① スズメができること
「まずい」
モーバの目的に気づいた時、スズメは自身の体から血が干上がる様な感覚を覚えた。
アネモイと共に空に坐する異形のキョンシー。大量にいるそれらどれもの四肢は矮小で戦うのには適さない。
なぜ、それらが空に居るのか、なぜアネモイはリコリスを攻撃したのか。
過去のモーバとの戦闘記録。それらを漁り、スズメは敵の作戦の一端を理解した。
「ココミをオーバーフローさせる気だ」
ゴルデッドシティの時と同じだ。大量のキョンシーを突っ込ませ、思考の奔流でココミの解析リソースを食い潰す。
DDOS攻撃の様な物だ。スズメだって何度もやったことがある。
けれど、スズメは眉をしかめる。異形のキョンシーの思考をココミは読み取れない。であれば、仮に大量のキョンシーに囲まれたとて、ココミの脳のメモリは落ちないはずだ。
――そもそも読み取れないって分かってるデータならココミだって大丈夫なはず。
モーバが異形のキョンシー達を連れて来た理由は明白だ。ココミのテレパシー対策に違いない。けれど、ココミをオーバーフロ―させたいのであれば、むしろ思考を読み取らせる必要があるはずだ。
「……カラス、ヤマダとマイケルは何をしてる?」
『先ほどヤマダ様がマイケル様よりメモリスティックの様な物を受け取っておりました。おそらくココミ様が異形のキョンシーの思考を読み取れるようにするためのパッチファイルが入っているのではと推測します』
「……本当にまずい」
一つ条件がクリアされてしまう。ココミが異形の言葉を理解できるようになった時、ココミの脳には一気に異形達の思考が入ってくるはずだ。
だが、それでもココミはA級キョンシーだ。ゴルデッドシティの二の舞は避ける筈だ。
では、モーバはどうやってココミの機能を止める気なのか。
スズメは戦う人間ではない。できることはハッキングくらいだ。
「カラス、監視カメラを空のアネモイ達に集中。あれは何処を見ているか調べて?」
『……………………解析しました。アネモイは京香様とギョクリュウの戦いを観察しています』
「京香の?」
なんで? スズメは眩暈を覚えながら眉を顰める。敵の作戦は異形のキョンシーでココミをオーバーフローさせることだ。それはほとんど間違いない。であれば、アネモイが狙うのはココミであるはずだ。
――アネモイの位置なら木下恭介達の位置を把握できているはず。
今、木下達は孤立している。正確な位置をスズメ達はまだ把握できていないが、敵が狙うならば格好の機会だ。
ヤマダがココミにパッチファイルをインストールでき次第、異形のキョンシーを突っ込ませれば良い。
なのに、アネモイは木下ではなく、京香を見ている。
「……京香に何をする気?」
嫌な予感がする。モーバが京香に何かをしようとしている。スズメには許し難いことだ。
――何か、私にできる事は?
マグネトロキネシスを展開した京香へ電子的通信はできない。外に放った給仕達も数が少ない。スズメから京香へ情報を伝える手段が無かった。
であれば、何をする? 何ができる?
オクトパスで作られた八個の視界、スズメの平行思考が回転する。
監視カメラの情報、モーバの位置、シカバネ町の被害、ハカモリの人員の現在位置。
考えるべきはヤマダと木下の動向だ。既にヤマダの手にはマイケルからのパッチファイルが持たれ、ココミが異形のキョンシー達の思考を読み取る条件が達成できつつある。
「……ヤマダの様子は?」
『ヤマダ様はカワセミとフレデリカ様と合流しております。現在、恭介様の居場所を探索し、我々が見つけ次第連絡する予定です』
幸いだった。今、シカバネ町全域に通信妨害がかけられている。葉隠邸の給仕達の通信は独自の電波域を使っているから連絡ができるが、スズメからハカモリの職員への連絡はできないでいた。カワセミが近くに居るのだ。カワセミ経由で連絡ができる。
「カワセミに伝えて、アネモイが空に居る。その周りには大量の異形。そして京香を見ている。それであの人なら状況を把握できるはず」
『承知いたし――ジジッ――ました』
カラスの言語にノイズが混じり始めた。先ほどから全力での解析を休みなしに行っている。スペック以上の負担をかけているのだ。壊れ始めるのは当たり前だ。
それは良い。キョンシーが壊れることにスズメの感情は動かない。
パッチファイルの処遇はヤマダに任せる。おそらくココミへパッチファイルを適用することになるだろうとスズメは理解していた。敵が何か罠を仕掛けている。それはココミをオーバーフローさせる物で、パッチファイルは罠の条件を一つ満たす物だ。けれど、今、窮地に陥っているココミ達にとってテレパシーは生命線だ。パッチファイルを使わざるを得ない。
詰将棋をされている感覚。どこまでが敵の作戦なのか。
「……考えるのは後」
時間が無い。おそらくもうほとんど残っていない。スズメは血の気が引いた頭で考える。
木下とヤマダについては対応した。京香へはアクションを起こせない。
であれば、今、スズメが何かできるのは霊幻とヨダカ達の戦場だった。
「監視カメラの映像を霊幻とヨダカ達の元へ。今どうなってる?」
本当は見たくない。戦場に居るのは〝大人〟達だ。きっと見るだけで意識が飛びそうになる。でも、言っていられる状況ではなかった。
カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。
すぐさま八つのタイピング音が霊幻とヨダカの戦場へとフォーカスを合わせる。
『――! ――――――――――!』
霊幻が相対するのはシラユキとカーレン。さすがシカバネ町随一のキョンシーだ。一歩も引かず、むしろ優勢で、少しずつ敵を追い詰めている。
『―――――――――――――!』
対して、ヨダカ達の戦況は悪い。ほとんど給仕が残っていなく、ヨダカは片腕を失っている。そして敵たるガリレオとカケルを中心にビルを飲み込むようなテレキネシスの嵐が展開されていた。
暴力的な光景と大人達の姿に、胃がひっくり返り、スズメはその場でびちゃびちゃと吐いた。
「スズメ様!」
サルカがすぐにこちらに駆け寄り、こちらを介抱しようとする。
自分への介抱と胃液だけの吐瀉物の処理をサルカに任せ、スズメはキョンシー達に問い掛ける。
「状況は?」
『ガリレオの半身を切り落としました。敵がマイクロ蘇生符を使用。現在、暴走状態のままテレキネシスを展開しています』
「突破は?」
『我々の性能は難しいです』
「分かった」
戦場に居るヨダカ以外のどれかのキョンシーから報告を受け、スズメは映像を切り、しばし動きを止める。
――私にできる、ことは?
チカチカと視界が明転する。気絶の一歩手前だ。意識を保っているのは一重に京香の役に立ちたいというその一心だった。
ガリレオが展開しているテレキネシス。あらゆる現象へ力学的にアプローチができるPSIの基礎。
それゆえに物理的質量の影響を強く受ける脆弱性があった。
過去の記憶と記録をスズメは漁る。今できる一つの答えがあったはずだ。
「全員へ命令。葉隠邸の通信回線波長を修正。大規模ハッキングを開始。対象はヨダカ達の首位二キロにある電子制御の車全て。今すぐ開始して」
『『『『『『『『承知いたしました!』』』』』』』』
カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。
思い出すのはホムラとココミがシカバネ町へ始めてきた時に見せた鉄の本流。テレパシーでハックした電子制御車でハカモリの研究所を囲んだあの妙技。
再現は無理だ。けれど、突っ込ませるくらいならばスズメでもできるはずだ。
ジジッ。ジジジジッ。ジジジジジジジジッ!
オクトパスの画面が乱れる。無理のある命令が与えた負荷にキョンシー達の脳が壊れ始めたのだ。
「何が何でも脳を保たせて。この戦いの後なら壊れても良い」
『『『『『『『『お任せあれスズメ様!』』』』』』』』
命令通り、数十秒でスズメが指定した通り、ヨダカ達の周囲の車がハックされる。
すぐにスズメは命令を打ち込んだ。
――今すぐ、戦場へ突っ込め。
この後どうなるかは分からない。ヨダカと霊幻に任せるしかない。
「次だ。次の手を打たないと」
オクトパスを外し、スズメは窓を見る。無理をした体は悲鳴すら上げない。
今すぐ横に成った方が良い。分かっている。だが、行かなければ。
スズメは目や耳や鼻から血を流す給仕達を見る。蘇生符を貼った死体達は機械の様に正確な動きでタイピングを続ける。
今からスズメが命令するのはこの給仕達の在り方を致命的に否定する物だ。
いつの間にか吐瀉物に塗れた着物は交換されている。
スズメは躊躇わず、命令を口にした。
「葉隠スズメがお前達に勅令する。私をバツの所へ連れて行って」
きっと今スズメができる最後のこと。それはシカバネ町北区に居るであろうバツを戦いに連れ出すことだ。