旅の終わりに 20
夜が明けたのは間違いないが
谷を底に向かって進むほどに時間が曖昧になる気がした。
魔女が驚いたのは
谷の底へと通じているであろうその道が見事に整備されている事だった。
快適とは言い難いし道幅は広くはないが軍隊が通るには何の支障もない。
急勾配が無いわけではないが
なだらかに、円を描くように下っているのが判る。
設計は人族の誰か。それは間違いない。が、それは当然だ。
落ちぶれた貴族達が逃げ込んだ場所。
それなりの知識や技術を持つ者がいても不思議ではない。
問題なのは、その労働力だ。
どれほどの期間をかけたのだ?オルクル達は私が考えるより多いのではないか?
魔女イロナ・チェロナコチカは暗闇を歩く術を知っている。
オルクル共と遭遇してもやり過ごせる術も知っている。
鼻が利くがそれを誤魔化す方法も熟知しているのだが
そのどれもが不要だった。
オルクルはただの一体もその姿を見せない。
イロナは当初、自分が歩いている通路は
谷の崖に沿って造られている物なのをはっきりと理解していた。
太陽が真上に来たならば、上からでもそれがはっきりと視認できたのだろうが、
陽が登って間もない今は、実際に降りてみるまで判らなかった。
小さな広場のような場所に、切り揃えられた石材と大小の石、接着剤に使用する粘土。
広場の端には、崖側にではなく、その広場に沿って下に伸びる通路がある。
「そうか、これが塔か。」
所々段差のある通路は塔の外縁そのものだった。
魔女イロナ・チェロナコチカは、谷の奥底に造られた塔の外壁に沿って歩いている。
「途中に出入り口があると楽なのだがな。」
まさか通路が目的で塔を建てたのか?
このあまりに巨大な塔は、中に部屋を造ったなら自身の重みで潰れてしまうか。
だとするとやはり、ただ階段を円筒に積み上げただけなのか?
出入り口も、窓すら1つもなく、慎重に身構えるのを止めるが
もうとっくに足元は見えなくなっているので急ぎ足になれずにひたすら歩を進めた。
いいかげん飽きて、それより帰りはこれを登るのかとうんざりする頃、
ようやく微かな灯りが見え、それがずっと遠くにあるように感じたのだが
灯りがただ小さいだけですぐに地面に着いた。
足元のそれは火の灯りとは異なり、微かに青白く光っている。
液体の入った瓶に石らしきを入れている物だった。
顔を上げると、眼の前は広い暗闇。
空気が淀んでいる。少々息苦しくもある。
所々に小さな灯りがあるが人の気配もオルクルの気配も無い。
谷の住人は何処へ?
谷の魔女ウルリカ・チェロナコチカの話では
谷の底に「谷に囚われた者」がいるはずだ。
イロナは一方向にだけ伸びた灯りの列を辿り歩く。
土や石の壁で仕切ってあるだけで家屋と呼べるような代物ではない。
目を凝らすと、暗闇のあちらこちらに生活の形跡が見えるものの、
「生活」をしていたのは少し前までのようだ。
少なくとも昨日や今日、谷から姿を消したのではない。
灯りが折れ、谷の壁の横穴に続いてる。
「文字通り、地下牢だな。」
壁からの横穴は通路になって、そこは灯りの数が減り足元だけが照らされる。
通路に沿うように小部屋が目に入り、
「本当に地下牢か。それともここが居住区域なのか?」
その一番奥。手前には目印のように灯りが2つ。
「谷の魔女ではないな。」
人の気博が無かったのでイロナはその声に驚いてしまった。
動揺を抑えて声の主の正体を検討する。
「谷の長、いや元谷の長か。」
「そうだ。ここでは王なのど呼ばれているが。お前は何処の魔女だ。」
「私が魔女だとどうして、まあそれはいい。私は森の魔女イロナ・チェロナコチカ。」
「森の魔女だと?そうか。そうなのか。やはりもう誰もいないのたな。」
「一体何があった。他の者は何処へ。」
イロナが前に進み、声の主の元へと向かう。
「それ以上は進むな。私は私の姿を見られたくない。」
魔女は歩みを止める。自分に何かできるかを尋ねようとしたが止めた。
「判った。ではここで聞かせてくれ。」
「何をだ?」
「谷で何が起きて、谷の者は何を成そうとしているのか。」
「何が起きたのかは、既に知っているはずだ。」
そうでなければ谷の底に降りて来られようはずがない。
我々谷に棲む者はもういない。それだけだ。
「何があった。」
真鍮の竜が蘇った。
谷の者達は真鍮の竜を利用し国を興すつもりだった。
谷の奥から湧いて現れるオルクルとホウ・ウルクルを労働力とし
谷から外へと通ずる道を創った。
しかし
南西に広がる森はアールヴァ族が支配。
東は帝国民が見捨てるような岩砂漠。
しかもそこには小さな竜が生息している。
奴らが食料にしていた牛のような大きく黒い毛を持つ獣を捉えると
そいつらは従順でオルクル共に変る労働力となり得ると判った。
我々は青銅の竜の身体を探す事を条件に
真鍮の竜からオルクル共を使役していたに過ぎない。
我々は真鍮の竜の力を必要としなくなった。
だが奴はそれを許さなかった。
数名の谷の者を操り、他の国を奪おうと試みた。
我々に恩を売るつもりなのか、それとも自らの拠点が必要なのか
目的や理由は判らないが、奴は兵を挙げた。
それに先んじて、谷から魔女を解放したのだ。
「判るか森の魔女よ。私が谷の魔女を地上へと送ったのは」
「この世界を守るためなのだ。」




