第3話『目覚めよ反抗心』
獣人。
獣の特徴を有している人種で一説には獣を神聖視し魔法によって姿を変えた者達の子孫だと言われている。
人よりも感覚が優れており、身体能力が高い事が有名。
さらに、多産な上、生きていける環境の幅が広い為、人の何倍も存在するだろうと言われている。
しかし、多くの獣人は魔法を使う事ができない為、俺の居た国では殆ど会う事ができない種族の一つだ。
初めて会うのがこんな薄汚い牢屋であるのは残念でならない。
床も壁も天井さえ土に囲まれ通路側の一面だけ見えない壁が存在し、光源は見当たらないが周囲が見えるほどにはうす明るい。
牢屋の中にはペットが使うような水飲み用の皿と排泄物を入れる為の壺のみ。
なるほど投獄した相手の状況は一目で分かるようになっているようだ。
彼女もしくは彼は全身に黒くて短い毛が生えており、顔付きはやや肉食獣に似ている。
その為か衣類の類は着ていない。
毛に覆われた獣の耳と尾を有しどちらも先端だけ白い毛だ。
背丈は幾分か俺の方が高い為、同年代か歳下だろうか。
彼女もしくは彼は牢屋に入れられた直後に失神した俺の世話をしてくれていたようで朧げながら食べ物を食べさせてくれたり、体を綺麗に拭いてくれたりとしてくれた事を覚えている。
はっきりと意識を取り戻した時に感謝の言葉を伝えたが、まだ言葉を交わせてはいない。
顔を合わせると怯えたようなそぶりをして顔を背ける為、何か怖い思いをしたのだろうとは思うのだが、何も語らない為、何が怖いのさえ分からない。
獣人の中には獣の特徴が強く出た為、構造上話せない者もいると聞くがそれかもしれない。
現在はオベムを水に浸して柔らかくして食べている。
オベムとは複数の穀類を潰して練って硬く焼き上げた味気無いクッキーのような物だ。
俺の居た国の主食、というか唯一の料理だ。
魔法やら魔道具やら便利な物は多いのに料理がこれだけだからな。
豊富な料理を食べて生きてきた俺には拷問に近いのだが、この国ではオベムのみの食事が当たり前なのだ。
硬すぎるのが難点だが、水に浸せば赤ん坊の離乳食にだってなる万能食だ。
保存は魔法で解決され、劣化する事はまずない。
一つで栄養が揃っているのかこの世界に来てオベムしか食べていないが不調があったということもない。
腹持ちも良い。
だがしかし、味気無い。
ケチャップやマヨネーズなどの調味料は無理でもせめて、ジャムやドライフルーツ、ナッツ類などを混ぜて欲しいと常々思う。
このオベム、全ての工程、材料の栽培からこの焼き硬められた形になるまで魔法によって殆ど無人で作製されており、1週間で全国民の1年分のオベムが作製される。
その為か国が管理している食料庫には全国民の50年分のオベムが保管されているらしい。
大袈裟な評価だと思うが、その為かこの国ではオベムは無料配布という形で支給される。
さらに各地に好きに持って行っても良いオベム置き場が存在し、この国には飢えや餓死という概念が無いほどだ。
しかしながら他国には不人気だが。
理由はとても安価に手に入るが美味しくないからだ。
周辺国家の評価はまるで土塊を食べているようだと言われるまでには美味しくない。
しかも、それを自国の人間も否定はしない。
オベムは不味い訳ではない。
ただただ味気なく、美味しくないだけなのだ。
他国での使い道は今の俺のような奴隷や犯罪者の食糧として活用されるぐらいか。
この牢屋から逃げ出せた時は是非、オベム以外の物を食べてみたいものだ。
その為には【契約】を誰かとして【支援】で強くして暴れてもらうのが一番だ。
この近くには他に捕まった人が居ないのか声すら聞こえない。
近寄るのは俺をここに閉じ込めた覆面の輩ぐらいで後は俺の看病をしてくれた彼女もしくは彼だけ。
俺が失神している間に何も細工をされなかったのか【契約】も【支援】も使える事は分かっている。
まぁ、俺は魔法が使えない者として扱われているから何もされていないのだろうが。
水で洗われた時に質素な衣類さえ剥ぎ取られた事が分かった時は貞操を奪われたと早とちりしたが、衛生的に考えれば汚物まみれの衣類を捨てられただけだと理解した。
移動ゴーレムに乗車中でも出る物は出るし、飲まず食わずでは立ち続けるのは大変だったからな。
汚れても仕方ない。
しかしながら母親から渡された毒を何処かに無くしてしまったようだ。
退路は絶たれた。
使えば死ぬ退路など使いたくないが。
覆面の輩には【契約】を使っても契約失敗という文字が視界に浮かんだ為、早々に諦めた。
【契約】が出来れば理性を無くした狂戦士に変えて暴れてもらう予定だったのだが。
『魔王の契約』は元々魔界を舞台にしていた分、登場する種族は怪物の類だ。
あの覆面の輩よりは同居人である獣人の方が【契約】できる確率は高かった。
まぁ、単純に俺の力量ではあの覆面の輩を部下にする事が出来ずに失敗した可能性もある。
なんせ、相手は成人した男性でこちらは衰弱死を迎えようとしていた10歳の美少女。
両方が争えば大抵は美少女が負けるだろう。
今は恩人たるあの獣人と【契約】ができなければ俺が性奴隷になってしまうのだ。
可能ならば確実に【契約】したい。
【契約】はまず相手と交渉をしなければ使えない。
逆に言えばどんな内容でも交渉さえしてしまえば交渉自体の成否に問わず【契約】をする事が可能になる。
ゲームでは大抵の流れは相手を瀕死にしてから倒されるか部下になるかと持ちかけて【契約】する。
しかし、現実となった今は普通の会話に簡単な交渉を混ぜるだけで相手を勝手に【契約】する事は可能、だと思う。
ゲームの設定通りの【契約】ならばイケる。
メニューで確認したが、覆面の輩は近くには存在しない。
今がチャンスだろう。
では、交渉の前に情報収集をするとしよう。
俺はオベムを食べるのをやめて彼女もしくは彼の方を向いた。
視線を向けられた事に気付いた彼女もしくは彼は怯えたように顔を下に向ける。
「改めて自己紹介をしよう。
俺は鬼灯。
看病をしてくれた事には感謝する。
ありがとう」
彼女もしくは彼は顔を下向けにしたまま震えている。
そのまま俺は話を続ける。
俺がどんな生活をしていたか。
奴隷になった経緯から好きな事ややってみたい事など色々な話題を話し続けた。
しかし、彼女もしくは彼の反応はそろそろと顔を上げたかと思うと俺と視線が合うとすぐに下を向いてしまうだけ。
これだけ話していれば少しは興味なりなんなり示すと思うのだが。
次に彼女もしくは彼について尋ねる。
名前、出身、好みや夢、ここに来る前はどんな生活をしていて、今の生活にどんな不満を持っているか。
しかし、反応は俺の身の上話をしている時と変わらず、そろそろと顔を上げては視線が合うと下を向くだけ。
何も話さない時からもしやとは思ってはいたが実は彼女もしくは彼は耳が聞こえないのではないだろうか。
それはマズイ。
交渉なんて会話して相手の情報を得て初められるものだろう。
…相手が幼い子共、ただ単に人見知りしてるだけなのかもしれないが。
まだ手はある。
俺は食べかけのオベムを置いて彼女もしくは彼に近付く。
俺には後どれだけの時間が残されているか分からない。
しかし、焦ってしくじれば後がない事もまた事実。
果報は寝て待てとは言うが待って俺が喰われては意味がない。
多少強引な手を使ってでも成さなければ俺の破滅が来るだけだ。
案の定、近付いて来た俺に対して彼女もしくは彼は怯えたように後ずさりしていく。
俺はなるべく笑顔を意識して彼女もしくは彼が逃げられないように牢屋の隅の方へ追い込んで行く。
「心配するな。
痛い事はしない。
敵でもない。
助けてほしい事がある」
伝わらないかもしれないが相手を安心させる為の言葉を伝え続ける。
客観的に見れば俺が彼女もしくは彼を笑顔で虐めて隅の方へ追いやっている図になってしまうが仕方ない。
いまや彼女もしくは彼は可哀想なほど震えて目をぎゅっと閉じ、尻尾は足にくっついて動かない。
もちろん、怖がらせる為にやっている訳ではない。
その恐怖を幾分か和らげる為に思い付いた事なのだから。
今にも顔と顔が触れそうな距離まで近付いてこれからする事を宣言する。
言葉が伝わらずとも声を掛け続けるというのは信頼関係を育む上で大事な事だ。
「今からお前を抱きしめる。
嫌なら暴れてでも逃げ出せ。
もし、俺を受け入れればお前をここから出る手伝いをする事を約束しよう」
俺は彼女もしくは彼を体を押し付けるように密着させて逃さないように手を背後に回して抱きしめる。
彼女もしくは彼は体が触れた瞬間にビクンと大きく動いたが、後は硬直したように俺にされるがままだ。
今は困惑と恐怖で固まっているのだろう。
少しだけ体の震えが伝わるが恐怖からだろう。
拒絶しないのは何故、俺がこんな事をしているか分からないからか。
抱きしめるという行為は案外、人を安心させる事に有効な手段だ。
怯えている子共を安心させるのにこれ以上の手はないだろう。
その前提として信頼関係があればの話だが。
見ず知らずのおっさんに急に抱き着かれても恐怖しかないだろう。
俺だって悲鳴をあげるだろうさ。
だが、少なくとも俺と彼女もしくは彼は助けた者と助けられた者という弱くて浅い関係性がある。
少なくとも見知らぬ関係ではない。
そして彼女もしくは彼は失神した俺を放置しない程度には人の良心があると考えて良いだろう。
人肌には他者を安心させる要素がある。
まだまだ覆面の輩が見回りに来る事はなさそうだが、抱きしめてから既に数時間は経過した。
ほら、だんだんと震えが止まり体の強張りが解けてきた。
顔は見えないが隅に追い込まれた時とは違い、ゆっくりと動く尻尾は俺にも当たりくすぐったい。
俺を受け入れ始めたな?
俺は抱きしめたまま【契約】を使った。
次回、『自由な空の下へ』