旅の終わりに 10
「谷の者が関わっているとどうして判る。」
皇帝アレクサンドルの疑問に魔女は
「谷の者に追い立てられたのだろう。」
シム領南方には岩砂漠が続く。
「その先にあるのは谷。谷から人々が這い上がり向かうのは何処だ。」
北にはこのシム領がある。
同じように岩砂漠を抜けるのであれば帝国の目の届かぬ東。
「その東には僅かではあるが草原が広がり小さな森もある。」
「そしてそこはヴィザントの生息域だ。」
全身が黒い毛で覆われ、肉質も固く食用に向かず
帝国、特に帝都近郊ではほとんど知られていない大きな牛。
「帝国民は食さないだろうが、谷の者がそれを狩る。」
食料と皮、そして労働力となる。
「小さな竜の本来の生息地はさらにその東、」
「谷の者がその獣を狩るため、小さな竜の食事が減った。」
「小さな竜は食料を求め帝国領内に現れたのだな。」
アレクサンドルは続けて
「やつらは人を喰うのか?」
この疑問なにはイヴァン・シムが答える。
「喰らいます。だが好んで狩ろうとはしません。」
「何故だ?」
「奴らは賢い。人を襲うと反撃されると知っている。」
それは徹底的に覚えさせたはずだった。
巣穴を探索し、卵も幼体も殺し人の仕業と判らせた。
以来、シム領東地区の村には出現しなくなっていた。
南に現れたのが同じ群れなのか異なる群れなのかは判らない。
「しかし今の奴らは飢えている。再び人を襲うかと。」
「そうなる前に殲滅するか。」
アレクサンドルは言いながら異なる思案を巡らせた。
谷の者とやらが゛実在し、這い上がってきたのならばそれは帝国領への侵攻だ。
ならば小さな竜とやらにそいつらを襲わせても構わないのではないか。
殲滅ではなく、谷へと誘導できる案はないものか。
騎士団の内二名と竜の国の子供達数名と共に東の村に到着し、
生け捕りにされ木の檻に入れられた小さな竜を見て
皇帝アレクサンドルは「小さな竜を用いた谷への襲撃」を思い直した。
背丈が人より少し高い程度と聞いていたが
全長は人の倍か、もっと長い。
檻の中で、口を塞がれ、片足とはいえ縛らせ繋がれているのに
檻に近寄ろうものなら鼻息を鳴らし突進をしてくる。
あまりの勢いに、自分が皇帝でなければ怯んでいただろうと思わずにはいられない。
「刺激すると檻が壊れます。ご自重ください。」
村の男が3,4人で繋がれた縄を引っ張るがそれでもなお攻撃をしようとする。
「この狂暴な生き物をどのように捕えたのか。」
「仕留めた奴の下敷きになり動けずにいたので頭に岩を落としました。」
殺そうとそうしたのだが息絶えず、皇帝が視察に来ると聞き村に持ち帰った。
「仕留める?仕留める手段があるのにだ。」
「シム様と騎士団のおかげです。」
村には警戒に3名の騎士が駐在し、3基のアーバレット(台座に固定された大きな弓)が配備されている。
「村の被害は?」
「放牧中の羊が数頭。それから牧場に侵入し数頭。」
小さな竜を賢いと感じたのは、奴らは一度にすべてを奪わず殺さない。
「ここに来たならいつでも羊が手に入る」と学習する。
村の者達だけでは自衛を試みたのだが、結局三度羊を奪われ
とうとう領主イヴァン・シムの元へ懇願に参じた。
彼はすくにアーバレットと騎士を派遣し、夜の牧場に待機させ撃退に成功。
翌日、翌々日と小さな竜が現れなかったが3日後再び襲撃。
数が増えただけではなく、集団での統率された行動と変化した。
一群が現れ、アーバレットの矢の射程を見極めたかのような距離であからさまに姿を見せ付け、
もう一群が少し離れた場所から同じように憲政をする。
騎士と村民達はその集団こそが羊を奪いに突進するものだと思い待ち構えるのだが
それぞれの別の場所から、しかも二手から牧場に侵入し羊を奪い、直後全てが撤退した。
イヴァン・シムは南の村でそうしたように巣穴を見付け破壊を試みた。
いくつかの巣穴を発見し、すべてを塞いだのだが翌日も同じ数の小さな竜が現れた。
「あまりに多すぎる。」
もはや自領内だけの問題ではない。このままではこの化物に帝国領内が荒らされてしまう。
「あれが小さな竜?でも竜ではない。」
ぼそりと呟いた言葉をウルリカは聞いた。
あの化物を怖気もせずに直視している。
私だって未だに恐ろしい。
領主も、その騎士達も、隣の騎士団長でさえも腰の剣に手を伸ばしている。
「竜ではない?ではあれは何?」
魔女ウルリカの問いにシエナは答えられない。
「何かは判らない。でも本物の竜があれを竜と呼ぶのをイヤがって、怒っている。」
そう言って、大人たちが殆ど言い争うようにこの化物たちの対処について揉めている中、
シエナは檻の前に歩み出る。
荒い鼻息だけを続け、小さな竜は動きを止めた。
ウルリカの目には、シエナがいつの間にか剣を手に構えているように見えた。
だがシエナはピクリとも動いていない。
すると小さな竜は長い尾を自分の腹の下に入れ、檻の端まで後ずさった。
「ウルリカ様。」
「え?ああ、どうしたシエナ。」
「これを放っておくと私の村にも来るの?」
判らない。谷や山を越えてまでベルススに来るよりも
こちら側でその生息域を広げようとするだろう。
しかし
「来る事はない。とは言えない。」
帝国内で追いやられたら?逃げた山に食料が無いなら下ってくる。
「そうなの。じゃあ今のうちに退治する?」
ウルリカの背中に冷たい何かが走り全身に鳥肌が立った。
「シエナ、貴女のすへぎ事ではない。」
この少女が剣を振り、小さな竜の首を足元に転がす姿が浮かぶ。
恐れも、まして哀れみもなく、多くの返り血を浴びてもなおただただその大きな剣を振る姿。




