2-13 キョンシーを持つということ
ボタボタボタボタ。ボタボタボタボタ。ボタボタボタボタ。ボタボタボタボタ。ボタボタボタボタ。ボタボタボタボタ。ボタボタボタボタ。ボタボタボタボタ。
──雨、すごいな。
ガラス窓を打ち付ける大粒の雨を恭介は見ていた。彼が居るのはモルグ島中央に聳え立つ気象塔、その中腹部にある居住スペースの一部屋だ。
時刻は午前八時。強化ガラス越しに打ち付ける雨音で目が覚めたのだ。
「スー、スー」
「……」
高級ビジネスホテルを思わせるツインベッドルームで、恭介が眠っていたベッドは部屋の窓側だ。部屋の入り口側ではホムラとココミが手を繋ぎ合って眠っている。
いや、繋ぎ合うという表現は正確ではない。ホムラの右手とココミの左手は赤と白の紅白リボンで雁字搦めに縛られていて、ちょっとやそっとじゃ二体のキョンシーの手を引き剥がすことはできないようにしてあった。
「……メールは、と」
何となしに恭介は通信端末を取り出してメールボックスを開く。液晶画面をスワイプして行くが、ハカモリ第二課の主任、アリシアからのメールしか来ていなかった。そのメールも昨日恭介が送った定時連絡へただの返信だった。
アリシア・ヒルベスタ。恭介の上司であり、穏やかな女帝。彼女が推薦してしまったせいで恭介は第六課という最悪の職場に配属されてしまった。
意図は恭介にも理解できる。第六課に監視員を置きたかったのだ。度重なる清金京香の暴走は恭介の耳にも入っていた。
そして、恭介にはアリシアに逆らえない事情があった。
「はぁ」
ため息を吐きながら恭介は自身の両耳を揉んだ。昨日一日フランス語を聞き続け、耳の奥が疲れている。
ほんの少し前の学生時代、恭介は旅行を良くしていた。キョンシーの普及で人件費が格段に安くなった現代社会、海外旅行は下手な趣味よりも安価だった。
その経験にプラスして、第二課での僅かながらの日々の猛特訓のおかげで恭介は、英語、中国語、フランス語、ドイツ語、ロシア語を日常会話が遅れる程度に習得している。
だが、異言語に晒されるというのは中々のストレスだ。清金が持っていた翻訳機が欲しかったが、あれ一つの値段で恭介は一年暮らせる。そんな高価な物を持つ気に成れない。
ボタボタボタボタ。ボタボタボタボタ。ボタボタボタボタ。ボタボタボタボタ。ボタボタボタボタ。ボタボタボタボタ。ボタボタボタボタ。ボタボタボタボタ。
ピッ。ピッ。通信端末を操作し、恭介はヨーロッパ一帯の天気予定を調べた。
──全体的に晴れ。一部農作地域に対してのみ少量の雨。
天気予定とは、アネモイがいつ、どこに、どのような天気を作り出すかを記述した物で今の空模様とは全く違う。
この激烈な大雨こそがアネモイの不具合を証明している様だ。
「シャワーでも浴びるか」
シャワーを浴び、外着に着替えて部屋に戻ると、窓ガラスには見事な晴天が広がっていた。つい十分程前まであった滝の様な雨はその姿を消し、窓ガラスに残る水滴だけが残滓である。
「うわ、良い天気」
恭介は呟く。先程調べた気象予定通りの、雲一つない青空がモルグ島を包み込んでいた。
通信端末で調べると、まだ、急速にヨーロッパ全体が晴れて行っている。後一時間もすれば全土の天気図に晴れマークが灯るだろう。
アネモイの天気制御がダイレクトに効くのはどうやらモルグ島一帯までで、ヨーロッパ全土となると一、二時間の時間差が生まれるらしい。
恭介は脳に叩き込んだ第二課のデータブックを思い出す。
エアロキネシスとは言ってしまえば、気体分子の運動を制御するPSIである。
加速、停止、凝縮、拡散、どの様な運動制御が得意かはキョンシーの個体差に依るが。アネモイはその全てに秀でたキョンシーだ。
アネモイのエアロキネシス。全気体分子の完ぺきな運動制御。特に凝縮と拡散に秀でており、周囲一帯の気圧をミリパスカル単位で制御できる。有効PSI半径は八百キロメートル。ただし、自身との距離が離れるほどPSIの制御が難しくなる。
──改めて考えても化け物スペックだな。
ヨーロッパ連合が保有する奇跡の傑作。天候の支配と言う人類が夢見た大偉業を成し遂げたキョンシー。そんな物と今から関わらなければならないのだ。
「……憂鬱だ」
ココミ、恭介が持つ二体のキョンシーの内の一体。世界で初めてで唯一のテレパシストはそのPSIで他のキョンシーにPSIを植え付けることができるのだ。
どこからか漏れたこの情報が新生アネモイ計画を立てているヨーロッパ連合に眼を付けられてしまった。
恭介にはどうでも良い。というか平穏に暮らしたく、あまりココミをシカバネ町の外に出したくない。
ココミは現在世界で最も注目されたキョンシーである。合法非合法の組織がココミを手に入れようと画策しており、シカバネ町でもその魔の手が伸びていた。
実際、昨日リムジンにて恭介達は正体不明の組織から襲撃を受けた。清金と霊幻が居たから良かったが、もしも恭介達しか居なかったらココミを守り切れなかっただろう。
死者が存在を謳歌するのには、生者の後ろ盾が必要だ。恭介にはその責任があった。
「スー、スー」
「……」
鏡合わせの様に恭介のキョンシーは眠っている。
PSI阻害用の制御首輪を嵌められた二体の顔は全く同じで、ホムラは左眼を、ココミは右眼を隠す様に蘇生符が貼られている。
この二体には血縁上は無い。蘇生符の型番としても姉妹機ですらない。
ホムラの見た目はココミを模して整形された模造品なのだ。
ホムラに使われた素体は最低でも二十七。あり合わせで余ったパーツを継ぎ接ぎし、整形手術によってココミと同じ顔と体の形にしているキメラだ。
「ん、ココ、ミ」
「……」
スリープモードに入っているホムラがココミを引き寄せて軽く抱き締めた。
ホムラは自分をココミの姉だと信じている。理由を恭介は知らない。
だが、ココミは知っているだろう、自分がホムラの妹ではないということを。
蘇生符の起動時間を調べたマイケル曰く、ホムラはココミの後に起動している。そもそもとしてホムラはココミの後に造られたのだ。姉である筈が無い。
「ま、良いけどさ」
それについて深く考えない。恭介が考えるべきなのは難局をどう突破し、自分とホムラとココミが生き残るのか、ということだけだ。




