① 母の崩壊
「ねえ、シロガネ、京香は何を食べたいかしら。あの子はハンバーグが好きだったの。私は料理が下手だったから冷凍食品をチンした物だったけれど、それでもとっても喜んでたのよ。昨日は素麵を食べたのよ」
「いいえ、カアサマ、ボク達は昨日ネエサマと会えていません」
「昨日の会議でゲンナイが見せたキョンシーはカレーで、キョンシーに味覚が無いのが少し悲しいわね」
「……ええ、そうですね。カアサマ」
十三連結潜水艦タルタロス、中央部タルタロス0の一室でシロガネはクロガネを見ていた。
クロガネはベッドに寝かされていた。チューブを頭に刺し、そこから脳へ薬液を入れている。
ゴルデッドシティでの戦いでクロガネは京香と対峙した。その際、彼女と相対するためナノチップ蘇生符によるドーピングを行ったのだ。
あの時の光景はシロガネの記憶回路に刻まれ、今でも克明に脳内で再生できる。
A級相当のサイキッカーに到達した京香相手にドーピングした母はギリギリで渡り合っていた。
キョンシーに広がる未来の可能性を象徴する様な戦いにシロガネの胸は躍った。持ち帰った戦闘データを解析したゲンナイやラニ達の興奮も計り知れない。
けれど、代償は大きかった。
一つに記憶と記録の混濁。もう一つに運動機能の低下。最後に言語機能の混乱。
一彦とゲンナイが創り上げた治療薬を脳に入れているが、悪あがきだ。
遠からずクロガネは壊れる。その未来は最早変えられない。
「ほら、カアサマ、少し寝ましょう。薬液の交換の時間ですから」
「あらそう? 分かったわご飯は大事だものね。ああ、京香は何が食べたいのかしら」
シロガネは手元の機器を操作してクロガネへの薬液を交換する。
それと同時にクロガネが眼を閉じ、スリープ状態に入った。
「眠る時間も増えましたね」
末期のキョンシーに見られる症状。脳疲労のためか、長時間の稼働ができなくなる。こういう所は人間もキョンシーも変わらない様だ。
――カアサマは、もう保たない。
明白だ。あれだけのPSIの行使。元から稼働限界が近かった体には致命的なダメージだ。
「ネエサマ、やはりあなたは素晴らしい」
シロガネに京香を恨む気持ちは無かった。むしろ、あれだけの力を使っておきながらどこも壊れていない彼女に感嘆するくらいだ。
クロガネがこうして壊れているのは、母としての選択の結果だ。そこにシロガネが口を挟むことは無い。
ああ、でも、このままではクロガネの望みが叶わない。
「どうしましょうか」
シロガネは考える。母の残り時間は少ない。京香を含め、家族で幸せに過ごすという望みをどうすれば叶えられる。
エンバルディアの実現に向けてシロガネ達は着実に成果を上げている。
フォーシーの破壊に成功した。フォーシーを破壊したアネモイも回収し、現在修理が完了しつつある。
布石は打てている。後もう少しでエンバルディアの実現が見えてきていた。
このまま時間を掛ければ、、もしかしたら高確率でエンバルディアが実現できるかもしれない。
だが、その未来に母の姿は無かった。
「……カアサマ、一度外に出てきますね」
見ると母の服の首元が薬液で汚れていた。替えのタオルと服が必要である。
シロガネは立ち上がり、部屋を出た。替えはタルタロス2の倉庫に置いてある。ここから歩いて二十三分である。
キョンシーの思考速度は人間のソレよりも上だ。けれど、一度出てしまった結論に対して別のアプローチをすることは機能として苦手である。
歩きながらシロガネは思考する。どうすれば母が壊れる前に望みを叶えられる?
もうずっと前から考えていた事象には未だ答えが出ていなかった。
タルタロス2に着いたのは計算通り、二十三分後だった。
海上から手に入れた様々な補給物を一手に補完する巨大倉庫が置かれたこの区画では各フロアへ物を届ける人間とキョンシー達が所狭しと行き帰っている。
「ん? シロガネかい? 珍しいねあんたがタルタロス2に来るなんて」
「カーレンですか。あなたは何を?」
「搬送の手伝いさ。何が入っているのかを箱に書いてる」
巨大倉庫の一角でマジックペンを持ったカーレンが段ボールに内容物の詳細を書いていた。
「そうですか。ボクはカアサマのためにタオルや服を貰いに来たところです」
「なるほど。クロガネはどんな様子だい? 前に見た時は大分言語と記憶が怪しかったけどさ」
「問題ありません。カアサマは少し不調なだけです」
言いながらシロガネは倉庫を見渡し、タオルと服を探す。
段ボールは壁一面に敷き詰められていて、シロガネの処理能力も簡単には見つからない。
「タオルと服だろ? それならさっき見たね。ちょっと待ちな。持って来てやるよ」
「本当ですか。ありがとございます」
カンッ。コンパスの様に鋭利な義足で地面を鳴らし、カーレンが背後に敷き詰めていた段ボールの山へと向かい、ゴソゴソと中を探し始めた。
その音を聞きながら、シロガネは思考する。
結局、どうすれば良いのか。どうすれば母の望みは叶うのか。
クロガネの脳は崩壊が始まっている。始まってしまったのなら止められない。
脳機能の崩壊はキョンシーにとって死そのものだ。
「死、ですか。ボクには記憶も記録もありませんね」
シロガネの認知は蘇生符を貼られキョンシーとして稼働した日から始まっている。
シロガネはクロガネの子宮から取り出した素体で作られている。
キョンシーにするためにクロガネが産み、キョンシーにするために素体にしたのだ。
産まれた瞬間に脳を取り出し、培養液で成長させた脳を最も戦闘に適していた体に取り付けたのがシロガネだ。
だから、シロガネは死という概念を知らない。チルドレンを含めてクロガネが作ったキョンシー達は皆そうだった。
「あったあった。ほら、シロガネ、これで良いかい?」
「これですこれです。ありがとございます」
カーレンがタオルと服を持って来た。サイズも量も丁度良い。
シロガネはそれを受け取り、クロガネの元へと帰ろうとする。
その背中をカーレンが呼び止めた。
「クロガネは少しの不調じゃ無いんだろ」
「いいえ。違います。カアサマの不調はほんの少しです」
カーレンの言葉は確信を持った響きをしていて、シロガネはムッと言い返した。
「マイクロ蘇生符のことならあたしも知ってるよ。あれを使ったんだ。壊れるのも無理はないさ」
「カアサマは壊れていません」
「どこがだい? 記憶は乱れ、言語も覚束ない。分かり易いキョンシーの最期じゃないか」
気付けば巨大倉庫のキョンシーと人間達がシロガネ達に聞き耳を立てていた。
「違うって言うのなら根拠を教えて欲しいね。クロガネはあたし達モーバのリーダーの一体さ。リーダーの不調をあたし達は知りたい。不安になっちまうからねぇ」
「……そんなこと」
どうでも良いとは言えなかった。シロガネにとって全ての優先事項は母だ。けれど、論理回路が伝えている。自分達を慕い、尽くし、頼っている者達の前で彼らの思いを否定することは今後の母の立場を悪くする。
「シロガネ様、あなた達は我々の英雄なんだ」
「クロガネ様は大丈夫なのか?」
「前に見た。クロガネ様は私達を忘れていた。あの様子じゃもう壊れてるんじゃないのか」
機会を得たとばかりに質問が飛んで来る。人間とキョンシー達が求めている答えは真相なのだろう。
「カアサマは壊れていません」
「まだ言うのか。まあ、分かるよ。それがあんたの執着なんだろうからねぇ。気色悪い」
カッカッカ。カーレンが笑う。この人間は昔からこういう所があった。
「クロガネが壊れてない。それは本当だってことにして、お前はどうするつもりなんだい?」
「ボクはカアサマの望みを叶えるだけです」
「時間は無いんだろ? 悠長に構えてる場合なのかい?」
「……何が言いたいんですか?」
カーレンが何かを自分に言おうとしている事実にシロガネは気付いた。
シロガネの様子に、カーレンが笑い、耳元に口を近づけ囁いた。
「助けが必要なら手伝ってやるさ」
キョンシーの思考は画一的だ。単体で出した結論は一つの答えに精度高く行きついてしまう。
同じパラメータを使えば同じ予測値が返ってくる。それはキョンシーとして当たり前の機能だった。
けれど、そこに新しいパラメータを使えるのであれば話は別だ。
シロガネは再度思考する。カーレンの意図が何か、そして、カーレンを使えるとして一体何ができる?
「……カーレン付いて来てください。一彦の所に行きます」
「カカッ。了解だ、シロガネ」