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② 波紋に揺れる




***




 午前一時半。


 カポーン。京香は風呂に入っていた。研究棟から帰って来てから一時間。順番に風呂に入り、京香が最後だった。


 この湯船の大きさに慣れてきていて、暖色系の光が眼に染みる。


「霊幻」


 ぽつりと呟いた。彼は研究棟の地下、リコリスの傍に置いて来ている。


 帰って来てと言えば良かったのか。帰って来てと言いたかったのだ。


 けれど、帰って来てとは言えなかった。


 リコリスから再生されるあかねの遺言。今までいくつかの素体の遺言書は読んだことがある。そのどれとも違う感情の爆発があそこにはあった。


 あかねがあの様なことを考えていたとは京香は知らなかった。


 二十歳の誕生日。酔い潰れて幸太郎に背負われたあの時、幸太郎とあかねの会話を聞いた。だけれど、それは夢の中の様で、性格には覚えていない。


 あれ程までにあかねは幸太郎を愛していて、諦めていて、執着していたのだ。


 今更分かり合うことはできない。あかねと幸太郎は京香のせいで死んでしまった。


 うすうすと思ってはいた。あかねはもしかしたら清金京香のことが嫌いなのかもしれない。でも、彼女は大人で、京香が憧れた人で、そんな感情をおくびにも出さず、自分と話してくれたのではないか。


 リコリスの恨み、あかねの遺言、二つを聞いて良く分かった。あかねは自分を恨んでいたのだろう。


 あの時の京香は幸太郎の隣に立とうとした。それがきっとあかねには逆鱗だったのだ。ただ、守られるだけの少女であったのなら良かった。けれど、京香はあかねの居場所を奪おうとしていたのだ。


「恨まれて、当前よね」


 シャワーで濡れた白髪を京香は触る。この髪が黒かった頃の思い出が京香の胸を圧し潰そうとしていた。


 霊幻を置いて行ったのは子供染みた贖罪だった。お願いだからこれで許してくれ。ほんの少しでも良いから怒りを沈めてくれ。


 そんな身勝手な感情の発露である。それを自覚して、京香は苦しくなる。


 ブクブク。湯船に憑かり、膝を抱える。髪が湯船に落ち、リコリスの紅髪の様にふわりと広がった。


 あおいとはあそこで別れた。アレックスと共に土屋の所に帰るのだろう。


 あの遺言を聞いてあおいはどう思ったのだろう。あおいにはあの言葉を言った女性とあかねがちゃんと重なるのだろうか。


 あおいも傷付いたに違いない。実の姉が遺した言葉の中に自分の名前が無かった。何も遺してくれないというのは辛い物だ。拠り所にできる物が消えるのだから。


『また、ね』


 あおいが言った言葉に京香は上手く返事ができなくて、そんな京香をあおいは軽く抱き締めてくれた。


 暖かった。苦しかった。何も声を出したくないけれど、何かを言いたい、矛盾した感情が京香の内で渦巻いていた。


 ポチャピチャ。膝を抱えたまま、水面を指で揺らす。波紋が音を立て、髪を揺らした。


 霊幻、リコリス。幸太郎、あかね。キョンシーと人間の姿が重なって、すぐにぼやけていく。


 霊幻に傍に居て欲しかった。けれど、今、彼をどうやって見れば良いのかが分からない。


 それでも傍に居てと言えば良かったのか。リコリスで無く、清金京香の元へ傍に居ろと言えば良かったのか。霊幻もそれを望んでいて、京香もそうだった。


 なのに自分はその感情に蓋をしてしまっている。


「がんばらなきゃ」


――アタシは第六課の主任なんだから。


 幸太郎の場所を無理やり引き継いだのだ。ならば、彼の様に頑張らなければ。


――何のために?


 バシャリ!


 嫌な思考が過って、強く水面を叩く。


 何のために? 考えたことは無かった。考えない様にしていた。


 考えたら立てなくなりそうだから。


 考えたら走れなくなりそうだから。


 やることは山の様にある。今回のモーバ対策会議で、モーバ撲滅に向けた大まかな方向性は定まった。各国の主力部隊によるモーバの探索、ハカモリの捜査官達による無制限での越境調査など、様々な約束事がこの十数日で決まった。


 今回の会議の結果をモーバは掴んでいるはずだ。


 時間を追う程にモーバは辛くなっていく。ならば敵は短期決戦を狙うはずである。


 動かなければならない。京香は世界最強のハカモリ第六課の主任である。


 そう思っているのに京香の頭にあるのは霊幻のことばかりだった。


 霊幻、幸太郎で作られた京香のキョンシーだ。何度も破壊されて、何度も修理したから、脳以外その体に元の幸太郎の部分はほとんど残っていない。


 それでもあのキョンシーは幸太郎だった。違うと分かっていても、京香にとっては幸太郎の面影を残すただ一つだった。


 彼との時間はあまり残されていない。


 その時間をリコリスに渡してしまっている。


「霊幻は、アタシの物なのに」


 これは独占欲で、嫉妬とも言える感情だ。でも、そうさせたのは京香自身だった。


「……あ」


 風呂場のデジタル時計を見た。既に午前二時に成ろうとしている。


 長湯し過ぎた。まだ、会議は残っているのだ。


 立ち上がり、浴室を出て、バスタオルで手早く体を拭き、ドライヤーを持った。


「……酷い顔」


 洗面台の鏡に映る顔は酷い有様で、引き攣る様に苦笑が出てしまう。


 鏡から目を逸らし、ゴオォォッと髪を乾かす音に耳を澄ました。

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