冒険の始まり 06
ウルリカはシエナに「魔女になれ」とは言わなかった。
結婚した瞬間、彼女はチェロナコチカでは無くなったので
彼女自身が「魔女」とは名乗らない。
「魔女にならなくても魔法を使えるの?」
シエナの素朴な疑問だったが
ウルリカは笑いもせず真剣に答える。
「ラウラは魔女になる前から魔法が使える。」
「私は魔女になってから魔法を覚えた。」
「魔女であっても魔法を使えない者もいるよ。」
それからウルリカは魔法の種類をいくつか教える。
ラウラが使ったのは風と火と土の魔法。それから光と闇。
イロナは薬学に詳しく、これは魔法の力ではなく魔法の知識が役に立っている。
「ハーブを使って病気を治すのも魔法の知識だ。」
知識
この言葉にシエナは今までにない興味を抱いた。
自分が本を読むのは本の中の事を知るからだ。
院長がしてくれた寝る前のお話よりも
ラウラが読んで聞かせてくれた本のお話が好きなのは
知らない何かを知るからだ。
「ウルリカ様、お母様も魔法の本を持っているの?」
「いや、持っていない。だがその必要もない。」
「どうして?イロナ様はたくさんの本があって、それが魔法の本だって。」
「あれはあいつが自分で教えるのが面倒だからと用意した本だ。」
魔法は本で知るのでは?
「私がここにいる。興味があるなら私が直接教えるよ。」
デメトリオの休日にはシエナは1日中剣の手合わせを強要した。
「もっと女の子らしい」だとか「男の子だったら」などと思いつつも
シエナがあまりに真剣で、その上達の早さに釣られて熱が入る。
たった3つの動作でデメトリオに立ち向かう。
デメトリオは「次の一振り」を伝えたものの、それを使うことを禁じた。
「どうして?」
「相手を殺すためだけの一振りだからだ。」
教えた三振りであっても人は殺せる。
そもそも「剣」とはそのための道具なのだ。
「しかし国同士における騎士の戦いは必ずしも命を奪う必要はない。」
「相手も殺されまいと鎧を身につける。」
「私が教える三振りは鎧を着ける者を戦闘不能に陥れるためのもの。」
「四振り目は、鎧を着ける者をも殺すためのもの。」
「シエナはその振りを使わずとも相手を倒せる。」
これは建前だ。
シエナには、人を殺すためだけの振りを使ってほしくない。
「あの小さな身体で、力も体力も私よりあるかも。」
ウルリカにそれを話すと彼女も
「竜の力が残っているのか、それとも宿っているのかも。」
「宿る?」
「私も当初は竜の血を飲んで、それがそうさせているのだと思った。」
「だがあの旅を思い出してほしい。」
「あの子はいつからか剣との会話をしなくなった。」
「なのに剣の言葉を私達に伝えていた。」
デメトリオも「確かに」と相槌を打つ。
「後で話を聞いたら、シエナは竜と心を通わせたらしい。」
「シエナは最初、竜の声が耳から聞こえていたと思っていたらしいのだが」
「いつからかそれは声ではなく心の中で聞いているのだと感じた。」
「それからシエナも声に発することがなく会話ができるのだと判った。」
ウルリカは一度黙って、大きく深く息を吸って、吐いてから言った。
「これは私の想像だが」
「あの子は竜の魂をその身に宿したのかもしれない。」
「そんな事が、いや、しかし。そうだとすれば確かに。」
デメトリオは眼の前の事実を認めるしかない。
困惑するデメトリオにウルリカは微笑み
「私も確証があって言ったのではないよ。」
「ただもしそうだとしたら、あの剣を振らせなくて良かった。」
「それに」
「あの子の賢さと魔法の力は、どうにも、その、何と言うか」
「ただの女の子と考えるには無理がある。」
ウルリカの休日にはシエナから1日中魔法の実戦を強要される。
「陣とか印と呼ばれる図形を用いるのはどうして?」
「アールヴァが言うには精霊との会話だそうだ。」
「魔女が言うには?」
「魔女は言わないよ。そうするから、そうなると考える。」
納得したようなしないような顔をするシエナは
布に書かれた陣をじっくりと眺める。
「ここに魔法の力を流すと、風が吹く。」
「吹く、うん。吹くではなく、他の風を集めてそれを飛ばす。かな。」
「アールヴァは精霊が風を起こすと考える。」
うーんと首をひねる。
どちらが正しいのかは判らないが
ラウラが洞窟で竜を飛ばす風を「創った」のはどちらでもないような感じだった。
魔法の力を使って、精霊ではなくラウラ自身が風を起こしたように見えた。
シエナはもう一度じっくりと布を見て、
「お母様、ちょっと見ていてください。」
ウルリカに布を渡し、それを広げ見るように言った。
「魔法には魔法の力と魔法の言葉が必要だと言いましたよね。」
「そうだ。」
「この布にはその魔法の言葉が描かれているので魔法の力さえあればいい。」
「うん。その通りだな。」
「風を操るにはさらに魔法の言葉が必要だが起こすだけならその言葉はいらない。」
シエナは一歩下がり、横を向いて左腕を前に伸ばし、その手のひらを正面に広げた。
何をするつもりかとウルリカが期待すると、
シエナの伸ばした腕の先から風が舞った。
自分が手に持っている布からではない。確かに眼の前の娘からの風だ。
全身に鳥肌が立った。
「一体何をした?」
「えーと、多分、いえきっと」
「光の魔法だと思うのです。」
シエナの言葉の意味がさっぱり判らない。
「今のは風の」
「ああ、いえ、えーとそうではなくて」
シエナは自分の左手の平を見せ
「ここにですね、その布の陣を描きました。」
「それが多分光の魔法かなと。」
この子は何を言っている。
光の魔法なんて教えていない。
イロナの本か?
仮にそうだとして、光の魔法でこの複雑な印を描けるのか?
描けたとして、そこに魔法の力を流して、
いやいや、私は一体何を見せられたのだ?
「判りました。」
「え?」
困惑が収まらないウルリカはシエナの言葉にはっとして顔を上げる。
「見ていてください。」
シエナは同じように左腕を伸ばす。
風が吹く。
その風は庭の木の葉を巻き上げ、上空へと舞う。




