② 鉄の階段
赤い瞳が言った。何かあるなら早くしろ。
信頼ではない。リコリスはこちらを信頼していない。これはキョンシーとしての打算だ。
それで良い。リコリスの執着を京香は否定しない。彼女の大切は幸太郎だけだ。寂しいけれどそうであって欲しい。
「シャルロット、広がって」
ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ!
アタッシュケース、シャルロットが薔薇の様に広がり、それを砂鉄が包んで鋼鉄の盾とする。
京香は鉄の薔薇を前にして、磁場を使いながら一気に前に出た。
先ほどまで防御や回避に専念していた京香の動きに、頭上のギョクリュウが蹄を鳴らす。
「おお! 脆弱な人間の身で前に出ますか! 人類最強の力を我に是非とも見せていただきたい!」
ヒヒヒン! 嘶きと共にギョクリュウが京香へと落下する。
バアアアアアアアアアアアアアアアン! 爆風と共にこちらに突き出される槍はいとも簡単に京香の砂鉄を突き破った。
「回れ!」
グルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグル!
ギョクリュウの槍を迎え撃つのは京香の体を周回する鉄球だ。
ガガガガガガガガン! 八個の鉄球はほとんど一瞬でギョクリュウの槍を打つ。
槍の軌道がずれ、地面へと突き刺さる。
「くらえ」
一瞬の無防備。そのギョクリュウの馬の胴体へ京香は砂鉄の爪を振り下ろした。
キョンシーの体だとしても一瞬で粉微塵にする威力の一撃。
しかし、ギョクリュウの蹄はやはり早い。京香が攻撃のモーションをした正にその時には蹄が再び宙を蹴る。
バアアアアアアアアアアアアアアアン!
亜音速でギョクリュウは再び空へと逃げた。
その動きを認識する前に京香は足元へ磁場を展開し、一気に上方へ飛んだ。
「なんと!」
京香の体もまた亜音速で動く。急激な加速度に内臓がひっくり返り、骨が軋む。だが、意識は失わない。眼前には驚きに嘶いたギョクリュウの顔がある。
認識してからではない。ほとんど直観に従った動きだ。きっとギョクリュウは上に逃げるだろう。空はこのキョンシーの領域なのだから。
「だが、空中で我の攻撃を避けられますかな!?」
ギョクリュウの反応は早い。京香を認識したその瞬間には攻撃の動作に入っている。
槍が振り下ろされる。ギョクリュウの言う通り、京香には避ける手立てが無い。
京香が構えるのはシャルロット。鉄の薔薇だ。
ガァアアアアアン! ギョクリュウの槍が京香の薔薇を打ち落とす。キョンシーの全力の膂力。薔薇を持つ左腕がビキリと軋む。
空中では踏ん張りが効かない。京香は一気に地面へと打ち落とされる。
ダァン! アスファルトへ京香は激突する。「かはっ」テンダースーツが吸収しきれなかった衝撃に肺から息が押し出された。
視界の先、今自分を打ち落としたギョクリュウの周囲、鉄球と砂鉄がまだ空に残っている。
「いけ」
京香は命令し、それが届く前にリコリスが走り出す。
空中の鉄球と砂鉄。それはまだ京香の磁場の支配下にある。
「溶けろ溶けろ溶けろ溶けろ溶けろ!」
ジュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!
砂鉄と鉄球は京香が作り出した足場だ。その足場を溶かし壊しながら、リコリスが空へと駆け上がる。
足場さえ、髪で掴むことができる取っ手さえあれば、リコリスは自由だ。
「ヒヒヒン!?」
嘶きと共にギョクリュウが蹄を鳴らす。爆発が成り、高速でリコリスから逃げようとしていた。
ギョクリュウは速い。これよりも速いキョンシーを京香はアネモイしか知らない。
この蹄の爆発を捉えられるキョンシーなどそうは居ないだろう。
「でも、早いのはリコリスよ」
けれど、リコリスは既に京香が作り出した鉄の階段を上り終えている。
リコリスの目線はギョクリュウと同じ。その周囲には京香が展開し、未だ空中に漂う無数の砂鉄の塊がある。
その紅髪が届く範囲であれば、リコリスの早さに敵う者は居ない。
「溶け死ね」
砂鉄を辿り、リコリスがギョクリュウを追いかける。爆風で逃げるギョクリュウの進路を先回りする動き。
リコリスの髪が花弁の様に広がり、ギョクリュウの進路を塞いだ。
触れれば溶ける毒の髪。それに包まれたギョクリュウ。行きつく先はリコリスの言う通り溶け死ぬことだ。
そして、ギョクリュウの体がリコリスの髪に捕まる。
ジュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!
肉が溶ける音がした直後だった。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒィィィィイイイイイイイイン!」
毒の髪に囲われてギョクリュウの嘶きが鳴る。
バアアアアアアアアアアアアアアン! 強烈な爆発が生まれた。
「ッ!」
爆発と共にギョクリュウがリコリスの髪を振り切って空へと飛び出す。
その体は毒と爆風に削られ、無残な姿に変貌していた。四本あった足の内、左後ろが溶け切り、上右半身が爆発で抉れている。
残る全身も爆風と毒の余波を受けたのか表皮の大部分が剥がれ、赤黒い筋繊維が露出していた。
「やられましたなぁ! この我の自慢の足が壊されてしまいました!」
ヒヒヒン! 空でギョクリュウが笑う。
――決めきれなかった。
「リコリス行って霊幻の所に!」
「言われないでも!」
ギョクリュウを壊し切れなかった。それを判断した瞬間、京香は命じ、リコリスが砂鉄を伝って空を駆けた。
リコリスが跳び去るのはギョクリュウとは別の方向。霊幻達が居た方角だ。
「おっと、これは追えませんな」
「でしょうね」
残らされたのは地上の京香と空中のギョクリュウだ。
京香は考える。足を一本失ったとはいえ、ギョクリュウの爆撃から果たして自分は逃げ切れるのか。
自分の体にもダメージが入っている。先ほどの亜音速の動きで内臓が悲鳴を上げているのが分かる。
――考えることじゃないわね。
ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ!
周囲に残っていた砂鉄を京香は束ね、周囲に纏う。リコリスの足場とするため、半分くらいはもう使えなかったが、それでも人間一人の体を覆うのには充分だった。
「押し通るわ」
「ヒヒヒン。止めさせていただきますぞ。せめて人類最強のあなたは」
砂鉄を纏って京香は跳ぶ。自分の体が壊れないギリギリの速度。鉄の砲弾となった軌道へすぐにギョクリュウは付いて来た。
バアアアアアアアアアアアアアアン! バアアアアアアアアアアアアアアン! バアアアアアアアアアアアアアアン!
三つの蹄が京香を追い、左腕に持った槍でその体を地面へ打ち落とす。
「もう一回」
だが、地面に落ちた直後、京香は再び跳び上がった。
「根競べですな!」
「なら、あんたの負けよ」
蹄を一つ失ったとしても、ギョクリュウ相手に速度では敵わない。
けれど、蹄を一つ失ったから、ギョクリュウの動きに先ほどまでの繊細さは無い。
ならば、相手が壊れるまで突進を繰り返すだけだ。




