天使の降る夜
「冬の童話祭2021」への参加作品です。
テーマは「さがしもの」
――ジ、ジ、ジ、ジ…………ジジッ。
世界の、止まる音がした。
*****
ふと気が付いたとき、ぼくは街の中に立っていた。
きれいに並べられた石畳の道を、淡い光の街灯が優しく照らす。
道の両脇には、きらきら光るショーウインドウがずらりと並んでいる。
街の中は、たくさんの人があっちこっちと行き交っていた。
買い物をしているのか。これから帰るところなのか。
みんな忙しそうだ。
……忙しそう?
うん、多分だけど。
なんとなく忙しそうに見えるだけで、急いでいるかどうかはわからない。
だって、たくさんの人たちは、みんな一時停止した映像みたいに止まってしまっているから。
ぼくは、きょろきょろと辺りを見回した。
動いているものは、人も、車も、何もない。
世界が、ぼくだけを置き去りにしてしまったようだ。
「さむ……」
思わずふるりと震えて、自分の腕をさすっていた。
手のひらに感じる黒いフランネルの感触が気持ちいい。
なんとなく空を見上げてみると、ちらちらと白い雪が舞っている。
雪もぴたりと空中で止まってしまっているから、落ちて来ることはないみたいだけれど。
「……あれ? ぼくは何をしてたんだっけ?」
なんだか、頭がぼんやりするな。
ここはどこなんだろう。
ぼくは、もう一度周りを見回してみた。
石畳の道の端に『フロスト通り』の看板があった。
なんとなく覚えがある気がするんだけどなぁ。
止まっている人たちの間をすり抜け、ショーウィンドウを一つひとつ覗いていく。
3つ目のお店の前まで来ると、小さく「あっ」と声が出た。
おもちゃ屋さんだ。
ぼくはここから出て来たんだった。
だけど、ここからどこへ行ったんだっけ。
よく思い出せなくて、入口のガラス扉からじっと中を窺ってみる。
ここからじゃよく見えない。中に入ってみようかな。
なんて思っていると。
「こんな所にいたんだ」
「わっ!」
急に後ろから肩を叩かれて、びっくりして飛び上がってしまった。
振り返ると、銀色の髪の子がぼくを見ていた。
瞳まで銀色できらきらしてる。
誰だろう。知らない子だ。
ぼくは、ちょっとだけ首を傾げた。
「あれ? もしかして、ボクのこと忘れちゃった?」
「…………うん。ごめんね」
「そっかぁ。うん、それならしょうがないね。気にしないで」
しゅんとしたぼくに、銀色の子は笑って首を振る。
小さくて温かいその子の手に、ぎゅうっとぼくの手が握られた。
「じゃあ行こう」
銀色の子は、ぼくの手を引っ張って走り出した。
ぼくは慌てて彼の後をついていく。
「ええっ!? どこへ行くの?」
「どこって、ボクを探しに行くのさ!」
銀色の子はふふっと笑うと、急かすようにぼくをぐいぐい引っ張って行く。
ぼくはされるがままに引っ張られ、石畳の道を彼について走っていた。
たくさん並んでいたショーウィンドウが少しずつ遠ざかり、代わりに街路樹が並ぶようになる。
車も人もぽつりぽつりと少なくなっていって、静かな街の中にぼくたちの足音と息づかいだけが点々と落とされていく。
通り過ぎる街並みは、やっぱりどこか見覚えがあった。
だけど、いつどこで見たのか、うまく思い出せない。
「ほら、ここだよ。ボクたちのおうち」
やがて、銀色の子は一軒の家の前で足を止めた。
白い外壁に、黒いスレート瓦の三角屋根。
小さな窓を見れば、2階建てで屋根裏部屋もあるようだ。
庭のマグノリアにうっすら積もった雪は、まるで花が咲いてるように見えている。
やっぱり、とても見覚えがある。
なのに思い出せなくて、お腹のあたりがずっともやもやしてる。
木製のドアを開けると、吹き抜けのエントランスホールと手すりのついた階段があった。
白い壁からは、淡いオレンジのホオズキみたいなランプが垂れ下がっている。
奥にはダイニングがあるんだろう。
ぼくが家の中をぼんやり見ていると、くいくいっと繋いでいた手が引っ張られた。
「多分、この家のどこかにボクがいるはずなんだ」
なんだか銀色の子が不安そうにしている気がして、ぼくは握った手にぎゅっと力を込めて頷いた。
「まずはアンジーの部屋から探してみよう」
そう言ってから、ぼくは首を傾げた。
アンジーって、誰だっけ?
【天使が降ってくるのよ。】
なんだっけ。
天使がどうとか聞いたような気がするんだけど……思い出せない。
「どうしたの?」
ぼうっとしていたぼくを、銀色の子はきょとんと見つめていた。
「なんでもない。行こう」
小さく頭を振ってから、ぼくは階段を昇る。
2階に上がったら、一番奥の部屋。
真鍮の取っ手を引けば、ドアの向こうはアンジーの部屋だ。
女の子らしい薄いピンクの壁紙で、レースのカーテンの向こうには庭のマグノリアがよく見える。
【薔薇の砂糖菓子を埋めるとね、天使が――】
ドアを開けると、想像したのと同じ部屋が目の前にあった。
やっぱり見覚えがある。
ぼくは、この場所をよく知っている。
「それじゃ、手分けして探そう」
銀色の子の手が、ぼくから離れた。
ぼくはもう一度その手を掴む。
戸惑ったように、彼はぼくをじっと見た。
「……違う。ここじゃない。ぼくはまだ、ここでは君と一緒だった」
「そっか。じゃあ別のところを探そう」
銀色の子は、にっこり笑ってぼくの手を引いた。
ぼくたちはアンジーの部屋を出る。
ここじゃないとしたら、どこなんだろうか。
ぼくたちは、手を繋いだまま階段を降りた。
アンジーの部屋以外に、2階でぼくが行った場所はないはずだ。
屋根裏部屋にも行ってないと思う。
だったら多分、1階のどこかだ。
エントランスホールを挟んで、右側がキッチンとダイニング、左側がバストイレだった……ような気がする。
ぼくらはダイニングの方へ向かってみた。
広々としたダイニングは、暖炉を囲むようにソファとテーブルが配置されている。
マントルピースの上には額に入った小さな女の子の写真がいくつもあった。
あの子だ。あの子がアンジーだ。
写真よりも少し成長した彼女は、小さな犬のぬいぐるみを抱いてソファに座っていた。
怒っているような、泣き出すのを我慢してるような、そんな顔で。
アンジーは笑ってる顔がいいのに。
ぼくが笑わせてあげなきゃ。
「あの子、ずっとあんな顔してる。早くボクを見つけないと」
銀色の子も同じことを考えていたみたいだ。
「うん。早く見つけよう」
だけど、ダイニングは広い。
探すのは大変そうだ。
まずはどこから探そうか。
「ねえ。さっきみたいなの、ないの? 何か思い出したこと、ない?」
銀色の子に聞かれて、ぼくはちょっと考える。
なんとなく覚えてる気もするんだけど、はっきりしない。
部屋の中を見渡して、見覚えのあるものを一つひとつ確かめていく。
ぐるりとゆっくり見渡して、そして、ぼくの目が止まった。
レースのカーテンの向こうの窓の、そのまた向こう。
【目印になる木がいいの。その下に、薔薇の――】
「庭だ!」
ぼくは走り出した。
繋いだ手をぎゅっと握ると、ぎゅっと握り返される。
外は、相変わらず白い雪が空中で止まっている。
その中を走り抜け、ぼくたちは庭のマグノリアを目指した。
ほら、思った通りだ。
マグノリアの根本は、少しだけ掘り返されている。
小さな窪みの中にあるのは、小さくて可愛らしい砂糖菓子が3つ。
アンジーの分と、ぼくの分と、天使の分。
それから――。
「あった! 見つけたよ! こんな所に落ちてたんだ!」
「そっか。砂糖菓子を埋めたときに、落としちゃったんだね」
銀色の子は、窪みの近くに落ちている物を拾った。
にっこり笑って、ぼくのお腹のあたりに抱きついてくる。
その瞬間、ぼくはいろんなことを思い出した。
「よかった。これでまた、キミと一緒にいられるよ」
「うん。ぼくたちでアンジーを笑わせてあげられるね」
天使と同じ、アンジェラの名前を持つ女の子の笑顔を思い浮かべる。
薔薇の砂糖菓子につられて天使が降ってくるかは知らないけれど、薔薇の砂糖菓子を頬張って幸せそうに微笑む天使なら知ってるよ。
ぼくたちの天使はとっても笑顔が似合うから。
だから、いつも笑っていてほしいな。
ぼくはすうっと息を吸い込んだ。
アンジーを笑わせるために、思い切り大きな声を出す。
「わんっ!」
――ジ……ジジ、ジ、ジーッ。
世界の、動き出す音がした。
*****
『わんっ!』
アンジーが、驚いて目を見開いた。
それから。ぱあっと花が咲いたように笑顔になる。
「ママ! フランが動いた!」
ぼくをぎゅうぎゅうに抱きしめたアンジーが、頬ずりしてくる。
んふふ。
フランネル製のぼくの肌触り、気持ちいいでしょ。
だからぼくにフランって名前をつけてくれたこと、ちゃんと思い出したよ。
「あらあら、良かったわねぇ。乾電池が見つかったの?」
アンジーは、ちょこんと首を傾げる。
うん。見つかったよ。
庭のマグノリアの所に落ちてたよ。
「んー、わかんない。でも、動いた!」
「それじゃ、電池切れじゃなかったのかな? さっきお庭に行ったときは、まだ動いてたんだろう?」
大きな手が、アンジーを抱き上げる。
もちろんぼくも一緒にだ。
「そうよ。あのね、パパ。砂糖菓子を埋めに行ったの」
「砂糖菓子? どうして?」
「ママに教えてもらったおまじないなの。目印になる木の下に薔薇の砂糖菓子を埋めると、天使が降ってくるんだって!」
アンジーがにこにこ笑うと、アンジーのパパとママもにこにこ笑う。
「ふふっ。天使なら、もう降ってきてるわよ」
ママに言われて窓の外を見たアンジーが「わあっ!」と歓声を上げた。
ぼくも見てみると、空からはたくさんの天使たちがちらちらと降ってきていた。
いつの間にか、止まった世界で宙に浮いていたときよりも、ずっとたくさんに増えた天使たち。
「わあー! 積もるかなぁ? 明日は雪遊びできる?」
「そうだな、この分なら明日は積もりそうだね」
「やったあ! フラン、明日は雪でフランのおともだちを作ってあげるね!」
『わん、わんっ!』
アンジーが、とても楽しそうに明日のことを話してくれた。
明日も、明後日も、ぼくたちはずっと側にいるね。
アンジーが大きくなるまで、ぼくたちが君を笑わせてあげるからね。
ぼくのお腹のあたりが、ぽかぽかする。
アンジーが笑うと、銀色の電池の子もとても嬉しそうにしているようだった。
1回目の参加作品が、童話……???だったので、リベンジです。
お読みいただき、ありがとうございました。