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⑧ 嫌いなあなたを







「……きょうか、データはおくって、くれた? だいじょうぶ、だった?」


「ええ、完ぺきだったわ。さすがね、スズメ」


「わたし、ちゃんと、できた?」


「最高よ。本当に、できすぎなくらい」


 京香はスズメを抱きしめて横に成っていた。


 その周囲には壊れ、機能が停止したキョンシー達の死体が羽の様に倒れている。


 葉隠邸のキョンシーの中で残ったのはサルカだけだった。そのサルカもスズメが手に入れたホムラとココミの居場所のデータを持って、既に恭介達と合流している。


 今、この屋敷に居て、意思を持っているのは京香とスズメだけだった。


 それはすぐに京香だけに成ってしまう。


 トクン、ト、クン。伝わる鼓動は小さく弱々しい。熱はどんどん下がっていく。


「いろいろ、やったねぇ」


「やったわね。スズメが居なきゃ、どうしようもない事件がいっぱいあったわ」


 目の前にスズメの顔がある。彼女は京香の左腕を枕にして、こちらを見ていた。


 だが、その眼のピントが合っている様には思えない。


――やりたいことは無いの?


 そうスズメに聞きたい。けれど、スズメも分かっている様に、彼女はすぐに死ぬ。


 死にゆく人間へやりたいことを尋ねるのは残酷ではないか。


「きょうか」


「何?」


「わたしの、したいはさ、どうなるのかな?」


 京香は少しだけ息が止まった。


「……どうしてほしい?」


「きょうかのキョンシーにしてくれるなら、うれしいかな」


「分かっ――」


「――でも、むりだよね」


 えへへ、とスズメが笑った。何も笑えることでは無い。


 破壊し尽くされたスズメの脳はもうキョンシーに出来ない程に劣化している。


 何をどう回路を接続してもキョンシーには成れない。


「……スズメ、人間とキョンシーは違うわ。だから、キョンシーに成れないからって嫌だなって思わなくて、良いのよ」


 どんな慰めだと、京香は思った。どちらにせよお前という存在は終わりなのだから気にするなとも取れてしまう言葉だ。


 そういうことを言いたいわけじゃないのに。


 そういうことを伝えたいわけじゃないのに。


 京香には上手く言葉が見つけられない。


 それでも、京香が出した言葉にスズメは「なら、よかったぁ」と安心した様に笑った。


「いまのきもちを、わたしだけのものにできるんだねぇ」


 言って、スズメがこちらに体を寄せようとしてきた。だが、その体はもうほとんど動かせなかったから京香は右腕で抱き寄せる。


「きょうかの、におい、すきだよ」


「ありがとう。アタシもスズメとくっつくの好きよ」


 細くて脆い体だ。命の熱がどんどんと失われていく。


 この家に来る度に抱っこをねだられた。スズメなりの甘え方で何だかんだで京香も受け入れていた気がする。


 ト、クン。ト、クン。


「きょうか」


「なぁに?」


「いまも、じぶんがきらい?」


 首の下からスズメの声がする。声は朦朧としかかっていたけれど、確かな意思が感じられた。



 質問に息が止まった。そして、ああ、この質問には嘘をついてはならないのだと心の奥で理解する。


「うん。大嫌い。こんな自分が、こんな生き方が、大っ嫌い」


「そっかぁ」


 胸がスズメのか細い息を感じる。言葉一つを言うのに、スズメは残る力を振り絞っている様だった。


「わたしは、きょうかが、すきだよ。だいすき」


「ありがとう、アタシも大好きよ」


 何をスズメは言いたい? 何を自分はスズメに言いたい?


 残り時間は消えていく。最期の会話は待ってくれない。


「……スズメ、アタシにさ、自分のことを好きに成って欲しい?」


「うん」


「……そっか」


「きらいなままなのは、つらい、よ。しあわせになって、ほしいんだよ」


「難しい、わね」


 難しいことだ。京香はずっと自分が嫌いだ。


 そう生きたかったわけではない。そう望んだわけではない。


 だが、自分を好きに成りたいと思えたことが無いのだ。


「きょうか、かお、みせて」


 京香はスズメの体を少し動かし、視線を自分と合わせた。


 キョンシー程に白い肌だ。もはや体は辛くないのだろう。顔は穏やかでこちらを慈しむ様に見ている。


「がんばって」


 言葉に京香は眼を少しだけ見開いた。


 頑張るな、無理をするな、楽をして。スズメが京香に言ってきた言葉はその様な物ばかりだ。


 そうか、と京香は右手でスズメの頬を撫でる。


「ごめん、ね。きょうかはもう、こんなに、がんばってる、のに、ね」


 スズメが死にゆく者からの願いを誰が断れるだろう。これは脅迫の様な物だ。


 断る事はできない。


「……うん、がんばるよ、スズメ」


 京香の返事にスズメが笑う。その眼からは涙が流れ出していた。


「きょうかが、すくってくれたひのことを、おぼえてるよ」


「……アタシも覚えてるわ」


 半分本当で半分嘘だ。あの時、京香は自暴自棄で、八つ当たりの様に脳特殊開発研究所を撲滅した。そこでたまたま生き残っていたのがスズメで、それをたまたま助けたのが自分だというだけの話だ。


 壁を壊した先にスズメは居た。震えて丸くなり、こちらを見ていた。


 京香はその姿に何も思わなかった気がする。


「わたしをひろってくれて、ありがとね」


「助けたんだもの。責任は取るわよ」


 スズメを助け、その後見人に成ったのは、幸太郎を真似したからだ。


 助けようと思ったわけではない。だが、助けてしまったのであれば、責任を取るべきだ。


 そう思って、そう思っただけなのだ。


 きっとそれはスズメにはバレている。


「きょうか」


「なぁに?」


「キス、して」


「いいよ。何処に?」


「どこでも、きょうかがしてくれるところに」


 京香は眼を瞑るスズメへ顔を寄せ、その冷たい額へ唇を当てた。


「あー。うれしいなぁ」


 こんなことが嬉しいのだ。こんなことで喜ぶのだ。


 感情が揺れる。京香にとってスズメは友人だったと思う。対等は言えなかったけれど、何処まで行っても自分が上で、スズメが下に成ってしまったけれど、それでも葉隠スズメは清金京香の友だった。


 その時間が終わろうとしている。


 スズメは眼を開けて京香を見る。


「まだ、はなしたいなぁ」


「おしゃべりしましょ。いつまででも付き合うから」


「いえーい。きょうかを、どくせんできるね」


 フフフと、唇だけが笑う。その眼のピントが合わなくなっていく。


 いよいよだ、と京香は悟った。


「スズメ、どうして欲しい?」


「だき、しめて。つよく、ずっと、おねがい」


 両手でその体を抱きしめる。希望の通り、強く。


 命が抜けていく体。細く、冷たく、脆くなっていく。


「きょうか、まだ、じぶんがきらい?」


「う、ん。ごめん、なさい」


 同じ言葉が繰り返された。スズメの意識が希薄に成っている。


「なら、さいごに、おねがい、させて」


「言って、スズメ」


 息を吸うのにも力が要るのだ。後何回もできない息が京香の胸の中で為される。


 スズメが首を動かす。息が京香の首に掛かる様に。


「きょうか」


 そして、最期の言葉が告げられた。




「あなたが」


 スズメの願いで、


「きらいな、あなたを」


 執着で、


「わたしに、ちょうだい」


 祈りだった。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

これで第九部も終わりです。

長かった話もいよいよ最終部に入る予定です。

後もう少しお付き合いください。

よろしくお願いします。

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