③ ランダムウォーカー
***
「それじゃ、みんな、行ってくるねー。いつも通り帰ってこなかったら死んでるってことにしといて良いよぉ」
カケルが隠れ家の皆に聞こえるように出発の挨拶をした。それぞれの仲間達が吹き抜け等から顔を出し、こちらを見る。
その中でご丁寧にもカケルの前まで歩いてきたのがシロガネだった。
「カケル、情報収集よろしくお願いします」
「いつも丁寧だねぇ。ん、了解了解。この私に任せてよぉ」
クスクスとカケルは笑う。 白いワンピースを着た、長い白髪の、美しい顔をしたキョンシー。カケルはシロガネというキョンシーを好ましいと思っていた。
理由はいろいろあるけれど、何より分かりやすかった。このキョンシーの執着は誰から見ても明らかで、人間には無い様な純粋さが好きだった。
きっとこのキョンシーがわざわざ丁寧に毎朝自分を送り出すのも、執着たるクロガネのためなのだ。シロガネがカケルという仲間のことを好きであったり、愛していたり、大切だと思っているはずがない。
それが分かっているからカケルに心地良い。
笑ったまま、カケルがポケットから白いヘアバンドを取り出した。
自分が今回の仕事をこなすにはこの道具が必ず必要なのだ。
「ま、ちゃんとできるかは分からないんだけどね」
「期待しています。カケルの協力があれば、今回の作戦の成功率は大きく上がるはずですから」
言葉だけの物だとしても期待は嬉しい。その期待に答えられるかどうかが運次第だというのが嫌だったが。
カケルは外の音に耳を澄ます。シトシトと細かな雨音が落ちていた。
梅雨の中盤。まだまだ雨は続くらしい。頭に空けた穴が疼くから、カケルは雨が嫌いだった。
「吉報を待っててよぉ」
頭の疼きを無視して、カケルはドアを開け、外に出る。それと同時に頭の穴を隠すようにヘアバンドを着けた。
*
「歩かなきゃ、歩かなきゃ。でも何処に?」
シトシトシトシト。傘に雨が落ちる。ミチルは雨のシカバネ町を歩いていた。マスクをして息苦しい。
「ここはシカバネ町。有楽天が見えるから北区。昨日は東区を回った。じゃあ今日は?」
キョロキョロとミチルは視線を回す。事前の情報通りの景色に、自分が何処に居るのかを把握する。
何処へ、何を、何のために? ミチルの頭の中に確定した情報はほとんど無い。
欠けた記憶。自分がミチルという存在で、ここがシカバネ町で、何かに突き動かされてシカバネ町を歩く。ただそれだけだった。
すべての物に見覚えが無い。
すべての事に見覚えが無い。
何もかもが新鮮で、何もかもがあやふやだった。
「そうだ、そうだ、そうしよう。今日は南区に行こう。南区を歩こう」
目的地は思い付き。昨日は行って無かった所。
自分は何かを探していた気がする。その何かが分からない。
シトシトシトシト。雨音に思考が溶けてしまいそうで、そうなってしまう前にミチルは足を南区へと向けた。
*
雨音に紛れてミチルは南区に辿り着いた。
シカバネ町の南区は記録通りの姿をしていた。
直線的な工場と倉庫のシルエットが乱立する視界の中で、白い肌をしたキョンシー達が右に左に歩いている。
記録通りの光景で、ミチルの頭の中にぼんやりと南区全体の地図像が浮かんでいた。
「……たしか、あっちに手足の保管倉庫が」
あいまいな記憶を頼りに足を進めると、思った通り、キョンシー用の手足を補完する倉庫があった。
シカバネ町の中で一番大きい、キョンシー用のパーツ保管庫である。見た覚えは無いのに、知っている記憶がある奇妙な感覚をミチルはおかしいとは感じなかった。
「――っちに何か居たか?」
「?」
人の声がした。若い女の声で、耳を澄ませばパチャパチャと足音がしていて、こちらに向かって来ていた。
「あっち、あっちに歩こう」
声の主が誰なのかは知らない。けれど、会いたくは無い。倉庫の脇道へ体を進め、ミチルは声の主から離れていく。
進みながら、チラリと背後を見た。
「いいや、誰もい――」
「――うか」
そこに居たのは二人の黒服とサイズの違う六体のキョンシー。
人間達の顔をミチルは知っていたから、声の主達の正体にすぐに気づいた。
背後に居るのはハカモリの第一課達だ。シカバネ町をいつもの様に巡回していたのだろう。
脇道を進みながらミチルは南区の地図を思い浮かべる。第一課の巡回ルートならば肌で知っていた。
二人の捜査官がここに居る。第一課お決まりのツーマンセルだ。従来通りの第一課ならば半径一キロ圏内に最低でも二組の捜査官達が居るはずだった。
スルスルと雨音と同化しながらミチルは南区を進む。
どこに行こうかという望みは無い。脳内の南区の地図の中で思いついた場所を次から次へとランダムに歩くだけだ。
途中で何人もの第一課の黒服達を見た。サイズ違いのキョンシーを連れた彼らの数はミチルが思っていたよりも多い。
昨日まで歩き回っていた北区と東区に居た捜査官達の数も多かった。
どうやら何かしらの厳戒態勢が敷かれているらしい。
「でも、第六課の人はまだ見てないなー」
シトシトシトシト。雨音の中でミチルは呟く。第六課の人数は他の課と比べて顕著に少ない。高々数日歩き回っただけで出会える物でも無いようだ。
ミチルの頭の中にはこの数日シカバネ町で見てきた捜査官達の顔と配置が全て入っていた。無意識に記憶していた物だ。
半分は見たことがあるような顔で、半分は知らない顔だった。捜査官達がまた随分と死んでしまったらしい。
「足、疲れたな」
南区を歩き続け、気づけば、分厚い雲の向こうで空が暗く成ろうとしていた。
一日中歩き続けた足が鈍痛の様な疲れを主張している。
足が疲れたら帰る。今朝出発した時からミチルはそう決めていたから、決めていたように北区へ戻ることにした。
「あ、でも、そうだ。京香? の家に行かないと」
京香とは誰かをミチルは覚えていない。しかし、システム化された思考の中で京香という人間に会いに行けという命令が刻まれていた。
「京香の家は……」
脳内地図で場所を思い出す。昨日も一昨日も同じことをしていたような気がした。
「そうだそうだ、セセラギ荘だ」
舌触りの良い言葉。まるで何度も口にしたことがあるように。
場所も思い出せた。それと同時に昨日一昨日見たセセラギ荘の光景も思い出せた。
昨日一昨日もセセラギ荘の近くにはハカモリの護衛達が睨みを利かせていたから、近づけなかった。
きっと今日もそうだろう。それを確認しに自分はセセラギ荘へ行くのだ。
結局、京香とは誰なのかまでは分からなかったけれど、そこは重要ではなかった。
ミチルには強い意志が無かった。周囲に拡散していくような希薄な自我。ただ、与えられた目的だけをこなすだけの機能。それが自分で、それさえも疑問に思わない。
シトシトシトシト。日が落ち始めていて薄暗い。雨はまだ降っている。強さは朝から変わらない。
その薄暗さと雨音を聞きながら、ミチルは傘をクルリと回した。