⑤ きょうだいへ黙祷を
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「いやぁ、やられたやられたねぇ。葉隠邸のキョンシーを逃しちゃったねぇ」
シカバネ町、北区。三階建ての雑居ビルに響いたカケルの声をシロガネは沈痛な面持ちで聞いた。
「あれ、あれれ? どうしたのシロガネ? 暗い顔してるじゃん? 損害は出たけど一応予定通り、いや、予定よりも少ない損害で潜入できたのにさ」
「ええ、チルドレン一体の犠牲で済みました。上々です。成果自体には喜んでいますよボクも」
カケルの発言は最もだ。チルドレンの犠牲など初めから織り込み済み。最初の難関であったシカバネ町への潜入をチルドレンたった一体の損失で済ませられたのだ。これが僥倖と呼ばすして何と言うのか。
「カッカッカ! それにあのチルドレンちゃんと爆発してくれたからねぇ。脳も消し炭、蘇生符もバラバラ。敵さんの解析もしばらく時間がかかるはずさ」
上の方からカーレンの声が響く。音の反響からして二階に彼女は居るのだろう。連携を取りやすくするため、このビルは吹き抜けに成っていた。
カケルとカーレン、二人からの論理的な言葉。それでもシロガネの顔は晴れなかった。
「みんな、おいで」
パン! シロガネは両手を叩き、小さな声を出す。
そのすぐ後だった。
「にいさまいいいにささま」
「およおおよよびびでですすかかか?」
「な、なになんなんんんんなんのよおうう?」
ぞろぞろと異形のキョンシー達がシロガネの前に現れる。
一階では収まらない。吹き抜けの先、二階と三階からも異形のキョンシー達が顔を出す。
どれ一人として人間の形を保っていない。
どれ一つとして人間の有様を保っていない。
だが、その全てがシロガネの愛しき弟妹たるチルドレン達だった。
「先ほど、ボク達のきょうだいがまた一体稼働を停止しました。製造番号352番。勇敢に戦い、そして散ったあの子へ祈りを捧げましょう」
「ああああ、まあっままああままあっそううででえっすうすすうかあ」
「つららららいいいららいららいらいいあらいいつらららいい」
「あのこここここともうううあえないああああええおいない」
動物の鳴き声の様な、昆虫の鳴き声の様な悲鳴がビルを包む。
「エンバルディアに到達できなかった352番。あの子へせめてもの安らぎを」
シロガネの言葉に変わり果てたチルドレン達がそれぞれの手の様な物を握り、目の様な部分を瞑り、黙祷の様な所作を見せた。
それぞれのチルドレン達へ目を向ける。どのチルドレンの眼部からも洗浄用の涙が流れている。
シロガネを含め、クロガネの子供たるチルドレン達は皆親密な関係だった。
誰もが母のために生まれ、母の夢のために行動する。
どのチルドレンも促進薬で無理やり体を成長させたり、脳をつげ変えたりした。だから、そもそも稼働できるような成功例が少ない。
だからなのか、母はシロガネ達を愛していたし、兄弟姉妹間でも互いを愛しているとシロガネは考えていた。
生者であった時間があまりに短かったから、この愛が人間の物とどれほど離れているのか判断がつかないけれど、それでもシロガネ達にとって互いは愛しい存在だったのだ。
「カカカッ。キョンシーが祈るねぇ」
二階の吹き抜けからカーレンが顔を出していた。
カーレンの顔は呆れの様にも見えて、嘲りの様にも見える。
返事はしない。シロガネ達に人間のことは分からない。
その場で地面へ膝を付き、シロガネは両手を握って瞑る。
思うのは352番のこと。異形に体を改造する前、あの子は走り回るのが好きだった。
シロガネ達チルドレンの黙祷はわずか十秒で終わり、シロガネは思考を切り替えた。
きょうだい達を異形に加工してしまった。既にシロガネは引き返せない。352番を悼む時間は無かった。
「カーレン、カケル、お待たせしました。作戦会議をしましょう。ヨシツネとベンケイはどこですか?」
「二人なら奥の部屋さ。ベンケイの装備の調整をしてる」
「それじゃ、シロガネ、ヨシツネの所に行こうよぉ。奥の部屋は広いからさぁ」
言いながら背後のカケルがガリレオを呼んだ。ガリレオはカーレンと二階に居た様でカーレンを共に壁際の階段から降りてくる。
それと同時に三階から「とうとう作戦会議ですかな!?」と大きな嘶きの声が響いた。
そして、声の方向へ目を向ける間もなく、シロガネの目の前へ何か巨大な影が落ちてきた。
「……ギョクリュウ。危ないじゃないですか」
目の前に落ちてきたのは白馬の頭とケンタウロスのごとき体を持ったキョンシー、ギョクリュウだった。
三階に居たのは知っていたし、今の落下軌道で自分が破損することは無いと計算できていたけれど、シロガネは苦笑した。
「カッカッカ! どうしたんだいギョクリュウ? ご機嫌じゃないか!」
「ヒヒン! 鬣もご機嫌に成りますとも! 普段の我は運び屋ばかりで皆さんと一緒に戦えませんからね! 折角の機会、存分にこの四足を振るわせていただく所存です!」
今回、カーレンが選んだキョンシーがギョクリュウだった。アニマルズにして、モーバ随一の運び屋。このキョンシーの純粋な戦闘をシロガネは見たことが無い。
「シロガネ殿も驚かせて申し訳ない。高ぶり過ぎてしまった。このお詫びは戦いの中でさせていただくのでご容赦を」
「いえいえ、良いんです。ボクの作戦に乗ってくれた。それだけで十分に恩は貰っていますから」
足を進め、シロガネは奥の部屋に入る。それなりに広い部屋だった。中央にベンケイが置かれているが、圧迫感はそれほど無い。
「……ああ、シロガネか。帰ってきていたのか。すまない。ベンケイの調整をしていて気づかなかった」
キュイイイイイイン! ガシャガシャガシャガシャ! ベンケイの巨体の傍でヨシツネが工具を持ち、ベンケイの装備を調整していた。頬には油汚れが付いていたが、怜悧で整った容姿には何の陰りも無い。
「いえ、先の現地入りお疲れ様です。作戦会議をさせてください。準備を」
「分かった。ベンケイ、移動しろ」
「承知したぞヨシツネ殿。某の体は大きくて邪魔だからな」
車輪を回してベンケイが壁際により、その間にギョクリュウが部屋の中央へ机とノートパソコン、そして、簡易プロジェクターを持ってくる。
「確認ですが、ちゃんとパソコンはオフラインのままですね?」
「ええ、もちろん。我が聞いた通り、一度もネットには繋いでおりませんとも。デジタルハッキング対策も済んでいます」
「ありがとうございます」
パソコンを立ち上げ、プロジェクターへ繋いで、シロガネは部屋の壁へパソコンの画面を映した。
キョンシーならば不要な作業だ。直接、脳に作戦情報をダウンロードすれば良い。
しかし、今回の作戦にはカケル、カーレン、ヨシツネと人間の仲間達も要る。
シロガネは一度全員の顔を見た。
今回の作戦でシロガネはリーダーだった。初めてのことだった。今まで作戦の中で一部隊を率いることはあったけれど、こうして、自分主導で作戦を立てたことは無い。
作戦に関して何度もシミュレーションはした。それこそ人間にはできない速度での脳内シミュレーションだ。
成功確率は高くない。ココミの護衛は強く、そこにはネエサマたる京香が居る。
今が引く最後のチャンスだ。失った戦力はチルドレンだけ。エンバルディアに向けて何ら影響は無い。ここでシロガネが引き返す判断をしたとして、咎める者は居ないだろう。
「では、今回の作戦について改めて会議を始めましょう」
シロガネに引く気は無い。既にきょうだいへの黙祷は済ませた。
母、クロガネにはもう時間が無いのだ。引き返せる猶予など残されていないのだ。