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⑦ 確率の収束




***




「今日は西区に行こうかな」


 シトシトシトシト。


 雨音の中をミチルは歩く。思いつくままにシカバネ町を歩くのも今日で十日目に成っていた。


「梅雨も終わらないね?」


 六月も終わろうとしている。例年よりも大きな雨粒を落とす今年の梅雨はまだ終わる気配が見えなかった。


 フードを被り、傘を回し、ミチルは今日もシカバネ町を練り歩く。


 ミチルの軌跡に一貫性は無かった。ただ目に付いた場所や思いついた場所に足を向かわせる。


 それを連日繰り返すだけの挙動である。


 動きはブラウン管の中で走る粒子と似ていた。


 予測不可能な動きである。ミチルはこの十日間でいつの間にかシカバネ町のほぼ全域を歩き終えていた。


 ランダムに、あえて一貫性なく歩くこと。そんな命令がミチルの脳裏はずっとあった。


「シロガネ達も焦ってるし。そろそろ私の仕事を終えないとね」


 口で言っても、何をしたら仕事が完遂となるのか、ミチルには分かっていない。


 時が来たら分かるとだけ理解していて、そのために歩き続ける必要があるのだ。




 西区には公園があった。雨日が続いているからか、昼過ぎなのに人一人居ない。


「あ、ブランコ。まだあったんだ」


 つい出た言葉にミチルは首を傾げた。


 自分はあのブランコを知らないはずだ。なのに、口から出てきた言葉に違和感が無い。


「……ま、いっか」


 ミチルは深く考えない。自分の感覚がおかしいのはいつものことだった。


 ジッとミチルは雨に打たれるブランコを見た。


 雨雲の白い空。周りには誰にも居ない。


 ふむ、と、ミチルは傘をクルリと回して公園へ足を踏み入れる。アスファルトから土へ地面の感触が変化した。


「おー」


 脇に閉じた傘を置いて、そのままミチルはブランコに乗った。いわゆる立ちこぎの体勢である。


 不安定で浮遊感のある足元の感触。頭に落ちる雨音のじんわりとした冷たさ。


 とても懐かしい気分に成った。そのような思い出がミチルには無いけれど。


 ミチルの頭には穴が開いている。なんで空いたのかは知らない。それを隠すようにヘアバンドしていた。


 ヘアバンド越しに、雨粒がミチルの穴へ入っていく。


 冷たくて気持ちが良い。ミチルは空を見上げたままブランコを漕いだ。


 浮遊と落下。安全に裏打ちされた死の感覚。懐かしい。あまりにも懐かしいから、ミチルは小さく笑ってしまった。


「何が懐かしんだろうね?」


 思い出がミチルには無い。だからこの胸に湧き上がる感覚はただの勘違いだ。


 しばし、ミチルは体を揺らす。雨が頭の穴を通る感覚が不快に成るまで。


 それには思ったよりも時間が掛かり、ミチルがブランコから降りた時にはヘアバンドはぐっしょりと濡れてしまっていた。







 雨に濡れた頭が冷たい。ミチルは再び思うままに足を動かしていた。


 今、目線が向いているのは西区の生体置き場、つまり住民達の住宅だ。


 雨ではあるが、人の営みは止まらない。ちらほらと傘を差す住民達の姿が見えた。


 止まることも無く、かといって速すぎる訳ではないミチルの歩き姿は酷くシカバネ町に溶け込んでいる。


 これらの光景に見覚えは無い。けれど、ミチルは知識として知っていた。


「確か、あの先に前に暮らしていた家が……」


 誰が? と聞かれれば自分が、ということになるのだろう。はたして、ミチルの知識通り、少し進んだ先にアパートがあった。


 何処にでもある様な3階建てのアパートである。オートロック式のガラス張りの玄関。その奥にある観葉植物には何故かビー玉が何個も埋まっているのだ。


「もう入れないよね」


 住民が変わる度にセキュリティ情報がリセットされる。ミチルではもうこの場所には入れない。


 郷愁という訳ではない。けれど、ミチルはそのあり触れたマンションを見上げる。自分が住んでいたという部屋は三階の角部屋だった。


 その部屋には知識にないカーテンが掛けられていた。どうやらもう違う住民がこの場所の主であるらしい。


「残念」


 何が? と聞かれたら分からない。思い出がミチルには無いからだ。


 ただ、かつて自分が住んでいたという場所にはもう違う誰かが住んでいて、そこはもう自分だけの物ではないという事実が残念に思えた。


「それじゃ、あっちに行こうかな」


 ミチルは足を進める。向かうのは西区の中央。最も多くの住宅が集中し、同時に最もセキュリティ性が高い場所だ。




 シトシトシトシト。


 そこまで時間が掛からず、ミチルは西区の中央部に辿り着いた。この地域にはランクの高い素体が多く暮らしている。


 良く見てみれば、家屋の入り口と出口には見張りであろうキョンシーが配備されていて、窓ガラスなども内部が分からない様な特別性に変わっていた。


 パチャパチャとミチルは足を進める。ここに何か用があった訳ではない。そう言えばこの辺りにはまだ来たことが無かったと思い出しただけだ。


 十日間、ミチルが刻んできた足跡に一貫性は無い。


 ただ思うままに歩いているだけだ。


 意図が介在しない無作為な移動。それがミチルに求められた行動である。


 恣意性をできる限り排除した試行である。


 意思は無く、目的は無い。


 それは自然現象の様な物だ。


「――っと、ホムラ、ココミ待って、先に行くな」


 ミチルの耳に言葉が入った。


 視線を少し先、雨粒の向こうへ向ける。


 そこに人間とキョンシーの一団が歩いていた。


「あ」


 そうか、とミチルは理解する。


 自分はこのために存在していたのだ。


 理解する、理解して、理解してしまったからミチルは笑って呟いた。


「ガリレオ、捩じれ」

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