⑥ 疾風
トトトトトト!
重さを感じさせない足運び。ヨダカにインストールされた戦闘技能の一つ。流線形の軌道を描いてヨダカの刃がカケルとガリレオに迫った。
「回れ」
ガリレオが切断された右腕を向ける。肉と機械が露出した断面にPSI力場が発生した。
トトトトトト!
高速でヨダカは脳内の戦闘回路を巡らせる。敵のPSIの予測起動。避けられるか否か。避けるべき位置。
水平に射出された回転力場。距離はともかくとして速度が問題だ。
射出距離はせいぜいが数メートル。しかし、その距離に到達するまではほぼ音速を超える。
――設置型の利点でございますか。
一度発動してしまった設置型のPSI。その発生挙動にはほとんどの予兆が無い。
グルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグル!
そして、力場がヨダカの右肩を掠め、肉をえぐり取った。
――機能への影響は軽微。
僅かな破損。刀を振るのに問題は無い。
だが、ヨダカの思考回路は判断する。やはり、思考回路の出来は敵が上だ。
「さあ、これは避けられるかな!」
「回れ」
グルグルヒュンヒュン! ガリレオを周回していた瓦礫達が遠心力を推進に飛んでくる。
一つ一つが大きく早く重い。どれもヨダカの機能に壊滅的なダメージを与え得る攻撃だ。
ヨダカは近接戦闘用のキョンシーだ。一足一刀の間合いであれば膂力に任せて刀を振り、敵を斬懐する。それはつまり、近接戦において並みのキョンシー以上の戦闘回路を持つという事だ。
瓦礫や足元に生えるテレキネシスの渦を避けながらヨダカは敵を見る。
全力で踏み出せば刃が届く位置に居る。先ほどから八度もその機会を狙い、三回、刀の間合いまで近づけた。
けれど、そのどれでも致命打を与えられていない。
ヨダカの領分であったはずの近接戦でさえも敵の思考回路の方が速いのだ。
「とても良い頭をお持ちで」
「二体分の頭脳であるからな。そうそうは負けんよ」
ヨダカの言葉にガリレオが誇らしそうに博士帽を叩く。
――二つの脳で戦闘回路を分担している?
こちらの判断を間違えさせるためのブラフの可能性もある。だが、このままではジリ貧でヨダカ達の負けだ。
「ヒバリ、来なさい」
「ええ、お任せをヨダカ」
呟きに呼応して、異形のキョンシーとの戦線からまた一人、小さなキョンシーがヨダカの背後を追従する。
「それでは、こちらも二体分で考えさせていただきます」
「有象無象の頭では意味が無いよ」
ヨダカとガリレオ、双方の蘇生符が光る。
視界の端、ヒバリを失った戦線は異形のキョンシー相手に更に過酷さを増している。
――あまり時間はかけられない。
ヨダカは葉隠邸において最強のキョンシーだ。
あのカケルとガリレオに刃が届き得るのは自分しかない。
であるならば、後に残るのは合理的判断だけだ。
「回れ」
自転と公転、二つの螺旋の力場。それを突破するのに何が必要か、
ヨダカは灼刀を振り上げ、刀身の熱が空気を焼いた。
***
「コウちゃんコウちゃんコウちゃんコウちゃんコウちゃん!」
紅髪を躍動させ、リコリスがシカバネ町を駆ける。
あのギョクリュウというキョンシーの所為で愛しい霊幻から引き離されてしまった。
リコリスは激怒していた。敵に、そして、おめおめとあの憎い主のサポートを受けた自分にだ。
蘇生符は論理的に思考する。今、自分が霊幻の元へ向かえているのは、京香の協力があったからだ。
弱い弱い人間のくせに、キョンシーの自分の望みを叶えようとする。
その態度が気に入らない。生前死後、リコリスにとって京香は憎い人間のままだ。
リコリスに備え付けられたキョンシーの機能が、今すぐ京香の所に戻り、あれを助けろと提案してくる。
――今は戦場。京香ならばギョクリュウ相手にそうそう死なない。まずはコウちゃんと合流して敵を狩り尽くす。
霊幻の元へ行って良い理由を無理やり作り上げ、一段階リコリスは加速した。
「コウちゃんはあそこに居る」
今どこで霊幻が戦っているのかリコリスには分かっていた。霊幻にはリコリス専用の発信機が装着されている。
断続的にエレクトロキネシスを使っているのだろう。信号は途切れ途切れだが、何処に居るかを判別するには十分だった。
自身の出せる最速でリコリスは霊幻の元へ向かう。この速度で走れば数分もすれば到着できるはずだ。
周囲に敵影は無い。敵は自分達第六課を狙って今回の攻撃を仕掛けたのだ。
目的は明白。ココミを奪いに来たに違いない。
「さっさと壊してしまえば良かったのよ」
いくら世界で唯一のテレパシストだとしても、ココミの存在はあまりにも危険過ぎる。さっさと破壊して脳だけでも解体してデータを採取すれば良かったのだ。
そうすれば、そもそもこの様な事態など起きようが無い。
キョンシーなのだ。ココミという個体がどの様に思考していようともその廃棄権は人間に帰属する。
扱えないならば壊してしまうべきなのだ。
けれど、そのココミを、おそらく世界で唯一真正面から間違いなく破壊できる存在の京香がココミを保護している。
それは欺瞞だ。あまりにも幼く、論理性を排した唾棄すべき意地だ。
「っ」
リコリスは顔を歪める。今、自分が霊幻の元へ向かえているのは、京香のその意地のおかげだった。
あれほど憎い女の意地によってリコリスは今自分の執着を満たしている。自覚があり、だからこそリコリスは苛立った。
「コウちゃん」
怒りを覚えたとしても意味が無い。リコリスは既に走り出している。あと少しで霊幻の元へ到着できる所まで来ていた。
その時である。
ヒュウウウウウウウウゥゥゥゥウウウウウウウウゥゥゥゥウウウウウウウウゥゥゥゥ!
風の音が耳に届く。広げたリコリスの紅髪が大きく揺れた。
「――」
その風の圧力を感じた刹那、リコリスが取った行動に論理性は無い。脳内が発した〝逃げろ〟という指示に従っただけだ。
リコリスは四肢と紅髪の全てを使って進路を変える。
その直後、一つの疾風がリコリスの全身を包み込んだ。




