⑧ 第五課の信念
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「フハハハハハハハハハッ! 素晴らしい素晴らしいぞ長谷川圭! 某はお前達第五課を舐めていた! 有象無象の汎用キョンシーを突撃させることしか芸の無い集団だとなぁ!」
「イルカ、足元を狙え」
バッシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
迫り来るベンケイの巨体を前に圭は鳥籠を掲げる。
そこに入っているのは首だけになったイルカだ。
圭の命令の度に鳥籠の首は眼を開き、眼前の敵へと水塊を放った。
水はこの星で最も多く、最も手軽で、最も凶悪な液体だ。
放たれる水塊の一つ一つの質量は一トンを超え、機械仕掛けのキョンシーを押し流す。
「ヨシツネよ! 素晴らしい敵だっ! お主も気合を入れるのだ!」
「……そうだね」
ベンケイに捕まる敵のキョンシー使い、ヨシツネが目を細める。このキョンシー使いについてまともな情報が無い。常に持っている刀は飾りではあるまい。
「追加のキョンシーは何体送れる?」
『っ三体です』
通信機越しに第五課の部下達へ指示を出す。圭の手元に汎用キョンシーはもう居ない。敵を追い詰めるためには追加の戦力が欲しいところだった。
圭は第五課で持つキョンシーの在庫を思い浮かべる。度重なるモーバとの戦いのせいで、潤沢だった汎用キョンシー達の数は随分と減ってしまった。
ギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュル!
車輪を回してベンケイが圭を狙い走ってくる。戦車の様な速さと重さ。汎用キョンシー三体では焼け石に水だ。
「了解。追加はいらない。そっちの防衛に回して」
『承知しました』
通信を打ち切り、圭は鳥籠を揺らす。
「イルカ、まだいけるね?」
「……」
鳥籠の首は言葉を話さない。声帯は残っていたが、気道が無い。声を出すための空気がこのキョンシーに通ることはもう無いのだ。
モーバのハクゲイ、そしてシラユキとの戦いの中でイルカは敵と相打ちに成った。
全身が凍り、体は細胞壁から破壊され、まともに残ったパーツは頭部だけだったのだ。
凍っていたこともあったからか、脳細胞自体の死滅は少なかった。
『ああ、なら頭だけでもハイドロキネシス用のポンプにしてしまいましょう』
アリシアの言葉を思い出す。第五課満場一致で頷いた提案だ。
バシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
イルカの水塊が汎用キョンシーの血で塗れたベンケイを押す。ベンケイの高速移動は高速回転する車輪によって実現される。ハイドロキネシスでわずかにその車輪は空転するが、動きを止めるには至らない。
まだ、イルカに五体があった頃を圭は思い出す。第二次性徴が始まるずっと前に死んだ子供を素体にしたハイドロキネシスト。
子供の姿で、いつもボーっとハカモリの建屋を歩いていたイルカのことを可愛い可愛いともてはやす局員は多かった。事実、第五課の多くも自分らの主力キョンシーたるイルカを戦力以外の部分で好いていた。
だが、圭にとってイルカは第五課の信条に反してでも配置した特別なキョンシーだった。
第五課の信条、それは汎用キョンシーの大量消費こそがキョンシーの正しい使い方であるというものだ。人間の死体から作られるキョンシーは多かれ少なかれ性能に差が出る。身体的な性能だけであるならば良い。問題なのは精神的な性能の差異だ。
自律型のキョンシーは確かに強力だ。だが、その精神性は脆い場合が多く、キョンシー使いが意図しない動きをしてしまう事が多い。キョンシー使い自身が自律型キョンシーと共闘できる程に強いのであれば話は別だが、並大抵のキョンシー使いでは自律型キョンシーに振り回され、その命を落としてしまう。
だから、第五課は他律型で規格化されたキョンシーしか持たない。使い慣れた道具こそがキョンシー使いの命を救う。そういう信念があったのだ。
その信念を曲げてでも、イルカを第五課に持たせたのは上森幸太郎の死亡が理由だった。
上森の現役時代、圭はまだ第五課に入ったばかりの一介の捜査官だった。
そして、圭は上森に憧れていた。人類最強と謳われ、人の身でキョンシー相手に渡り合う。キョンシー犯罪に人生を歪められ、キョンシー犯罪を撲滅しようとする物にとって、上森の在り方は理想そのものだった。
そんな上森幸太郎が死んだ。清金京香を助けるためにあっさりと。当時第五課の一戦闘員であった圭にとってそれは衝撃的な事だった。
あれ程までに強い人でもキョンシー相手ならば死んでしまうのか。
当たり前のことだとは理解していた。人間の体は脆い。穴が開いてしまっただけで簡単に死んでしまう。そう分かっていたけれど、上森幸太郎ならば死なないのではないかとそう思ってしまっていたのだ。
人類最強の死は第五課の当時の主任にも衝撃をもたらし、第五課のリーサルウェポンとしてPSIキョンシーが必要だと思わせたのだ。
その横で圭は夢を追うのを止めた。キョンシーと戦うのはキョンシーだけで良い。キョンシー使いは正しい指示を出すことに徹すれば良いのだ。PSIを使える自律型のキョンシーなど要らない。
ただ冷静に、ただ正しく、常に最善の手をキョンシーへ命じ続ける。
キョンシー使いが前に出る必要などないのだ。
「イルカ、左腕を狙え」
「……」
バッシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
だが、圭は今前に出て、敵のキョンシーからの攻撃をぎりぎりで避けている。
首だけに成ったイルカに指示を出し、人間では不可能な速度で迫ってくるベンケイを相手取り、ハカモリの本部を守っていた。
生身でキョンシーの前に立ち、命を危険に晒して攻撃をさばく。
在りし日に憧れたキョンシー使いの様だった。
判断を間違えたとは思わない。今ここで敵を食い止めるのにあたり、最も正しい判断をしたという自負もある。
脳裏にチラつく人類最強の影を無視して、圭は敵へと走り寄った。
「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
水塊に左半身を押され、回転しながら押し流されたベンケイが笑う。
イルカの攻撃では決定打に成らない。水では押し流すことはできても押し潰すことができない。近寄り、決定打のタイミングを見つけるのだ。
「良いぞ良いぞ! 某は高ぶっている! ヨシツネ、貴様も戦場に出ろ! そういう舞台だ!」
「その様だね」
タッ。ベンケイの体からヨシツネが飛び降り、刀の柄に手を触れた。
――来る。
ヨシツネの戦闘能力は不明。しかし、戦場に降り、刀を持った。ならば、何かの攻撃手段がある。
「イルカ」
バシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
一回り小さな水塊をヨシツネへ放つ。人間相手であればこれで骨の一本でも折れる筈だ。
迫り来る水塊、それに対しヨシツネがしたことは鞘と柄を持ち、体勢を低く構えることだった。
――居合い?
歪んでいるが、居合いの構えだ。未知の攻撃の予感に対し、圭は前へ走る足を止め、後ろへとステップを踏む。
「跳ねろ」
直後、ヨシツネが刀を引き抜く。否、引き抜く姿を圭は見えなかった。パァン! 空気が弾ける音と共に気づけばヨシツネは刀を引き抜いていて、イルカが放った水塊は消え、何かが圭の右肩を抉り取っていた。
「ぐっ!」
テンダースーツごと抉り取られた。今の動きは何だ? 何をされた? 流れ出す血を無視して圭はヨシツネを見る。
引き抜かれた刀。その柄を握る腕からはつい先ほどまで着ていた袖口が消失し、その下にあった肌がさらされている。
「……改造義手か」
見れば、ヨシツネの腕に人間の色をした部分が無かった。見えるのは鈍色の金属。機械化された腕。それがシュウシュウと音を立てていた。
キョンシーの開発によって、人間用の義手や義足も大きく発展した。中にはほとんどを機械化し、生身であった時よりも一部の身体能力を大きく上げるという事例も聞いている。
アリシアが言っていた。まだ、完全に機械化したパーツへの置き換えは研究段階だが、将来人間は生身を捨てて生きることもできると。
――人間の身体能力だと思ったら見誤るか。
「さあ、私の刃はお前に届くかな?」
「どうだろうね」
肩の肉が抉れた。一部の筋肉が損傷している。圭はイルカの鳥籠を左手へ持ち替え、ベンケイとヨシツネを見る。
敵は二手に分かれた。対してこちらは一人。首だけのイルカでは敵片方を抑えられない。
「でも、負ける気はしないな」
小さく口元を笑わせて、圭はもう一度敵へと走り出す。
脳内には様々な仮定。なぜ、ヨシツネが今になってベンケイから降りたのか。初めからそうしなかった理由は何なのか。居合いの動きと共に放たれた攻撃の正体は?
様々な仮定の中で圭は今この時の最適解を探す。
自分は第五課の主任。役目を果たすのだ。