旅の終わりに 13
ヤーシン帝国皇帝アレクサンドル・モース・ヴォイは
南方を治める領主イヴァン・シムに兵の増員を約束する。
その意図は明らかではあったのだが皇帝は殊更強調した。
「谷から這い上がった者による帝国領土への侵攻を許してはならない。」
魔女の話によると、小さな竜が人里に頻繁に現れるのは
谷から人が這い上がり、「低国内」の獣を無断で狩り、餌を無くしたからだ。
あの化物は脅威だ。
異国の少女がいなければ、このむらは全滅していただろ。
その少女は北に向かう。再び化物が現れないとは断言できない。
だからイヴァンよ、お前に兵を与える。
化物に備えるのは当然だ。同時にその原因にも対処せよ。
対処、とはつまり「政治的判断」は不要だと皇帝は言っている。
少なくともイヴァン・シムはそう解釈した。
谷に住む者達の中には帝国からの亡命者もいると聞いた。
貴族同士の勢力争いに敗れた者なのだろう。
元は同じ帝国民ではないか。それを一切の交渉もなく処断する。
アレクサンドル・モース・ヴォイは強い。
剣士として、戦士としてであって皇帝としてではない。
竜の国の存在を隠したのは正解だった。
ユーリが直接帝都に赴かずこの地に現れて本当に良かった。
ユーリは祖母の元を訪れ、全ての経緯を説明するが
前女帝ミラ・アシリエは顔色を変えるどころか
全てを知っていたかのように、それどころか大きな秘密を打ち明けた。
「本当かっ。オラ達の仲間が生きているのだな?」
ミラ・アシリエの言葉を訳した魔女ウルリカに掴みかかろうとするほど驚いたのはツワーグ族のマール。
彼女はユーリとミラの会話をシエナ達に伝える。
「この地が発展したのはカリーク、ツワーグの協力があったからだ。」
「私は彼らと契約し鉱物資源と細工品を食品や酒と交換している。」
望みは繋がった。とウルリカは安堵した。
そのツワーグ達が探し求める者なのかはまだ判らない。
可能性がある。だけの事には違いない。
あまり考えたくないが、この可能性が消滅したならば
おそらく最後の手段を取らざるを得ない。
魔女としてでなく、人としてそれは許される行為ではない。
しかしそうしなければこの世界は滅ぶだろう。
「この辺りはそれほど資源には恵まれていなかったようで、今は北方にいる。」
「それだけ聞けば充分だ。さあとっとと出発だ。」
マールはそのまま部屋から飛び出しそうな勢いで立ち上がる。
「待て。ここより北でしかも山の中だ。この支度では凍える。」
「構わねぇよ。強い酒さえあらぁな。」
「お前はそれでいいだろうが私達には耐えられないよ。」
ウルリカはユーリに旅の装備の手配を依頼する。
「それは私が用意しましょう。」
会話を聞いたミラ・アシリエが協力を申し出た。
交換条件としてその旅に部下を二名同行させてほしい。
「しばらく商品を受け取っていない。お酒も渡したい。」
この先の爽美食料を援助してもらえるのは有り難い。
シエナに合わせて歩むのだ。ゆっくりな旅なのは決まっていた事。
「協力を感謝する。だがこの先殿下は連れては行けない。」
ユーリは自分が思う以上にこの旅を「楽しい」と感じていたのだろう。
あまりの落胆に祖母ミラ・アシリエも口添えし同行を求めようかとも考えた。
魔女が否と言った理由を推測するに
この旅の危険性を考慮しているわけでも無さそうだ。
ここから山に入るのではなく、北の村まで馬車で行く。そこで待たせてもいい。
だが魔女は「ここまで」と言った。
「理由を教えていただけませんか。私はこの先も見届けたい。」
本人もその理由を考えたのだろう。
ウルリカはその質問に対し、祖母ミラに尋ねる。
「アシリエ殿、この地に騎士か兵士はおられるか?」
「決して多くはありませんが駐在する帝国騎士がいます。」
「ではその者達に身辺の護衛を。ユーリ殿はその指揮を。」
「何か懸念があると?」
懸念、と呼べるほどの確証はない。それでも警告するのは
これ以上ユーリを巻き込みたくないと考えたからでもある。
「山向のノイエルグ連邦との関与が全面的に禁止されたと聞いた。」
「戦闘行為で稼いでいた貴族共のその後の行動が気掛かりだ。」
他国の者がどうしてこうも内情に詳しく、そして他人である自分の心配をするのだろうかと
少々訝しくも感じるのだは、ミラ・アシリエが魔女を知らないからなのだろう。
「それは私も憂慮しております。しかし何か事を起こすとも考えられません。」
「個々の財力や兵力は微々たる程度でしょう。貴族達が集ったとしても脅威とはなり得ないと私も考えます。」」
「しかし、その貴族共を唆した連中がいます。」
「奴らが次に何を狙うのか判らぬ以上は警戒していただきたい。」
唆した者?
ミラ・アシリエも、「当初は」疑念を抱いていた。
夫である前皇帝が始めた隣国との戦争行為は
相手国からの一方的な侵略を防ぐ事が目的だと聞いていた。
だからこそ、帝国から隣国には攻め入らないのだと納得していた。
早期に戦争を終わらせるならば、相手国との交渉こそが最善であるはずなのに、
それを実行する手段を講じようとはしなかった。
ただ追い返すだけではなく、兵にしろ使者にしろ
帝国から相手国に意思を伝えるべきではないだろうか。と。
前皇帝が亡くなり、子が跡を継ぎ、政治基盤を引き継いだとは言え、
現皇帝は自身の力量を世間に示すべく新たな事業を展開する。
既に常態化している「戦争」はもはや「交流」とでも考えているかのようだった。
私はそれが第三者によって「そそのかされた戦争」などと考えたこともない。
もっとこの魔女と話をしたい。
帝国と帝国に関わる何を知っているのか尋ねたい。
「判りました。では騎士を数名共に連れていただきたい。」
「彼らには山までの案内をさせ、その後貴族たちの同行を注視させます。」
今は魔女の言う通りにしよう。
「山の魔女ウルリカ様。貴女の用件が片付いたなら再び私を訪ねていただきたい。」
ウルリカは一瞬の躊躇の後答えた。
「すまない。この先の事は何も約束できないのだ。」
ユーリは別れを惜しみながらシエナに伝える。
「山でのスープはとても美味しかった。今度は私がご馳走しよう。」
ウルリカの訳を聞いたシエナは「楽しみにしています」とだけ答えた。




