐ次だ。

 有名大学に通う、これまた有名な企業の社長の息子が私の許嫁らしい。何度か会った事があるけど、残念ながら私は彼に惹かれる所は一つもない。

 そんな男と私は結婚して、子供を作って、何一つ自分で決められないまま人生を消化するというのだろうか?


「絶対に嫌」


 私はそう思うと、机の引き出しにしまっていた二枚の紙を取り出した。一枚は文字が薄れた切符、丁度日付は明日の物。

 そしてもう一枚は……

 もう一枚は……

 私が逃げ出したくなった時に探そうと決めていた宝のありかが書かれた地図だった。保存状態が悪く、もう一蘭台小学校の旧校舎という場所しか分からない古ぼけて所々敗れた地図。


「ふふっ、私の最後の悪あがきをするには丁度いいジョークね」


 菱野 麗事私、十六歳は希望にすがる想いと、全てを諦める想いを同時に抱き、空が赤く染まる時間に家を出た。

 夜にけじめという名の宝探しをする為に……


「お姉ちゃん、嘘でもいいから助けて」

 

 ★

 

 「行ってきます」


 薄着をするにはまだ寒く、かといって重ね着をすればやや汗ばむ、ややこしい気温に待ち行くサラリーマンや学生を億劫にさせる。出発の挨拶をして鞄を背負って家を出る少年に返事を返す者はいない。少年は雨音悟(あまねさとる)、今年で高校を卒業する年齢。特に行きたい大学があるわけでもなく、したい仕事があるわけでもない。

 悟からすれば、高校生に今後の進路を決定させる事の方がどうかしていると彼は思っていた。

 彼は父親と二人で暮らしている。所謂片親という事になる。離婚であればまだ良かったのかもしれない。

 昔は母親と妹が家族にいた。

 悟は家族四人で生活していた時期よりも父親と二人の生活の方が長くなっていた。何故なら母親と妹は悟の今の人生の半分の頃に事故で帰らぬ人となった。


 悟のせいで死んだ。

 それは交通事故だったが、少なくとも悟は自分のせいだと思っていた。

 お気に入りの帽子が風で飛んで行ったのだ。本当に間が悪く、悔やんでも悔やみきれない。それを拾いに行く為にバスに一本乗り遅れ、悟達が乗ったバスは狙ったかのように大事故に見舞われた。

 あんな帽子なんてなければ、あんな事故になんて巻き込まれなかった。悟の母親は分けありだったのか、悟に一度だけ遠い所から来たと言い。実家の話をしたがらなかった。

 身よりもなく、葬式には悟の母の関係者は誰も来なかった事が少しだけ話題になった。

 それまではくだらない事で笑い、喧嘩をし、それでも家族仲良く生活していたのだ。妹との関係も良好でもっと一緒にいれば喧嘩をする事もあったのかもしれない。

 でもそれはもう戻らない過去。


「進路か」


 進路希望表にはなんと書けば良いのか悟には分からない。むしろこれをサラサラと書いて提出してしまうクラスメイト達は一体何者なのかと恐ろしく感じさえしていた。それとも自分があまりにも他より劣っているのだろうかと自己嫌悪。

 進学するのか、就職するのか、なるようになる時期は終わろうとしていた。義務教育は中学までと言うが、普通に勉強をしていれば高校までは問題なく進学できるだろう。そして高校までなんとか子供としてやっていけるのだろう。

 だが、それはある意味で人間の一つの中距離走のゴールなのだ。

 そして大人という長距離走の始まりを意味していた。進路という名のスターターが今まさにスターターピストルの引き金を引こうと……という妄想を邪魔する挨拶。


「おはよー、雨音くん」

「おはよぅ」


 クラスメイトと交わす挨拶、気持ちの良い朝に気持ちの良い挨拶、きっと人間として生きていく為にはわりと重要な事なのかもしれない。だから悟は思った。バビルの塔を作った時、神は人間の言葉を通じなくした。鬼畜の所業だ! 神のする事かと悟は思った。挨拶が出来れば争わないかもしれない。

 しかし悟はそんな考えを持ちつつも人間との関わりが億劫でしかたがなかった。大学に行っても仕事をしても人間と関わらなければならない。

 そんな面倒な事を人間は千年以上にわたり行ってきた事が奇跡のようにも感じられた。出来る事なら人間をやめたい。そんな悟の席に青いヘアピンをした元気そうな女子が近づく。


(またか)


「雨音くん、進路希望行は持ってきた?」


 何も書けなかった紙を無言で見せる。


「また何も書いてないのぉ! 雨音くんでウチのクラスは最後なんだからねっ!」


 委員長、同学年、同クラスにもかかわらず他者よりも面倒な仕事をおしつけられる身分の生徒。変わりに少しばかりの釣り合わない権限を持つ。

 というのが悟における委員長のイメージだった。


「雨音くんは勉強結構出来るんだから進学とかでいいじゃん! とりあえず大学行ってさ」

「とりあえず大学に行ってその後どうする?」


 委員長が嫌そうな顔をする。

 勉強は書かれている事を遂行するだけでどうにでもなるのでクラスメイトと話すより有意義な時間だったりする。


「大学行って就職して結婚でもすればいいじゃない!」

「誰と?」


 委員長の顔に怒りの色が現れる。


「私は雨音くんのお母さんじゃないし!」

「俺かーちゃんいねーし」


 あぁ言っちゃったなと悟は思った。想像通りあからさまに気まずそうな委員長を見てため息をつく。


「悪ぃ。そう言うつもりじゃないから気にすんなよ」


 どういうつもりだったのかとここで聞き返されたら委員長も中々見どころがあると思ったが、それでも申し訳なさそうに小さくごめんと返して自分の席に戻った。


(あーあめんどくせーな)


 目の前にある進路希望表を見て、それに何か書き込もうとするが手が止まる。進路って何だろう。

 進むべき路?

 もしそんな路があって、そこに振り出しに戻るがあればどんなに面白いだろうかと思って、あまりにもそれがくだらなく幼稚な思考である事に何だかさらに面白くなった。

 授業中は楽でいい。

 先生が言っている事をその通りに書き写して実行すれば大抵なんとかなる。そんな悟の姿は模範的で先生達からは受けが良かった。

 そんな作業を四コマ続ければ昼食の時間である。


 学校での楽しいランチタイム。

 学食に行くのもいいだろう。購買部でパンを買うのもいいかもしれない。やはりここは友達と机を繋げて食べるのが王道だな。

 面白い冗談を頭の中に思い浮かべる。

 悟にはそんな学生の楽しい時間は無縁だった。コンビニで適当に掴んだパンを買うとそれを業務的に胃に流し込んで終わり。

 ものの五分足らずで終わる。


(不味っ)


 あとは次の授業が始まるまで予習でもしていればいい。それが悟の日課だった。何度か悟に声をかけた者もいたが、掴みどころのない悟に呆れて悟の前から消えていく。

 授業が終われば後は家に帰るだけ。

 そう思って席を立った所、担任に呼び止められた。


「雨音、少し職員室に来れるか?」

「分かりました」


 職員室についていくと担任は湯呑に入ったお茶を出してくれた。それにお辞儀をして受け取ると担任は話し出す。


「お前だけが進路希望表が出ていないと聞いているんだが、何か悩んでいるのか? お前ならレベルの高い大学も狙えると思うぞ?」

「いえ別に」


 何時間もそうやって拘束されるが担任と悟の会話は平行線をたどった。何とか進学させたい担任とそれを曖昧に返す悟。

 根負けしたのは担任だった。


「分かった。今日はもう帰っていい。明日続きを話そう」

「はい」


 近くまで送っていこうかと言う担任の厚意を蹴って一人で帰る事にした。どうせその車に乗れば延長戦が始まるのは目に見えて分かる。


「もうこんな時間か」


 駅についたのは二十時を越えたあたりだった。電車にはぽつぽつとしか人がおらず、席の端に座った。


「終点、一蘭台。終点、一蘭台」


 そのアナウンスと共に目が醒める。

 あぁしまった。

 そう思うと共に愚かな自分に笑いそうになる。


「帰りと逆の電車に乗って見知らぬ終点に到着してしまった」


 そう声に出してもそれを聞いてくれる人はいない。

 思えば遠くに来たもんだ。

 というよりここは何処だ?

 すぐにでも逆方向の電車に乗らないと家に帰れなくなるのに悟は追加料金を払って何故か改札を出た。

 悟が住む所よりいくらか田舎街。

 街灯の少なさが空を近く感じさせる。

 普段殆ど使わない携帯電話を取り出すと父親に連絡を入れる。

 出ない。


「今日は一日彷徨ってみるのもいいかな」


 悟の父親は最近帰りが遅い。帰りが朝だったり、次の日だったり何をしているかは分からないが、それが父親の望む事なら悟は否定はしない。

 いずれ、近い内にどのような形かで最後は来るのだから、悟はそれが訪れるのを待つ事にした。


「こんなに空には星があるんだな」


 きっと星に少し詳しければあれが夏の大三角形でと、楽しむ事も出来るのだろうが、虫みたいに空を覆う星々になんだか気分が悪くなるようだった。

 悟が適当に歩いた先にあったのは大きな敷地にある小学校だった。

 夜の学校はなんだか不気味な雰囲気がある。悟は幽霊なんてオカルトは信じなかったが、それでもやけに薄気味悪いものだった。


「っ!」


 大声を出しそうになりながら必死で悟は口を塞ぐ。

 真っ暗闇でポゥと怪しげに光る何か、夜の小学校を浮遊しているのだ。


「なんだあれ?」


 恐怖よりも悟の好奇心が勝った。どうせする事もないこの夜の時間を消化するには丁度良い時間潰しである。

 小さい塀はすぐに上れる。

 だが歩は用心した。

 何かセキュリティがかけられている可能性が高い。こんな所で夜の小学校に侵入して捕まったら笑い者どころの騒ぎではない。

 まわりを見渡しセキュリティシステムらしき物がどこにも見当たらない事で歩は恐る恐る塀に触れた。


「大丈夫かこの小学校?」


 今時セキュリティを実装していない学校。光の主も同じくこの事を知っていて侵入しているんじゃないだろうかと呆れると、同時に悟に悪寒が走る。

 もし、それを知っていて侵入する人物とはどんな人物だろう?

 答えは良からぬ事を企んでいる奴に違いない。


(もしやばい奴ならダッシュで逃げよう)


 光が見えた方へと向かう、そこはどうもこの小学校の校舎ではない。

 いや、正確には今現在使われている校舎ではないのだ。


「旧校舎?」


 そんな所になんの用事があるんだろうと辺りをきょろきょろしていると突然歩の視界が明るく照らされる。


(し、しまった。見つかった)


 声を上げそうになった悟だったが、それをしたのは目の前の人物だった。


「にゃ、にゃああああああああ!」

「女の子?」


 目の前にはヘッドライトを付けた中学生くらいの少女が蹲って泣いていた。


「ふぇええ」

「おい泣くなよ」


 ある意味厄介な奴に遭遇してしまったなと思いながらも泣いている少女の目線に合わせてしゃがむ。


「おい大丈夫か?」

「……った」

「えっ?」

「お化けかと思ったぁああ!」


 泣きながら怒る少女に呆れて歩は頭をかく。


「お前、こんな所で何してんの?」

「おっ、お前じゃない! ボクは黒槌菜綱(くろつちなづな)って言う名前があるんだ」

「そうかい。じゃあ黒槌はこんな所で何してんだ?」


 菜綱は泣き止むと腰に手をあてて歩に指を指した。


「君の名前! ボクの名前教えたんだから教えてよ」


 少女は見れば見る程幼く見えた。

 何処かのブランドのラメの入ったTシャツに黒いミニスカート、髪の毛を片方に纏めて括っているのがそれを助長させる。


「教えねぇ」

「何でさぁ! ずるい」

「黒槌の目的を教えたら考えてやる」


 むぅと唸ると小さな声で菜綱は言った。


「タイムマシンを探してるの」

「は?」


 悟の考えの斜め上を行く答えが返って来た。


「悪い。ちょっと聞き取りにくかった。もう一回教えてもらっていいか?」


 菜綱は馬鹿にされていると思い顔を真っ赤にして叫んだ。


「タイムマシンを探しているんだよぅ!」


 あぁ、やっぱりタイムマシンと菜綱は言ったんだなと悟も再確認した。


「いや、それはおかしいだろ。タイムマシンなんてこの世にはない」

「あるよ!」

「いやないだろ」

「ある!」

「見たのか?」

「見た!」

「だろ! そもそもそんなもんは……見たんだ?」

「うん」


 菜綱は真剣な顔で悟を見る。

 これは嘘をついている顔ではない。本当に見たか、何か見間違えたか、妄想しているかのどれかだろう。普段の悟ならあまりにもバカバカしすぎて、その場を後にする所だったが、終電も終わりする事もない。この戯言に付き合うのも時間を潰すという事にはなるかもしれないと思った。


「ふーん、そのタイムマシンを見つけて黒槌はどうするんだ? 未来に行くのか? それとも過去……」


 悟は自分にそれが返ってくる事を言いながら後悔した。もし、タイムマシンがあったら自分なら母と妹が死んだ事故の日に戻るだろうと、頭が勝手に答えを出す。

 段々その考えにイラつき、菜綱自身にも嫌悪する気持ちが芽生えた。

 しかし、菜綱の答えはヒートアップした悟の頭を冷却する。


「ううん、僕は未来にも過去にも行かないよ。ある女の人に教えてもらったんだ。タイムマシンを見つけるとボクの欲しい物が見つかるってさ」

 

 そう言う菜綱を見ていると、常識に捕らわれている自分が妙に小さく見えた。この菜綱という少女は多かれ少なかれ、自分と同じ黒い何かを持っているとすぐに感じた。


(類は友を呼ぶか)


 このサイコな少女、菜綱と自分が似た者だと思うのはなんだか認めたくないなと思ったが、そんなに嫌じゃなかった。

 一つばかし自分と違う所は、この少女は自分とは違い立ち向かうか、あるいは逃げるかしている。

 残酷な現実に立ち向かう為にこのわけの分からない事をしているのか、現実逃避をする為に今を生きているのかは定かではない。

 悟は逃げる事も立ち向かう事もせずにただ日々を、時間を費やしていた。それは命と人生を消費するに等しい。

 来る日も来る日も腹がすけば適当に物を食べて、眠たくなれば眠る。

 そう考えると悟は嫌でもある結論を出さざる負えない。


(愚かなのはこの菜綱じゃない。何もしないでいた俺自身か)


「なぁ黒槌」

「なによ!」


 馬鹿にされた事を根に持っているのか、菜綱はギンとした瞳で悟を睨む。泣いて怒って忙しい奴だなと悟は笑った。

 だけど、こういう奴は嫌いじゃない。昔近所に住んでいた野良猫を何故か思い出した事は、菜綱が猫っぽい女子だからなんだろう。いつしか悟はリラックスしている自分を覚える。数時間前まで進路だなんだで鬱々としていたのが馬鹿らしい。


(まだ俺は笑えるんだな。よし、一つ遊んでみるか)


「俺も、そのタイムマシン探し付き合っていいか? どうせやる事もないしさ」


 悟がそう言うと、何か珍しい生き物でも見るように悟を見つめる。これは猫が警戒した時に身を潜め目を丸くしてから様子を伺う様なのだ。この菜綱の前世は猫に違いないと悟は勝手に妄想する。


「……それホント?」


 菜綱は下唇を噛んで信用してなさそうに言う。また悟に馬鹿にされるんじゃないかと疑っているのだろう。

 さすがに、悟もこれ以上馬鹿にするようなデリカシーの無さは持ち合わせてはいない。一応人付き合いの上手さには定評があり、自負もしている。最近はサボりがちだが......それに何処か、菜綱を見ているともし妹が生きていればこんな風に話していたのかもしれないと心の何処かで思っていたのかもしれなかった。


「あぁホントだよ。お前も一人で探すより二人の方が効率がいいだろ?」


 花が咲いたような笑顔というものを悟は目の当りにする。菜綱はぱっと笑顔に変わると悟の手を引っ張った。


「よしじゃあ特別に手伝わせてあげる! 早くいこ! えっと」


 そういえばまだ名前を名乗ってはいなかったと悟は思い出す。確か菜綱の目的を聞いたら代わりに名前を教えるという事だった。

 自分の名前くらい教えるに値するくらいこの少女との会話は楽しませてもらった。十分だろう。名前を聞く、教えるというのは実はある種の約束のようなものである。そこには小さな責任のような物があり、そして人々の関わりがより深くなるのだ。今やお互い、他人であったハズなのに知人へと昇格し、いつしかその距離は近い。


「俺は雨音悟」

「さとるか、よろしくね!」


 手を差し出してくるので悟は菜綱の小さな手と握手した。嬉しそうにへへっと笑う菜綱に悟も笑みがこぼれた。


「よし、じゃあ探すか?」


 タイムマシンなんて見つかるわけないのだが、菜綱が用意したスコップで言われた所を掘り返した。

 一時間程掘り返して悟はある疑問を菜綱に投げかけた。


「なぁ、どういう基準で掘ってるんだこれ?」

「えっ? てきとーだよ」


 下手な鉄砲数打ちゃ当たる。昔の人は上手い事言ったものだが、今は科学が世界を支配する時代。その鉄砲ですら適当に撃っても当たるようにできているのだ。まさに菜綱は、最新兵器に竹やりで挑む気持ちでここにやってきた。その心意気やよし。

 しかし、当てる的の場所が分からないので弾が当たる確率は極めて低い。そもそも当てる的があるのかも分からないのに……


「じゃあなんでここなんだよ?」

「昔、ある人がその地図を持ってたんだ。うろ覚えだけど確かにこの旧校舎のある所なんだ!」


 タイムマシンはないかもしれないが、確かに何かが埋まっている可能性はある。マシンではなく、カプセルの方とか……。

 まだ朝までは五、六時間は余裕である。悟は汗ばんできた事を感じ上着を脱いだ。菜綱は小さなスコップでそこらへんをつついて回る。


「なぁ黒槌」

「ん?」

「ここ掘ってて死体とか出てきたらどうする?」


 菜綱の瞳孔が開く。


(ほんと猫みたいな奴だな)


 数秒後にそれは確信に変わる。


「にゃ、にゃあああああ!」


 猫は驚いて夜の学校で騒ぎ立てた。


「おいおい、どうした! 叫び方があざとい」


 身を小さくしてフードで顔を隠す。震えている。もしかしたら泣いているかもしれない。悟は今あった事をよく考える。


「死体?」

「にゃあああああ!」


 要するに想像してビビっている。


(こりゃおもしれぇ!)


 悟の中に悪戯心が生まれる。こんな気分はいつ以来だろうと思いながら次の手を考えた。今日は不思議な夜だ。

 何故だか、間違えて見知らぬ街の見知らぬ小学校の旧校舎裏で見知らぬ少女とこうしている。だから、今日の自分は普段の自分ではない。

 悟は羽目を外す事にした。恐らく、この少女とも二度と会う事もないだろう。一夜限り、本来いつしか押し殺していたハズのおちゃらけた自分を解放する。クラスメイトは知らないのだが、悟はそもそも盛り上げたり楽しい事が好きだった。

 でも、そんな事を忘れるくらいに辛い事が多すぎた。忘れていた自分を思い出させてくれた菜綱へのささやかなプレゼントと悪戯。


「よく考えたら夜の学校に今俺達いるわけだよな? こんな話を聞いた事はないか? 夜の校庭を走り回る人体模型、いるはずのない音楽室から響き渡るベートーベンの運命。こんな夜よりも暗いプールから伸びる……おい黒槌!」

「……ぐぇ」


 菜綱は泡を吹いてぶっ倒れた。

 恐怖で人が失神するのを見たのはこれが初めて、さすがの悟も驚いて菜綱を抱きかかえた。


「おい、大丈夫か? しっかりしろ! 悪かった」


 菜綱に近づくと甘い香りがした。香水ではなく、菜綱の女の子特有の香り、シャンプーだろうかと思いながら、悟は壊れてしまいそうなくらい柔らかい菜綱に触れて胸が高鳴るのを感じた。


(こいつよく見るとわりと可愛いな)


 整った目鼻立ち、唇は桜の花弁のようで、そこから細い首……そしてわずかばかりの膨らみに目が行った。

 ゴクリと生唾を飲む。


「いやいやいやいや、こんな妹みたいな……妹みたいな奴にねーな」


 菜綱をそこに座らせると上着をかけて一人で地面を掘り返す事にした。何かしてないと妙な恥ずかしさと息苦しさを同時に感じていた。

 悟は確かに菜綱に欲情した。そしてそれは同時に、鬱々しさを感じる。

 自分の人間らしい反応に嫌気がさす。そして菜綱から連想されたのは妹。妹も生きていればこの菜綱のように可愛くなっていたかもしれないなと思う。もう妹はこんな夜遊びをしたり、彼氏を作ったり、結婚したり、そんな未来はやってこない。自分が全て奪ったのだから……

 そして、その想像を打ち消すように強くスコップを地面に打ち付けた。


「もう妹なんていねーよ」

「妹がどうしたの?」


 菜綱が気が付いたようで、クリっとした瞳で悟を見つめる。


「いや、なんでもない」

「妹いるの? いいなぁ」

「もういないんだ。昔交通事故で」

「そっか、寂しいね」


 怪我が痛むような表情をしてそう言う菜綱、その表情を見てると怒りも、悲しみも感じず。どうにかしてこの少女を先ほどのように笑わせたいなと真剣に考える悟がいた。


「黒槌の欲しいものって何だ?」


 唐突な質問に、菜綱は瞳を大きくして驚く。

 これが猫なら毛を逆立てて警戒しているんだろうと想像してしまう。菜綱はもじもじと手遊びをしながら言う。


「言わない」

「何でだよ? 教えろよ。笑わないし馬鹿にしないよ」


 首をぶんぶんと横に振って拒絶するので、これ以上聞き出すことはできそうにないなと思いスコップを菜綱に差し出す。

 そしてお手上げポーズ。


「いろいろ掘ってみたけど、何も見つからない」

「ありがと。でもこの辺りの何処かのハズなんだけどな。手当たり次第に掘るか」


 菜綱はスコップを大きくかかげたと同時に大きな音が響き渡った。

 ぎゅるるるるるる!


「な、なんだ?」


 悟も辺りを見渡すが、その音の正体が分からない。しかし、顔を真っ赤にして座り込む菜綱の姿があった。そこで悟は気が付く。


「黒槌の腹の虫か?」


 静かにコクりと頷くので、さすがに悟は線が切れたようにツボに入った。


「ぷっ、あははははは!」

「笑うな!」

「だってお前、あははは!」

「笑うのをやめろ!」


 小動物のように可愛いというのはこの事かと悟は大笑いした。財布を取り出すと帰りの電車賃を計算する。


「近くのコンビニでも行くか?」

「帰りの電車賃しかない」

「カップめんくらいなら奢ってやるよ」


 菜綱は両手で自分の身体を守るようにどもった。


「ぼ、ぼぼ僕の身体目当てか?」

「馬鹿かお前! 今時分食い物で身体売る少女とか怖いわ」


 冷静に考えて再び菜綱は赤面し座り込む。


「ほら行くぞ」

「わわっ!」 


 菜綱の手を引っ張り立ち上がらせる。そのまま学校を出る。繋いだままの手に気づき、悟は離そうとするが、菜綱が離そうとしない。


「おい黒槌?」

「えっ?」

「手」

「あぁ! ごめん」

「いや別にいいけど、ここで警察に会うと終わりだな」

「なんでそんな事言うのさ。そう言ったらコンビニだってヤバくない?」

「コンビニはだいたい暗黙の了解で無視されるよ」

「何それ?」

「俺の経験談」


 悪い顔でそう言う悟。父親が帰って来ない日なんかで食事を作るのが面倒な日なんか深夜のコンビニに買い出しに行く事が多かった。明らかに子供だと分かっていても酒類やタバコを買わなければ大概は何も言われなかったのである。


「真面目そうに見えて悟って不良だね」

「お前もな」


 一本取られたと言う風に驚いた表情をした後に菜綱が笑った。それに悟は何となく嬉しくなった。

 何処にでもあるコンビニに二人で入ると、店員に思いっきり見られながらも店内のカップ麺が置いてあるコーナーに行く。


「どれにする?」


 菜綱はきょろきょろと見渡して目を回したように言った。そして少しばかり聞き捨てならない事を菜綱は呟く。


()()()()食べた事ないからどれにしたらいいか迷うよ」


 そんな菜綱は一つ手に取っては難しい顔をする。


「なんだ黒槌は金持ちか? こんな庶民の食べる物を食べた事がないとか」

「沙也香さんがこういう物は食べちゃダメって言う」

「誰だそれ母親か?」

「離婚したお母さんの代わりに来た人……」


(コイツも色々あるのな)


 下唇を噛む菜綱に悟は気を使って話を逸らした。


「俺はカップ焼きソバにするわ。お前はそこでずっと迷ってろ」


 へっと笑うと適当なカップ焼きソバを取ってレジへと向かう悟に慌てて菜綱も同じ物を取って後ろからヒヨコのようについて来る。


「悟まってよぉ!」


 菜綱の持つカップ焼きソバを菜綱の手から奪うとレジに出す。店員は制服を着ている悟をガン見するも普通の接客をする。


「三百三十六円です」


 五百円玉を出すとお釣りを受け取り店内でカップ焼きソバにお湯を入れる。じっとその様子を見る菜綱にクスりと笑い悟は言った。

 どうやらカップ焼きそばを食べるのが初めてなのは本当らしい、どういう原理で食べられるようになるのか、不思議で仕方がないんだろう。


「貸してみ。お前のも作ってやるよ」

「ありがと」


 お湯を入れた容器を持って小学校へと戻る。悟は随分懐かしい気分で一杯だった。

 その気持ちは楽しい。人間にとって重要な気持ちで、悟が絶対に感じてはいけないと勝手に思っていた気持ち。


「あのさ」

「ん?」

「悟ってお兄ちゃんみたいだな?」

「そう言うお前は妹……というより猫だな」

「猫って何さ! 人間にしてよぅ」


 心から笑ったのは何時以来だろう。

 楽しい。

 容器のお湯を捨ててから再び小さな壁を登る。その時、菜綱が自分のカップ麺の容器を落とした。


「あぁ!」


 地面にダイブするそれは虚しく中を吐きだした。


「やっちまったな」

「うぅ、ボクの……」

「とりあえず上がってこい。そんなばっちいのは食えないだろ」


 悲しそうに校内に戻って来ると悟は自分のカップ焼きソバを手際よく作る。その様子を不思議そうに見ていた菜綱にそれを渡した。


「ほら食べろよ」

「えっ? いいの?」


 頷く悟を見て菜綱は割り箸でそれをちゅるちゅると食べる。長く咀嚼してぱっと花が咲いたように笑う。

 

 これ美味しいや!」

「そうか、良かったな」

「はい、悟」


 カップ焼きソバを次は菜綱が渡すので悟はそれを受け取って一口食べて菜綱に渡す。それを何度か繰り返しカップ焼きソバは空になった。


「ごちそう様でしたぁ」


 手を会わせてそう言うので、悟はこう言った。


「お粗末様でした」

「悟って意外と礼儀を知ってるね?」

「お前もな」


 このやりとりで二人は大笑いした。

 なんて気の合う奴だろうと悟は思う。今日は深い夜だから自分がこうなだけで、もしかしたら学校でもこうあれるのかもしれないなとふと考えたが、あまりにもそれはありえないと思った。

先ほど気になった菜綱の母親について尋ねてみた。


「なぁ? 黒槌の」

「菜綱でいいよ」


 ケプっと可愛いゲップをしている菜綱に悟は深呼吸をして言った。


「な、菜綱の母親の事聞いてもいいか?」


 ピクりと反応して菜綱は頷いた。


「うんいいよ」

「何で離婚したんだ?」

「お母さん、もっと仕事がしたかったんだって。何か金融? そんな感じの仕事してて、凄い実力あったらしくて、おとーさんとボクよりも仕事を取ったの。それからはお母さんがいなくなったのは凄く速かった」

「へぇ、そのお母さん優しかった?」


 えへへと優しい笑顔を向ける菜綱からは聞かずともそうだったんだろうと分かった。


「大好きだった。友達は沢山作れとか、勉強は沢山しろとか言ってたけど、私の子だから美人になるし良い会社に入れるって言われてた。それでお母さんがいなくなって何ヶ月かしてからこっそりお母さんの住んでいる所を見に行ったら他の男の人と楽しそうにしてたの、それでもうお母さんは私のお母さんじゃないって分かった」

「大人って勝手だな」

「うん、だね。悟のお母さんの事聞いて良い?」


 これがもし、クラスメイトだったらぶっ飛ばす所だったが、菜綱に聞かれると全く不愉快ではなかった。

 息を吸って吐くように承諾の返事が出る。


「あぁ、まぁ別に面白くもないぜ。おっちょこちょいな人だった。でも優しかったよ。俺のせいで死んじゃったけどな」

「悟のせい?」


 悟は自分が帽子を取りに行ってその後で事故が起きた事を話した。

 それを聞いて難しい顔をすると菜綱は答えた。


「でもそれって悟のせいじゃないよね?」


 これを誰かに言って欲しかったのかと悟は思うとなんだかイラだった。


「だけど! 俺があんな帽子おいかけなければ、捨ててれば、誰も死ななかったんだ!」


 年下相手に熱くなる自分を抑えられない悟に菜綱は至って冷静に返す。


「でもその時はその帽子がとても大事だったんじゃない? 不慮の事故だよ」

「もう取り返しのつかないんだぞ?」


 ふむと菜綱は頷く。


「今の悟は怒るかもしれない。だけどボクはあえて言うよ。悟、タイムマシンを見つけよう。過去を変えられるかもしれない」


 菜綱に最初に会った時に悟が想像した事、この少女はタイムマシンがある事を一欠片も疑ってない。

 もしかすると。

 もしかすると。

 もしかすると、もしかすると。

 タイムマシンはあるのかもしれない。


「本気で言ってるのか?」


 菜綱は満面の笑みを作って応えた。


「マジ」


 それから、どちらが言うわけでもなく再びタイムマシン探しが始まった。もし存在するにしても全く見当違いの場所を探しているのかもしれない。さすがに二人にも疲労が溜まってきた。


「なぁ、菜綱の願いって何なんだ?」


 それを聞くと手でバツを作って舌を出す。


「おしえなーい!」

「何でだよ?」

「言ったら叶わない気がするもん」


 これはどうも教えてくれそうな気が全くしなかった。やれやれと思って悟は立ち上がる。


「そんなもんかね?」


 菜綱もそれにつられて立ち上がった。


「そんなもんなの」


 空にはいくつか星が見える。それがなんという星かは残念ながら悟には分からない。


「あっ、こぐま座だ!」


 菜綱が指さす方向を見るが、それがその星座なのかはさっぱり分からない。名前は昔小学校あたりで聞いた事があったかもしれないが、そんな事をいちいち覚えているような小学校生活を送ってはいなかったし、興味もない。


「どれが?」


 目を細めて星々を見ると菜綱が触れるくらいの距離まで来て丁寧に教えてくれた。

 よく知ってるなと感心して二人でしばし星を眺める。


(一体俺は何をしてるんだろうな)


 あまりにも馬鹿らしくてクスクスと笑っているとそれを怪訝に思った菜綱が覗き込むように尋ねる。


「どうしたの?」

「いや、知らない街の知らない小学校で知らない女の子と知らない星空を眺めているなんて経験二度とできないなと思ってさ」

「そういえばそうだね。あははは!」

「だろ?」


 もうそこらをほじくり返す気は起きないので何となく空が明けていくのをずっと眺めていた。普段は眠っている時間に段々と空が紫がかっていく。


「綺麗だね? 悟」

「あぁ、そうだな」


 素直にそう思えた。

 こんな綺麗なものが毎日永久的に繰り返されていると思うとそれは地球の神秘にも思えた。ふと隣の菜綱を見ると口をぽかんと開けて見とれていた。それがちょっと堪らないくらいに可愛く思えて、あんまり見てると我慢できないかもしれないと思って悟は切り出す事にした。


「そろそろ始発が動くだろうから帰ろうか?」

「えっ? あっ、そうだね!」


 学校を出て、カップ焼きソバを買ったコンビニでゴミを捨てると、悟と菜綱は駅に向かう。


「菜綱は何処まで行くんだ?」

「ずーっと反対側」

「ここ終点だから、途中までは一緒だけど俺は樟葦(くずよし)で降りるぞ? それより先?」

「うん……先」


 始発に乗っていると菜綱は悟の肩に頭の重みを預ける。


「おい、自分の駅行くまで寝るなよ?」

「らぁいじょーうぶ」


 菜綱が眠らないように、悟は話しかける事にした。


「今日学校か?」

「うん」

「遅刻せずに行けるのか?」

「うん」

「絶対嘘だろ」

「うん」


(こりゃダメだ)


 悟は菜綱の頭を自分の膝の上に乗せる。


「うわっ!」


(普通逆だよな)


「俺が降りる駅で起こしてやる。それまで寝てろよ」

「悟優しい」


 菜綱の髪の毛は水のようにさらさらと悟の手を抜ける。よく行き届いた手入れに、わりと世の女性が敬うようなレベルなんじゃないかなと悟は思う。目を瞑って幸せそうな顔をしている菜綱が突如目を開ける。


「どうした?」

「ねぇ、悟、また会える?」

「さぁな。まずあの小学校に行く事はないと思う」

「ボクは悟とまた会いたい」


 ドクンと悟の心音が大きくなる。

 それは悟にも心の何処かで感じていた事。この少女の前でなら自然な自分でいる事が出来る気がした。菜綱の素直な気持ちに同じく真っ直ぐ答えてやれる程悟も大人ではない。


「じゃ、じゃあ今度どっか遊びに行くか?」


 ごろんと軽く寝返りを打ち、悟を見上げるように菜綱が悟を見る。もちろん悟は菜綱を見下ろしているのだが、菜綱の笑顔を見ていたら悟は動けなくなっていた。


「また、あの小学校で会いたいんだ。一緒にタイムマシンを探そう」

「いつ?」

「今日! タイムマシンが見つかるまで毎日」


 あまりにもバカバカしい提案だった。

 だから悟はこう言った。


「分かったよ。でも学校はちゃんと行けよ」

「うん分かった」

「じゃあ少し寝ろ」


 屑葦の前の駅につくと熟睡している菜綱をたたき起こして、帰る事を告げる。すると少しさみしそうな表情をした後に笑った。


「じゃあ今晩ね」

「あぁ」

 

 菜綱と別れると途端に眠気が悟を襲う。今日はサボってしまおうかと思ったが、菜綱に学校へ行けと言った建前自分が行かないのはなんだかずるい。


「ねむっ」


 欠伸をしながら自宅に戻るも父親は部屋にはいない。しかし帰って来たであろう形跡はあった。コンビニ弁当と千円札が数枚置かれている。早朝の六時頃に既にいないという事は、会社に行ったわけではなく昨晩戻ってきて何処かに行ったのだろう。

 確実に崩壊し始めている悟の家。

 悟の父親は新しい家族を形成しようとしているのかもしれないなと薄々悟は気づいていた。


(くだらね)


 熱いシャワーを浴びて眠気を無理やり飛ばす。

 シャワーを終えると水分を飛ばして、制服に消臭スプレーをかける。もう一日くらいはこの制服を着て、休みの日にクリーニングに出そうと思った。

 洗濯とかしていればいつもの登校時間が迫って来た。置いてあるコンビニ弁当を持って悟は学校に向かった。

 運よく電車の席に座る事が出来たのでそこで弁当を食べた。昼食は学食でパンでも買うかと思う。今まで食事の事を考えた事はほぼ無かった。


(今晩の事を楽しみにしてるのか? ふっ)


 我ながら馬鹿だなと思うも、どうもそうらしい。夜に体力を残しておくために沢山食べて昼間は居眠りでもしようと思っていた。受験勉強で疲れた生徒達が居眠りしていても今の時期教師たちは何も言わない。

 そうだ勉強をしたという事にしよう。そう思って悟は教室に行くなり自分の席で居眠りを始めた。


「んっ?」


 腹が減ったなと思ったのが悟の寝起き、目覚めると物理の授業中。先生と目が合うが、先生は授業を進める。物理を受験に必要としない生徒は赤本を開いてひたすらルーズリーフを黒く塗りつぶしていく。物理の先生からすれば、赤本を開く生徒も居眠りをしている自分も一緒なんだろうなと思う。

 しかし、しまったなと悟は思った。


(今、六限じゃんか)


 昼時はとっくに過ぎて学校はもう終わろうとすらしていた。腹は減っているが、代わりに体力は随分戻っている。また今日も思いっきり掘ろうかなと伸びをする。物理の先生は睨んでくるが、悟はそれを受け流す。菜綱が何時頃にあの小学校に来るのか分からないからどうやって時間潰しをしようかなとホームルームの時間に考える。


「雨音、今日も職員室に来い」

「はい」


 時間潰しが向こうからやってきた。昨日は億劫だったが、今日は違う。でかした山下先生と声に出して言おうかと思うくらいに。


「雨音よ。今日は一日居眠りしてたらしいな? 昨日の話で疲れたか?」


 疲れないと言えば嘘になるが、原因はそれではない。


「いえ、勉強してました」


 嘘をついてみると先生は目を丸くする。


「それってお前……」


(あぁ、俺が受験に力入れたと思ってるのか)


 少し笑って頷いてみると先生は嬉しそうに立ち上がった。子供のようなだなと思うが、学校の先生は学校という狭い社会しか知らない。悟の両親なんかと比べてもずっと幼稚だと思う事が多々あった。

 勝手に盛り上がった山下先生は、出前のメニューを持ってくる。


「おい雨音、みんなには内緒だぞ? ほれ、好きな物喰え! 先生の驕りだ。昼も喰ってないんだろう?」


 そういえばそうだったと思い。悟は一番安い親子丼を御馳走になる事にした。学食よりも美味い。というか皆が好んで食べる学食が不味すぎるなと思い。こんな美味い物を喰っている教師たちに悟は少し閉口した。


「遠慮せずにカツ丼喰えばいいのに! 試合に、受験にカツってな」

「でも、勝負時にカツって胃を荒すって言いますよね? それに、トンカツ食ってうまかった(馬勝った……馬鹿が勝った)ってね」


 まさか悟にそんな事を言われるとは思わず、先生は大きく口を開けて笑う。


「おい、お前どうした? 何かいい事でもあったのか? 昨日とえらい違いだな」


 夜中に見知らぬ少女と学校の校舎裏を掘り返してましたとここで言うと先生はどんな顔をするだろうかと思った。

 多分突然顔を青くするだろう。


(親子丼のお礼に黙っておくか)


 様々な大学のオープンキャンパスの資料を出して饒舌に語る先生に相槌を打ち、時間の頃合いを見て悟は言う。


「先生、そろそろ帰らないと」

「今日は家まで送っていこう」

「大丈夫です。一人で帰るのが好きなんで」


 そう言うと子供のようにがっかりした表情を見せるがお構いなしに悟は帰る事にする。


「御馳走様でした」

「あ、あぁ。気を付けてな」 


 缶コーヒーを買って、帰る方向とは逆の電車に乗る。この夜の為に準備していた為か車内で眠たくなる事もなく。随分長い間ガタゴトと電車に揺られる。乗車客は一人、また一人と降りて行き、広い車内が悟一人の空間となった。居眠りしなければまず終点で降りる事は無かっただろうと考える。


「何か食い物買って行ってやるかな」


 そう思うも、菜綱と並んでいくコンビニもまた悪くないかと考えながら昨日の小学校にたどり着く。いい加減セキュリティをしっかりした方がいいと思うもこれだから菜綱と会えるのかと何となく感謝して門を登る。

 旧校舎裏に行くと、ヘッドライトをつけた少女、菜綱がハンガーを持ってうろうろしていた。その姿はさすがに怪しすぎる。


「お前何してんだ?」

「見て分からないの?」


 悟を横眼で見ると両手に一つずつ持ったハンガーを地面に向けて再びゆっくり歩き出す。その姿に悟は名称は思い出せなかったが言った。


「水道管探すやつか!」

「ダウジングだよ!」


 そんな名前だったなと感心する。


「そういえば、タイムカプセル探したりするのにそうやって見つけてたテレビ見た事あるわ。それでお前も?」

「タイムカプセルじゃないよ。マシンだよ! マシン。他人の思い出なんて興味ないよ」


 見つかれば見つかったで楽しいだろうなと思ったが、それを言うと菜綱がヘソを曲げそうだったので言わない事にした。

 昨日同様に悟は穴を掘る事に精を出す。その間を菜綱がうろうろうろうろ餌を探す熊のように行き来する。

 収穫ゼロ。


「タイムマシン見つからないな」

「うー」


 菜綱が唸るので、もう一掘りしようかと悟は立ち上がる。その時、悟達の近くをライトが照らされる。


「やべっ!」


 悟は菜綱を引っ張り物陰に隠れる。それはお互いの鼓動が聞こえる程に接近し、声を押し殺す。その光は悟達を探しているわけではなく、車か何かのライトが乱反射したものだった。

 そのまま少し様子を見るが、何も起こらないのでゆっくりと悟は立ち上がる。


「あービビった」

「もう、いきなり引っ張られるからさすがにボクも貞操の危機を感じたよ」


 あははと笑う菜綱にデコピンをくれてやる。


「あたっ! 何すんのさ」

「誰がお前みたいなガキに欲情するか! って何か二回目だな」

「うん、あはははは」

「ふふっ」


 ひとしきり笑うと菜綱は笑い過ぎて出た涙を拭いて言った。


「笑ったらお腹すいちゃったよ」

「コンビニ行くか?」


 首を横に振る菜綱。


「なんだ? 金ないならまた奢ってやるぜ?」


 人差し指を悟に向ける。

 失礼な奴だなと悟は思う。

 その指は空を向き、ゆっくりと揺れる。


「ちっちっち、今日は見て驚くな!」


 猫の形をした小さなリュックを見せるとそこから小さな弁当箱を二つ取り出した。そしてその一つを菜綱は手渡す。


「はい、悟の分」

「お前が作ったのか?」

「うん」


 少し照れたようにそう言う菜綱。女の子の手作り弁当なんて食べた事ないなとわくわくしながら悟は蓋を外した。


(なんじゃこりゃあ!)


 という叫びが喉から飛び出すのを何とか抑えて小さな箱の中を見る。数分前までは弁当箱だったそれも中を見ると何かをしまう箱にしか思えない。

 小さな箱は大きくわけて三つの領域に分けられていた。白い領域と黄色い領域と緑の領域。白い領域が全体の半分を占めている。

 白い領域は米に見えなくもない。勇気を出してそれを口に入れるとそれはどうも米では無かった。


「なんだこれ? 餅か?」

「おこわだよ」


 黄色の領域と緑の領域、それらもおこわらしい食べ物だった。三食弁当らしいそれ、味は極めて美味い。

 だが、見栄えが悪すぎる。そもそも食べ物なのかすら定かではない容姿をしたそれらは食欲を掻きたてるような事はない。それでも菜綱が作ってきてくれたので残すまいとかきこんだ。


「御ちそう様」


 手を合わせて言うと菜綱が嬉しそうに感想を聞いてくる。


「美味しかった?」

「見た目以外はな」

「何だよそれぇ!」


 少しばかり怒っている菜綱に笑うと悟は菜綱に弁当箱を返して聞いた。


「なぁ、そろそろ教えてくれないか?」

「何を?」


 きょとんとした表情で悟を見る菜綱に悟は言う。


「タイムマシンを手に入れるとお前の願が叶うんだろ? お前の願って実際の所なんなんだ?」

「言わなきゃダメ?」

「教えてくれよ」


 むぅと舌唇を噛んで観念したように菜綱は答えた。


「ボクは友達が欲しんだ。タイムマシンを見つけたらボクに友達が出来るってお姉さんは教えてくれたの」


 悟は菜綱の話した事を冷静に考えて頭の中で纏めていく。悟の脳が導き出した答えはこうだった。


「俺達って友達じゃなかったのか?」


 そう言った悟を見る菜綱の瞳は瞳孔が開きかけるくらい驚いた顔を悟に見せた。彼女は友達という物に何か特別な意味と感情を抱いていたのだろう。それは何か高貴さの義務を全うするように……


 ★

 

 悟は少し眠そうに授業を聞く。さすがに毎日居眠りをするのも教師に悪いし、学費も勿体ない。

 足りない分は放課後と電車の中で寝る事にしようと思う。

 眠気と戦いながら二限の数学がこれほど苦痛なものとは悟には思いもしなかった。

 とりあえず進路希望表には進学と書いておけば担任に呼び出される事も少なくなるだろうと用意して来た。

 悟の中で何かが変わろうとしていた。菜綱がタイムマシンを探し友達が欲しいという願を叶えようとしているように、実際菜綱の場合はほぼ叶ったハズである。


(まぁ、俺の事を友達だと思ってるか分かんないけど)


 作業のように黒板に書いてある数式を書き写して例題を解いていく。居眠りをしても教師に怒られる事はないが、欠伸をしながら授業に打ち込む姿に教師は感心していた。夜遅くまで勉強をしてそれでいて授業もしっかり聞いているように映っているのだろう。この調子で昼食迄の授業を終えると悟に限界がおとずれた。


「ねむい……」


 携帯にアラームをかけて眠る事にした。


「雨音くん!」


 悟の睡眠時間、わずか二分十二秒。


「何?」


 片目を開けると委員長が仁王立ちしていた。可愛い顔してるのにそんなに眉間に皺よせない方がいいよと思ったが口にしない。


「進路希望表持ってきた?」

「……ふぁい」


 一枚の紙を渡すとそれを見て委員長は驚いた顔を見せる。


「持ってきたんだ」

「うん、だから少し寝かせてくれないかな?」

「ご、ごめんね」


 下唇を噛んでバツが悪そうに委員長は去っていく。


(可愛いところあるじゃん)


 悟が起きたのは五限が終わりかける頃だった。アラームは鳴ったようだが誰も起こしてはくれなかったらしい。起きなかった自分が悪いのだが……

 まわりをきょろきょろ見渡すと同じように居眠りをしている生徒とそれなりに真面目に授業を聞いている生徒達。

 寝ぼけていた悟を一瞬にして現実に戻す教師の話。


「まぁタイムマシンは一応出来るわけだな」


 何の話をしているんだと先生を見て悟は問いただした。


「先生、何の話ですか?」


 学校で一番勤続年数が長いとかの年輩の白衣を着た教師は悟を見て変わらない表情で答える。


「お前もどうでもいい話は聞いてる口なんだな。このクラスで物理を必要とする生徒は少ないからな。それも必要な連中はみんな勉強疲れで寝とる。だから少し脱線した話をしていた」

「タイムマシンはあるんですか?」


 あまりにも真剣な悟。

 悟が授業にまともに参加してくる事は今まで一度もなく、寝ている生徒達も起きだした。


「冷凍睡眠が出来ればな。犬とかでは成功してるらしいが人間では中々難しい。細胞が死んでしまうからな。もしできれば未来には行ける」

「過去には?」


 悟の言う事に馬鹿だなぁという顔を向けるクラスメイト達の中で物理の教師は真剣な顔で答えた。


「行けない。だが出来なくはないと思っている。できない事を可能にしてきたのが人間であり、その学問だからだ。先生は出来ない事が多いから学校の先生をしている。今や臓器移植も自分の細胞から作れる時代だ。君たちの中から新しい技術を生み出す者も出るかもしれない。そんな生徒達と同じ時間を一緒に居れる事を誇りに思う」


 正直この先生の事はあまり知らないし授業もそこそこにしか聞いていなかったが、こんなに熱くくだらない質問に対して真剣に答えてくれるとは思わなかった。


「先生、ありがとうございます」


 素直に悟もそう言えた。


「あぁ、じゃあちょっと授業を進めようか」


 力学の入門を学び授業は終わった。ノートに書いてある数式を見て悟は思った。


(これを星の数程集めればもしかしたらタイムマシンが出来るかもしれないんだな)


 委員長が進路希望表は渡してくれたので先生は呼び出しをしてくる事は無かった。ある意味いい時間潰しだったが今日は眠たいので放課後は睡眠に使った。


「雨音くん、雨音くん!」

「んんっ、菜綱?」


 携帯電話を見ると二十時を少し過ぎている。自分を起こした誰かを見ようと身体を起こす。そこには委員長の姿があった。


「委員長?」

「菜綱って誰?」

「えっ、いや。誰だろ」

「もうそろそろ起きて帰った方がいいよ?」

「ずっといたの?」

「違うわよ! 図書室で勉強してて帰ろうとしたんだけと教室の戸締りしにきたら雨音くんが寝てたのを見つけたの!」

「そっか、ありがと。駅までだけど送るよ」


 委員長と駅まで行き別のホームへと悟は向かう。


「雨音くんって家そっち?」

「あぁ、ちょっとね」

「塾とか?」

「まぁそんな所、委員長、今日はありがとな」


 こんな事が言える事に少し驚いて手を振った。ホームに出るとすぐに電車が来たのでそれに乗り寝る事にした。

 ひと眠りすれば終点。

 こんな生活いつまで続けれるだろうかと目を瞑った。ただ確実に言える事は自分はこの行動で何か変わる事が出来ると思っていた。

 新しい明日が来るんじゃないかと思えた。


「起きてください。終点ですよぉ!」


 駅員に身体をゆすられ、目が醒めると終点。もう終点についたと分かるとすぐに覚醒する。これだけは身体が覚えているようだった。菜綱に会えるという事が細胞単位で喜んでいるのかもしれない。

 そうだとしたら……

 それはもう恋愛に近い。


「そんなわけないか」


 クスりと笑った。確かに菜綱は可愛いが恋愛対象というわけではなく妹のような感じだった。

 いつもより少しばかり早く小学校に向かう。この時間だとあるいは教師が残っているかもしれないと思った。

 小学校に行く途中、怪しげな少女と遭遇する事になる。年の頃は悟と同じくらいの長い黒髪が特徴的なその少女、手には小さな子供が書いたような地図を持っている。

 悟の直観がこの少女は菜綱と同じ臭いがすると告げていた。


「えっと君」

「な、何?」


 後ろ手に地図を隠す少女は突然悟に話しかけられて動揺しているようだった。綺麗な顔をこわばらせて悟の出方を待っている。


「君って、タイムマシンを探していたりする?」

「はぁ?」


 目を丸くして驚くその少女を見て悟は現実に戻ってくる。


(ですよねー。菜綱に俺が毒されたのが正しかったか)


 いきなり初対面の人にタイムマシンを探しているかと聞く事は、現在の科学水準では殆ど耳に出来ないだろう。


「何で分かったの?」

「いや、すみませ……へっ? マジで?」


 少女は下唇を噛むと恥ずかしそうな俯いて答えた。


「貴方もなの?」


 目の前の少女は菜綱とは全くタイプが違う。タイムマシンを探すという現実逃避が最近流行っているのか、悟は分けが分からなくなった。


「偶然、この近くを探索してたら小学校で穴掘ってる女の子に出会って、その子がタイムマシンを探しているって言ってるから成り行きで付き合ってる感じなんだ」

「女の子?」

「うん、何でも昔タイムマシンの有りかを誰かに教えてもらったとかで……」

「ちょっと、その子に会わせて!」


 いきなり詰め寄ってくる少女に悟は焦る。それに気がつくと少女はすぐに手を離した。顔が赤いので恥じているのだろうなとすぐに分かる。


「ごめんなさい。取り乱してしまったわ」

「いや、別にいいんだけどさ。もしかして君もそうなの?」


 静かに頷く少女に悟は言った。


「それって同じ人かもしれないけど、その人が口から出まかせ言ったなんて事はないかな? 君も小さい頃だんだろ? たまにオチのない嘘つく人いるじゃん」


 悟の意見は最もであった。二人の少女をここまで突き動かす程の嘘があるのか、よっぽどその人物の口が上手いのかはさだかではないが、こう考えるのが打倒である。

 少女は答える代わりに一枚の古い切符を見せた。


「何これ?」

「十年くらい前に、このタイムマシンの場所が記された地図と一緒に私がもらった物、日付を見てみて」


 悟は壊れ物を預かるようにそれを受け取ると日付を見る。それには驚くしかなかった。確かに今日、昨日の古さではないハズなのだが、それはここ数日の間に発行されたであろう回数チケット。


「私にこの切符を渡してくれた人はこれが必要になるからと言ってたわ、どういう事かは分からないけど、その人は未来の切符を持っていたの」


 この少女が嘘をついているにしても随分手が込んでいる。悟は目的が同じこの少女に一緒にタイムマシンを探さないかと切り出した。


「俺達、二人で探しているんだけど、全然手がかりとかなくて、良かったら一緒に探さない? 俺は雨音悟」


 そう言って手を差し出すと、少し躊躇して少女は手を握った。


菱野麗(ひしのれい)よ。貴方、本当にタイムマシンを信じてるの?」

「俺じゃなくて、俺の相棒がね」


 麗を連れて小学校へと向かう。やはり門のセキュリティは機能していなく、簡単に侵入する事が出来た。


「今時危ない小学校ね」

「最初は俺もそう思ったよ」


 旧校舎の方に向かうと懐中電灯の光が見える。それに麗は一瞬焦る表情を向けるが、悟が笑って見せると悟の仲間である事に安堵する。

 ヘッドライトをつけた少女菜綱。

 その顔はどこか機嫌が悪そうだった。


「よっ、菜綱!」


 手を振って悟が菜綱の所に行くと、菜綱は悟と麗を交互に見て言った。


「この人誰?」

「えっと、さっき偶然そこであった菱野麗さん、驚けよ? お前と同じでタイム……」

「悟の浮気者ぉ!」

 

  菜綱の叫びは響き渡った。

 誰か来てもおかしくないようなその大声に悟は慌てて菜綱の口を手で塞ぐ。


「馬鹿! 誰か来るだろうが」


 じたばたする菜綱を落ち着かせるが、菜綱はうーと威嚇する番犬のように麗を睨みつける。そんな様子に麗は笑った。


「ふふっ、あはははは! 面白いわね。菜綱ちゃん、久しぶりに心から笑えたわ。ありがとう。私は小さい頃にある女性にタイムマシンの地図を貰ったの」

「え?」


 麗が広げた古い紙にはマジックや色鉛筆を使った子供の書いたような絵があった。それはどうにかこの小学校がわかる道順と大雑把なタイムマシンの有りかが書かれたハッキリ言って何の役にも立ちそうにない代物。


「これ……本物?」


 しかし、菜綱はそれでもその地図に興味を示した。麗は菜綱がよく見えるようにそれを渡す。菜綱は受け取ると目を瞑る。


「どこだったけ、これ見た覚えがある」


 少しの間そう言って菜綱はうなっていたが結局思い出せずにその地図を麗に返した。しかし麗は受け取らない。


「もう穴があくくらい眺めたからその地図は私には必要ないわ。菜綱ちゃんが持ってるといいわ。お近づきの印」


 恥ずかしそうに菜綱は俯くとか細い声で礼を言った。


「ありがと」

「どういたしまして、ところで菜綱ちゃんの出会った人って、どんな人だった?」


 麗は見た目人を近づけないようなそんな女の子かと悟は思っていたが、そういうわけでもなく協調性が強いようだった。人懐っこいとも取れた。


「う~ん、ボクが出会った人は大人のお姉さんだったな。ボクの欲しい物を手に入れるにはタイムマシンを見つけるしかないって教えてくれた」

「そうなの? 私の会った人はもう少し子供っぽい人だったような気がするわ。雨音くんは出会ってないの?」


 突然話をふられたが、そもそも始めはタイムマシンを探しにここにきたわけじゃないので悟には分からない。


「うん、会ってないよ」


 それでも悟は彼女達が言うようにタイムマシンが何処かに本当にあるんじゃないかと思う心も半分くらいはあった。でなければあまりにも手が込んだ悪戯すぎる。彼女達がそれを仕組んでいるとは思えないし、彼女達が出会ったという人がこの今日の事を予想していたとするのならば、悪戯にしても凄すぎる。


「私や菜綱ちゃんが出会った人は未来から来た人達って事よね?」


 麗が真剣に言うので菜綱は何度も頷く。


「うん、そうだよ! 絶対未来人だ!」

「あの人は何しに私達の時代に来たのかしらね?」


 タイムマシンがある事を前提とした話が始まる。ここで余計な事を言って場を白けさせるのもつまらないので悟も少し考えてみた。未来の人がわざわざ過去に戻ってくる理由。

 それはあまりにも簡単すぎた。

 もし、タイムマシンがあれば悟がしたい事と一致した。


「過去に来てしたい事や、変えたい事があったんじゃない? とかかな? えっと、何? 俺、変な事言った?」


 悟の意見に対して、麗と菜綱が黙って見つめる。不味い事を言ってしまったのかと悟は少々焦っていたが、それは真逆だった。


「普通に考えればそうよね。悟は中々鋭いわね。未来人に会ってないから逆に客観的な視点になれるのかしら?」


 麗に褒められた。


「やるじゃん悟! 見直したぞ!」


 菜綱に見直された。


(いや、俺そもそも、お前に見下される要素ないし……まぁいいか)


「ここまで来ると、夢物語っぽいけど、その未来から来た人は二人に何か託したいんじゃないのかな? 君達にタイムマシンを見つけてもらってさ」


 我ながら、なんという途方もない話をしているのだろうと思ったが、二人はそれをも真剣に聞いてくれる。彼女達にとってのタイムマシンという物の存在は悟の想像を絶する物があった。しかし、もし悟がその未来人らしき人物と出会っていれば同じ事をしたであろう事は考えに容易い。

 菜綱はタイムマシンを見つければ欲しい物が手に入ると言われた。これはタイムマシンが無くとも成就する願い。

 ならばと悟は気になったものがあった。

 麗の願い。


「なぁ、菱野さんは」

「麗でいいわ」


 菜綱は妹のようなので下の名前で呼ぶ事に抵抗はなかったが、同い年、あるいは年上かもしれない麗の名前を呼ぶのは少し抵抗があったが、このタイムマシンを共に探す仲間として、恥ずかしさを割り切った。


「分かった。じゃあ改めて聞くよ? 麗はどうしてタイムマシンを探しているんだ?」


 率直な質問、麗とは出会ってまだ一時間程しか経っていないが、回りくどい話をするよりはこの方がいいだろうと何となく悟は察していた。


「率直ね。まぁ嫌いじゃないけどね。私がタイムマシンが欲しい理由は、私の人生を変える為よ。私の人生はこれまで一度として私の思うようにはならなかった」

「そうなの?」


 麗は恐らくは悟や菜綱より良い家で育っているだろうなと言う雰囲気が身体全体から漂っていた。服装もそうだが、立ち振る舞い、言動。同じ年代を同じ環境下で生きてきたわけではないだろうと、すぐに悟はそれ故とかと理解する。


「うん、物心ついた時には勉強する時間以外は習い事ばかり、別にそれは嫌いじゃなかったし、頑張れば褒めてもらえたしね。良い学校に行って、良い会社に勤めて、誰かと恋をして、結婚してとか考えていたの。でもね? 結婚する相手まで勝手に決められちゃってた。何処で私は失敗したんだろうってずっと思ってた」

「それって断れないの?」


 恐らくはそう簡単な事じゃないんだろうと悟は思っていたが、命を取られるわけでもないし、それは何とか出来る範囲の事だと思った。


「何度もそう言ったわ。でもそんな話誰も聞いてくれない。だから私は過去に行って、両親の操り人形だった愚かな私を正しい道に導きたいの」


 そう話麗の表情からは絶望を感じ取れた。これ以上悟が何か言えば口論に発展しそうな悪い空気になったが、それを菜綱は一瞬で変えた。


「麗!」


 菜綱が麗の頭を自分の胸に抱き寄せる。怖い顔をしていた麗の目が丸くなり、されるがままに菜綱にあやされる。


「な、菜綱ちゃん?」

「大丈夫。タイムマシンが見つかればきっとその願いは叶うよ。だから一緒に探そう」


 無邪気に笑う菜綱、ほんの少し前までは番犬のように威嚇していたのにもかかわらず麗が自分の仲間であると認識した後は今までずっと一緒にいた友達のように仲良く話していた。

 あまり役にはたちそうにない麗の持ってきた地図を元に旧校舎の探索を始める。スコップに曲げたハンガー、それらを見て麗が笑う。


「わりと原始的な方法で探してたのね。これ使ってみない? ここに来る前に買ってみたの」


 麗が持ってきた物は手で扱える大きさの金属探知機。初めて文明の力がこのタイムマシン探しに使われる事になる。


「凄いな。そんなの高いんじゃないのか?」


 麗は金色に輝くカードを見せた。


「多分ね。何も自分の好きにはさせてくれない両親だったけど、お金はわりと好きにさせてくれるから」


 だから買った。

 という事だろう。

 その道具を持ってきただけで、麗のタイムマシン探しの本気が感じれた。菜綱がダウジング、麗は金属探知機で地図の示す範囲、と言ってと殆ど旧校舎裏全体を探索。反応があったらそこを悟が掘るというものだった。悟は鞄からノートを出して、簡単な地図を書いた。今までに菜綱と掘った場所。それを二つ書くと二人に渡す。


「少しは範囲が狭めれると思う」


 それを受け取ると、麗と菜綱は笑った。


「ありがと」

「悟、やるじゃん」


 しかし、それを書いて同時に悟は感じた事があった。もし、その範囲全てを探索し終わったら、どうなるのか……


(その時が来るまで考えないようにするか)


 いずれこの心地よい戯れは終わる。

 そう遠くない未来に。

 それは口に出さないだけで菜綱だってわかっているだろうと悟は思った。

 それにしてもこの小学校は菜綱も麗も関係がない。なのにこの小学校の旧校舎裏にタイムマシンがあると言った人物がいる。菜綱と麗が出会った人物は話の流れから恐らく同一人物ではない。それらは菜綱と麗を出会わせようとしたんじゃないのかと悟は思った。

 何の為に?

 そんな事は部外者である悟の知る由はない。もしその未来人(仮)に誤算があるとしたらそれは悟の存在だろう。しかし、悟がここにいたからと言っても特に大きな変化はないだろう。

 そこまで妄想して悟は我に変える。


(あまりにも二人が信じすぎてるから俺も突拍子もない事考えちゃうな)


「悟! ここ、何か反応する」


 麗が手に持った金属探知機が光るので悟を呼ぶ。何か水道管でもあるのかと反応がある所を掘り進めると、大きな缶箱が現れた。


「何か出てきたね」


 悟の言葉に反応して菜綱が駆けてくる。


「タイムマシン見つかった?」

「これがタイムマシンに見えるか?」


 砂を払ってライトで照らす。


「おかき堂って書いてあるね」

「お煎餅の老舗ね」


 二人ともつまらなさそうにその箱を見るので悟は中を開けてみた。そこにはくだらない玩具と以前この小学校に通っていたであろう生徒達の将来の夢について書かれていた。面白そうなのでそれらをいくらか読む。子供ならではユニークな夢で一杯だった。だがこれを開けるべきは悟達ではない。


「いつか、本人達が見つけるかもしれないし、戻しておこうか?」


 悟の言葉に菜綱も麗も従った。タイムマシンは無かったがタイムカプセルが見つかった。それから菜綱の持ってきたオニギリを食べて休憩したり、探索を再開したりしている内に夜が明けてきた。


「もう朝か、菜綱はいいとして麗はこんな時間まで外にいて大丈夫なの?」

「両親は私が部屋でぐっすり眠っていると思ってるわ」

「えっ?」

「見た事ない? 部屋からするすると水道管を伝って降りてきたの。木登りは昔から得意だったからね」


 お嬢様という風格の麗は住む世界が違うと思っていたが妙な親近感がわく。


「結構不良だね」

「ふふ、それはお互い様でしょ?」

「かもね。じゃあそろそろ帰ろうか?」


 小学校から出ると並んで駅まで歩く、菜綱は欠伸をしながらふらふらと歩くので悟は菜綱を支えた。


「ほら菜綱、しっかり前見ないと危ないぞ?」

「……ん、ごめん」

「おぶってやろうか?」

「……大丈夫、自分で歩ける」


 そんな悟と菜綱の会話を聞いて麗は笑う。


「なんだか本当の兄妹みたいね」


 微笑ましいく麗には見えたんだろう。

 しかし、それは悟にとっての呪いの言葉だった。

 

「そんなんじゃないよ」


 どうにかこうにか夢の世界に落ちずに菜綱は駅にたどり着く。券売機で切符を買う悟と麗、菜綱は服をもぞもぞと動かして何かを探す。目は虚ろで、再び何かを探すと目を見開いて叫んだ。


「切符がないっ!」


 どうやら切符を無くしたらしい。何度も探すが見つかりそうにない。泣きそうな菜綱に悟は助け船を出す。


「しかたないな。切符買ってやるよ。何処までだ?」

「下久保……」

「遠いな!」


 悟は自分よりも離れた所に住んでいると思っていたが、菜綱の最寄り駅はここから優に二時間以上はかかる距離だった。さすがに今の手持ちでそこまでの運賃が足りない。


「麗、悪いけど少し金貸してくれないかな?」

「いいけど、下久保までならこの回数券で行けるんじゃない?」


 麗の見せる古ぼけた回数券、その乗車距離はまさに菜綱の降りる下久保までを示していた。なんという偶然かと思ったが、悟は思い出す。


「この回数券って……」

「あっ! お姉さんがこれを持って行けって言ってた……この日の為? お姉さんありがとう。はい、菜綱ちゃん」


 麗に渡された回数券を受け取り菜綱はぱっと笑顔になる。


「麗、ありがと! ボクが使ってる切符と同じだ」


 そう言うと先ほどまでのトロンとした表情ではなく、元気に跳び跳ねるように改札を通過していった。


「おーい! 悟と麗もはやくはやく!」


 小さい子のようにはしゃぐ菜綱に笑いながら悟達は後を追う。それに悟は聞いてみた。


「この日の為にあの回数券をくれたんだと思う?」

「信じがたいけどね」


 電車が来るまでの間、ホームのベンチに座る三人。菜綱は元気そうに足を振って電車を待つ。最初に話し出したのは麗だった。


「次はいつタイムマシン探しをするの?」

「見つかるまで」

「えっ? 毎日?」

「うん、毎日」


 それを聞いて麗は大口を開けて笑った。先ほどまでは我慢していたのか、本当に自然に笑っている麗。


「じゃあ毎日夜更かししないとダメなのね」

「別に毎回付き合わなくてもいいよ?」


 悟の言葉に麗は首を横に振る。


「嫌よ! こんな楽しい事、毎日でも参加するわ」

「よし! 僕たち三人は仲間だ!」


 一徹明けのハイテンションでそう叫ぶ菜綱におーと麗も手を上げる。元気な奴等だなと感心していると菜綱と麗が悟をがん見する。


(ノリが悪いってか……)


「お、おー!」


 悟も手を挙げてそう叫ぶと飽きるまで二人は誰も乗車客のいない電車で叫び続けていた。それも十分もすると菜綱が夢の世界に旅立つ。


「今日も俺が降りる駅までだからな?」

「ん」


 悟の肩を枕に眠る菜綱は曖昧な返事を返す。それを見て麗は菜綱のほっぺたを突っついた。


「さっきまであんなに元気だったのに、可愛い。で、二人は付き合ってるの?」

「面白い冗談だな」

「ふーん、結構お似合いだと思うけどな。ちょっと羨ましいくらいに」


 たははとその辺の女の子のように笑う麗、されど妙に影がある。先ほど言っていた婚約者の事を思い出したのだろう。


「そんなに嫌な奴なのか? その、婚約者?」

「ううん、優しいし、気遣いもできるし、勉強もスポーツも出来るし、女の子にもモテるみたいだよ。なんていうか完璧?」


 悟には想像がつかない。自分とは比べものにならないだろうし、比べれば相手に失礼だなと苦笑した。


「万々歳って感じだけどね」

「はたから見ればそうかもね。私もいろいろあるのよ。それにしても悟はどうしてタイムマシン探しを手伝おうとしてるの? 私も菜綱ちゃんもタイムマシンがあると言う根拠があるからこんな所まで来て探してるけど、悟にはないでしょ?」


 意外と痛い所をついてくる麗。麗も自分の話したくない事を話してくれたから言わざる負えないかと思った。

 それに彼女等になら自分の本当の気持ちを戸惑う事なく話す事が出来た。


「俺さ、母親と妹を事故で亡くしてるんだ。たぶん、俺のせいで」


 一瞬怪訝な表情をしたが、麗は黙って悟の言葉を待つ。菜綱に話そうと麗に話そうと過去が変わるわけじゃない。だがそれでも救われようとしているのかと悟は思った。


(本当に俺は最低だな)


「それがなければ家族はみんな笑って過ごせていて、俺も今頃進路に頭を悩ませていたかもしれないなって思った所、菜綱に出会った。最初はほんと暇つぶしのつもりだったよ。だけど菜綱と一緒にいると俺の罪が救われるような気がして、もし本当にタイムマシンがあるのなら、過去を修正したいと思った」



 悟の声は震えており、もう涙が出そうだと思ったが、それが流れない理由があった。麗がポロポロと涙を零して話を聞いているのである。


「どうして麗が泣くのさ?」


 少し可笑しくなってそう言うと麗はハンカチで涙を拭きながら答える。


「ら、らって……悟が泣かない……から、悲しいのにぃ……ひっく、泣かないから。堪えているのを見ると……わたしのほうがぁ……あぁ!」


(誰だ。麗が性格きつそうだと思ったのは、ボコボコにしてやる。って俺か)


 他人の事で平気で涙を流し、弱い所を見せる麗、信じられないくらい優しいんだなと悟は思い。泣き止まない麗の背中を軽く撫でた。


「うっく、ひっく、ごめん」

「いや、何かありがとう」


 麗が泣き止むと同時に悟が降りる駅に到着する所だった。悟の肩を枕にする菜綱を起こして悟は降りる事を伝える。


「あん? あぁ、またねぇ……」


 本当に大丈夫かと思いながら目を瞑って手を振る菜綱に悟も手を振り返す。扉が閉まり、電車が去っていく。その車内で菜綱は確実に眠っていた。


「ホント大丈夫かあいつ」

「大丈夫じゃない? ああ見えて、菜綱ちゃんはしっかりしてるから」


 突然悟の独り言に参加者が現れた。それは麗、一徹明けというのに元気そうな彼女に悟は疑問を投げかける。


「何故ここにいる?」

「えっ? 私?」


 頷く悟に麗はあたりまえじゃんかと笑顔を見せる。


「私の最寄駅ここだもん」


 なるほど、ならばしかたがない。


(ちょっと待てちょっと待て!)


「昨日、同じ時間に同じ電車に乗ったって事か?」

「うん、悟は凄い眠そうだったから座席にすわるやいなや小さないびきをかいてたから、私の事見る前に寝落ちしちゃったのかな」


 昨晩の事を思い返すが確かに睡眠時間を稼ぐ為に電車で寝落ちした。起きたら誰もいないし、麗は外を彷徨っていたので悟は彼女と同じ時間を共有していたとは思えなかった。


「そっか、同じ地域なんだ」

「うんうん、悟は家を何時に出れば学校間に合うの?」

「八時半くらいかな?」

「そうなんだ。家までは何分?」

「二十分くらいかな」

「じゃあちょっとお茶でもしていかない? 私こうやって誰かと外で遊んだ事ないんだよね。ましてや男の子と食事なんてありえない」


 それは本当なんだろうなと思えるくらい麗はわくわくしている様がうかがえた。それを断る理由もないので悟は頷いた。


「ほんと? やったー!」

「でもこんな時間何処も開いてないんじゃないか?」


 時間は六時を少し回ったくらい。


「ノープロブレム!」


 麗が指さすのはパン屋さん。確かに新聞屋、パン屋は早起き仕事の代名詞。麗の指さすパン屋はパンを買って店内でコーヒー等を頼むと食事スペースが使える。


(成程その手があったか)


 麗に手を引かれて店内に入る。トレイとパンばさみを持ってカチカチする麗、沢山のパンを見て目が回りそうになっていた。


「どうしよう悟。選べないよ」

「欲しい物だけ入れなよ」


 悟はサンドイッチとクロワッサンを入れる。朝食としては無難な所。麗は粉砂糖のかかったドーナッツにクイニアマンを選んだ。


「麗どうする? コーヒーでいい?」

「カフェオレで」


 気つけにいいかと悟はノンシュガーのアメリカンを貰った。フードコートでパンを食べる麗は嬉しそうに味わっていた。


「うん、こういう所で食べるパンは美味しいわねぇ」

「そうだな」


 学校の話なんかをしながら食事を楽しんでいる時に、悟の名前が背中から呼ばれる。こんな時間に気のせいかと振り向くとそこには委員長の姿があった。


「雨音くん?」

「委員長! こんな時間に何してんんだ?」

「朝食買いに来たら雨音くんがいたの、雨音くんこそ何してるの?」


 タイムマシンを探してましたと言えるわけもなく悟が黙っていると麗が答えた。


「はじめまして、悟の学友?」

「え、えぇ、雨音くんのクラスの委員長の水野優(みずのゆう)です」


(委員長ってそんな名前だったのか)


 我ながらクラスメイトに一切の興味がない自分に苦笑しながら二人の様子を黙って観察した。


「私は菱野麗、メーカーくらいは聞いた事あるわよね?」

「菱野って、あの? 菱野財閥の?」

「そうそう、悟とは昔からの仲で勉強教えてくれって泣きつかれたから朝方まで教えてあげて、お礼にここをご馳走になってるの、そろそろ私達も帰って学校行く準備があるから出よっか?」


 麗は強引にそう言ってパン屋を出る。悟は話の通りに朝食代を払うと委員長に手を振った。


「また後でな」

「う、うん」


 麗はパン屋を離れると大笑いし出した。


「あー、嘘つくってのもわりと面白いね」

「まぁでも助かったよ」

「タイムマシン探しの仲間の為だよ。別にお礼を言われる事じゃない。それに悟は少し面白いからね」


 麗はまだ笑いが収まらないようにクククと笑う。菜綱にしてもそうだが本当に喜怒哀楽が激しい女の子だと思った。


「俺が面白い?」

「うん、私も菜綱ちゃんも出会った未来人のお姉さんは君の事は一言も話してはいないんだ。君はもしかするとキーパーソンかもしれないし、ジョーカーかもしれないなって思ってね。なーんちゃって嘘嘘、また今度ね!」


 ようやく眠くなったのか欠伸をしながら麗は手を振って悟の前からいなくなった。悟がタイムマシンに関わりのない人間だったとしても悟は重要な人間ではないし、それを邪魔するような存在でもないだろうと悟は笑った。

 ふと自分の望みはなんだろうと考えた。

 妹と母親を助ける事、あの帽子を追いかけない事、そこで現実に戻る。


「そんな事、叶うわけないか」


 空は明るいのに、早くベットのぬくもりに身を投じたい思いで一杯で少し寒い早朝の街を家路に沿って歩いた。

 

 ★

 

 あまり長く生きられる事ができない者、それは持たざる者なんだろう。

 だからと言って指を咥えてそれを待っているというのは性に合わない。

 どうする? 考えに、考えた。


 私は走る事はできないし、飛ぶ事だってできない、綺麗な声で歌う事は……分からない。金子みすず氏の有名なフレーズの一つも持ってはいないけれど、私は一つだけ持っている物がある。

 未来人、そう名乗る人物が私に渡してくれた物。

 それは”○梅桃李”と書かれたノート。その中に記されている内容は幼い私が読んでも驚くべきものだった。

 タイムマシーンという物を使って未来を変えようという途方無く、馬鹿馬鹿しく、そして胸躍る内容なのだ。


「これはなんだい? 私へのあてつけかな?」

「そう思う?」


 さて、普通に考えれば、これほどまでに酷いジョークもないだろう。ただし、私はそのノートに書かれている内容を簡単に精査し、それが少しばかり信用における内容が記載されている事も理解した。


「これは誰が書いたものなんだい?」


 私の質問に未来人は缶コーヒーを飲みながら当然だろうという顔をしてこう言った。


「君がこれから得るであろう仲間達が書いたもの」

「それは実に面白いジョークだ」


 だけど、もしそれが本当なら何処かに行く事ができない私に私を救おうという仲間がいると言いたいのか?

 嗚呼、そうかそうか。


「君は病院関係者か、両親に頼まれたのかい?」


 私を子供だからと言ってみんなが結託してこんな事をしているというのが一番考えられる事だろうね。

 それは、いくらなんでも酷な事じゃあないだろうか? 私はそう思いこの未来人に問いただすと未来人はクスりと嗤った。

 やっぱりそうか……

 そう私が一人で完結しかけていた時、未来人は語った。


「そんな酷い事。君の主治医や両親がするわけないじゃない。君はその年齢にしては随分頭の良い子、ううん。良すぎる子だから、そんな期待を持たせるような事はしない」


 確かに、私が賢いかどうかはおいておいて、私はこういう子供だましを良しとはしない。

 それを主治医達も両親もよくわかっている。


「なら、仮称未来人、どういう嫌がらせなのか教えてもらっていいかい?」

「君を救う為の嫌がらせ。タイムマシンは本当にあるけれど、それ以降のルートが分からない、酷い話だ。未来人は君を救う方法が分からない。だから、恥を忍んで救うべき君に助力をお願いしにきたんだ」


 私は長い事病院という場所で育ってきたものだから、表情を読むという事に関しては自分自身それなりに上手い方だと自負している。

 この人物は、とても悲しい事を経験してきた。

 そしてこの話は何らかの比喩なのかもしれないが、嘘をついているようには思えない。


「いやいや、考えてもみて欲しい。私に何ができるんだい? この大きいけれど、世界規模で見れば狭い病院という場所の守り人であり、身体も緩やかに死に行こうとするわけだよ?」


 未来人は懐かしさを孕んだ目で私を見る。まさか、本当にこの仮称未来人の言っている事が事実なら、この人物はその私を助ける為の仲間だったんじゃないのか?


「ねぇ、聞いてもいいかな? あなたの本当の名前を教えてくれる?」


 私は自慢じゃないが、記憶力も大分いいハズだ。数年の後に私に関わってくる者達がいればそれと照合をと考えたが、仮称未来人は当然の返しを私にしてくるのだ。


「残念だけど、それを教えるわけにはいかない。それを行うと私の存在というものが非常に不安定になるんだ」


 よくあるタイムパラドックスというやつの話をしているんだろう。そして同時に、この人物は嘘つきで、嘘がばれる可能性という物を私は並行して考えていた。

 そこで私は仮称未来人を少し追い詰めてみる。


「確かに、このノートは私の事を指しているんだと思う。だけど、逆に言えばこんな物を作る事くらいはわりと容易にできるとおも思うの、だって私みたいな子供は探せば結構いるでしょ?」


 自虐かもしれないが、不幸という物はいつだって不公平にやってくるのだ。だから、私は自分だけがこんな目に逢っているだなんて思った事はないし、丈夫な体に産んであげれなくてごめんねと謝罪する両親達に対しても、生まれる際のイレギュラーは人間のあずかり知る部分ではないと諭した。

 確かに、日常生活において閉口する部分がないと言えば、嘘になる。

 健常者を羨ましいと思う部分だって当然あるけど……ないものねだりをしてどうにかなるお話じゃない事くらいは私も十二分に理解できる年齢なのだ。


「君は、本当に変わってるね。なら、こう言った方が速いかもしれない。信用できない部分が大半だろうし、こちらもそれを証明しうる事が出来ない。いや、実際は出来るんだけど、こちらとしてもまだやる事があるわけで、ここで消えるわけにはいかない」


 うん、いい言い訳であり、もしこの仮称未来人が本物であればその理屈もまかり通る。

 何故なら、決定している事象を変えようというのであれば生半可な仕掛けではどうする事もできないだろう。

 荒れ狂う川に気休め程度の防波堤を用意したとする。最初こそ、皮の流を二分する事ができたとしてもいずれ川の流れる力によって防波堤は破壊され、川の流れは以前と変わらない元の姿に戻るのだ。

 それをどうにかするには、じっくりと腰を据えて考え、どうすればいいのか、試行錯誤を繰り返してこの問題解決にあたらなくてはならない。恐らくだが、この仮称未来人としては、私に自分が未来人であるという事を信じてもらう事は進めて行くプラン上ではたいして重要なファクターではないのだろう。

 多分、この仮称未来人の目的は……私は未来人と出会ったという強烈な記憶を残す事。もし、この人物が私の事を知るような人物であった場合。私の性格を知っているのであれば、食い下がる必要はないのだ。


「仮称未来人。あなたは私をよく知っているね?」


 私の問いかけに仮称未来人はにっこりと笑って頷く。さて、私と話す時の仮称未来人はとても穏やかで、優しい表情を見せてくれるのだ。

 この人物は確かに私の事を知っている。これは間違いないだろう。そこでひねくれている私は未来人なんてありえない者でない場合。この人物は一体何者なのか?


「もしかして、ストーカー?」


 ストーカーという存在は、実のところ努力家じゃないかと私は思っていた。普通の精神を持つ人間では発狂しそうになるくらいの時間をリサーチに費やすのだ。大体が嫌われるか、怖がられるけれど、その努力にときめく男性や女性が出てくれば世界は少しだけ優しくなるかもしれない。


「さすがにそれは心外だな」


 そりゃそうだろう。あなた犯罪者ですか? と、ストレートに聞いてみたのだ。むしろ相手がストーカーであれば、私に興味を持ち、私の時間を潰し、自分の有限の時間を潰して相手になってくれるのであれば。邪険にはできない。

 私は普通の人よりも第三者に出会える機会というものが少ないのだから……


「まぁストーカーでもいいよ。今までの話が嘘なら嘘でも構わない。だから、私の話し相手にこれからもちょくちょくなってはくれないかな?」


 私の願や希望は病を治す事ではない。

 誰かとこうしておしゃべりをしたいだけなのだ。それもこの人物のように私と少しばかり意識の高い会話ができれば直よし。

 何かで私に興味を持ってくれたならそれでこの話は終了となるだろう。短い私の時間に私以外のだれかの隙間は一人分くらいなら開けておく準備はしてきた。

 なんせ、私の知識はあらゆる事に対して実践や実務が足りていないのだ。仮想下でしか、何もできない私だからこそ、対人での実践でディベートを楽しみたい。

 さぁ、ストーカー君。首を縦に振ればいい。それで君に私の時間を差し上げよう。

 仮称未来人は笑う。


「それはとても興味深い申し出だけど、申し訳ない。それは出来ない。あくまで君を救うために過去にやってきたんだ。先ほども言った通り、まだしなければいけない事がいくつかある。だから、君の話し相手になれるのは今日のこのひと時だけ」


 表情、しぐさ、言葉から感じる重み。そのどれをとってもこの人物は嘘をついているようには思えない。

 ならば……実にくだらない戯言に付き合う事にしよう。


「分かったよ。君の事を仮称未来人から、未来人に昇格する事にしよう。だから、もう一度私と出会ってくれるかい? 話してくれるかい?」


 未来人は笑った。そしてこう言った。


「そうだね。今のこの私は、その約束はできないけど、今後ここに訪れる私は君とのその約束を確実にはたしてくれる。それでいいかな?」


 さて、このディベートの勝者はどちらだろう? 嗚呼、期待をしてしまった私の負けか? なんだか今日は病院が少しだけにぎやかだった。

 誰か若者達が来ているようだ。

 

 ★


 『タイムマシンを探す事について(仮)』


 そう題名をつけたノートに桜はタイムマシンを探す事について真剣に考えてみた。まずタイムマシンは何処にあるのか? そう思えばそれを書き記す。


「タイムマシンを見つければ私の願いが叶う」


 私の願い……

 それを考えて桜は果たして自分の願いとは何だろうかと考えた。

 病気を治す事なのだろうが、タイムマシンなるものが見つかったとして自分の病気が治るのか?


「未来に行く?」


 それが自分の願い?


「それは違う」


 桜は長い事病院にいすぎた為、この生活が普通で、何をしたいという考えが著しく欠落していた。

 外に出たいとも思うが、それも許可さえ貰えれば出来ない事はない。有り難い事に中々会いに来れない両親は欲しい物は何でも用意してくれると言う。それは桜の時間があまりにも他の人よりも短いからだろう。


「なんだ。私は全て事足りてしまっているじゃないか」


 少し楽しいと感じるのは、ノートに向かって大人のような一人ごとを言う時間。紙とペン、そして言語というものは人間の生み出した尊い暇潰しツールだなと桜は頷く。

 桜は殆ど運動する事は出来ない。だからこのノートを埋める事が難しい。ネタがあまりにも少ないのである。


「しいていえば私の助手が欲しいな」


 ドンドンとノックが響く。


「桜ちゃん、ご飯よ」

「どうぞ」


 慌ててノートを隠すと、看護師のお姉さんがオムライスを持って来た。ケチャップが猫の絵となっている。桜はそんな物で喜ぶような感性は持ち合わせてはいなかったが、オムライスには罪がないし、好物だったので有り難く頂く事にする。


「ありがとう」

「そういえばノートには何か書けた」

「うん、少しだけど」

「見せて欲しいな」

「それはダメ」


 看護師は桜が拒絶すると少し困ったように笑った。桜の事は可愛いが桜が望まない事は極力そのようにしてやろうと病院側でもそう方針が決まっていた。


(ごめんなさいお姉さん)


「お姉さん、少しお外に行きたい」


 桜がそう言うと看護師は嬉しそうに車椅子を用意した。御姫様を扱うように桜を抱き起こすと優しく車椅子に乗せる。


「何処に行きたいの?」

「とりあえず外に」


 桜の車椅子をゆっくりと看護師は押す。カウンターが少し騒がしい。桜がそこに向かって欲しいと言うと桜に信じられない単語が飛び出してきた。


「タイムマシンを探して怪我したなんていくらなんでも嘘が下手過ぎるわよ」

「いやぁ、まぁ嘘じゃないんですが」


 受付の看護師と笑って話す少年、桜よりいくつも年上のようだった。そんな事はどうでも良かった桜の胸が高鳴る。


「お姉さん、あのお兄さんの所まで行って!」

「桜ちゃんどうしたの?」

「いいから早く!」


 慌てて看護しが少年の所にまで来る。少年は不思議そうに看護師と桜を見る。桜は高鳴る動悸を押さえて、精一杯大きな声で言った。


「私の、私の助手になって!」


-------------時は数時間遡る。


「痛ってぇ!」


 いつも通り、タイムマシン探しの途中でスコップを使おうとした時に悟の肩は悲鳴を上げ、同時に悟も悲鳴を上げた。

 スコップを地面に落として悟が蹲る。


「悟大丈夫?」

「悟ぅ!」


 麗と菜綱が心配して駆け寄るので弱々しく悟は笑って見せる。しかし、痛みを堪えているのが分かり逆効果だった。


「きゅ、救急車……」


 携帯を取り出して菜綱が言うので悟は首を横に振る。


「そんな事したらもうこのタイムマシン探しが出来なくなるだろ?」

「でも悟がぁ……」

「俺は大丈夫だから、ほら……痛って」


 完全に左腕が上がらない悟に麗は座るように促した。そして悟の服を脱がそうとする。


「ちょ、何するんだよ」

「一応私、医大を受験するの、骨が折れてないかくらいは確認出来るわ。脱いで」


 麗の言葉には説得力があり、悟は制服とシャツを脱いで背中を見せた。それを麗の柔らかい指がつたう。


「筋を痛めたのかしら? 骨は大丈夫だと思うけど、いずれにしても今日はもうダメね。明日病院に行ってちゃんと診て貰う事。分かった?」


 麗がそう言うので悟は従う事にした。その日の夜は長かった。麗と菜綱が二人でタイムマシンを探すのをぼーっと見るだけ、眠たくもなってくる。彼女等はタイムマシンを見つける為の資格のようなものを持っているがそれは自分にはない。


(俺がここにいるのは本当はありえない未来なのかな?)


 だから怪我をした。

 ここから消える為に……歴史を変える事が出来ないというのは相場だ。変えたとしても、どうにかして歴史は勝手に修正を始める。例えば今なら、ここに悟がいなかったという未来にする為に怪我をさせたり、あるいは事故で殺したりしてでも悟を排除する。


(もしそうならそれでもいいけどな)


 もしそれを二人に言おうもんなら、激怒するだろうと、悟もタイムマシンを探す仲間だと、そう言ってくれるだろう。


「タイムマシンが見つかったら、俺達どうなるんだろう」


 ふと思った独り言。


「そんなの決まってるじゃん。みんなの願いが叶うんだよ」

「今更何言ってるの?」


(あっ、聞かれた)


「いや、タイムマシンが見つかってみんなの願いが叶ったとして、俺達みんな離ればなれになるのかなって思ってさ」


 それを聞くと、菜綱が下唇を噛む。


「見つかってもまたみんなで集まるんじゃないの?」


 菜綱の願い。

 友達が欲しい。

 それはある意味叶っている。逆にタイムマシンが見つかれば皆バラバラになりその願いが終わるかもしれない。目的と結果が変わるかもしれない。

 それに菜綱は気がついた。

 しかし、その空気を変えたのは麗だった。


「見つかったら見つかったで、またみんなで集まればいいじゃない。タイムマシンの会みたいなの作ってさ。なんかネーミングださいわね。もうちょっとマシなのないかしら?」


 麗の話に菜綱の瞳が大きくなる。


「うんうん、そうしよう。何がいいかな? 悟は思い浮かぶ物ある?」

「ないな」


 そう言う悟に麗はこう言った。


「じゃあ悟は怪我を治す事と何か良いネーミングを考える事を今度の宿題にします!」

「宿題って……」


 その日は長い夜を話をするだけで明かした。二人と別れて悟は家に入ると父親が戻っている事に気がついた。珍しい事もあるもんだと思っていたが、父親が悟の帰宅に気がつく。


「何処に行ってたんだ?」


 父親との久しぶりの会話。


「何だろ? 肉体労働?」

「アルバイトか?」

「まぁそんな所かな。つつぅ」

「怪我したのか?」

「まぁね。後で病院に行ってくるよ」

「そうか、お前に話しておきたい事があるんだがな」

「何? 新しい恋人とかの話?」


 牛乳を飲みながらそう言うと父親は少し驚いたような表情を見せる。

 図星かと思うと悟は牛乳パックを冷蔵庫に戻して言った。


「別にそんなに驚かなくてもいいよ。夜帰って来ないし、だいたい察してはいるつもりだった。俺は否定しないよ。父さんの人生だからさ」

「そうか……今度会わせたいんだが」


(父さんも前に進もうとしてたのかもな)


 ここで拒否するのは男として恥ずかしい。父親と対等である為に悟が言う事はこれが一番だろう。


「考えておくよ」

「そうか」


 悟がシャワーを浴びているとジャージャーと料理をする音が聞こえる。昔はよく父親が料理をしていた姿を見た事があった。それなりに、その姿に憧れを抱いていた時代が悟にもあった。


(親父、嬉しかったのかな?)


 悟がシャワーから上がる頃にはもう父親の姿は無かった。もう会社に行ったのか、その恋人という人にそれを伝えに行ったのかは定かではない。悟は病院に行くのに学校に電話をして遅れる事を伝えた。病院が開くまでの間、父親が作った料理を食べてベットで横になった。二時間程だったが、アラームに起こされて適当に選んだ大きな大学病院に行く。

 そして受付の看護師に症状を伝えた。


「穴掘ってたら肩を痛めちゃって」

「何で穴なんて掘ってたんですか?」

「いやぁ、タイムマシンを探してまして」

「タイムマシンを探して怪我したなんでいくらなんでも嘘が下手過ぎるわよ」

「いやぁ、まぁ嘘じゃないんですが」


 そりゃ誰も信じてくれないだろうなと思いながら受付を終えた時、見知らぬ少女が悟の前に立っていた。


「私の助手になって」


 また変な子が現れたなと思ったが、悟にも心当たりがあった。この少女もまたその未来人という人物に出会った一人なんじゃないのかと……


「君もタイムマシンを探しているの?」


 そう聞くと、少女は静かに頷いた。


「私の病室に来て」


 悟は簡単な検査と湿布を貰うと、約束した少女の病室を訪ねる事にした。ノックして入室。広い病室。空の近い個室。小さな少女にはこの無意味な広さはなんだか物悲しくも思えた。


「きてくれたんだね?」


 嬉しそうに悟を待っていた少女に悟は近寄ると頭を撫でた。


「寝癖」

「むぅ」


 少し不満そうにしていた少女は自己紹介を始める。


「私は桜、小林桜(こばやしさくら)

「俺は雨音悟」

「悟、私の助手になって! タイムマシンを見つけたいんだ」


(いきなり呼び捨てか……まぁいいけど)


 そう言って桜は悟にノートを差し出した。


「タイムマシンの見つけ方? 桜はもしかして誰かにタイムマシンがあるって言われた事があるの?」


 悟の言葉に桜は小さく頷く。


「悟も会った事があるの?」

「いや、俺はないんだ」


 少し、ガッカリしたような表情をするが悟の言葉にその気持は払拭される。


「俺の知り合いが二人、未来人じゃないかって人と会った事があるって聞いてたんだ。それで俺達は今タイムマシンを探してる。願いを叶える為に」

「願いを?」

「あぁ、願が叶うって言われたらしいんだ。桜ちゃんも叶えたい願が? あっ、病気を治すとかかな?」


 悟の言葉に桜は少し困ったような顔を見せてこう言った。


「病気は多分治らないよ。そういう病気なんだ。もう時間もないってこの前先生とお母さんが話しているのを聞いた」


 他人事のようにそう言って桜は笑う。


「だから、せめて私が生きていた証を残そうと思ってこのノートを書き始めたの。タイムマシンを探す。馬鹿馬鹿しいけど、これが私の生きた証、もし本当にタイムマシンが見つかれば、私の見れなかった世界を見てみたいなと思うよ」


(この子、こんな年で生きるのを諦めてる……)


 達観した態度は諦め、普通の楽しみを求めずに自分が生きていた事を証明しようとする桜に悟は言った。


「助手になってもいいよ」

「ホント?」


 年相応の喜び方をする桜に悟は頷く。そして悟は交換条件を出した。


「その代わり俺の言う事を一つ聞くこと」

「なんで助手の言う事聞かないといけないんだ?」

「それが条件だ」


 桜は恥ずかしそうに俯くとか細い声で言った。


「え、えっちな事か?」

「違うわ!」


 おもわず桜の頭をはたいて悟は笑った。

 

「生きた証を残すじゃなくて、生きる為にタイムマシンを探すんだ! いいな? これからまだどうなるか分からない。生きる為に出来る限りもがこう」

「そんなの無駄だよ」

「無駄じゃないよ。まだ桜は死んでない。死んだらもう何も出来ないんだ! まだ何でも出来る」

「悟?」

「……ごめん、俺家族を事故で亡くしててさ、それでちょっと熱くなっちゃった。ほんとごめん。桜だってすっげぇ大変なのに」


 桜に頭を下げる悟に桜は大きな声で言った。


「だめだ! 悟が正しい。だから謝らないで、じゃないと私は惨めだ。私の方こそ、自分だけが不幸だと心の何処かで思ってた。病気よりも怪我よりも痛い事があるんだな。悟、私は生きるよ。もがいてもがいて、どれだけ醜い最期だったとしても、生きる事を諦めない。だから私の助手になって」


 悟は桜の頭にポンと手を乗せると頷いた。


「喜んで、助手になるよ」

「えへへ、何かいいねこういうの」

「ん?」

「私の世界が動き出したみたい」


 そう言って桜はノートの題名に斜線を入れた。そして『生き延びる為にタイムマシンを探す軌跡』と書き直した。


「えらく難しい言葉を知っているんだな?」


 見たところ桜は小学生かよくても中学生と言った所、菜綱よりも幼いのに時折悟や麗よりも難しい言葉を使う。


「悟、人を見た目で判断してはいけないよ? 私は年こそ君よりも下だけど読んできた書物の量は恐らく君の数倍はある」


(成程、勉強家なんだな)


 世の中には逆立ちしたって役に立たないような人間がわんさかいるのに、こうやって賢い人間の時間が短いというのは理不尽だなと悟は思う。


「さて、さっそくだけど悟にタイムマシンについて教えてほしい事があるんだ」

「何でも聞いていいよ」


 桜はタイムマシンの場所、麗と菜綱が会ったという未来人について、悟が初めて菜綱にあった時の事を細かく記載していく。時折考え、それらを頭に浮かんだ文字へと変換していく。


「悟、君はこのタイムマシン探しの重要なポイントなのかもしれないな」

「えっ?」


 その考えは無かったと思った悟に桜は簡単な図を書いて説明した。一見タイムマシンとは何の関与もない悟だが、未来人に出会った人達を全て結びつけている。


「そういえばそうだな」

「よって解意は示されたんだよ。君は私とその君の仲間を合わせる橋渡し役。もしかするとそれはずっと前から決まっていたのかもしれない」


 考えすぎだろうと思ったが、桜は自信満々な顔を向けるので別にそれでもいいかと悟は思った。少しでも生きる活力になるのであれば、偶然だろうと何だろうと味方にしようと……


「桜に一つお願いをしていいかな?」

「お願い?」

「うん、タイムマシンを見つける俺達の何か呼称を考えてほしいんだ。タイムマシン探索隊とかさ」

「悟……」

「どうした」

「君はネーミングセンスがないね」

「ほっとけよ!」


 しばらく笑い、時計を見ると昼過ぎを指していた。さすがに学校に行かないとまずいのでそれを桜に伝え病室を後にする。

 部屋を出る時に桜に呼び止められた。


「悟」

「ん?」

「私に出会ってくれてありがとう」

「これからもっと面白い奴等を連れてきてやる」

「期待してるよ」


 手を振って桜と別れると、悟はすぐさま学校に向かった。バスの中で睡眠時間を稼ぎ、電車に乗って学校に行く。学校についた時は昼食が終わった五限の途中からだった。誰かにノートを借りればいいかと腕を枕に夢の世界に旅立つ……。

 ここは夢だなと悟は瞬時に理解できた。夢は本当に摩訶不思議な事が起きてもそれが夢だと気づかないの大半だが決定的に現実ではないと思えたのが悟の前には母親と妹の姿があった事。

 特に会話をするわけでもなく、笑いかけてくれる二人、悟は懐かしさと心地よさを感じながら、彼女等に言った。


「タイムマシンが見つかれば、本当にもう一度会えるかもしれないよ」


 母親か妹が何か言ってくれる前に、悟は現実世界に戻ってくる。

 そこは当たり前のように自分の教室の机、粘土のような古い何かの香りがする。目覚めて時計を確認するともう十八時を回っていた。授業はとうの昔に終わり、ホームルームも過ぎた後。


(さすがに誰か起こしてくれよ……)


 時間を随分潰す事が出来たのでよいかと思って欠伸をすると悟の視界の前に委員長の姿があった。


「うわっ!」

「うわっとは何よ。雨音くんが起きるの待ってたんだからね」


 少し恥ずかしそうにもじもじとそう言う委員長はわりと可愛いなと悟は思った。そしてすぐに一つの疑問が生まれる。

 何故委員長は起こしもせずに自分を待っていたのか? それは本人に直接聞くのが一番手っ取り早い。


「どうして起こさずに俺を待ってたの?」

「先生が雨音くんは勉強で疲れているから放っておいてやれって言ったから起こさなかったのよ。じゃなかったらとっくに起こしてるんだから!」


 人差し指をピンと立ててそう言う委員長に悟は礼を言った。「待っててくれてありがとう」 そう言うと委員長は俯いて「うん」と小さく返した。


「でも俺なんか先生の言う通り放って帰ってくれてよかったんだぜ?」


 特に何も入ってない鞄を出すと、それを背負う。委員長は顔を真っ赤にして悟に言った。


「あの、この前の朝一緒にいた人……」


 最初悟は何を言ってるのかと思ったが、タイムマシン探しの後に麗とお茶をしにパン屋のモーニングを食べていた時と思い出す。


「あぁ、麗か」

「うん、その菱野さんって前からの知り合い?」

「いや、とある理由で顔なじみにになったというか、まだわりと新しい友達だよ」

「そうなんだ。勉強ってどちらかの家でしてるの?」

「あぁ、うんそうだよ」


 ここまで積極的に聞いてくる委員長が珍しく、ふと悟に一つの考えが生まれた。


(もしかして、意識してるのか? いやぁないだろ!)


「なんで委員長はそんな事聞くんだ?」


 そう言うと委員長は据わった目で悟を見つめる。


「えっ、何?」


 委員長が重い口を開く。


「最近の雨音くん、凄い明るいから……私がどれだけ言っても持って来てくれなかった進路希望表もその時期に提出してくれたし、最初は私の言った事を聞いてくれたんだと思ってたけど、そうじゃないって今朝気づいたの。私って委員長失格かな?」


 まさかそんな風に思い詰めていたとは悟には思いもしなかった。タイムマシン探しを始めるまでは何にも興味を示さなかったので何も考えいなかったが、それが実際は委員長を傷つけていたと知った。


(俺は馬鹿だな)


「ごめんな委員長、そういうつもりは無かったんだけど」

「ううん、大丈夫。ところで二人って付き合ってるの?」


 唐突にそう聞く委員長に悟は笑う。


「面白い冗談だ」


 麗にも同じ事を言ったなと思い出す。


「何だか凄く仲よさそうに見えた」

「そうかな?」


 麗のような綺麗な女の子と恋人に見えると言われれば、そんな気がない悟といえどもそれなりに嬉しくもあり、誇らしかった。何故、誇らしいのかは分からない。


「うん、何だか恋人じゃなくて、兄妹とか家族みたいな? そんな雰囲気がした」


 そして一転して悟はさらに笑う。


「なんだよそれ」


 勝手に舞い上がって、勝手にガッカリする。只一つ言える事はクラスメイトの委員長と話してもタイムマシンを探している少女達と話すように楽しかった。それを今の今まで悟は勝手に壁を作って拒否していた。


(勿体ないゴーストが出るな)


「雨音くん、私も勉強会参加していいかな?」


 勉強会なんて残念ながら行われてはいない。行われているのはタイムマシン探し。それに委員長を誘えばどうなるかわかりきっている。

 即刻中止、あるいは小学校と各学校に報告されて二度とタイムマシン探しが出来なくなる。残念ながら断るのが吉だろうと悟は思った。


「ごめん、結構遅い時間までしてるし、出来れば委員長には迷惑かけたくないんだ」 


 最後は本当の意味でだった。そこまでしつこくしてくるタイプじゃないだろうと思っていたが、案の定すぐに引いてくれた。


「そっか、私の入る余地無しなんだ」

「ごめん。今度何か埋め合わせをするよ」


(これって何か変だな)


「何それ、彼氏みたい。あはははは」

「そういうつもりじゃ……」

「分かってる。でも私、雨音くんの事嫌いじゃないよ」

「へ?」

「何だか他の男の子と違う感じがする。どう表現したらいいのか分からないんだけど、普通じゃないのかな? 何だろ? 異世界から来た。みたいな?」

「それだけ俺が変人って事か」


 それに笑い合う。


「じゃあそろそろ帰ろうか?」

「うん」


 二人で駅まで歩く、普段はしたことのない学校の会話で盛り上がり、ホームで別れる。


「じゃあ俺こっちだから」

「菱野さんの所?」

「うん」


 まだ十九時前、普段より少し早い時間となるので何処かで時間でも潰そうかと車内で目を瞑る。睡眠時間をちょこちょこ稼ぐここ最近。


(その内身体壊しそう)


 そんな事を考えながら、段々と意識が遠のいて行く。この瞬間の心地よさに勝るものはあるのだろうかと悟は思った。

 耳が終点のアナウンスを捉えて機械的に起床。ある種の職業病のようなこの習慣、されど心は躍る。

 菜綱に、麗に会えると身体と心全体が喜んでいる。

 所詮は人は一人では生きてはいけないという事に悟は安堵する。あと一時間くらいしないと菜綱ですら来ないかと思ってよく夜食を買いに行くコンビニに立ち寄った。

 

  お菓子や飲み物でも買って、立ち読みして時間を潰す。

 普段殆ど読まない週刊雑誌の漫画を何冊か読み終えた時、二十二時を時計が指したので会計を済ませて小学校に向かった。それでも一時間は早く普段よりたどり着く。


「さすがに菜綱もいないか……」

「おーい! 悟ぅ」


 丁度菜綱も小学校に到着したようだった。こんな時間に毎回来ては一人で探していたのかと悟は感心する。


「今日は悟はやいなぁ!」

「ちょっといろいろあってな。さっそく探すか?」

「うん!」


 菜綱と麗に渡した探索済の地図を見ながら、まだ探していない場所をピックアップする。わりと広い旧校舎裏だが、ほぼ毎日探索しているので、残すところあと数か所となってた。

 二か所目を終えた所で麗が到着する。


「どう見つかった?」

「見つかったように見えるか?」


 くだらない掛け合いをして麗が金属探知機を用意する。三人集まった所で悟は一旦探索を止めて二人に桜の話をした。

 三人目の未来人と出会った少女の登場に菜綱と麗は興奮する。探索も全く前進しない所でこの話は吉報も吉報だった。


「じゃあ今度その子も来てもらう? でも病気なのよね? 私たちから会いに行きましょうか?」


 麗に提案に菜綱も賛成する。

 そうなってほしかった悟は安堵する。


「ありがとう二人とも、じゃあもう一探しするか!」

「それより悟の肩は大丈夫なの?」 


 悟はすっかりその事を忘れていた。思い出すと違和感を訴える肩、そしてじんわりと痛みが走る。


「いってぇえ!」


 菜綱と麗がその様子を見て笑う。


「ちょっと大丈夫?」


 麗が悟の肩をさする。


「あんま笑うなよ」

「ごめんなさい。でも今まで気づかなかったなんて鈍感にも程があるじゃない」

「うるさいなぁ。まぁとりあえず今日はこれでも喰って、色々桜に教えてやる事でもまとめない?」


 悟はコンビニで買っていたお菓子を二人に見せる。


「いいねー、悟やるじゃん!」


 菜綱がスナック菓子の袋を破いて食べ出し、それを麗にも菜綱は差し出した。


「はい、麗も」

「ありがと」


 2Lのペットボトルに入ったミルクティも買っていたが、それを取り出して麗が少し考える。そしてそれを悟に見せるようにして言った。


「これどうやって飲むの?」

「えっ? そりゃ蓋あけて……あっ」


 悟は普段、一人で生活している時の気分で買ったので紙コップを用意するという事を完全に忘れていた。


「俺やらかしたなぁ」


 そう言う悟に菜綱が助け船を出す。


「別に回し飲みすればいいじゃん」


 麗はミルクティ、菜綱、悟、そしてミルクティと見て頷く。


「それもそうね」


(あ、いいんだ)


 麗はお嬢様何でそういう事には少し厳しいのかと思っていたが、そういうわけでは無かった。むしろ、こういう友達同士のなれ合いみたいな事に慣れていないようだった。


「ぷはぁー」


 菜綱がペットボトルの口からミルクティを飲むとそれを麗に渡す。


「はい!」

「ありがとう」


 ペットボトルの口を見て麗はそれに口をつけて飲む。こくりと動く喉が妙に色っぽい。そんな風に見つめていると、麗は口を拭いてペットボトルを悟に差し出した。


「さんきゅー」


 キャップを外して悟もそれを飲む。力仕事の後には甘い物は五臓六腑に染み渡るようだった。身体が栄養補給に喜ぶ。


「うまいなぁ」

「悟、間接キスだ!」


 菜綱がそう言うので、悟もハッと気づく。麗を見るとカァっと麗は赤くなって叫んだ。


「もう! 菜綱ちゃん何言ってるのよぉ!」


 それからその日は一日菜綱がその話題で麗と悟をからかっていた。それに麗が怒ったり、笑ったり、いつもと少し違った過ごし方だった。


「はぁ、笑った笑った。そういえば桜ちゃんに会いに行くのは明日の土曜日で二人とも大丈夫?」

「うん」

「おっけー」


 麗がそう決め、悟と麗の乗車する駅で待ち合わせる事で話が決まった。そこでその日のタイムマシン探索は終了。

 頃合いもよく始発に乗る為に駅に向かう。三人以外にもう一人、始発に乗る為につけてきている人物がいる事を誰も知らない。

 また明日と別れる三人。 



 ★



 桜の入院する病院に行く為に悟と麗は菜綱の到着を待っていた。タイムマシン探索以外で活動するのはこれが初めて、麗は落ち着いた感じのワンピースを着てお見舞いの花束を持っていた。


「麗は用意がいいね。俺も後でなんか買ってやろ」

「こんな花を貰っても病気は治らないけど、気が少しでも紛れればってね」


 桜とは悟も一度しか会った事はないが、花を貰ったら喜ぶような気がした。妙に達観している桜は花を見つめて日々を過ごす事も多そうだと勝手に想像。


「おーい、ごめん! 待った?」


 大きなリュックを背負った菜綱が駆けてくる。今から登山にでも行くのかという菜綱の荷物に悟は呆れてリュックを開けた。


「何持ってきたんだ?」


 中には大量のお菓子、そしてトランプなんかのゲームの類が入っていた。菜綱なりのお見舞いを考えた用意なんだろう。


「旅行でも行くのかって量だな?」

「食べ物の制限はないならお菓子を沢山置いて行ってあげようかなって思ってね。僕頭いいでしょ?」


 てへっと笑う菜綱のリュックを無言で悟は持つ。


「いやいいよ重いよ?」

「ならなおさらだろ」

「悟、やっさしぃー」


 悟はよくこんな大量の荷物をリュックに入れて持ってきたなと感心していた。それ程にそのリュックは重かった。大学病院に向かう途中で悟はフルーツの盛り合わせを買った。なんだかんだでお見舞いと言えばこれだろうという先入観。

 我ながら普通すぎると一人で笑う。

 病院につくと受付に面会は大丈夫か確認し、問題ない事を聞くと桜の病室に向かった。

 コンコンとノックをして悟達は桜の病室に入った。


「桜、入るよ?」

「悟か! 来てくれたんだな」


 ペタペタとスリッパの足音をさせて桜が悟に抱き着く。それを悟は優しく抱えて言う。


「寝てないとダメじゃないのか?」

「大丈夫だよ。むしろ寝るばっかりじゃ別の病気になっちゃいそうだよ。私はこうやって歩く事だって出来るのに車椅子なんか使わせるんだよ?」


 確かに悟が初めてであった時も桜は車椅子に座っていた。今こうしてみる桜はどう見ても健常者のように見えるが、彼女の身体の内部では今なお進行形で病魔が育っているのかと思うと切なくなった。


「ところで悟、後ろの二人は誰だい?」


 桜と目が合うと菜綱は手を振り、麗は優しく微笑んだ。それに桜は顔を隠すと呟く。


「もしかして、タイムマシンを探す仲間という連中か?」

「そうだよ。菜綱と麗、桜の話をしたら是非会いたいって言ってくれたんだ」


 顔をぴょこりと出して桜は二人を見直す。


「そ、そうか、ゆっくりしていってくれ。何もないところだけど、あっお茶! お茶くらいなら……」


 桜は二人の知らない人に緊張して呂律が回らなくなってきていた。それに悟は助け舟を出す。


「いいよいいよ。俺がやるから」

「すまんな悟」

「俺は桜の助手だからな」


 そう言うと桜は嬉しそうな表情を見せる。そして少し恥ずかしそうにノートを持ってきた。そこには何かを書いた所に斜線を入れた後が沢山あった。


「中々ネーミングが決まらなくて」


 悟に言われた事を一生懸命考えている桜に悟は妙に愛おしくなった。


「何か選べそうなのはある?」


 そう言うと桜は何か言いたそうに黙る。

 そんな仕草にも悟は父性愛が目覚めたのか可愛いと思う。


「あるんだ?」


 悟と目が合うと桜はコクンと頷く。それに菜綱が飛びついた。


「どんなどんな? ボクにだけ教えてよ!」


 一瞬驚いた桜だったが、毒気のない菜綱の耳に囁いた。


「いいじゃん! ボクも何か考える」

「うん! えっと菜綱……ちゃん?」

「うんうん、桜ちゃん! でも桜の名前が入ったネーミングか……あっ! ごめん! 内緒だったのに」


 わずか数秒で桜と菜綱の内緒話は終わった。それに桜は笑い。菜綱も一緒に笑った。


「桜を名前に入れるのね? 私もいいと思うわよ」


 麗にそう言われて桜は照れる。


「うむ、私は皆程長くは生きられないだろ? だから、せめてみんなといた事を、私もタイムマシン探しのメンバーだった事を覚えていて欲しいんだ。私の名前が入っていればみんな覚えていてくれると思ったんだ」

「コラ! 桜、生きる為にお前はタイムマシンを探すんだ。だからそんな事は言うなよ」


 菜綱が桜の手を取るとニッコリと笑う。


「絶対にタイムマシンを見つけて桜ちゃんの病気を治すよ」


 それに桜は頷く。

 諦めではなく、確かに希望を持った瞳。それに悟は嬉しくて思った事を口にした。


「何かこの四人をイメージした名前がいいな。桜という文字を入れてさ、何かないかな?」


 しばし皆で考えた後、麗が自分のスマートフォンで検索し、それをみんな見せた。


「凄くいい言葉が見つかったけど」


 そこに書かれている言葉は四字熟語だった。それぞれ綺麗な花と実を咲かせ、それぞれがいいという意味。


「これいいね」


 菜綱が言い。

 悟も賛成だった。

 もちろん桜も気に入ったのか、ノートにその四字熟語を書いた。だが、最初の一文字を黒い○を書き塗りつぶすす。


「どうして書かないの?」

「私の病気が治った時に埋めたいんだ」


 その桜の瞳は希望に満ち溢れていた。まさにその言葉に相応しい桜。何が何でも埋めなければならない。

 その為にはタイムマシンを見つけなければならない。悟も菜綱も麗も皆同じ事を考えていた。面会時間のギリギリまで四人はどうやってタイムマシンを探すかという打ち合わせをした。菜綱の持ってきたお菓子をつまみながら楽しくそして、もう誰もタイムマシンなんてないなんて思ってはいなかった。


「もう時間だね」


 それは桜が切り出した。本当はもっとみんなと一緒にいたかったが、ワガママを言って自分の願を通す程桜は子供でもなかった。

 だが、どうしても言いたい事があった。


「私もタイムマシン探しに行きたいな」


 悟達は顔を見合わせる。是非とも桜を連れて行きたいが、悟達が集まるのは深夜から早朝にかけてである。病気の桜には身体への負担が大きすぎる。


「桜ちゃん」


 麗はさながら王子のように桜の目線に合わせるように腰を折って言った。


「うん、一緒に探そう。でも桜ちゃんに手伝ってもらうのは、タイムマシンを見つけた時、一緒にタイムマシンを見る時だよ。それまではこのノートを沢山埋めて欲しいんの」

「うん」


 菜綱は帰り際に桜にはぐすると別れを惜しむように手を振った。駅まで行くと菜綱を見送った。


「じゃあね! 後で旧校舎で!」


 元気よく手を振る菜綱に悟も負けじと大声で返した。


「おう! 遅れんなよ!」


 最寄の駅が同じ麗と肩を並べて歩く。先に口を開いたの麗だった。


「あのさ悟」

「ん?」

「もしかするとさ、私たちがタイムマシンを探しているのは、桜ちゃんを助ける為なんじゃないかな?」

「そうかもね」


 今となっては合点が行く事が多すぎる。未来人という人がいるならば、何かの理由で桜を助けようとしている人なのかもしれない。

 そう悟は思えてならない。


「誰かの掌の上で踊っているとしたらそれは少し不愉快だなって思ったんだけど、それが桜ちゃんの為なんだったら私、嬉しいかも」


 悟は自分達がタイムマシンを探しているのが桜を救う為だとして未来人は何故、自ら名乗り出て桜を助けないのか?

 そんな疑問が一つ生まれた。

 そしてもう一つ。


「タイムマシンが見つかったとしてそれで桜を助ける事が出来るのかな?」


 麗は少し考えて言った。


「未来のテクノロジーで、病気を治すとか?」


 だとすれば、桜をタイムマシンに乗せなければならない。

 そこで三つ目の疑問。

それは麗にも容易に想像がついた。

 タイムマシンで未来に行ったとして、戻って来れるのか?


「悟、同じ事考えていると思う。だけど、多分大丈夫よ。未来人のお姉さんは願が叶うって言ってたから」


 麗と悟の違いは未来人に会ったか、会っていないか。よほどの奇跡でも見せられたのか、そう言い切る麗に悟は頷いた。


「うん、そうだね。悩んでもしかたがないし、一度家に帰ろうか?」

「そうね」


 大きな十字路で麗に手を振ると悟は家路に向かった。どうせいない父親を考えると再びUターンし駅に戻った。

 その時だった。


「雨音くん」


 そこにいたのは委員長、心なしか少しムッとしている。悟は委員長にこんな態度を取られるのが妙にズキりと胸に響いた。


「よぉ委員長」


 出来る限り自然に話す。


「何処に行くの? また菱野さんの所?」

「うん」


 最初は委員長が嫉妬しているのかなと少しばかりそんな優越感に浸っていたが、委員長の言葉に悟は固まった。


「嘘! 凄い遠い小学校で夜に何かしてるよね?」

「なっ……ついてきたの?」


 コクりと頷く委員長に悟は段々と血の気が引いてきた。委員長は正義感が強い。間違いなく報告するだろう。

 それは終わりを意味する。

 タイムマシン探しの……

 桜の命の……


(そんなのダメだ)


 悟はその場に土下座した。


「頼む委員長、これは誰にも言わないでくれ、やましい事は何もない。意味のある事なんだ。俺にも、他のみんなにも」


 悟の行動に驚いたものの委員長は言った。


「ダメだよ。あんな時間にあんな場所で何かしてるなんてやましい事じゃないわけがないじゃない」


 委員長の言う事は最もだった。そうそうの事では考えを変えてくれそうにない委員長に悟は本当の事を話した。


「女の子の命がかかってるんだ」

「えっ?」


 悟は言った。

 それが最初は好奇心で夜の街を歩いていた時に偶然の出会いだった事、それからタイムマシンを探すほかの少女に出会った事、そして導かれるように桜と出会い今に至る。


「信じれないと思う。俺だって最初は馬鹿だと思ったよ! でも桜はタイムマシンを探す事が生きる希望なんだ! だから! 頼む。この通りだ」


 再び頭を地面にすりつける悟。


「ちょっと雨音くん、顔を上げて、もういいから」


 委員長の許しをもらい悟は立ち上がる。悟の顔をじっと見つめると言った。


「こんなの馬鹿だよ」

「馬鹿でもいいじゃないか」

「見つからなかったらどうするの?」

「見つける。絶対に」

「進路を……人生を捨ててもする価値があるの?」

「あるよ。俺の人生はだいぶ前におかしくなってるから。もしタイムマシンがあればそれを変える事も出来るかもしれない」


 そこで委員長は悟の言っている意味を理解した。交通事故にあった家族の事、だがそれは夢物語に過ぎない。


「でもそれって……」

「分かってるよ! 俺は過去に捕らわれない。死んだ人が戻るとは思ってないよ。だから今生きている桜を生かしたいんだ。もうそれにはタイムマシンを見つけるしかないじゃないか!」


 今まで悟がここまで感情的になった姿を委員長は見た事がない。そんな悟に委員長は根負けし悟の横を通り過ぎる。


「委員長?」

「もう好きにしたらいいよ。私はもう知らない。委員長としては失格かもしれないけど、雨音くんが止めないって言うならもうそれは雨音くんの問題だから」


 それは委員長なりの優しさなのかもしれないと悟は思った。


「ありがと委員長」


 悟に背を向けたまま委員長は最後にこう言った。


「探すなら早く探した方がいいよ?」

「えっ?」

「あの旧校舎、一週間後に取り壊しが始まると思うから」


 委員長の言う事を悟は理解できないでいた。そして段々思考がついてくると、何故委員長がそんな事を知っているのかと委員長に声をかけようとしたが、委員長は悟の前から走り去って行った。


「嘘だろ……」


 悟は高鳴る鼓動を無視して駅へと走った。

 

 ★

 

 少女はいつだったかの記憶を思い出していた。それはまだ幼稚園に通っていたかどうか分からないくらい小さかった頃。


「お嬢ちゃん、どうしたの? 迷子になったの?」


 少女は遊園地か何処かで両親とはぐれた。もう二度と会えないんじゃないかと心細くなり、今にも泣きそうだった時に母親より少し若い女の人に声をかけられた。


「うん、お母さんいない」

「そっか、ここを真っ直ぐ行けばお母さんとお父さんがいるよ。一緒に行こうか?」


 そう言って手を差し出してくれた女の人に少女は何故か従った。

 知らない人。

 なのに、なぜかその人の言う事は信用できた。両親といる心地よさとは違う。全く別の気持ち。

 それが何かは少女には知る事は出来なかった。

 かわりにその女の人は少女に面白いお話をしてくれた。


「お姉さんはね? 未来から来たんだよ?」

「未来から?」


 少女にも未来という言葉くらいは知っていた。ダメな男の子を助けてくれるネコ型ロボット。あれも未来から来たロボットだった。


「すごい!」

「ふふっ、でしょ? お嬢ちゃんは未来に行きたい?」


 少女の想像する未来はとても凄い。何もかも自分の知らない楽しい事で満ち溢れているのだろうと。それに対する返答はもちろんイエスだった。


「うん行きたい!」

「そっか、じゃあお嬢ちゃんにはタイムマシンの場所を教えてあげよう」


 そう言って当時少女が集めていた幼児向けアニメのキラキラしたカードをその女性は渡してくれた。

 それはシールになっており、中にも別の絵柄が隠れているレアリティの高いカードだった。


「くれるの?」

「うん、あげる。それまだ発売されてないカードだからね。大事にしてね? そこにタイムマシンの場所も記載してあるから」


 シールをめくると後ろの画像はなく、写真のような場所とそのタイムマシンを見つける事の出来る期限が書いてあった。

 そんな物の事は忘れ、少女は少しばかり同年代よりも気苦労の絶えない生活を送っていた。クラスのリーダー、委員長である。

 内申点の為に立候補した委員長だったが、元々努力家だった少女は委員長の仕事を完璧にこなしていた。

 だが、そんな少女にとって目の上のたんこぶのような存在がいた。いつまで経っても進路希望表を出さずに担任に何度呼び出されても全く動じない男子生徒。


 最初はなんて煩わしいんだろうと思っていたが、その男子は他の男子とは違う何かを持っていた。

 これが母性本能と言うやつなのだろうかと最初は思っていた。何とか彼は私が導いてあげないといけないと思う使命感すら湧いていた。

 そんな彼を意識するようになってから彼に変化があった。他人に興味を示さなかった彼が自分と話す時、よく笑うようになった。そして担任からの呼び出しも減った。彼は進学をする事を決め、勉強に打ち込んでいると聞き安堵する。彼がどこの大学を受験するんだろうと気にしていた時、偶然朝食を買いにパン屋に足を運んだ時、彼は見知らぬ少女と共にいた。最初は見て見ぬフリをしようと思ったが、何故か声をかけてしまった。


 それは嫉妬。

 恋をするという感情に近い物を感じる。

 偏差値の高い学校に行っている友達で、勉強を教わっていると聞いたが、少女の顔を見るとそれは嘘だとすぐに分かった。

 女の感という物をこれ程信用出来た事は少ない。勉強はしているのかもしれないが、少女がその男子を見る目は恐らく自分と同じ色をしている。

 それだけは確信できた。

 その男子と至って自然に話している少女、それが何だか悔しくて、そんな事を考える自分が惨めで、毎晩その少女と勉強をしていると聞きその日、男子をつけた。


(私って嫌な子だな)


 自分の入る余地はないと心の何処かで理解していたが、その男子をつけた所で見たのは勉強会ではなかった。

 あぁ、こんな不良みたいなくだらない事をしていたんだと呆れた。他にも中学生くらいの少女もいる。彼も結局はこの程度なのかと思いその場を去ろうと思った時、彼らから信じられない単語を聞いた。


『タイムマシン』


 幼い時の記憶が鮮明に思い出される。


「タイムマシンがあるのって、この学校だ」


 自分一人の秘密、思い出、こんなにも明確に思い出せる物なんだなと少女は思った。彼らは何らかの情報でそれを知って共有しているのだろう。

 なんてくだらないと少女は思う。

 そして、心の何処かで可笑しくなった。

 そのタイムマシンを探している場所はもうじき無くなる。未来から来たと言った女の人のくれたカードには確かに今年の日付けが記載されていた。

 それが探索期限だと。

 放置していても彼らのくだらないお遊びは終わる。もう自分は関与しないでいようと思ったが、気になっている男子があまりにも希望に満ちあふれたような顔で駅に向かうので、少女は自分が全て見ていた事、これは学校に報告するという事。

 嫌われただろうなと思う。そして同時にざまあみろと思ったが、男子は少女に土下座をして懇願した。

 そんなにもあの少女等と一緒にいたいのかと思ったが、男子の口から出た言葉を聞き自分の汚さに涙が出そうになった。

 彼らは、同じタイムマシンの事を知っている余命少ない少女の為にタイムマシン探しをしている。


 自分にもそんな事は容易く分かった。

 タイムマシンが見つかるかどうかではなく、余命少ない少女に少しでも希望を抱かせたい。どれだけ尊いのか、それに比べて自分はどれだけ卑しいのか、少女はもう自分は彼らのようには輝けないなと反省し言った。

 早くしないとタイムマシン探索は直に終わる事を伝えた。それに驚愕する男子はそのまま駅と消える。

 少女は先ほどまで彼らがいた病院、そして病室へと足を運んだ。もう面会時間はとっくに終わっている。

 こんなルールを破る事を自分が出来るんだなと笑いノックし扉を開けた。


「失礼します」




 委員長の言った事を気にしながら悟は電車に揺られる。

 何故か眠ろうとは思えなかった。菜綱や麗に話してはやく落ち着きたかった。寝ないで終点まで行くのはこんなにも時間がかかるのかと窓の外を見る。

 知らない街を飽きる程見て終点に到着した。駅につくと悟は小学校へと走りだした。こんな時大人ならお酒とかが飲みたくなるのかなとくだらない事を考えた。父親は母親がいなくなってから酒の量が増えた。それも度数の高そうな海外の酒。

 子供以上に大人は逃げる所があっていいなと悟は思う。知らない街の知っている道のりを早足に悟は小学校に辿り着いた。いつも通り学校の門によじ登り旧校舎裏に行く。

 そこには立て札があった。それにドキりとし、そこにボーっと立っている菜綱と麗の姿があった。


「菜綱、麗!」


 二人をみつけて悟は手を振る。立て札のある所に来るとそこには立ち入り禁止と書かれていた。


「悟ぅ、ここ無くなっちゃう」


 今にも泣きそうな菜綱、麗もこれは予想していなかったのか黙っていた。悟はそんな二人に声をかけた。


「まだ大丈夫だよ。あと一週間ある。それまでに見つけよう!」


 昨日は無かった立て札。

 今日の内に立てられたのだろう。


「多分一週間もないと思うわよ」

「えっ?」


 麗は冷静に立て札を見ながら話す。


「ここの取り壊しだから、ここにも数日の内に入れなくなると思う。もしかしたら、夜に作業がされるとしたらもっと早くここには来れなくなるよ」


 麗の言っている事まで悟は考えていなかった。工事がどうなっているかなんて悟には分からない。


「そっか……」


 妙に自分がちっぽけで恥ずかしくなった。


「でも、簡単には諦められない」


 麗がそう言うと今まで弱々しく俯いていた菜綱が麗を見る。そんな菜綱に麗は笑った。


「最後の最後まで、諦めないで頑張ろう」

「うん!」


 菜綱の瞳に光が戻った。


(麗は凄いな)


 とはいえ、もう探す所は殆どない。やる気を取り戻した菜綱だったが、すぐにへたり込んで弱音を吐いた。


「ねぇ、見つからなかったら桜ちゃんどうなっちゃうの?」


 そんな事は菜綱だって分かっていた。だが、麗や悟にそれは違うと否定してもらいたい事くらい二人にもすぐに分かる。


「それは……」


(ダメだダメだダメだ)


 一時の感情から適当な事を言うのは返ってよくない。悟にもタイムマシンなんかよく考えればそんな物あるわけないという心が再び強くなった。心ここに有らずといった様子で皆タイムマシンを探していると麗が叫んだ。


「こんなんじゃダメだよ。もう今日は探すのよそう。そのかわりこれからどうするか考えよ?」

「これからって……」


 もうそんな時間も日数も残されていない。結局何も考えが思い浮かばない中で麗は言った。


「とりあえず明日桜ちゃんに会いにいこう」


 確かにこれ以上こんな気持ちでいては見つかる物も見つからないかもしれない。悟も菜綱もそれに頷き朝が来るのを待った。

 

  いつもより長い夜が明け、お互いに言葉を交わす事もなく駅へと向かう。

 眠たいはずの菜綱もいつものように車内で眠ろうとはしない。


「なぁ、菜綱、少し眠れよ。眠いんだろ? 我慢しなくていいから」


 とろんとした目で悟を見て首を横に振る。


「いい」


 すると麗が菜綱を自分の膝に寝かせた。


「交代で寝よ? ちょっとしたら起こすから、その間に私と悟が何か考えるから、ね?」


 麗の膝の上で菜綱は頷くと寝息を立てた。


「何かさ、麗ってすごいな。毎回毎回ほんとリーダーって感じだよ」


 悟がそう言うと麗は悟のほっぺたを抓った。


「そんなわけないでしょ! 私だって内心は怖いよ。もし見つからなかったらって思ったら手が震える。だけど私達年長がそんなだったら菜綱ちゃんがもっと不安になるでしょ! だから、悟もフリでいいから強がって」


 麗が悟を抓る手は確かに震えていた。


(麗だってまだ十六の女の子だもんな。そりゃ怖いよ。ホント俺って馬鹿だな)


 悟達の降りる駅につくと悟は菜綱を背負って駅を出た。とりあえず悟の家に行き、学校の時間になったら休む事を電話しようと言う手筈になっていた。


「悟の家って誰もいないの?」

「あぁ、親父は帰ってこないし、いたとしても詮索してこないと思う。何かもう一つの家庭があるっぽいから」


 そう言って苦笑いする悟に麗は悟を見ずに謝った。


「何かごめん」

「いいって、気にしてないから、何か親父最近明るくなったし」


 悟の家に着くとやっぱり悟の父親はいなかった。コンビニで買ったオニギリやパンがビニール袋に入っており、その下に書置きがあった。

 そこには『明後日の夕飯は一緒に食べよう。紹介したい人がいる』と達筆な字で書かれていた。

 それを悟は横によけるとそのビニール袋を麗に差し出す。


「腹減ってたら食べて、菜綱をベットに寝かせてくるよ」


 ソファに座って頷く麗も眠そうにテレビを見ていた。悟のベットに菜綱を寝かせると悟は居間に戻る。


「あっ……」


 麗も静かな寝息を立てているので悟は起こさないようにコーヒーを入れに行った。さすがにここで自分も寝てしまうとまずいだろうなと苦笑する。麗が手を付けなかった袋から菓子パンを取り出すとそれを齧る。


「わ、私寝てた?」


 麗がむくりと起きるので悟は笑う。


「うん、でももう少し横になってるといいよ」

「ううん、大丈夫」


 麗もコンビニのオニギリを食べながら時間が過ぎるのを待った。頃合いを見て菜綱を起こすと学校に電話を入れ休む事を伝えた。

 そして開口一番麗はこう言った。


「とりあえず寝ましょうか?」


 それに反対する者はいなかったので目覚ましを十五時にセットして麗と菜綱は悟のベットで、悟は居間のソファで目を閉じた。

 夢を見る事もなく悟はパチりと目を覚ます。時計を見ると十三時、まだ二時間程余裕はあったが、二度寝しようかと思う程でも無かったので二人が寝ている間にシャワーを浴びた。熱い湯が悟の意識を覚醒させていく。浴室から出ると、麗が居間のソファーに座っていた。


「私もシャワー借りるね」

「う、うん。バスタオル出しておくよ」


 麗が戻るのを悶々としながら待っていると濡れた髪を拭いながら麗が戻ってくる。


「じゃあ、菜綱ちゃん起こして早いけど病院行こうか?」

「分かった。菜綱起こしてくるよ」


 さすがに意識してしまう麗に恥ずかしくなった悟は自分の部屋で寝息を立てる菜綱をゆさぶる。


「おい。菜綱起きろ」

「ううん、桜ちゃんは僕が守るんだぁ……むにゃ」


 夢の中でもタイムマシンを探している菜綱を愛おしく思い、そしてタイムマシン探しを諦めていた自分が恥ずかしくなった。

 パン!

 自分の顔を叩くと気持ちを切り替える。


「よし! 菜綱ぁ! 起きろぉ! 桜ちゃんの所に行くぞぉ!」

「わぁ!」


 驚いた菜綱が目をぱちくりさせる。そしてきょろきょろと自分の今いる場所を見る。段々と記憶がよみがえってきたのか菜綱は悟を見て言った。


「おはよう」

「あぁ、おはよう。でももう昼間だぜ」


 すると菜綱はお腹を撫でて空腹を示す。悟に渡されたオニギリを丸飲みするように食べるとニパっと笑う。


「はやく桜ちゃんに会いにいこう」


 タクシーを使い病院に行く途中、悟は独り言のように呟いた。


「未来人がいるなら今この時に助言してくれよ」


 こんなヒントだけ与えて丸投げみたいな事をするその自称未来人に悟は憤りを感じていた。麗と菜綱には良い思い出なのでそんな風には思えないようだが、悟はそれらの人物と会っていないのでそう思った。


「もしかすると、教えないんじゃなくて、教えれないのかもね」


 菜綱が外を見ながらそう言うので、麗も頷く。


「どういう事?」

「わかんない」


 どういう事だよと苦笑しそうになったが、真剣そのものの二人を見ているとそれ以上悟は何も言えなかった。

 病院につくと菜綱が面会受付もせずに病室に入っていくから手続きを済ませて悟達も続く。悟と麗が病室に入ると菜綱が嬉しそうに桜に抱きついていた。桜もまんざらでも無さそうに表情を緩める。


「やぁ悟に麗」

「具合はどう?」


 麗が桜のベットの前に椅子を持ってきて腰かけると桜は全員を見て話し出した。それは幼い少女から発せられるには少々貫録のある雰囲気を持っていた。


「中々状態は芳しくないらしいね」


 三人はその話をしに来ただけに度肝を抜かれた。それは桜が三人の表情から何かを理解したかのように感じたが、悟はもう一つの可能性が頭をよぎった。


「委員長が、いや俺達と同世代の女の子が桜の元に来たのか?」


 桜はゆっくりと頷いた。


「あれは悟の彼女かい?」

「違う」

「断言が速いね」

「委員長に失礼だよ」

「そうかい? 私は存外悟が彼氏だったら嬉しいぞ」

「光栄の至りだよ。で、何を言われたんだ?」


 悟はまさか委員長がタイムマシンなんてないと桜に言いに来たなんて事はないと信じたいが、もしそうだったら委員長に全力で怒ろうと思った。

 しかし、どうも悪い話を委員長はしたわけでなかった。それは桜の表情が物語っていた。


「優は中々に面白いよ。私の助手にしたいくらいだった」

「俺は解雇か?」


 冗談を返してみると桜はクスりと笑う。


「悟は右腕、優は左腕と言ったところだね。悟は実働部隊で優は私への報告係と言った感じがベストだね」


 一体どこの諜報部隊のボスだよと悟は思った。桜はノートをひろげながら話を続ける。悟達は心が折れそうなのを隠して明るく振る舞っているのを桜は知っているかのように少し困ったような表情を時折見せる。


「チャンスは今夜あと一回になるだろう」


 突然の桜の言葉に悟達は声が出ない。


「委員長がやっぱ何か言ったのか?」


 ふんと桜は悟の視線を受け流す。大人に囲まれ長い病院生活の中桜はある種何かを超越している。自らの死さえも受け入れ動じない。


「これを私にくれたのさ」


 ボロボロのカード、お菓子のオマケらしいそれを桜は悟に渡す。


「なんだこれ?」

「シール付のお菓子よ。私も小さい頃に集めてたな」


 麗が懐かしそうに悟の手からそれを奪うと天井の電気にそれを透かす。そして麗はシールをめくった。


「こんな芸当、桜ちゃんじゃできないわね」


 麗の手元にあるシールを見て菜綱と悟は絶句した。そこにはタイムマシーンの場所とその探索期限が書かれていた。

 それもチャチな絵ではなく、写真という上手く加工された宝の地図のオリジナルであった。麗が持っていた物はこれを元に書かれた写本という事になる。


「君たちが暗い顔をしているから、どうせ手詰まりなんだろうくらいで思っていたけど、まさにその通りだったとわね」


 桜がフフンと鼻を鳴らしてそう言った。そのシールを見ながら麗は冷静に考えて言った。


「あのパン屋で会った子、あの子もタイムマシンを……未来人と出会った一人だったのね」

「委員長が?」


 こくんと頷く麗、それに一人だけ話の分からない菜綱が吠えた。


「なんだよぅ! 誰? こんな大切な事勿体ぶってたのわさぁ!」


 目をくの字にしてわめく菜綱に悟は自然と笑みがこぼれる。そしてそれは麗にも伝わり桜は満足したようにノートを差し出す。


「五人目がいるからこのメンバーの名前も変えないいけないよ」


 四人だったので四文字熟語にしたが、委員長を入れれば五人になる。しかし悟は委員長が自分たちと仲良く地面を掘り返すような事はしないだろうなと思った。


「それそのままでいいと思う」


 そして、はっきりと分かった事があった。


「何故?」


 悟は笑って答えた。


「語呂がいいからな」


 自分はこのタイムマシン探しの完全な部外者だから、自分を抜いて四人なんだろう。そう分かってしまった。

 それから、桜が疲れない程度に悟達は談笑した。菜綱は言っても桜から離れようとしない。そうこうしている内に病院食が運ばれてきた。桜の周りい数人の年上の少年少女がいる事に看護師は少し驚く。


「桜ちゃんのお知り合い?」

「同士だよ。すまないが今日は食堂で夕食を取る事にするよ」


 そう言う桜に看護師は驚いて、そして嬉しそうに笑う。


「そう、じゃあすぐに車椅子を用意しますからね」

「いや、私には悟がいるから」


 桜は悟に両手を差し出す。それを見た悟は頬を掻いて少し照れてから桜を抱き上げた。お姫様を抱き上げるように優しく。


「役得、というのかな?」


 桜がそう言うので麗が少し悟を冷やかす。


「妬くいちゃうなぁ、もう」


 何故か病院の地下にある食堂でおのおの好きな物を頼んだ。菜綱は桜と親子丼を半分こする。菜綱が冷ました親子丼を桜はおいしそうに食べ、その度に菜綱が嬉しそうな顔をする。

 

 「なんつーか最後の晩餐って感じだな」


 桜は笑ってそう言う。


「いいえ、これは私達の始まりの食卓よ」


 麗の返しに菜綱はうんうんと頷く。悟はあまり喉が通らなかったが山菜そばを流し込むようにそれを食べきるとお冷をぐいっと飲み干した。


(俺は部外者で脇役かもしれない)


 だけど。

 だけど、だけど、だけど!

 この物語を涙で終わらせるわけにはいかないと思った。

 脇役ならそれでもいい。夢を夢のまま終わらせるわけにはいかない。

 桜の消灯時間まで付き合う事を看護師さんの計らいで許してもらえた。菜綱が同じベットに入って、麗が昔話を聞かせて、悟の手を握る。


「一気に姉や兄が増えたみたいで、私は幸せだ。もう思い残す事がないくらいにな」


 桜はもう随分前から覚悟をしていた。彼女からすればタイムマシンなんて見つからなくても良かったんだろう。彼女はタイムマシン探しをしている仲間に自分もいたという事を残そうとしている事を皆気がついた。

 悟は思わず涙が出そうになったが、麗が後ろから悟を抓る。そして、小さく顔を横に振った。なんでこんなにも毅然でいられるのか、麗という少女を悟は心が尊敬した。


「桜ちゃん、タイムマシンを見つけて旅行に行こう。桜ちゃんだけじゃない。みんなだ! 麗も悟も皆の願を叶えるんだ。ここにあるタイムマシンの有りかを探せば見つかるんだ」


 そして、迷いのない瞳でそう言える菜綱。悟が菜綱と同い年の頃にはもっと濁った瞳をして世界の全てと自分を呪ってた。いつからか大人が失ってしまう輝きを菜綱は持ち続けていた。


(はぁ、敵わないな)


 この三人の少女達は根本的に凡人である自分とは違いすぎる。生きているステージから何から何まで、なら自分は彼女達の為に全力で裏方をする。桜の寝息を聞いて悟は声を漏らすように言った。


「いこう。全てを始めに」


 桜が大事そうに抱きしめるノートを持って行こうかと悟は思ったが、それを止めた。二人を見ると静かに頷く。病院を出て電車に乗る前に売店でパンとコーヒーを人数分買うと悟は菜綱と麗に渡す。それを無言で頬張りながらいつもの旧校舎のある街へと電車の中で揺られる。ガラスに映る誰もいない車内と自分の姿を見て悟はこの長方形の空間は世界から取り残された場所なんじゃないかと錯覚した。

 しかし、ここがまぎれもない現実の空間である事を運転手のアナウンスで再確認する。アナウンスの間隔が長くなっていく。駅の間隔が長くなっているのである。


「次は終点・・・・・・」


 そして、始まりと終わりの街に電車は到着した。昔悟が読んだある漫画の主人公がこう言った。


『一生にどれだけの女の子を笑顔に出来るのか?』


 その主人公は望んだ数だけ笑顔に出来ると言われた。

 なら、悟はどうだろう?

 脇役はどれだけの女の子を笑顔に出来るだろうか、我ながら馬鹿らしい考えだと思った。知らずに悟が笑っていたようで菜綱が気づく。


「どうしたの? 何か面白い事あった?」

「いや、ごめん」


(俺は贅沢を言えるなら、四人でいいや。四人の女の子を笑顔にしたい)


 菜綱と麗と桜。

 そして、自分を気にかけてくれるもう一人。小学校の旧校舎裏に来ると今までにない絶望が悟達を襲った。

 そこら中ほじくり返した場所は一面白くて固い地面に変わっていた。スコップで小突いてみるとそれが現実味を帯びた固さのコンクリートである事を知る。


「これは予想していなかったわね……」

「何……これ?」


 菜綱が無謀にも地面をひっかく。指がすりむき血がにじむ。石と化した地面にスコップ一つではもはやどうする事も出来ない。その場にへたれ込む菜綱に悟は声をかけた。


「タイムマシーンの地図かして」


 今さらそんな物どうするんだと菜綱は睨み捨てるように悟にそれを渡した。悟は数分それを見つめてコンクリートにスコップを突き立てた。

 カーンと鈍い音が響く。

 今までの発掘とはけた違いの重労働。何度も何度も悟はスコップで地面を小突く。悟は汗だくになりながらもそれを止めようとはしない。それを見て麗が金属探知機を使い正確な場所を伝える。

 そして最後までそれを見ていた菜綱も手ごろな石を持ってきてコンクリートを叩いた。

 無言で固いコンクリートと格闘をする。コンクリートに小さなひびが入る。こんな事して、下手すりゃ捕まるなとか悟は頭によぎったがそんな事はもはや取るに足らない事に感じていた。

 ガンガンガン!

 沢山のヒビは少しずつ大きくなり繋がっていく。


「せーのぉ!」


 思いっきり突き立てたスコップにコンクリートは砕けた。今までならわずか数分で掘れたであろう範囲をコンクリートになると一時間近くかかる。それだけならまだいいが、悟の持つスコップに限界が近づいていた。

 コンクリートを剥がすとその土を掘る。そして悟が小さく唸った。


「違った……」


 少しばかりの絶望とそれを上回る使命感が悟を突き動かしスコップを再びコンクリートに突き立てる。

 手が痺れ、息が上がる。それでもそういった動きをする機械のように悟は腕を動かした。記憶が鮮明になり、確かにここが悟が掘るべき場所だと確信したその時、突然パッと悟達に明かりが向けられた。


「っ!」


 悟達が恐る恐るそのライトの先を見ると悟のよく知る人物の姿があった。


「い、委員長」


 麗と菜綱は始めてくる来人に身構える。



「こんばんわ、雨音君と菱野さん。そしてはじめまして黒槌菜綱さん。私は水野優です。ここに来れない桜ちゃんの代わりに貴方達に彼女の助言をしにきました」


 未来人にであった四人目の突然の登場に驚く麗と菜綱だったが、それに優はにっこりと微笑むと言った。


「雨音君、そこ掘って」

「お、おう」


スコップをコンクリートに打ち付ける。

 カーン! 

 スコップがコンクリートじゃない何かに当たり高い音を出す。それはこのタイムマシン探しで最初に見つけたタイムカプセルの缶箱。麗はそれらを確認して首を横に振る。


「ただのタイムカプセルね」

「あぁ、これは俺達も見つけたんだ」


 悟達がガッカリして違う場所を探そうとした所、優はスマートフォンを皆に見せた。そこには桜の姿が映っている。


『やぁ、諸君。またガッカリした顔をしているね』


 テレビ電話アプリを使って病院と旧校舎を優は繋いだのである。確かにこの方法なら身体の弱い桜でも参加する事が出来る。


『優は本当に優秀だよ。こんな方法私では考えつかなかった』


 どういたしましてと優は言い、タイムカプセルを見て桜は言った。


『どうやら見つけたようだね?』


 桜の問いかけに悟は首をぶんぶんと振った。


「これはタイムマシンじゃないんだ。ただの想い出の詰まった箱だ」


『ふむ、木を隠すなら森という言葉を悟は知っているかな?』


 もちろん言葉の意味は理解しているが、今この状況ではあまりにも不毛な質問である。だが桜は喋るのを止めない。それははじめてこんな遅くまで起きていた興奮なのか、饒舌であった。


『こんな話もあるんだ。外国で殺人事件が起きた。死体を探しても全くみつからず。見つかったのは何処かの野良犬の死骸。当時の警官は十数年の時を得て動物の死骸があった所をさらに掘り返してみた。すると……あったんだよ死体がね。私が何を言いたいかもう分かるかな?』


 そう、桜はタイムカプセルのあった下にタイムマシンがあるとそう言っているのである。全員は頷き、悟はタイムカプセルがあった場所をさらに掘り返してみた。それはコツンと何かにぶつかる。

 悟は無言で取り出してみると古ぼけたが見覚えのあるノート、桜がいつも持っていたノートと、スマホくらいの大きさの未知の機械だった。悟はノートを開こうとしたが、第三者の介入でそれを止めた。



「そこで何やってるんだ!」



 大人の男が悟達を睨む。今なら逃げる事は出来る。だが、今ここを離れたらもう二度とここでタイムマシン探しが出来ない。



「皆。逃げろ。俺は最後までタイムマシンを探す」



 もちろんそんな提案に麗と菜綱と優は乗らなかった。ライトを向けている男がなんだというのかと言う顔で悟を見る。優が向けるスマホの中の桜が言った。


『悟、それが多分タイムマシンだ』


 悟が手に持つ機械を見る。塀を登る大人の男、悟が機械のボタンを押すと辺りが光に包まれる。


「あっ!」


 悟は気が付くと自分の家にいた。何が起こったのかと思うが手にはノートとタイムマシン。冷静に時間を確認すると、桜の病院を出て数分しか経っていなかった。数時間であるが悟は過去に戻ってきた。


 ルルルルルルル♪


 悟の携帯電話が激しくバイブレーションする。それは麗からだった。


「もしもし」

「今どこにいるの? タイムマシン探し時間ないんだよっ!」


 慌てた様子の麗に悟は言った。


「タイムマシン、見つけた」


 悟は菜綱と麗に今日は家に帰るように伝えて明日落ち合う事を伝えた。病院に戻り桜にもそれを伝えてもらうように指示した。

 それは自分がタイムマシンを見つけて数時間前の過去に戻ってきたという事を伝えるだけで二人は信じてくれた。

 悟にはノートを読む時間が欲しかった。一ページノートを開くとそれは桜が書いたノート、悟に笑顔が自然と漏れる。

 そして自分の存在が何処にもない事にある種の納得をした。それ以降のページを読み進めるまでは……。


「ははっ、これマジかよ」


 悟は涙が流れていた。信じられない事実と共に固い決心が悟の中で出来上がっていた。それはタイムマシンには自分が乗る。


「俺しかタイムマシンに乗れないんだ」


 全員に明日集まる事を手短にメールを打った。小腹がすいたなと思った時、悟の家に誰かが入ってきた。

 この表現は実際間違っている。悟の家は悟とその父が住んでいる。父親が単純に帰って来たのである。悟は玄関に向かうと父親を正面から見た。


「おかえり」

「お、おう。ただいま。お前がいるなんて珍しいな」

「毎日夜遊びばかりじゃないよ。ほら鞄持ってやるよ」


 父親は頭を掻きながら鞄を差し出す。そしてぶっきらぼうに言った。


「飯は食ったのか?」

「まだだよ」

「何か喰いにいくか?」

「帰って来たばっかりだろ? 何かある物でいいよ」


 そう言って二人で冷蔵庫をのぞくがろくな物が入っていない。それだけ生活が荒れ、荒んでいた証拠。二人で見合って笑うと宅配ピザを頼んだ。


「お前と一緒に食事なんていつ以来だろうな?」

「さぁ、覚えてないよ」


 悟は母と妹が亡くなってから男手一つでここまで育ててくれた父の事を今にしてやっと理解し嗚咽が漏れそうになった。


(父さん、ありがとう)


「こういうのも案外美味いな!」

「あぁ」

「何だお前泣いてるのか?」

「タバスコが目にしみたんだよぉ」


 父親は笑い、そして話し出した。


「明日、父さんの再婚しようと思う相手に会ってもらいたいんだ。お前の話をしたら喜んでくれてな。はじめは母親だと思わなくていいから」

「あぁ分かったよ」

 

 (ごめんな父さん。多分俺もう会えないよ。そしてお幸せに)


 悟の父はそれからテンションが上がったのか度数のキツイ洋酒を持ちだしてゆっくりとそれを飲み眠りについた。

 ベットに入っても眠る事は出来なかった。よく考えればこの時間は穴掘りをしていたのだ。もしかするとと思って悟は菜綱と麗にメールを打った。


 ルルルルルルル♪


 案の定二人も同じようだった。タイムマシンを見つけても今までのようにこうやって話せる事を菜綱に伝え、麗には桜を助けるという一途な生き方が出来る事を伝えた。

 それに二人からは冗談が返って来る。

 悟も時間を忘れてその心地よい空間に浸る。

 そして、朝が来る。


「父さん?」


 父親は朝早くに家を出たようだ。きっと恋人への報告も兼ねているのだろう。悟は用意されている食事に手をつけて普通に学校へと向かった。授業が終わったらすぐに桜の病院に集まる約束になっている。


「雨音君おはよう」


 自分の名前を呼ぶ声に振り返るとそこには優の姿があった。一瞬ぎょっとしたが、悟は返事を返す。


「委員長、おはよう」

「ねぇ、本当にタイムマシンは」


 見つかったのか? という質問が来る前に悟は手のひらサイズの機械を優に見せた。使い方も大体理解しているという事。


「そうなんだ」

「あぁ、だからさっさと授業終わったら帰ろうぜ」


 優は終日そわそわしていたが、悟は至って普通に学校生活を送っていた。一人で授業を受けて、一人で昼食を取る。


「雨音君、一緒にいい?」

「あぁ、いいよ」


 クラスメイトはどういう事かとニヤニヤ詮索をしていたが、悟からすればその視線ですら何か愛おしいものを感じていた。全ての授業が終わると悟は優の委員長の仕事を手伝って一緒に電車に乗った。


「タイムマシンは見つかったけど、どうやって桜ちゃんを助けるの?」

「俺の母さんがその方法を記していたから大丈夫だと思う」

「もしかして雨音君のお母さんって」

「そう、未来から来た人だったみたい」


 優は少し考えて言った。


「もしかすると私は雨音君のお母さんに会った事があるかもしれないよ」

「かもね。ほら、ここで降りるよ」


 桜への面会しに来た事を伝えるとすぐに通してくれる。そして桜の病室からは菜綱の話声が響いていた。


「よぉ、桜ちゃん。具合はどう?」


 入室すると桜と菜綱が笑顔で迎えてくれる。


「身体は分からないけど、心の方は順調だよ」


 音楽を聴いていたようで、菜綱と桜はイヤホンをシェアしていた。椅子を用意すると座り、麗が来るのを待った。その間にも菜綱と桜に言われタイムマシンを見せる。それを見て桜は手短に模写してみせた。


「それが、ボク達の願を叶えるタイムマシン?」

「あぁ、そうだ」


 そして再び病室の扉が開かれ、最後の一人が集まった。


「ごめんなさい。電車が少し遅れてて」


 麗の事を責める人はもちろん誰もいない。麗にもタイムマシンを見せて悟はゆっくりと言った。


「ちょっと外に行かない?」


 ここでタイムマシンを起動する事を配慮してだと思って皆は頷く、悟は桜を抱き上げて車椅子に乗せた。それを菜綱が優しく押す。

 中庭に行くと読書をしたり音楽を聴いている患者とその縁者がちらほら見えた。それを見て悟は場所を変えるように言う。

 しかし病院には悟が思うような場所はなく近くの公園にまで赴いた。最近は公園で遊ぶ子供も減り広場には誰もいない。


「こんな所でどうしたの?」


 麗の質問に悟は笑う。


「皆、俺がタイムマシンに乗って桜ちゃんを救う方法を見つけてくるよ」


 それに菜綱が言う。


「み、みんなで行けばいいじゃんか!」

「そうよ。私達は仲間でしょ」


 悟は首を横に振る。


「ダメなんだ。現代を生きるみんなじゃ未来を越える事ができない。俺はこの()()()()の皆を守る為に生まれてきた。唯一未来に行く事が出来るんだ」


 悟の申し出に唖然とする皆の中、桜は聞いた。


「一体君は何を知ったんだい?」


 彼女らは悟がタイムマシンと共に持ち帰ったノートの存在を知らない。桜が持っているノートと同じ物、しかし何代にもわたって内容を現代の桜のノートに書き写してきたのだろう。悟はそのノートを火にくべた。


(もうこの悲しいループは終わるから)


 悟はタイムマシンを起動させた。

 ブゥウウウン。

 時間が止まる。


「これがタイムマシン?」


 菜綱は目の前にある真っ暗な扉を見て呟く。そして悟はその扉に向いて歩む。そんな悟に菜綱が叫ぶ。


「ちゃんと帰ってくるんだよね?」

「正直分からないよ。でも桜ちゃんの病気は絶対治すから」

「悟がいないとボクは悲しいぞ! ボクは悲しいと死んでしまうんだぞ!」


 悟は菜綱の頭を撫でて言った。


「お前に何があったのか分からないけど、こんなに沢山の友達がすぐに出来るんだ。お前は元の学校でも大丈夫だ。自信もてよ」


 完全に泣いている菜綱をあやしながら桜は言う。


「私の為にそこまで悟がする必要はない!」

「助手だろ」

「私と私達を悲しませるならクビだよ」

「そっか、残念だ。ちゃんと病気治した後に何するか考えとけよ?」

「……すまん。言葉が出ないよ」


 麗と目が合うと麗は涙目で笑う。


「もう、勝手に全部決めちゃうんだから」

「麗は自分が行くって言い出すと思ってたよ」

「えぇ、でも貴方は私達とは違う何かを見ているのでしょ? 貴方にここは任せるわ。そして私は私の戦いをしにいくの」


 麗の中で件の婚約者について何かしらの結論を出したのだろう。悟はここで理解した。皆未来へと歩を進めている。

 しかし、一人だけ気持ちが違う人物がいた。


「ダメよ! 雨音君行っちゃダメ!」

「委員長」


 悟を見てわんわんと泣く優に悟は言った。



()()()()()嬉しかった。()()は自分の人生を生きてください」

「えっ? 私、雨音君の事が……」


 悟は手を上げると扉の中に消えて行った。そしてまわりの光を全て飲み込むように時が再び動き出す。


「行っちゃった」


 菜綱の一言が皆を現実にゆっくりと戻していく。あっけない別れ、そもそも別れというものはそういう物なのかもしれない。

 誰が言うわけでもなく、自分の生活に戻っていく。悟の失踪は少し大きなニュースとなった。よく一緒にいた彼女等は何度か警察に呼び出されたが白昼堂々と消えてしまった悟の手がかりはなく、呼び出しも減って行った。

 そして彼女達が再び集まる事になるのは悟が失踪し、ニュースもその事には触れなくなった一年後。


「桜ちゃん、退院おめでとう!」


 悟の失踪事件が人々の記憶から薄れだした頃に大ニュースとなった奇跡の物語、治療法のない桜の病気が完全に完治したというものだった。医者は前代未聞の出来事に驚いていたが、桜達はそれが悟による物だと分かっていた。

 結局悟に誰も出会う事が出来なかったが、桜梅桃梨の女子達は何度も再開を重ねていた。何故なら、悟は救われていないから、そして悟がタイムマシンを手に入れて数時間前の過去に戻ったと言うのであれば、あの小学校の旧校舎があった場所にはまだタイムマシンがあるという事なのだ。

 まだ桜梅桃梨の物語は終わらない。



--------------ノートに記された手紙


○月×日

 桜が死んだ。

 失意の中、手の中にあるタイムマシンを使って私は未来にリープしようとした。だけど、出来なかった。

 何度も何度も私達は桜を助けようとして過去に戻ってはやり方を変えていたようだ。

 私達が大人になって、菜綱が過去にリープする。

 三年経っても戻って来ない。一度過去に戻ると未来にリープする事は出来ないようだ。今が変わらないので次は麗がリープする。だが、彼女も戻らず未来も変わらない。


 私は何の躊躇もせずに過去へ飛んだ二人に驚きながら後に続いた。

 ここからは()()()が書く事になった。どうやら、未来から来た私は菜綱か麗か桜に助言して死んだようだ。

 桜を生かす未来が全てうまく行く未来だと誰かが言ったらしい、それは何回、いや何十回・何百回と過去へのリープを続けてきた私の勝手な答えなのかもしれないが……

 当初は未来に誰かが行き、桜の治療をしてもらうかする方法を手に入れようとしていた。だが誰が持って来たのか分からないがタイムマシンは未来へは飛べなかった。そこで私達は次の手を思いついたのである。

 私達が過去に行き、子供の頃の私達に助言をし、未来を変える。そこで私達は大きな過ちに気が付く事になる。

 その時代の私達が十歳になる頃、未来からきた私達はこの世界からリセットされる。ようは死ぬのである。それは病気であったり、事故であったり、必ず私達は死ぬようだ。過去へリープした際に、それ以外にも禁則事項がある。


 自分が生まれる前には飛べない。十歳以上の自分がいる過去には飛べない。もし飛べたとしてもすぐに死が待っている。自分の正体を明かす事も同じである。そして、麗が過去に飛んで手術を試みた事があった。だが、桜が助かる事はなかった。

 そして私は思った。

 過去を変えるにはそれだけ遠い未来の力が必要だと、そこで私はルールを破る方法を思いついた。

 過去にも未来にも存在しない人間ならそのルールを越える事が出来るんじゃないかと……。私は過去に飛んで一人の男性と交わり子を授かった。

 そして私は後悔した。


 私は友より母親である事を取ってしまった。桜を助ける為の仕掛けでしかなかった私の子供、私の命が消える十年間でタイムマシンの話を教え込み未来に行くハズだった。しかし、私は二人目の子供にも恵まれた。悟が、小萌が成長するにつれて私は悟と小萌への愛で満ち溢れていた。そしてタイムマシンの話をする事もなく間もなく十年の歳月が経とうとしている。

 四つになる小萌にも寂しい思いをさせる事になるだろう。こんな最低なお母さんだったけど、私は二人を愛していました。

 もし、悟か小萌がこのノートを見る事があったらこのノートを火にくべて貴方達の人生を生きてください。

 誰よりも二人を愛しているお母さん。


 雨音 優

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