⑧ スターティングゲード
***
ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ! ブオオオオオオオオオオオオオオオ! ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
――何あれ? ココミ?
ギョクリュウとの戦闘の中、京香は視界の端で走り狂う暴走車の存在に気づいていた。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒイイイイイイイイィィィィィィィィイイイイィィィィン!」
パカラパカラ! 左後ろ脚を失い、右上半身が抉れたギョクリュウの蹄が激しく鳴る。
バアアアアアアアアアアアアアアン! バアアアアアアアアアアアアアアン! バアアアアアアアアアアアアアアン!
爆風とギョクリュウが左腕で持った槍が京香を襲う。
砂鉄で全身を包んでいたから致命傷ではない。だが、キョンシーの攻撃は激烈で、宙に飛んでいた京香の体が地面へと叩き落される。
砂鉄で背中をガードしたとはいえ、衝撃はすさまじい。肺から空気が強制的に押し出され、筋肉が軋む。
「次よ」
それを無視して、京香は磁場を展開し、もう一度飛び上がった。
「行かせませんなぁ!」
気絶しないレベルのギリギリの出力で京香は飛ぶ。目指すのは仲間達の所。早く合流するのだと、磁場を展開する。
ギョクリュウは速い。足を一本失い、動きの精細さには陰りが見えるが、それでも人間では反応するのが難しい速度で京香の進路に立ち塞がり、蹄の爆風と槍で地面へと叩き落される。
――後、少し。
しかし、京香は理解していた。ギョクリュウの体はもう限界を超えている。度重なる京香のマグネトロキネシスを受け、骨と言う骨がひしゃげ、馬面からはずっと血が流れている。
自分を止めるため、あのキョンシーは全力でPSIを展開しているのだ。長くは続かない。むしろこれだけ京香を抑えられているだけでも奇跡的だ。
「壊れる気ね?」
「むしろ本望!」
キョンシーは役割に縛られる。ギョクリュウは一体何に縛られているというのか。
モーバからの命令か? それともキョンシーとしての仲間意識か? 判断は付かないし、判断を付ける意味もない。
目の前に居るのは明確な敵だ。仲間への道を阻む障害物でしかない。
「後何回で壊れるかしらね?」
「数えてみますかな? 我はまだまだ走れる器ですがな!」
数回、それがギョクリュウの京香の突撃を止められる残り回数だろう。それくらいあのキョンシーの体は壊れている。
――アタシの体はまだ大丈夫。
痛いのは耐えられる。少しだけ骨に罅が入っているかもしれないが、四肢の全てはまだ万全に動いていた。
ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ!
「早く壊れなさい。アタシは仲間の所に行かないといけないのよ」
「ヒヒヒン! 我も仲間のために壊れないといけないのですな!」
砂鉄の形を変える。体を覆う鎧から、敵を穿つ槍の形へ。
ギョクリュウの動きに京香はもう慣れた。早くこの敵を破壊するのだ。
バアアアアアアアアアアアアアアン! バアアアアアアアアアアアアアアン! バアアアアアアアアアアアアアアン!
ギョクリュウが京香の周囲を回る。蹄の爆風で空を駆けるあのキョンシーを眼で追うのは難しい。
「あんたが逃げるんだったら勝ち目が無いわね」
素直に京香は感想を口にした。移動するという機能に絞れば、ギョクリュウはB旧キョンシーの最上位だ。A級キョンシーからだって逃走の可能性がある。
ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ!
残った砂鉄を周囲へ薄く広げ、三次的な蜘蛛の巣の様に京香は展開した。
敵は京香をここへ足止めしたいのだ。キョンシーは目的に縛られる。たとえ自身が壊れる結果に成るとしてもその行動を止められない。
「このまま削り切ってやる」
蜘蛛の巣が激しく振動し、周囲の瓦礫をチェーンソーの様に削り裂いた。
「ヒヒヒン! 来ますか!」
砂鉄の巣と共に京香は飛ぶ。向かうのは変わらず霊幻達の所。そしてそれを変わらずギョクリュウが食い止めようとする。
ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ!
「!」
だが、突き出されたギョクリュウの槍が砂鉄の巣に削り、その槍先が消失する。
回転ではなく、振動運動。できるかどうかも分からないままに今京香が展開した新しい磁場の形。
「ヒヒヒヒヒーン! 行かせませんぞ!」
槍を失いながら、ギョクリュウが次に突き出したのは右前足の蹄だった。
砂鉄の巣を広く展開してしまったから、今京香を守る砂鉄の数は少ない。爆発をこの距離で受けたらただでは済まない。
「良いわ。喰らってあげる」
けれど、京香はギョクリュウが行動する前に、シャルロットの薔薇の盾を広げ、そこに砂鉄を纏わせていた。
もう敵の動きは分かっている。槍を失ったならば、体のどこかを犠牲にして攻撃するだろうと理解していた。
ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ!
砂鉄の巣が自身を突き破ったギョクリュウの蹄を削り裂く。それと同時に爆発が成った。
バアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!
爆風に押され、京香の体が地面へ落ちる。先ほどと同じ動き。先ほどと違うのはギョクリュウの足がまたもう一本無くなったことだ。
パカラ、パカラ。失った足を少し見て、空でギョクリュウが蹄を鳴らす。
「残るのは左の前脚に、右の後脚。それで動けるかしら?」
「いや、無理ですな。さすがに二本ではまともに動けませんとも」
ふむ、とギョクリュウが先を失った槍を捨て、左手で懐から注射器を取り出した。
「では、このギョクリュウも壊れるといたしますか」
「……マイクロ蘇生符ね」
持っているだろうとは思っていた。前の戦いでクロガネが自身へ投与した、極小の蘇生符がいくつも詰まった薬液。
あれを注入されたキョンシーは爆発的にPSI性能が跳ね上がる。
「どうして最初から使わなかったの?」
「我のPSIは爆発ですからな。強くなり過ぎたらこの体が耐えられないのですよ」
ヒヒヒン。面白いのか、ギョクリュウが嘶き、そのまま首筋にマイクロ蘇生符を注入した。
変化はすぐで、そして劇的だった。
バァン! バァン! バァンバァンバァンバァンバァンバァンバァンバァンバァンバァンバァンバァンバァン!
残った二本の蹄が空を掻く度、そこに耳をつんざくような爆音が生まれる。
――なるほど。確かに出力は上がってるみたい。いや、上がり続けてるみたいね。
その爆発は目に見える速さで勢いを増し、すぐにギョクリュウの周囲が無数の爆発で包まれた。
京香は敵が何をしようとしているのか、理解した。マイクロ蘇生符は短期決戦用の切り札だ。あれを使ったのであれば遠からずキョンシーは壊れてしまう。
であるならば、敵は特攻をこちらに仕掛ける気だ。
「ヒ、ヒヒ、ヒン! 京、香殿、壊れない、でくださいな。我が、シロ、ガネに怒ら、れてしまい、ますからな」
爆発のボルテージが上昇する。爆炎と爆風でスターティングゲートが作られていた。
――受けたら死ぬわね。
人間の体だ。大質量を高速で受けたら死んでしまう。
「来なさい」
ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ!
砂鉄の形を変え、京香は一つの巨大な爪を作り出した。どのタイミングでギョクリュウが飛んで来るかは分からない。真っ直ぐに受けたら死ぬことは確かだ。ならば、横薙ぎに破壊するしかない。
パカラ! パカラ! パカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラパカラ!
蹄が成る。爆風が空を揺らす。強過ぎる爆発が、その蹄を割っていく。
タイミングを間違えたら死ぬしかない。眼で捉えられる速度ではないだろう。
京香の頭に焦りは無い。敵が来たその瞬間、この爪を薙ぐだけだ。
「ヒヒヒヒィイイイイィィィィイイイイイィィィィイイイイイィィィィイイイイイィィィィイイイイイィィィィイイイイイィィィィイイイイイィィィィイイイイイィィィィイイイイイィィィィイイイイイィィィィイイイイイィィィィイイイイイィィィィイイイイイン!」
一際強くギョクリュウが嘶き、目も眩む激烈な爆発がギョクリュウの姿を消した。
「シッ!」
意識の向こう側で京香は砂鉄の爪を薙いでいた。磁場を解放し、自分が出せる最大の速度で。
音速を超えたギョクリュウの体を、同じく、音速を超えた砂鉄の爪が薙ぐ。
バアアアアアアァァァァアアアアアァァァァアアアアアァァァァアアアアアァァァァアアアアアァァァァアアアアアァァァァアアアアアァァァァアアアアアァァァァアアアアアァァァァアアアアアァァァァアアアアアァァァァアアアアアァァァァアアアアアン!
爆発の音が聞こえたのは、その後だ。
京香の目の前でギョクリュウの体が血煙と化す。
直後、空からの爆風が京香を吹き飛ばした。