③ 晩酌
*
「あ、先輩、出ましたか」
「……恭介、それは?」
「ちょっと飲みませんか?」
リビングに出て、京香は目を丸くした。
木下家の食卓に、酒と肴が広げられていたのである。
恭介は既に一杯先に飲んでいる様で頬が少しだけ赤くなっていた。
「寝ないの?」
「まあまあ、後輩と偶には飲みましょうよ。今日は本当に疲れたじゃないですか」
ハハハと恭介が笑いながら向かいの席を京香に勧める。
「明日も会議よ? 早く寝なきゃ」
「大丈夫ですよ。明日の会議は午後からに成りましたし、それに明日は決定事項の最終確認だけじゃないですか」
「はぁ?」
恭介が差し出した情報端末には、今回のテロ行為を顧みて、午前中は安全確認に勤めると書いてあった。
確かにそれならばもう少し起きていても良い。
「……考えてみれば、恭介とサシで飲んだこと無かったわね」
少し、京香は考えて、恭介と飲むことにした。
「良いですね。何飲みます? 色々と買ってあるんですけど」
「いつの間に買ったのよ?」
「さっき第二課に急いで買って来てもらいました」
――変なの。
この深夜に無理やり第二課に買わせた? 恭介らしくない。実は我慢していただけで結構な酒好きだったのだろうか。
やや怪訝に思うが、口には出さなかった。わざわざ飲みたいと言うのだ。何かがあるのだろう。
「何飲みます?」
「そうねぇ」
机に置かれた酒瓶を見ていき、一つに眼が止まった。
懐かしい銘柄だ。かつて幸太郎に進められ、飲んだ瞬間、喉が焼けそうになったキツイキツイ蒸留酒である。
「割る様の炭酸水とかある?」
「ありますあります。これですね」
「ありがと。んじゃ、アタシはこれ飲むわ」
恭介から渡された炭酸水と蒸留酒を手に取り、グラスに半々で注ぐ。
「お、先輩、それ飲むんですか? 半分でも大分度数ヤバいですよ?」
「好きなお酒なの」
嘘である。味は全く好きでは無かった。ただ、幸太郎がかつて良く飲んでいた酒というだけだ。
「「乾杯」」
キン! グラスを突き合わせ、口に含む。
焼ける様な熱さが口内に広がり、耐え切れなくなる前に一気に胃へと押し込む様に飲んだ。
「……はぁ、やっぱ強いわねこのお酒」
「良く飲めますね。僕だったら二三杯でダウンですよ」
「アタシもあんま変わんないわよ」
ポリポリ。恭介が更に出したピーナッツやらの摘みを口に入れ、京香は笑う。
胃へと落としたアルコールが一気に体へと熱を持たせ、カァッと全身が熱くなった。
「今日はお疲れ様です」
「ありがと。恭介もね」
グビッ。あっと言う間に体に回るアルコール。それに身を預けながら京香は恭介と話した。どちらも風呂上り、緊張が解け、顔には疲労の色がある。
晩酌する習慣は京香に無い。一人で飲むのは危険だし、誰かと飲む習慣も無かった。
「先輩のマグネトロキネシス、出力上がってましたね」
「うん。困っちゃうわね。日に日にすごいことに成ってるわ。あれでも大分力を押さえて移動してたのよ」
「マジですか。僕とフレデリカが吐いたのに、その先がある感じですか」
うわー、と恭介が額を掻く。それに笑いながら京香は更に酒を口へと含んだ。
「先輩は辛くないんですか? あんなに早く動いて」
「蘇生符貼ってるからかな? 少しは楽なの。まあ、あれ以上無理やり動くと、アタシも気絶しそうになるけどね」
「ハハ。そりゃ大変だ」
言いながら恭介が新しい酒を開け、グラスへと注いでいく。水色で甘い匂いがする酒だった。
「それ何?」
「チョコミントサワー……マジか」
名前を見て恭介が絶句し、恐る恐ると言った様子で一口飲んだ。
「…………………………」
「ちょっと大丈夫? 顔が青色よ?」
「いやもうヤバいです。これはヤバいです。先輩も飲みます? と言うか飲んでください。一口で良いんで」
「えー」
そう言って恭介が別のグラスにチョコミントサワーなる物を注ぎ、京香へ渡される。
まあ、飲んでみるかと京香は口に含む、瞬間、体中が粟立った。
味は甘い。チョコミントという名前の通りだ。だが、ミントと甘さとやたらねっとりとしたアルコール分が不協和音を起こし、喉元でダンスを起こしている。
「!‘>{‘T#>U!!!?!?!??!?!」
ゴクゴク! 蒸留酒で一気に喉の不快を流し込み、京香は「何これ!?」と恭介のグラスの青い液体を指した。
「ヤバ過ぎでしょ。こりゃ飲めないわ」
ハハと笑い、恭介が新しいグラスに別の酒を入れ、口直しに飲んだ。
クラクラ!
――あ、飲み過ぎた。
一気飲みは行けなかった。酔いが血管を巡り、視界が回る。
頭が変に成る。首から上が浮いた様な、背骨の隙間が広がった様な感覚。京香は空いたグラスに度数の低いサワーを注いだ。
「先輩大丈夫ですか? ちょっと顔赤いですけど」
「大丈夫大丈夫。でもあれねちょっと酔ってきちゃった。あの日みたいにね」
「あの日?」
「あー、アタシが二十歳に成った時の飲み会よ飲み会。ごめんね、恭介は知らないもんね」
「……又聞きでマイケルさんやヤマダさん、それにあおいさんと霊幻から聞きました」
「あ、そっか。知ってるのよね」
そうだった。恭介は自分の過去をある程度は知っているのだ。京香はそうかそうかとフラフラと頷いた。
「あの日はねー、アタシが初めてお酒を飲んだ日なの。で、これが飲んだ奴」
「初めてでコレですか? いきなりこんな強い酒を? チャレンジャーですねぇ」
「幸太郎がね、良く飲んでたお酒なんだ」
ケラケラと京香は笑った。初めてお酒を飲むと成って、幸太郎が準備をしてくれると成って、彼が飲んでいた物を飲みたくなったのだ。
「へー、上森幸太郎の飲んでたお酒ですか」
「そ。ちょっと無理して飲んだの」
フフと京香は自嘲する。大人に成れた気がしたけれど、ああやって無理して飲んでいたのだから結局子供だったのだろう。
「上森幸太郎との日々はどうだったんですか?」
「ん? あー、そうねー。どうだったんだろう?」
急に聞かれた過去の話に京香は頭を傾げる。いつもならきっと誤魔化して答えない。だけど、今は酔っていて、今日は色んなことがあり過ぎた。
幸太郎との日々はどうだっただろう? 京香は思い出す。
仇で、憎んで、守られて、分からなくなって、認めて欲しくて、分からなくなった。
「上手には、言えないかな。恭介は一応、アタシと幸太郎との関係は知ってるのよね?」
「上森幸太郎が先輩の母親、清金カナエを殺して、先輩を保護したってのは」
「あ、なら、話が早いかも。うん、そうね、最初の頃は恨んでたわねー。笑っちゃうかもしれないけど、何度も幸太郎を殺そうとはしたのよ。包丁とか色々持ち出してね」
「物騒ですね。そんなことが」
「うん。ま、全部失敗したんだけどね」
アハハ。茹った頭に昔の記憶が上記の様に浮かぶ。
「アタシはさ、幸太郎に一杯守られたんだ。あおいとね、学校に行ってたんだけど、色んな人やキョンシーがアタシを攫おうとしたり、殺そうとしたりしてきてね。その全部から幸太郎は守ってくれたの」
「……」
グビ。甘いジュースみたいなサワーを飲んで、京香は幸太郎の背中を思い出す。
結局、彼の背中をずっと見ていた様な気がする。そんな過去だった。
「母さんの所で、常識とか、今の社会のこととか何も教わってなかったからさ。幸太郎に守られながら、幸太郎を恨みながら、この町で過ごす内に、分かって行くのよ。アタシはすごく変な環境で生きていて、今、とっても危ないんだって」
母のことは愛している。家族として育ったキョンシー達もそうだ。あの箱庭での日々はとても穏やかで愛おしい物だった。
しかし、あの箱庭は許されない物だと今なら分かる。あの時の少女であった清金京香はまさしく保護対象だったのだ。