シエナと旅の仲間 10
フランキはシエナが見た事の無い果実と動物の乳を使って飲み物を作った。
「お前はこのお嬢ちゃんに結婚を申し込むつもりなのか?」
料理長アルテミオがお皿にお菓子を乗せながら笑って言った。
「そんなわけないでしょう。いつでも結婚を申し込めるように練習しているんですよ。」
フランキも笑って返す。
「なんのこと?」
シエナが聞くと
「俺の産まれた地方ではこのお菓子は男が好きな女性に結婚を申し込むときに贈るんだよ。」
「そんな素敵なお菓子があるのね。」
「とっとと渡せばいいのにいつまでもウジウジしやがって。」
「でも料理長。あの人の弟さんが北に行ってまだ戻らないんだよ。」
料理長のアルテミオもそれは知っている。
王都を国を守るために戦いに赴いた身内を無視して結婚なんてとてもできない。
「お嬢ちゃんに味見してもらってこれで結婚が上手くいくか聞いてみろよ。」
気を取り直すように明るく振る舞うアルテミオの提案にフランキは息を呑んだ。
「そうっすね。国が平和になったらすぐに渡せるように。」
とても真面目な顔をしながらシエナに向かって
「ぜひお願いします。」
シエナは誰にも聞こえないくらい小さな声で「あ」と言った。
フランキさんがお菓子を渡したいのはきっとあの人ね。
シエナは丸い椅子に座り直し、フランキが差し出したお皿に手を伸ばす。
ナイフが出されていないからこのまま手で掴むのだろう。
焼き上がった生地は温かく、掴むと中のふわふわした白い物がはみ出した。
こぼさないように慌ててそれを舐めるシエナ。
「んふっ。」
牛の乳の味なのに、今まで味わった事の無い甘さが口の中に広がって変な声を出してしまった。
持った感じの生地が思ったよりも固くて、でも力を入れようとするとボロボロと崩れそうだったので
壊れてしまうわないうちにと、大きな口を開けて齧りついた。
パンのようにフワリとしていない。バスケットのように外側だけがパリパリともしていない。
シエナが領主リッピの元で出された焼き菓子を食べていればきっと今ほどの驚きは無かっただろうが
生地はさっくりと口の中でほぐれ心地よい噛みごたえ。
フワフワの白い物に包まれた煮詰められた果実が今まで食べたどんな物よりも甘い。
あまりの美味しさに背中がぶるっと震えた。
この甘いのはきっとあの白くて茶色の粉。はちみつの甘さとは違う。
あっと言う間に食べ終わって、手についたクリームもはしたないとは思いながらも舐めて綺麗にした。
「フランキさん。とても美味しかったわ。とてもとても美味しかった。」
「結婚の申し出もこれならきっと上手くいく。だってもっと食べたいって思うから。」
「この人のお嫁さんになったらこんなに美味しいお菓子が食べられるって思ったらきっと申し出を受けるわ。」
シエナの言葉を聞いて笑ったのは料理長のアルテミオだった。
「だとよフランキ。良かったな。俺にはちょいと甘すぎるがお嬢ちゃんの言う事に間違いはないよ。」
「でも気を付けてねフランキさん。」
シエナが真面目な顔で言うのでフランキも身を乗り出して聞いた。
「お城の使用人さんは忙しいでしょうからとてもお腹がすくと思うの。」
「だからって一度にたくさん作ってあげたら駄目よ。もっと欲しいって言われたらまた今度って言うのよ。」
相手が誰なのかなんて言っていないのにどうしてバレたのだろうと
フランキの顔が見る間に真っ赤になった。
ラウラにも、皆にも食べさせてあげたい。戻ったら作ってみよう。
あの白くて茶色の粉は市場で売っているかな。
「ねえフランキさん。あの白い」
シエナが質問しかけて、大事な答えを聞く前に女性の使用人が魔女ウルリカを連れて現れた。
「シエナ様。ウルリカ様がお話があると。」
「シエナ。すまないが一緒に来てくれ。」
「判りました。料理長、フランキさん。とても美味しいお菓子をありがとう。」
シエナと魔女ウルリカが引き上げた調理場では
まだ残っているお菓子を巡り料理長とフランキが言い合っている。
「ほれ早く渡したらどうだ。」
「今ですか?」
シエナにもその声が少しだけ聞こえて、きっと大丈夫よと呟いた。
シエナは魔女が自分を呼びに来た理由が判っていた。
「ウルリカ様。ちょっと寄りたい場所があるの。」
シエナは武器庫にウルリカと共に入り、邪魔な剣を避けて竜封じの剣を手に取り、
今までそうしていたように抱えた。
ウルリカはもうこの時既にシエナが何をしようとしているのか気付いていた。
なのに何も言えなかった。
ウルリカが連れてきた小さな部屋には騎士団長デメトリオが待っていた。
小さな部屋には椅子が3つあるだけで他にはオイルランプが1つあるだけ。
何の部屋だろうと見渡すが窓もなく、ウルリカが中に入り扉を閉めると音が消えたような気がした。
小さな部屋に大人が2人立っているのでシエナは圧迫感で気圧されてしまった。
「さあかけてくださいシエナ殿。」
デメトリオに促されシエナが座ってからようやく2人の大人も座った。
なんとなくほっとして、シエナは話しを始める。
「お話があるのでしょう?でもその前に私にお話させてほしいの。」
ウルリカもデメトリオも黙って頷いた。
「本当は私、王様に剣を返してすぐにでも村に戻りたいの。」
本当は?
デメトリオもこの後シエナが何を言うのか判った。
「でもね、私行くわ。」
やはり聞こえてしまっていたのだ。大人達の醜い言い争いを。
「いいえシエナ。貴女が行く必要も理由もないのよ。」
ウルリカもデメトリオも国王からシエナを説得するよう言われた。
そのために3人だけで話しをしようとこの部屋を借りた。
ウルリカは国王の願いを聞き入れなかった。
本心で言えばデメトリオも同じ気持ちだ。だが騎士団長はそれを口に出せない。
「理由ならあるのよ。」
シエナは笑顔を作って見せた。
「さっきね、私厨房のフランキさんとアルテミオさんにお菓子をいただいたの。」
「それがとても美味しくて。」
「だから私、自分で行こうって決めたのよ。」
ウルリカもデメトリオもシエナの言っている意味がよく判らなかった。
「それでね、フランキさんはきっとあの使用人の女性と結婚するのよ。」
「私がこのままこの剣を置いて村に戻ってしまったら」
「いつまで経ってもあの2人が結婚できないのよ。」
「私、そんなの嫌なの。」
ウルリカとデメトリオは、シエナがボロボロと涙を零しているのに気付いた。
小さく身体を震わせて必死に言葉を紡ぎ出していた。
「だから2人にお願いがあるの。」
「私は小さいから何処へ行って何をすればいいのか判らないの。」
「だからお願いします。私を」
デメトリオは、椅子から飛び降りシエナの前に跪いて
シエナが全部言い終わる前に膝の上に置かれた小さい左手を、自らの大きな両の手で包んだ。
「シエナ様。私が、いえ私にお手伝いをさせてください。どうかお願いします。」
「ありがとう。ありがとうデメトリオ様。」
シエナは右手をデメトリオの上に重ねて心からの感謝を伝えた。
魔女ウルリカは2人を見て、椅子から降りて、デメトリオと同じく片膝を折った。
デメトリオはきっと自分のようにシエナの手を取るのだろうとシエナの手を開けて待った。
魔女はシエナの手を取らなかった。
俯いたまま、しばらく黙っていた。
魔女様には他に何かすべき事があるのだろうとシエナは考えていた。
共に来てくれたならばとても心強いが自分のわがままで魔女様を困らせてはいけない。
だから、とシエナが口を開くその前に、ウルリカは俯いたまま静かに言った。
「私は、私は谷の魔女なのだ。」




